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2005年8月23日 (火)

『ヒトラー最後の12日間』 2 ◇総統は自ら墓穴を掘った

「総統は自らの監獄を地下に作りたもうた」

映画は、ほとんどがベルリンの総統官邸地下壕(というか地下要塞)で進行します。それ故に、普通の建物を見るようには全体像が容易に判りませんよね。映画を見ている側には、そこが広いものなのか、狭いものなのか、あまり実感が湧かなかったのではないでしょうか。その上、困ったことに地下壕は他にも出てきます。例えば傷ついた兵士の足を切断している地下壕が出てきてましたが、あれは何処の地下壕なの?とか。いろいろ混乱なさったのではありませんか。あるいは、何処から何処までが総統官邸の地下壕なのかも実は良く判らないまま、モヤモヤしている方も居られるのでは・・・と言うことで、まずは、その点を少し解説しながらお話を始めたいと思います。

総統官邸の地下壕建設に関しては、少しばかりミステリーじみた逸話が伝わっているのをご存知ですか。実はヒトラーが首相官邸の主になったばかりの1933年頃には、既に建設が始まっているのです。35年には官邸の裏側に迎賓用大広間(映画の冒頭で総統最後の誕生日を祝っていた場所)を増築したのですが、この際も地下壕を併せて作らせました。38年には映画にでも出てくるアルベルト・シュペアー(軍需相)が設計した新総統官邸が建設されます。その時にも本格的な地下壕が予め設けられました。新総統官邸地下壕の規模は、全長180メートル以上、部屋数90以上という大きなものです。また、既設の地下壕とは地下通路で結ばれ、その全長だけでも90メートル以上あったとか。まさに総統官邸の地下は迷宮そのものだったのです。

ただ、これらの地下壕はどちらかというと防空壕的性格を持つもので、長期に籠城する地下要塞のような性格は有していませんでした。さしずめ、首都空襲の際に避難場所を確保するのが目的ではなかったかと思われます。というのも、第一次大戦終了後、つかの間の平和を享受していた欧米の軍事専門家の間では、ドゥーエ(Giulio Douhet)が大戦前に提唱した『制空権とその獲得』(1909年発表)についての議論が盛んに行われていました。ドゥーエは制空権無き戦いは必ず敗北すると予言し、航空機による都市の爆撃のみで敵を屈服させられると提唱していました。第一次大戦で本格的な兵器として実用化された航空機が、エンジン等の性能向上でさらなる発展の様相をみせていた時代です。また、多くの犠牲者を強いた大戦の悲惨さが、味方側に死傷者を出さない戦い方への関心に向いていた時期だけに、この議論は伯仲していたとも云えます。例えば、アメリカでは陸軍航空隊のミッチエル(William Mitchell)が『戦略爆撃』の有効性を軍上層部に唱え、陸軍航空部隊の分離と新たに空軍の創設を強く訴え過ぎて、ついには罷免されるという事件までおこっていました。

特異の感を持っていたヒトラーが、こんな軍事論争に無関心な筈がありません。あるいは彼は、直感的に航空機によるベルリン爆撃の可能性を予想していたのではないかと、私は思っています。航空機が軍事革命を起こせるのか否かは、第二次大戦開戦まで結論がもつれ込みましたが、ヒトラー率いるドイツ第三帝国・国防軍が『電撃戦』という空陸一体(戦車と対地支援攻撃機の連動による奇襲戦法)の攻撃方法を編み出し、それが世界の軍隊に大きな影響を与えたという事実を考えると、この推察も荒唐無稽と片付けられない気がします。(これをもじって昨年の米軍によるイラク侵攻作戦を『麻痺戦』と例える人がいます。いまだに電撃戦思想は健在なんですね)

それにしても、地下壕建設を進めている時、まさにナチスドイツは日の出の勢いで、欧州中に国威を発揚していたのですから、本当に不思議なお話です。この辺りにも、ヒトラーが映画で見せていた極端な悲観と楽観という彼の性格の端緒を現しているようなお話ですね。

さて、お話は再び官邸地下壕に戻ります。第二次世界大戦に突入した後の1942年。既設の地下壕よりも深いところに、通称「カタコンベ」といわれる地下要塞的性格の施設を設計し建築することを、ヒトラーはシュペアー率いる軍需省建設局に命じています。「カタコンベ」は一説では地下10メートルの地点に、コンクリート厚3メートル以上の防護壁を持つ頑強施設として構築されたといいます。

ちょうど、この時期はソ連との戦いにも陰りが見えていた頃と符合しますので、いずれは首都で籠城する事態が生じるかもしれないと、彼が予想し用心のために(自らを安心させるために)建設を命じたのかも知れません。この工事を契機として、以後、ウイルヘルム通りとフォス通り、ヘルマン・ゲーリング通りの三つの大路に囲まれた官庁街の中心に建つ総統官邸は、「カタコンベ」が完成した後も地下壕・地下施設の増築を繰り返すようになります。官邸裏の庭は常に何処かしら掘り返され、鉄筋とコンクリートが何十トンも埋め込まれていきました。こうした総統官邸の工事は終戦の時まで止むことはなかったそうです。かつてはドイツらしい整然とした庭園の風景は、まるでヒトラーの心中を現すかのように雑然としていったのは、どこか象徴的な話ではないでしょうか。この官邸裏に広がる地下壕には、映画にも出てきた車両用地下壕、使用人用地下壕などの他、総統府の幕僚達の宿舎壕などが設けられ、まさにドイツの心臓部が全て地下に移ったようでした。

当のヒトラーは、「カタコンベ」の中に設けられた20室ばかりの部屋がある、ぶ厚いコンクリートに囲まれた空間に居ました。そこで、彼が安心して過ごせたかと云うと、実はそうではありません。そんな彼の気持ちを現していたのが、ヒトラーの私室にあった酸素ボンベです。この酸素ボンベは映画の中でも、ちゃんと描かれていましたが、皆さんはお気付きになりましたでしょうか。実は地下深い要塞の換気は電気で駆動する装置に委ねられていました。もし、換気装置が止まれば酸欠になります。その恐怖から逃れるために、彼は酸素ボンベを用意させたのでした。この点を演出する必要性からか、監督は何度も発電機を操作する電機技師の姿を挿入していましたね。あの発電機を動かすことはヒトラーの命を動かすことと同義と描きたかったのかもしれません。

しかし、敵に追いつめられて自殺の道を選ぶことになる彼の末路を思えば、それはまさに杞憂としかいいようがない心理です。自らの身の安全にこれほど過敏な人物が、自殺を選ばざる得なかったのです。最後の数日に彼が見せた苛立ちや諦観、時折ぶり返すような生への執着は、こういう複雑さの中で出てきたものだと思われますが、皆さんはどう思われましたか。

そんなヒトラー終の棲家である「カタコンベ」の中は、映画でも描かれているように事務用の什器類があるだけで、まともな家具と呼べるものはエバの部屋とヒトラーの部屋にある僅かなソファーやテーブルのみでした。映画の中でベルリンを去るシュペアーがエバの部屋を訪れた際に、彼女がシュペアーのデザインした家具をわざわざ誉めるのは、そんな侘びしい暮らしを癒してくれた家具への愛着を通して、さりげなく彼への感謝と別れを伝えようとしていたのではなかったでしょうか。家具という道具に対する感覚は、日本人と欧米人では随分異なるようですし、特に欧州では代々家具を受け継ぐなど、生活に欠くべからざる装置であったと云われますので、コンクリートの壁に囲まれて暮らす辛さを、シュペアーデザインの家具達が癒してくれていたのでしょう。

ところで、ヒトラーが建築に対して並々ならぬ関心を持っていたのは有名な話です。そういえば、映画の中でも、シュペアーが設計した将来のベルリン都市計画をモデリングした模型を前にヒトラーとシュペアーが語る場面がありました。ヒトラーの夢想していた未来と、地下壕へ立て篭もっている現実の対比は、まさに悲劇以外の何者でもありませんね。そんな建築マニアが自ら作らせたコンクリートに囲まれた監獄のような部屋で、やがて自らの死を考えねばならなくなるのですから、総統は自ら墓穴を掘ったようなものでした。いずれにせよ、長い地下暮らしは、ヒトラーを心理面でも蝕み(肉体面では暗殺未遂事件以来右手が自由にならないなどの後遺症に悩まされていました)、躁鬱を激しくさせていったのは、映画でも丁寧に描かれていましたね。映画を観た私の友人は「あんな弱いヒトラーを想像しなかった」と言っていましたが、世間に流布されている強気のヒトラーとは全然違うイメージを描くことも、この映画が製作された意図に連なるものではなかったかと思います。しかも、まったくの狂人ではなく、普通の人間として描くことが狙いだったのでしょう。

「かくも多い食事場面の意味」

映画をご覧になってお気付きになったと思いますが、2時間半を越える映画の中で、食事をする場面が何度となく出てきます。

ヒトラーは菜食主義者で、大食を好まず、肥満を嫌っていたと云われています。派手好きで太鼓腹のゲーリングに信をおかなかったのも、こんなヒトラーの心理を物語っていると思います。そんなヒトラーですから、食事の質には常に気を遣っていました。しかも、味にはうるさく、調理法にも指図することが度々あったそうです。そんなヒトラーが、生涯好んだのは意外なことにイタリア料理でした。ナチス勃興の地ミュンヘンには、ヒトラーが通ったイタリア料理店『オステリア・イタリアーナ』が今も現存しています。案外、ムッソリーニを気に入ったのは美味しいイタリアンをご馳走してくれたからだったりするのかも知れませんね。彼の最後の料理人はコンスタンツェ・マンツィアリィと云いました。映画の中でもちゃんと彼女は描かれていますが、名前からしてイタリア系のようです。(映画の最後の方で装甲車の座席に放心状態で座り込む彼女が描かれていましたが、彼女がその後どうなったのか実は不明なのです。一説では自害したともいわれています。)

そんなヒトラー最後の晩餐は、映像で見た限りはラビオリのトマトソース煮のようでした。ラビオリの中には肉ではなく、恐らく馬鈴薯と潰してハーブと塩胡椒で味を調えた具が入っていたのではと想像します。あの食卓には、黒パン以外には何も出されていませんでした。最後の晩餐にしては侘びしい食卓ですが、案外普段の彼の食卓はあんな質素なものではなかったでしょうか。というのも、招聘に応じて包囲下のベルリンにやってきたグライム空軍大将(当時第6空軍司令官)とハンナ・ライチュ(高名な女性飛行家)を歓迎する夕餉の席でも、陪席する者達は、厚切りハムのグリルと付け合せのザワークラフトとグリーンピースであるのに、ヒトラーのみはパスタとホウレン草(恐らく缶詰の)をクリームソースで合えたものを食べていました。そう云えばワインも出てはいませんでしたね。飲酒に関してもヒトラーはワインを少し口にする程度で、普段はミネラルウォーターを飲んでいました。コーヒーも好まずハーブティー(ミントティーを好んだといいますが、ミントには鎮静効果や健胃効果があります)を嗜みました。そういえばコーヒーも映画には出てこないですね。大酒飲みの多いドイツ人としては付き合いにくい人物だったでしょう。ドイツと言えばビールですが、これも出てきませんでした。他に酒で出てきたのはシャンパンとシュナップスという馬鈴薯で作られた焼酎、それにウイスキーのようでした。

こんなヒトラーの食事に関する微笑ましいエピソードは、ヒトラーがケーキ好きであったという逸話です。地下壕生活でも、時に二つも食べたりしたそうです。彼はチョコレートケーキが好きだったとか。そういえば彼が青春時代を過ごしたウィーンには「ザッハトルテ」というキングダムチョコレートケーキがありますね。貧乏学生が、そんなものを食べられたとは思いませんが、地下要塞暮らしが長くなるにしたがい、いつもケーキを食べたがったとも伝わっていますので、彼の食に関する戒律も最後は少し緩んでいたようです。

食事は人が生きていく上で欠くことの出来ない欲求です。俗に食欲、睡眠欲、性欲は人間の本能だと云われますね。戦記を読めば判りますが、戦場で飢えるとまず性欲が無くなるそうです。精神的に辛くなると、やはり性欲はなくなります。EDの大半は精神的ストレスによるそうですから。ですが、食欲と睡眠欲だけは無くならないそうです。人間は寝なければやがて発狂すると云われていますし、食べなければ衰弱して死んでしまいます。それ故に、あんな煉獄の世界でも、人は眠りますし、食事を楽しむことが出来るのです。しかも、上手い不味いという事まで言えるのですから、食はまさに人間の性を現すように思います。戦場では、敵兵士の死骸の横で兵士は平気で食事をすることが可能になるそうですから、慣れると云うことは何とも恐ろしいですね。映画でもこの点はしっかり描かれていました。例えば、食事を作るにも、するにも欠かせないのが水です。映画の中でも、水道が止まり、井戸の手押しポンプに水を汲みに来る市民が描かれています。戦場の真ん中でも、命懸けでも水を汲まねばならない人間のつらさを現す印象深い場面でした。水を汲みに行くだけで生死を賭けねばならない戦争の悲惨さは、この映画を見られた誰もが感じられたと思います。片一方で、総統官邸では酒に酔い、宴を楽しむ親衛隊や軍、ナチス幹部が描かれていました。酒に逃れて酩酊したり、唄い踊ったりすることで、少しでも死への恐怖心を忘れようとする場面には、誰もが幻滅や憤りを感じられたでしょう。こうした対比を通して、市街戦の悲惨さや、ヒトラーと幕僚達の生への執着を描く狙いがあったのでしょうね。冷静と狂気の狭間の演出は映画のラスト近くで、総統壕から退避した一団が、一息入れて缶詰を食べている場面で見事に描かれていました。その時、内科医でもある親衛隊大佐が「まず食べろ、死ぬのは何時でも出来る」と言いますが、食べることで生への回帰をし、辛くなると再び死へと目を向ける。まさに人間の業を描いているようでしたね。


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