« 21世紀のドレフュス裁判 | トップページ | 日本海軍の失敗~硬直化した人事感覚~ »

2007年4月14日 (土)

昭和の亡霊のお話

「ゾルゲ事件」は昭和史の謎のひとつです。定説では「ゾルゲ・グループのもたらした情報はソビエトが対独戦を戦うえで不可欠であった。」というのですが、ソ連崩壊後に情報公開が行われ、ゾルゲ情報をスターリンは信用せず、日本側の謀略に乗せられていると疑っていたという話が出てきて色褪せてしまいました。事実、ゾルゲにソ連がその活躍を認めて「ソビエト連邦英雄」の称号が贈ったのは1964年。処刑されてから20数年が過ぎてからのこと。情報は集めるよりも評価することが難しい好例のようなお話です。

昨年末に亡くなったボリス・グドゥジ氏はゾルゲが所属した内務人民委員部(NKVD)での上司だった人物です。粛清の嵐の時代から第二次大戦を経て104歳の天寿を全うしたのですから、この処世術はこそ勲章ものです。

さて、篠田正浩監督の映画「ゾルゲ」でモッ君が演じていた尾崎秀實は、「ゾルゲ事件」でキーパーソンになる日本人です。彼は利用されたインテリという印象が定説ですが、、実際の尾崎は朝日新聞記者を経て、昭和12年頃から「昭和研究会」に入り、「支那問題研究部会」の中心メンバーとして活躍。今風に云えば総理の諮問委員会で政策に影響を与える立場にいたのでした。

「昭和研究会」は、陸軍とも密接な関係にあり、後には近衛政権を誕生させたり、大政翼賛会を創設したり、日本に一党独裁政権を目指す、ある意味A級戦犯的活動を扇動に実績を上げまたファシズム色の強いシンクタンクです。彼等の憧れたナチスは国家社会主義政党。でも見方を変えたらソ連も共産党独裁国家です。世間では、社会主義・共産主義を廃絶する法律を持ち、摘発に血道を上げながら、国家の上層部が社会主義革命を目指す政策提言を検討するというのは、相当に矛盾した状況だと思われませんか。ここを押さえずに、単なる軍部の暴走で戦争が始まったと未だに思い込んでる人がいるのは、誰の謀略なんでしょうか。誰が日教組にその指示を出したのでしょうか。

そんな「昭和研究会」で尾崎が力を入れたのが『東亜共同体』という構想の実現です。簡単に云えば、中国に親日政権を樹立し、反日政権と戦わせて平定するというのですが、何だか今のイラクの現状に似ていませんか。この構想は汪兆銘政権樹立で実現するのですが、ある意味で尾崎は日本が支那で戦争をすることを止める気はなかったとも解釈できます。

今から考えると蒋介石を支援して共産党を討伐する方向性にしておけば、我々は悩まずに済んだのですが、尾崎は「終局的な平和」と称して、最後には日・ソ・支三国を共産同盟化したかったといいます。しかし、実際に努力したのは、日支和平の努力を水泡に帰す妨害工作でしかありませんでした。尾崎をこういう風に誘導したのは誰なのか。これも謎なのです。

ついでに書くと、尾崎・ゾルゲ一派を逮捕させた情報は誰が提供したのかのも大いなる謎として残されたままなのです。この点に関してある人とこういう会話をしたことがあります。

(ある人):当時アメリカで活動していた野坂参三ではないかという説を読んだことがありますが。同志をスターリンに売ったことがバレてから、かの人はメディアの中でどんどん怪物化しているので、ちょっと信憑性としては怪しいんですが、面白い話ではあります。「スパイは必ず二重スパイになる運命にある」のだそうです。そう考えると尾崎・ゾルゲ一派というのは始終ソビエトスパイであり続けたという点で稀有の存在ですよね。

(私):野坂参三伊藤律など、当時の日本共産党の党員筋から漏れたという説がありますね。興味深いのは野坂も伊藤も中国共産党と縁の深い人物だということです。野坂に中国の収容所で政治教育された人が昔の先輩にいました。延安派だと思ったら、ソ連のNKVDとも関係があるなど、どうも鵺の類だったようですが。最近の研究では伊藤が告白する以前から宮城与徳あたりは米国帰りと云うことで特高にマークされていたようですし、野坂説も仰有るように信憑性が薄いと云われています。

(ある人):ずっと気になって仕方がないんですが、野坂参三って結局どういう人だったんですかね。ちょっと前に興味を持って調べてみたんですが、元アメリカ共産党員の人が書いたものなんかは野坂に対して恨み骨髄という感じで、資料としてはちょっとどうかというのが感想だったんですが、その後も新資料が出れば出るほどどんどん正体不明になっていく有様は読んでいて寒気がしました。そもそも本当に共産主義者だったのか?首かせを嵌めていた組織はNKVDだったのかCIAだったのか、あるいはその両方だったのか?奥さんだった野坂龍という人はどこまで真相を知っていたのか?否、もしかして本当にスパイ(というかコントローラー)だったのは奥さんのほうだったんじゃないか?同志だった山本懸蔵を売った理由は主導権争いから? それとも単に女房を寝取った男が憎かったから? 自分と違って学歴もないのに同志たちから人望のある男が純粋に妬ましかったから?幣原喜重郎内閣書記官長の内務官僚次田大三郎(龍夫人の姉婿)という人は、身内にこんな真っ赤っ赤の人物がいてどうして失脚もせず出世しているのか?鵺の啼く夜は…。シモヤマ・ケースよりもこっちのが闇が深い気がしてなりません。

(私):野坂参三がどういう人だったかというのは難しい質問ですね。私はよく云えば風を読めた人、悪く云えばオポチュニストだった気がします。ご存じのように共産党は内部でも権力闘争の嵐が吹き荒れたところです。かって宮本顕治を人殺し呼ばわりして物議を醸した浜田幸一が政治生命を奪われなかったのも、証拠はなくとも実際に粛正に加わったであろう事は公然の秘密だったからです。そんな世界で生き残ったんですから。ですから、ソ連も中国も米国も彼を利用し利用されたんじゃないでしょうか。またこういう人物は自己中ですから、自分の都合で周囲の人を平気で切り離したりもしたのでしょう。(正直付いていってはいけない人です)共産主義者はロシア革命でもそうですが、案外富裕層から輩出されたインテリが多いものです。野坂もそうでした。彼の義兄次田大三郎が失脚しなかったのだって、それは次田が高文試験合格の人間だったからで、この辺の官僚の感覚は未だに変わりません。まして義理の関係では影響もすくなかったものと思います。それに、もしかしたら内務省の義兄にもつながりがあって身内の情報も流していたのかも知れないですし。日本共産党の闇も昭和史の謎のひとつです。まさに鵺の巣くう党ですね。

(ある人):一般庶民レベルでは「あそこにはアカの身内がいる」と言われたら最後ミソも米も売ってもらえないみたいなことも多かったのになぁ。ちなみに私の十年来のアトピーを完治させてくれた名医の先生は熱烈な共産党員で、診察のたびに症状説明をほったらかしてでも政治演説をしてくださる愉快な人でした(微苦笑)私の世代だと、共産主義・反共産主義ともに縁遠くて、野坂資料など読んでいてもサラッと使われている用語にいちいち引っ掛かって大変なんですが(「コミンテルン」が何かわからなかった私の感覚ではソビエトの共産主義と中国の共産主義はベツモノなのが当たり前だったので、世界の共産主義革命をひとつの組織が仕切るという概念を理解するのにまず苦労しました)、その時感じたのは、あー、共産主義も反共産主義も結局は同じ土俵で相撲を取っている同士だったんだなー、ということですかね。共産主義用語というのは私の親くらいの世代まではエリート層の一般教養だったみたいで、ああいう注釈も何もない本を出版しても皆理解できたんでしょうけど、私が読むと暗号本にしか見えません。(笑)だからまあ、共産反共産双方ひっくるめて、所詮エリート層の言葉遊びごっこだったのかなぁと。

(私):深い話しを有り難う御座います。確か赤髭先生は熱心な共産党員な方が多いようですね。私は昔熱心な共産党員の弁護士さんにお世話になりましたね。つまり個人として、個人の判断で社会正義を貫かれる場合は素晴らしい人も多いと言うことなんでしょうね。

このページは xfy Blog Editor を利用して作成されました。

« 21世紀のドレフュス裁判 | トップページ | 日本海軍の失敗~硬直化した人事感覚~ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/97581/14679541

この記事へのトラックバック一覧です: 昭和の亡霊のお話:

« 21世紀のドレフュス裁判 | トップページ | 日本海軍の失敗~硬直化した人事感覚~ »

2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ