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2007年5月11日 (金)

イラク戦争と米議会

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070510it05.htm

「米議会の政府監査院(GAO)は9日、イラクで治安維持などに当たる多国籍軍の動静に関する調査報告を、下院外交委員会に提出した。2003年末に、米国を除いて33か国、計2万4000人を数えた多国籍軍は、今月時点で25か国1万2600人となり、兵員数では半減したことが明らかになった。ブッシュ大統領が目標を共有する国々と構築した「有志連合」のほころびが、裏付けられた形だ。03年12月以降の半年ごとの集計によると、米国を除く多国籍軍は04年12月に2万5000人でピークを記録した後、着実に減り続けている。最大勢力の英国軍の部隊縮小でさらなる縮小が見込まれるという。一方、米軍の規模は、選挙などで臨時増派された時期を除くと、13万人前後でほぼ一定していたが、今年初めからの増派で14万5000人に拡大。総兵力に占める非米軍の比率は、3年半で16%から8%まで低下した。報告を受けて、同委のウィリアム・デラハント監視小委員長(民主)は、「米国は今やひとりで戦っている」と述べ、早期撤収を主張した。」
(2007年5月10日読売新聞)

Csm_wood_a イラク戦争は2003年3月19日に開戦宣言、翌3月20日に陸上部隊が侵攻を開始したのですから、今年で丸4年を経過した事になります。米国の開戦意義がどうとか、正義がどうとか云う前に、この兵員の減員は、あまりにも派遣が長すぎたせいだとまず思います。

それにですが、開戦時には多国籍軍全体で26万3千人の兵員がイラクで作戦に当たりました。その内、米軍は21万4千人、英軍4万5千人だった兵力が、現在は米軍約16万人、英軍9千人(2007年中に半減予定)となってるんですから、一番兵員数が激減してるのは、実は米英軍なんです。戦争を主導した国がこんな風で他がついてくる訳もないと思います。しかも米軍はこの記事にもあるように一時期13万人まで兵力を削減していたんですから。

そういう事実をふまえると、政府監査院(GAO)のウィリアム・デラハント監視小委員長(民主)のいう、「米国は今やひとりで戦っている」という言い草が、いかに身勝手で自己中心的な視点でイラク戦争を見ているのかをみて取れます。(この尻馬に乗ってそれに同調する日本のマスコミもあまりに短絡的としかいいようがありません)

半分に兵力が減ったとはいえ、今も多国籍軍としてイラクに残る他の国は、結構これでも頑張ってきたというのが私の分析です。全然綻んでなんかないと思いますが、どうでしょうか?

以下がその参加国と兵力です。

#韓国:3,600人(2007年末撤収予定)
#イタリア:3,000人(2006年12月撤収)
#ポーランド:2,400人
#ウクライナ:1,600人(2005年12月撤収)
#スペイン:1,400人(2004年5月撤収)
#オランダ:1,350人(2005年3月撤収)
#オーストラリア:920人(2006年夏撤収)
#日本:800人(2006年7月末撤収)
#ルーマニア:850人(2006年末撤収)
#デンマーク:540人(2007年8月までに撤収予定)
#ブルガリア:462人
#タイ:450人(2004年9月撤収)
#エルサルバドル:380人
#ホンジュラス:370人(2004年5月撤収)
#ドミニカ共和国:300人(2004年4月撤収)
#ハンガリー:300人(2004年12月撤収)
#シンガポール:180人
#グルジア:160人
#アゼルバイジャン:150人
#フィジー:134人
#モンゴル:130人
#ポルトガル:127人(2005年2月撤収)
#ラトビア:120人
#リトアニア:120人
#ニカラグア:120人(2004年2月撤収)
#スロバキア:102人(2007年1月撤収)
#フィリピン:100人(2004年7月撤収)
#チェコ:98人
#アルバニア:71人
#ニュージーランド:60人(2004年9月撤収)
#トンガ:44人
#エストニア:34人
#マケドニア:33人
#カザフスタン:27人
#モルドバ:12人
#ノルウェー:10人(司令部要員)
#北大西洋条約機構(NATO)訓練要員派遣

1991年の湾岸戦争の際、多国籍軍の総兵力は66万人でした。それでもフセイン政権は倒せなかったんです。戦後、当時の米統合参謀本部議長であったコリン・パウエルは、後に『パウエル・ドクトリン』として有名になる、「圧倒的な兵力を投入し、短期間で敵に勝利することを目指す」ことを提唱しました。今回のイラク戦争では、当時のラムズフェルド国防長官が、この『パウエル・ドクトリン』を時代遅れとして一蹴したことが、今日では敗因とする見方が有るのも事実です。

478pxdonald_rumsfeld_defenselinkイラク戦争で具現化した、いわゆる『ラムズフェルト・ドクトリン』は、よく訓練された中規模兵力とハイテク兵器を一挙に投入して、三次元的な電撃戦をおこなうことが眼目でした。攻撃の目的は敵の指揮・統制機能を無力化することにあります。それによって、敵戦闘部隊は麻痺させられ、抵抗も不活発となっている間に、短期間で敵の重要拠点を一挙に攻略できるとする戦略が『ラムズフェルト・ドクトリン』なのです。

確かにイラク戦争では、この戦略により短期間で勝利を得ました。今では『麻痺戦』と言われているラムズフェルド戦略ですが、彼は戦争と戦闘を同義と勘違いしていたため、戦闘に勝利したのに戦争に勝利できなくなってしまうという教訓を後世に残すことになりました。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog290.html

もちろんですが、開戦前に米軍内では『パウエル・ドクトリン』を支持する勢力が大半で、ラムズフェルド国防長官と激しく対立したのは有名な話です。当のパウエルは国務長官として政権内にいたのも皮肉な話でした。

ベトナム戦争に尉官として出征したパウエル世代は、米軍が再びベトナム戦争のような戦いに巻き込まれたくないと言う意識が強いはずです。そんな彼らが米軍上層部の将官世代になっていた訳ですから、士気が上がろう筈もありません。最近ではイラク派遣部隊の司令官がなかなか決まらない事態もそういういきさつの延長線上にあるということを知っておいても損はないと思います。

このままブッシュ政権が何の解決策も見出せないまま政権を終えるとなると、米軍のイラク撤退は次の政権で実行に移されることは必至です。結局、米国は多民族・多宗教の国であったイラクという近代国家を崩壊させて、19世紀の時代に引き戻した上で、混乱と内戦の火種を巻きに来ただけという存在で終わるのは確実です。この事例はアフガニスタンに侵攻した旧ソ連軍が同地を撤退したあとに、ソ連軍に対して抵抗運動を行っていた様々なセクトが内戦を繰り返し、タリバンを生み出していった姿を見れば明らかなような気がします。

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