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2007年5月22日 (火)

東条英機というカリスマ

『ヒトラー最後の12日間』という映画をご覧になったことがあるでしょうか。かつて、この国にも"日本のヒトラー"と米兵から呼ばれた人物がいました。最近お孫さんが参議院選挙に出馬することでも話題になった「東条英機」その人です。

東条英機の人物像を現す有名な逸話をドキュメンタリー作家の児島譲氏が書き残しています。それは彼の甥で同じ陸軍の少佐が、首相になった東条の私邸に呼び出されたところから始まります。実はこの少佐は前日にも私邸を訪ねたのですが、東条に会えずに帰宅していました。その際に、応対してくれた女中さんが待ちぼうけをしている彼に酒をつけてやり、話し相手になってくれた時に、つい彼女の手を握ってしまったのでした。その話を件の女中から聞いた東条は激怒していたのです。呼ばれてきた甥は玄関先で応対に出た東条に、いきなりはり倒されてしまいます。訳が判らず憤慨した彼が理由を尋ねると、昨夜の出来事が東条の口からでてきたという訳です。甥は結婚しておりましたので、東条は「およそ妻帯している男子が他の女性の手を握るなどは不貞な行為である」と決めつけるのに呆れたと児島氏は伝えています。

ここで、この甥が憲兵隊に引き渡され、軍事裁判抜きで処刑にでもされていたら、彼はヒトラーに近いのかもしれませんが、甥は別に前線に飛ばされた訳でもありません。彼の謝罪を東条は認めて、事後は普段通りに付き合いをしたそうですから。(無論、陸軍刑法で罪に問える訳もない)

こんな風に彼には(少なくとも開戦時の高級軍人らには)、官用車に家族を乗せたりするような公私混同はしなかったのです。では、どうして東条は蛇蝎のごとく部内外から嫌われたのでしょう。

それは彼が大変優秀な能吏であったからです。普通なら、首相と陸相、参謀総長を兼任なんかしたら、仕事が多すぎて参ってしまいます。日々が会議会議で、何の会議だったかも忘れてしまうでしょう。ところが東条はそういう人ではありませんでした。忙しくなればなるほど仕事ぶりはそつがなくなり、正確であったのです。

無論彼も人間です。努力無しには、こういう仕事は出来ません。メモ魔の東条は、どの会議でも会談でも気が付いたことをメモに取りました。それを帰宅したり執務室で時間の空いた時に、手帳に書き留めていたそうです。しかも、首相用、陸相用、総長用と三冊の手帳を用意し、それぞれの仕事に関するメモを作っていたとか。

こんな生活ですから、仕事の後に料亭(当時は待合を利用した方が多い)に行く時間はありません。彼の立場では戦時でもこうした招宴は多かったそうですが、どうしても顔を出さねばならない宴も、最初の半時間もいなかったそうです。もちろん仕事に差し支えると酒も口にせずでした。

こういう仕事ぶりでしたから、彼にあやふやな報告や結論を伝えようとすると、メモを開かれて反論されたり確認されたりするのは度々だったそうです。そうなると部下も迂闊な処理や決済も出せなくなります。この頃の普通の大臣や総長は、上まで上がってきた決裁や書類は、下の決済を経てきたものですからとほぼめくら判です。まして戦時になれば、決済事項も尋常な数ではありません。ところが、それらにことごとく東条のチェックが入るのです。おかしな内容なら、先に決済をした人間を呼びだして糺すのも平気でやります。こう書くと何だか高潔な人に思えますが、要するに彼は全てのことを自分自身でやらないと気が済まない性格だったのがよく判ります。おおよそ、理想の上司像ではありません。まさに、型破りな陸相であり、総理であり、総長だったのです。

それに、こういう性格の人は、自分が受けた恥辱や反抗はけして忘れません。(きっとメモに書かれているでしょうし)軍の人事権の及び範囲であれば、その行為は人事異動に反映されました。ただし、正論を論じていて東条と衝突したからといって、そういう目に遭う訳ではありません。(ただし東条から見て正論でないといけません)要は、誤魔化しを重ねていたり、仕事に怠惰だったり、前線指揮において退嬰的行為に及んだり、軍規に反する行為を命じたり犯したなどした場合です。

ただし、それに該当する人には怖い存在です。なにせ相手は忘れてくれませんし、戦争中なんですから危険な前線に出されて本国へ帰してて貰えないとなれば、恨み言も出てくるものです。また、あからさまに東条が人事権を使った(彼にすれば自らに付与された権利の行使というのでしょうが)ものですから、怨嗟の声を戦後に噴出させたともいえるのです。

そんな彼にも人間らしい一面がありました。佐藤賢了と富永恭次という出来の悪い部下を偏愛して、庇ったり引き立てたりしてやっている点です。この二人の悪評は陸軍でも響き渡っていましたが、どういう訳か東条は好いていたようです。まあ、出来の悪い子ほど可愛いといいますから、そういう気持ちがあったやもしれません。

ただし、この逸話を見ても、彼の人を見る目がないのは確かです。そんな東条の家族が戦後、辛酸をなめたのを最近になって知りました。彼は天皇の股肱の臣下として、一身をささげ、聞いたこともない戦争犯罪という罪を背負い、処刑されたんですが、上記のような事情が重なって、首相を退陣後から既に政界や軍からも外されていたのですから、スケープゴートにするには都合が良かったんでしょう。

彼の宿敵、石原完爾が東条を称して「大将の器じゃない、連隊の曹長辺りが適職だ」と広言していたそうですが、まさにその通りでしょう。東大法学部を出て高級官吏にでもなっていたら、彼は出世したでしょうし、処刑されたりすることもなかったでしょう。それが証拠に、彼の次男が、三菱の航空部門で設計者をしていましたが、仕事の区切りがつかないと帰宅させてくれないことで有名な人で、夜8時を回って彼が蕎麦を取ろうと言い出したら、徹夜は覚悟しないといけなかったそうです。東条の長男も次男も視力の問題があって軍人に不適ということで、普通に大学に進ませていたのですが、こういうところも公私混同しない彼の性格を示しています。

ちなみにある重臣が、東条に過度の権力集中することに苦言を呈そうと、ヒトラーを引き合いに出したところ、東条は即座に「ヒトラーは一兵卒(彼は元陸軍伍長だった)、私は大将です。同じにしないでもらいたい」と答えたという話です。

そういう東条家も今年夏は暑くなりそうです。。

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コメント

 東條さんのような方を海軍(海上自衛隊も)では「甲板士官」と呼びます。石原莞爾が「大将の器にあらず」と断じたものとおなじです。
 それにしても一般の人が戦後にイメージしているものと比べて「昭和天皇独白録」で天皇が一方ならぬほどの信頼を置いていたことを知って意外に思った人が多かったのではないでしょうか?

異邦人さん

私が書きましたように東条本人は自らの考え方でという面はありますが、お上に対して誠実たらんとしたからでしょう。ドラマや映画などで作られるステレオタイプの独裁者、パラノイアとは全然違う人物だったと思います。ただし、事務屋として大物大臣を支える官房長とかそういう立場にすえるべき人物でしたけれども。なので実は侍従武官として側においておき、陸軍に対して昭和天皇の意向を伝える仕事のほうが彼には向いていたんじゃないでしょうか。

 確かに。

「適材適所」という観点から言えば、東條さんの場合は首相よりも侍従武官(陸軍)乃至は侍従武官長が最適でしょう。本庄さんと比べると良く判ります。ただし、東條さんが侍従武官となった場合に陸軍省や参謀本部が彼の言うことに従うかどうかは判りません。というか、官僚組織の原則に照らし合わせて考えると、まず従うようなことは無いでしょうね。

東条が侍従武官として陸軍省に影響力を行使できたかといえば、仰る様に不可能だとは思います。しかしメモ魔の東条のことですから、彼のメモは一級資料になりましたでしょう。さらにいえば彼は東京裁判で裁かれることもなかったでしょうから忠臣として軍人人生を全うできたでしょうし。

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