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2007年5月27日 (日)

使命感と良識に恥じる所はないか

「会津若松市で県立高校3年の男子生徒(17)が母親を殺害した事件で、国選弁護人の大峰仁、小池達哉両弁護士が26日、生徒との接見後に記者会見し、「生徒が反省とも受け取れる発言をした」と明らかにした。」

母親を理由はともかく殺害しておいて「反省とも受け取れる発言」があったとしても、世間的に考えたら"だからどうした!!"と言う程度にしか思えない。勿論、弁護士達が殊更こんな事を公言する背景にも理由がある。今後の裁判での情状酌量を見越しての事なんだろう。

記事にある『光市母子殺害事件』も犯人には殺意があったのではないと弁護団は主張し続けてきた。だが実際の殺害状況を見る限りは故意でないと考えにくい。

殺害された女性は頸部を圧迫されて窒息死させられた上に、少年によって屍姦されている。傍らで泣きやまない幼児は床に繰り返し叩き付けるなどした上で、首にひもを巻きつけて窒息死させられた。その上に女性の遺体を押入れに、幼児の遺体を天袋にと、それぞれ隠蔽する工作した上で、居間にあった財布を盗んで逃走しているからだ。

今回の差し戻し裁判で弁護団は改めて「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」という主張を展開している。

曰く(弁護団の主張の一部)

*強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた。

*幼児を殺そうとしたのではなく、泣き止ますために首に蝶々結びしただけ。

*検察は被告を極悪非道の殺人者に仕立て上げ、死刑にしようとしている。

*水道屋の格好をしたのはコスプレの趣味であり、計画的な犯行ではない。

*死後に姦淫したことは、被告が死者を生き返らせようと思ってやったこと。

一読しても俄に理解できないような歪曲のロジックだが、これを世間では屁理屈というのではなかったか。

さて、こうまでして弁護団が目指すのは被告への死刑判決の回避である。弁護団は当初から被告が「反省している」と主張して死刑回避・減刑を求めてきた。

しかし、こういう事実も明らかになっている。被告は一審の無期懲役判決後に知人へ手紙を出している。後に知人はこの手紙を検察へ提出して審理の最中に公開された内容の一部が以下の通りである。

「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。(遺族は)出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」

「私を裁けるものはこの世におらず」

「無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す」

「犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま"やっちゃった"・・・これは罪でしょうか」

「(被害者に対して)『ま、しゃーないですね今更。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。』

この裁判に関わる21名の弁護団が目指しているのは、ひとえに死刑廃止運動なのであって、この被告はその主義主張のための道具ではないのかという批判に私も頷かざる得ない。

皆さんは『永山則夫連続射殺事件』というのをご存じだろうか。1968年10月から11月にかけて、東京都・京都市・函館市・名古屋市において発生した、ピストルによる4名連続射殺事件だった。犯行当時19歳の少年だった永山は後に死刑が確定するのだが、ここに少年による殺人事件の場合は4名以上殺害しなければ死刑判決を出さないという判例を巡る争いがはじまったのではないかと思わざる得ない。つまり、今回の被告は2名の殺害のみなので、死刑の求刑は厳しすぎるという論理の構築である。逆に言えば、今回の差し戻し審で死刑判決が確定することは、新たな判例と成りかねないという畏れだとも言える。

弁護士という仕事において、自らの主義主張に阿るあまりに、その使命と良識を忘れていないかと危惧しているのは私だけだろうか。


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コメント

 あの記者会見を見ていて流石に驚いてしまいました。
 確かに、弁護人というものは「被告人の最大の利益を図る」のが任務ですけれど、あれで差し戻し審の裁判官諸氏を納得させられるのだろうかと思ってしまいました。
 また、今回の件で「死刑廃止論議」そのものを10年以上停滞させることに成りはしないかとも思ってしまいました。

異邦人さん

今回の裁判は「被告人の最大の利益を図る」という弁護士の使命のみではないのではという懸念の声が挙がってるのが問題です。この裁判の注目度が高いから『死刑廃止運動』の認知に丁度良いという利用がされているのではないかという疑念なのですが、被害者側から見ると、これは司法という場を借りた新たな被害(セカンドレイプ)にしか思えないでしょう。

 被害者遺族の言葉を待たなくても、あれを見て弁護人が言うのは当然だと思う人は少ないと思いますし、被告人をも利用しようとしているという思いは首是できます。

 私は限定的(部分的)死刑廃止論者であり、かつ終身刑(懲役・禁固)導入論者なのですが、今回の弁護人が提示した論旨では一般人どころか裁判官も納得できないのではないかと感じています。

 一言で言えば「裁判官が一般常識を知らないと言うけれど弁護士の方もそれ以上ではないのか?」ということです。これは「広島シージャック事件」などで狙撃した警察官を告発した弁護士や、オウム事件の弁護団が行った裁判遅延戦術などを見ていると特にその様に感じられます。

 しかし、この事件がもし裁判員制度が始まった後だったら1審段階で死刑判決が出た可能性が高いと思います。

異邦人さん

裁判の行方を定めるのは被告の反省の度合いと言うのが日本の裁判です。弁護団もとにかく被告の殺意が突発的で衝撃的なものという主張を押してくるのは必至です。そして裁判官は法定内の発言にのみ耳を傾けるのを鉄則にしています。

死刑の要件は更生の余地があるかないかですから、あるとなったら死刑はありえません。精々が無期です。

仰有るように裁判員制度に期待したいのですが、日本の社会は権威のある人々の判断を重く見ますが、素人の観点を馬鹿にする傾向があります。

この辺りも民主主義が日本に根付いていない証とも思います。死刑にしても市民の代表が立会、それを確認してこその民主主義だと思います。

民主主義とは権利と義務を果たしたものに自由を与える制度ですから。

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