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2007年4月21日 (土)

アフリカの傷跡に思うこと

「米政府から「圧政の拠点」と指弾されているジンバブエのムガベ大統領(83)にアフリカ諸国から批判が強まっている。野党指導者が先月、治安当局に拘束されて拷問で負傷したのを機に、それまで静観していた周辺国が緊急会合を開き、アフリカ連合(AU)のクフォー議長(ガーナ大統領)はムガベ大統領を非難した。ムガベ氏は来年の大統領選で5選を狙う構えだが、国内外で「ムガベ降ろし」へ向けた動きが加速しそうだ。」

「ジンバブエ」?という人が多いのではないですか。アフリカ南部に位置し、モザンビーク、南アフリカ、ボツワナ、ザンビアと国境を接する国です。なお、ザンビア国境にはヴィクトリア滝があります。海を持たない完全な内陸国でもあります。

昔は「ローデシア」といった、この国ですが、その近代史は第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなった頃から始まります。白人の入植が本格的に始まったのは、この国の大半が高地(1500m)にあったことも大きかったようです。昔はアフリカのスイスなんて言われたりしたそうです。基本的な気候は熱帯性ですが、高度のためやや温暖で、南アフリカ地域の中では暑さも凌ぎやすい土地だったことから農耕に向いていました。白人による大規模農家が幾つも入植し、その小作人を黒人が務めるという典型的なプランテーション農業が根付いたのです。非常に効率的な農業が行われていた関係で、小麦やトウモロコシをはじめとする農産品の輸出が、この国の総輸出額の半分を占めるまでに成功していた時代が長く続くのでした。

「ジンバブエ」は、まず農業国家として成功したのです。そのためか、この国の主食はサザというトウモロコシの粉を煮て練った(マッシュポテトの堅めなものとでもいいましょうか)ものになっています。(ケニアではウガリといいますんで近年はアフリカ全土に広まってる気もしますけど)他にも「ジンバブエ」は鉱物資源にも恵まれていました。石炭やクロムといった鉱石をはじめ、レアメタルの埋蔵量でも有望で、これも輸出を支える大切な産業になっていきました。それに、あのビクトリアの滝もありますので観光資源にも恵まれている国でもありました。(寝台の特急列車に乗っていくんですが、この鉄道がさすが英国という立派な作りなんです)

しかし、1960年代から黒人による独立運動が盛んとなり出すと英国政府は手を焼くようになり、1965年に植民地政府首相イアン・スミスによって白人中心(優位)の掲げる「ローデシア共和国」として独立を宣言。英連邦に加盟しながら、人種差別政策を堅持したのでした。(今から考えるとこれは正しかったんです)

これに対して、独立運動派は黒人国家の樹立を目指して、国内でゲリラ戦を展開。15年にも及ぶ戦いを繰り広げました。軍事に少し興味を持つ人なら、ローデシアSASという特殊部隊があったのをご記憶でしょう。オーストラリアSASやニュージランドSASと並んで能力の面で高い部隊として知られました。この国がジンバブエになった際に優秀な白人隊員は本場の英国SASに入隊したと言います。白人政権末期には、各地の傭兵も招かれて黒人達の独立派を掃討する作戦が繰り広げられました。

そんな血で血を洗う戦いを収めるために、英国の調停によって、議会の代議員100議席中、20議席を白人の固定枠とする事で妥協を見ます。そして1980年に「ジンバブエ共和国」が成立し、ムガベが初代首相に就任したのでした。

当初、ムガベ政権は黒人と白人の融和政策を押し進め、緩やかな改革を進める手腕が国際的にも歓迎されていたのです。しかし、大統領制を施行した頃から独裁色が強まったムガベ政権は、2000年に白人所有の大農場に対して強制収用を政策化したことから、白人との間の人種間対立が再燃してしまいます。これが輸出の大半を担う農業を事実上崩壊させてしまいました。そして2002年に発生した食糧危機や長期政権・一党支配に対する国民の不満が相まって、経済はガタガタ。治安も悪化の一途な上、インフラも進んでいる国となってしまいました。何処にでもあるアフリカ転落の轍を、この国も歩んでるようです。

ジンバブエのインフレ率は最近過去最高の1593.6%を達成したといいます。2000年以降、農産物の生産が激減して食料不足に陥っている上、外貨を稼ぐ農作物が輸出できないことで起こる外貨不足のため、元来輸入するしかない燃料(ガソリン)や電力(全体使用量の40%が輸入)などが買えない事が価格高騰の理由です。

大変傲慢な言い方かも知れませんが、白人から言わせれば、我々のノウハウを知らずに土地だけ取り上げて黒人が経営に乗り出しても、そもそも大農場の運営が出来ない奴らにどうやって切り盛りが出来るんだ?となるんです。

この理屈、日本人から見ると不思議な気もするでしょう。日本の場合、植民地化された経験がなく、技術の移転を経験しても、それは自らが吸収して消化するべきものだという意識が強い国民性があります。(まあ、それを支えてるのが教育レベルの高さなんですけど)しかし、アフリカでは黒人は植民地で単純労働力として何百年も支配されてきたせいで、教育を受ける機会には恵まれませんでした。こういうのを愚民政策というのですが、づっとそういう時代を過ごしてきた歴史があるために、今でも教育の格差は激しく、文字の読み書きすらおぼつかない人々が沢山居る状態です。

嘘みたいな話ですが、高校レベルの学校でも、教師は授業の半分は、今日行う教科書の単元を板書してるそうです。生徒は教科書を買う金がないため、それを必死に写す事が当たり前なのです。残りの時間で先生は授業をする訳ですから、まあ6時間の授業枠があっても、生徒は正味3時間分しか学ばない訳です。そのレベルは推して知るべしでしょう。(日本でも授業中に睡眠学習をしてる生徒の場合、これ以下という事もあるでしょうが、小学校レベルでちゃんと基本の読み書きは修得してますから文盲はさすがに少ないです)

結局、アフリカの植民地は独立したら、百年は白人が社会のシステムを維持してやるしかないのかも知れません。その間に臥薪嘗胆で黒人政府は、まず小中高の学校を設けて、毎年予算で適う分の国民を教育して育て、彼等をあるレベルまで学ばせてから、その中で特に優秀な人間を海外の大学に国費留学させてを延々と繰り返していくしかないのです。それから白人と肩を並べる教育を受けた人材を国や社会のシステムに送り込んで、次第に社会から白人を減らして行くという政策が取れない限りは、悲しいかなこういう歴史を歩むしかない気がします。そうしないと国民はやがて元よりも酷い貧困と、同族同士が相争う内乱に見舞われ、時には虐殺されたり、兵士として一生を終えるしかないのですから。

なにせ、国連の調査によるとジンバブエではローデシア時代と比較して、国民の平均寿命が著しく低下してしまったと言われています。1990年に62歳であったものが、2000年には44歳になり、いまは37歳だそうです。こんなの信じられますか?

<アフリカ諸国平均寿命ワースト5>

1位 スワジランド,35歳 (41.4歳)

2位 ボツワナ,36歳 (47.6歳)

3位 ジンバブエ,37歳 (48.5歳)

4位 レソト,38歳 (42.1歳)

4位 シエラレネオ,38歳 (30.3歳)

※ ( )は1950~55年の推定平均寿命を表します

 つまり白人支配の時代

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