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2007年6月

2007年6月30日 (土)

由々しき事態にお気づきですか?

緒方重威元公安調査庁長官が詐欺容疑で逮捕されました。

逮捕は予想していました。何故なら緒方容疑者の経歴を検察は「元公安調査庁長官」で押してきましたから。こんな不思議な話はありません。緒方氏の経歴の一部を下に書き出してみます。

# 1991年12月12日 最高検察庁公安部長

# 1993年7月2日  公安調査庁長官

# 1995年7月31日 仙台高等検察庁検事長

# 1996年6月3日 広島高等検察庁検事長

# 1997年6月3日 定年退官

検察官の世界では、公安調査庁長官よりも高等検察庁検事長の方が地位は上です。長官と聞くと世間的には地位が高いと誤解します。それを検察上層部はわざと誘導してるんです。

どうしてそんなことをしてるのか、その理由を説明します。検察庁法に基づく職階制上の官名としては、「検事総長」、「次長検事」、「検事長」、「検事」、「副検事」の五階級があります。

検事長は上から三番目。

しかし、そんなイメージとは違い、官職としては高い地位なのです。「認証官」といって、官職への任免(任命と免官)をするに当たって天皇による認証が必要とされている官吏です。だからどうしたと思われる方も多いとは思いますが、キャリア官僚が目指すのは、まさにこの認証官クラスへの昇進です。

検事は検察庁というお役所のキャリアだというのを皆さんお忘れではないですか。

「検事総長」:最高検察庁の検事長名(国務大臣級待遇)

「次長検事」:最高検察庁のNO2(大臣政務官級待遇)

「検事長」:全国に8個しかない高等検察庁のトップ(準副大臣・大臣政務官級待遇])

緒方容疑者はこの検事長を公安調査庁長官のあとで2回務めた人物です。そんな検察の威信を背負った人物が、こともあろうに朝鮮総連の財産隠しとも取られかねない仕事に手を染め、逮捕されるのは確実だとしたら、検察官というイメージを出来るだけ隠してしまいたい・・・そんな判断が高いところで下されたのは確かなようです。

普通官僚は最終官位や官職が肩書きとして付くものです。元総理が逮捕されたのに「元厚生大臣」なんて書きますか、書きません。マスコミも普通はそう書きません。

日本の検察も警察同様に自ら組織を糺せない官僚機構に成り下がってるのがよく判ります。これで司法の公正は保てると言えるのでしょうか。

実はこのニュースは由々しき事態を孕んでいる気がします。


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2007年6月27日 (水)

生きた伝説からの警鐘

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070626id21.htm

「米諜報(ちょうほう)界の重鎮、ボビー・インマン元米国家安全保障局(NSA)長官(76)が26日、都内の日本外国特派員協会で講演し、米国が誤った情報に基づいてイラク戦争開戦に踏み切ったとされる問題について、「過去20年間にわたる諜報能力の低下傾向の表れだ」と述べ、NSAや中央情報局(CIA)などの米情報機関の情報収集・分析力の低下に警鐘を鳴らした。インマン氏は「最も不足しているのはスパイではない。公開情報を収集できる人材だ」と述べ、中東やアジアの言語、文化を理解する分析官の不足が、米政府がイラクの大量破壊兵器に関する認識を誤る一因となったとの見方を示した。また、「分析力の回復には長い時間がかかる」とも指摘した。」

ボビー・インマン提督はいわゆる「生きた伝説」のひとりです。1931年産まれ。日本風に言えば昭和7年です。1951年に出生地のあるテキサス州のテキサス大を飛び級で卒業(高校も15才で卒業)。同時にROTCにより海軍予備将校となって海軍に勤務し、空母や巡洋艦、駆逐艦などで勤務のあと海軍情報部に転じました。1972年に海軍戦争大学を経てからも情報部畑一筋。CIAの副長官やNSAの長官を務めたのは記事にもあるとおりですが、クリントン政権下で国防長官に指名されながら議会の反対にあって断念することがなければ国防長官も、その経歴に記されたでしょう。

さて、1950年代に米国が入手した情報の少なくとも75%が直接人間を介した情報に基づいていたという話があります。そのうち3分の2が国務省員(日本でいえば外務省)、それ以外は情報要員が入手した情報だったそうです。

しかし、偵察衛星の導入とともに、情報部員は削減される時代が続き、そのつけが色々と出ていたにも関わらず(例:イラン革命)、アメリカでは未だに情報収集に関する人材を育てることに、情報機関ですら消極的だというのが、提督のお話の趣旨です。

いわゆる情報収集能力は、公刊(公然)情報、ヒューミント(人的情報)、シギント(信号情報)、イミント(画像情報)であると言われています。これらの情報を持ち寄り、相互の情報に補完的な役割を持たせるには、その情報を分析し推理するアナリストが必要になります。

例えば、ある日の横須賀港を撮影したら海上自衛隊の戦闘艦艇が一隻も居なかったとしましょう。(イミント)何故だという訳で、海自の通信をモニターした記録を分析(シギント)し、在日米海軍の情報部に問い合わせして(ヒューミント)、あたふたしていたら、その日は観艦式で出払ってることが新聞の記事から判明(公刊情報)して、一安心したという具合です。

この時、もしも海自担当のアナリストが居たとしたら、彼は海自の個人的なチャンネルに電話を入れて問い合わせをしたら済む話だったかも知れません。あるいはこの時期に観艦式があるという情報は知識としてあって、もしかしたらと考えられたかも知れません。しかし海自専門のアナリストは一朝一夕には誕生しません。日本語が喋れて、海軍将校出身で、出来たら在日米海軍勤務経験があって、なおかつ海軍情報部勤務の経歴がある上に、ハーバード大で管理学の修士号も取得しているような人物。可能なら30代後半が望ましい。そんな有能な人物をリクルートして、更に定期的に日本に派遣して海自の幹部達ともコンタクトを取り世間話が出来る関係になるまでに育てる手間と時間も必要です。もちろん、お金も。

(*)今なら海自マニア(死語)の日本人をリクルートしてネットで情報を集めさせて定期的にメールで送らせる方が早道かも。

日本の外務省が対外情報の収集でさっぱりなのも、在外公館でノンキャリアの職員による積極的な情報収集を行えるような人員を配していませんし、キャリアはキャリアで事務処理能力に専念してるのか(そもそも欧米語以外は学ぶ気ないし)、他国の外交団から情報を取ってるようには思えないです。そもそも外国語に長けた人材は専門官という通訳扱いですから。米国関係の部署に居ないと出世しないなんて慣例があったらアフリカやアジアの国では無難に任期を終えるのに汲々としてるんでしょう。外務省とは別に在外公館に情報機関の専門家を配する仕組みがないと永遠に無理と言うことでしょう。

話は脱線しましたが、こういうことをアメリカの情報機関が情報を必要とする地域でやってこなかったんじゃないかと提督は警鐘をならしているんです。しかし何故、今頃、日本で?という疑問を持ってしまうのは、相手がスパイマスターだからかも知れません。

(ここに近影があります)

http://plaza.rakuten.co.jp/hamadamakiko/diary/200706240000/


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2007年6月23日 (土)

緊急告知:あの軍学者兵頭二十八氏からの発表媒体公募です

http://sorceress.raindrop.jp/blog/2007/06/#a000797

■ 謹んで媒体を公募いたします。2007年06月11日 13:44

  あたらしいマッカーサー伝を書きたいと思っております。ただし、この企画は雑誌連載でないと成り立たないと思いますので、下記のように媒体を公募し、応ずる声が皆無ならば、企画そのものを無期延期します。

○執筆の狙い:戦後62年になりますが、いまだに日米関係は尋常妥当であるようには見えません。その原因は人々の憲法無知にあり、さらにその原因の一つには、古い世代の戦後左翼から戦後保守までに共通する「マッカーサーの神格化」があるのではないでしょうか。

     

一例に挙げて恐縮ですが、渡部昇一先生のマッカーサーの神格化も、困ったものだと思うのです。愚生の思いますところ、ダグラス・マッカーサーは、非アメリカ的な異常な人生観をもっていたのであって、それを自己演出の才能でごまかしていました。戦場指揮官として凡庸であり、マネージャーとして有能でした。まさにその故に、フィリピン人と日本人と朝鮮人の支配者としては適任ではないかと、米国東部人からは見積もられていたのです。「マッカーサー、イコール、アメリカ」ではありません!

日本人を特異的に良好に支配できたマックの立場に、一度なりきってみることにより、尋常妥当でない憲法と、尋常妥当でない対米関係を、クールに観察できる視力を、わたしたちは獲得できるでしょう。

○雑誌連載でないと困る理由:これまで愚生はあらゆるテーマを「単発書き下ろし」で追求してきましたが、1歳児を抱える家計の維持という最近の免れ難い任務から、取材に手間のかかる、この重いテーマに限っては、雑誌連載形式でないと、とうてい完遂不能――と予見しております。

○希望する媒体:特にありませんが、月刊ですといちばん助かります。アカ系でも宗教系でも朝鮮系でも「無問題」です。破格の稿料をいただけます場合は、愚生じしんが転向入信or顧問就任するかも……! 

お問い合わせは下記の「兵頭二十八ファンサイト半公式」の管理人までお願いします。

scheherazade@elle.design.co.jp


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『旗を高く掲げよ』(Horst-Wessel-Lied)

http://www.asahi.com/international/update/0615/TKY200706140358.html

「元国連事務総長でオーストリア元大統領のクルト・ワルトハイムさんが14日、心臓病のため死去した。88歳だった。家族がオーストリア通信に明らかにした。大統領選を控えた86年、第2次世界大戦中のナチス・ドイツ軍将校時代にユダヤ人強制移送や旧ユーゴスラビアのパルチザン弾圧などに関与した疑いが表面化した。「自分の義務を果たしただけ」などと弁明し、軍歴の詳細は明かさずに残虐行為への関与を否定した。しかし、米国が入国禁止の措置をとるなどし、対外イメージを大きく落とした。 」

オーストリア大統領選中に表面化したのは、彼が戦前にナチスの青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」に加入。ナチス突撃隊の将校となった事実が判明したということでした。当選後は、各国から「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」に指定され、旧ナチス関係者の入国を禁じる米国では、1987年に「要注意人物」に指定されています。その後も戦争犯罪容疑者として国際社会から強い批判を浴び、6年間の大統領在任中、バチカン以外の国を公式訪問できなかったワルトハイム氏ですが、その後の調査で、氏は旧ユーゴスラビア戦線には従軍したものの、戦争犯罪に直接関与した証拠は見つからなかったのです。しかしそれでも1992年の大統領選への立候補を断念し、政界を引退したのでした。

最初にご紹介した『(ワルトハイム氏が)ナチス・ドイツ軍将校時代』というのですが、彼が所属したのは「突撃隊」(Sturmabteilung 略号:SA)という組織であって、「ドイツ国防軍」(Wehrmach)ではありません。この点混同されないようにお願いします。おそらく朝日新聞の記事を書いた人は見分けが出来ていないのでしょう。

では「突撃隊」とは何かといえば、元々はナチスの自警団的組織でした。ミュンヘン一揆の際にも隊伍を組んでデモ行進をしたのが「突撃隊」で、この際警備の警察官と銃撃戦になった事からヒトラーが逮捕されることになったのは有名なお話です。その後ヒトラーが政権を取ると、「突撃隊」は補助警察的な仕事をするようになります。組織としても規模が大きくなり、その指導者のエルンスト・レームとヒトラーとの確執も度々起こるようになって、新撰組の芹沢鴨よろしく「長いナイフの夜」事件で「親衛隊」(Schutz-staffel 略号:SS ナチス党内部組織でヒトラーを護衛する部隊として発足)によって、レームと彼を支持する幹部が粛正されてしまいます。その後の戦時中は国防軍を補助する任務を請け負う準軍事的な組織へと変貌を遂げます。「突撃隊」はヒトラー政権が終焉を迎えるまでナチ党の最大の組織(最盛期には300万人前後)を誇り続けたと言われています。

さて、そんな突撃隊にオーストリア人のワルトハイム氏がどうして入隊したかと言えば、オーストリアは1938年にナチスドイツに併合され、既にドイツだったからです。ドイツでは1936年のヒトラーユーゲント法により青少年(10歳~21歳)は「ヒトラー・ユーゲント」に加入することが義務づけられています。この青年団組織は、肉体の鍛練、準軍事訓練、祖国愛などを集団活動を通じて教える組織でした。運営は突撃隊が行っていたの、戦局悪化と共に優秀な年長者は突撃隊へ組み込まれ、その他の若年者は戦局の悪化した1944年に「国民突撃隊」に併合されて多くの少年少女が犠牲になっています。

こんな風に「突撃隊の将校だから・・・」というのは、他にも多数のドイツ人が存在するような立場でしかありません。彼が親衛隊の将校だったというのとは随分話が違います。要は彼自身が戦争犯罪に荷担したかどうか。それのみが問題です。しかし、それも最初に書いたように関与の証拠は見当たらないというのですから、何を持って各国から「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」に指定されのか不明としか言いようがありません。

要するにナチス党に関わった人物がおよそ公職に就くなどという批判なのかということになります。それを言い出したらあの時代に法で定められた「ヒトラー・ユーゲント」に加入せずに、戦争にも出ていかないと言うことが可能だったのかを検証してみないといけないでしょう。だからこそ、彼は母国での大統領選に勝利して大統領になれたのですから。少なくとも投票した人々の内である程度の年齢層は理解できると判断したのでしょう。

国連事務総長まで努めた人物の死去にあたり、「元ナチス将校の過去」という冠がどうしても必要だったのかどうか、少し考えてみましょう。

最後に「突撃隊」のイメージソングをひとつご紹介しておきます。

『旗を高く掲げよ』(Horst-Wessel-Lied)

旗を高く揚げよ!

隊列は厳然たれ!

断乎たる歩武もて

突撃隊は行進す。

赤色戦線と反動勢力の

弾に斃れし同志ら、

魂魄となりて尚も

我らが隊伍と共に邁めり。

(*)現在、ドイツでは公の場でこの歌を唄う事自体が違法。もしそういう行為に及んだ場合は、その時点で現行犯逮捕される可能性がある。


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2007年6月14日 (木)

曲解

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070612k0000m040173000c.html

この記事の真意がおかしな方向性に曲解されてる気がして成りません。というのも、センセーショナルに報道されてるのは『朝鮮総連』(朝鮮人総連合会)中央本部の土地と建物が、元公安調査庁長官が代表取締役を務める投資顧問会社に売却されていたのは問題だという点に注目があつまるような報道ばかりが多いからです。

しかし記事にもあるように朝鮮総連は、「経営破綻した在日朝鮮人系16の金融機関から不良債権を引き継いだ『整理回収機構』(RCC)から、628億円の返還を求める訴訟を起こされており、今月18日に東京地裁で判決が言い渡される。総連側が敗訴すれば、中央本部の土地・建物をRCCに明け渡さざるを得なくなるため、総連側は投資顧問会社に売却したとみられていた。」という理由で、いわば本来なら負債を返済するために保全すべき資産を、返還逃れする目的で売却を計画していた点こそが批判され、報道されるべきだと思います。さらに総連側は「同社が1年間は明け渡しを求めないことが売買条件になっているとした。」と記事にもある通り、意図的に売却後も使用を計画していたことも明らかになっているのです。

元公安調査庁長官という高位にあった緒方氏が、この計画に荷担する動きをして、しかも売買に応じた理由について「在日朝鮮人のために、中央本部は大使館としての機能を維持する必要がある」と説明することも確かに批判に値しますが、どうもこういう騒ぎになった際に総連側の真意を偽装するために元公安調査庁長官が社長を務める投資会社を選んだんじゃないかと勘ぐりたくなります。

いずれにせよ、総連系金融機関にも国税が投入されて救済措置がとられたのですから、その返済の義務を果たさずに逃げ得くになるような事態になっているというのは、『整理回収機構』もこの際騒ぎになってるのを利用して、もっと強く返済を求める会見をすべきですし、売却を防止するために保全措置なども司法の場で検討していくべきだと思います。

こと金融機関の不良債権処理に関しては、「強制連行された」とか「差別的な扱いを受けてきた」とかいう常套手段は通用しないのは当たり前で、国民の税金を借りておいて、返済せずに済むはずはないという点で、マスコミはもっと怒りを持って報じる方向性を誤るべきじゃないのではないでしょうかね。

 


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2007年6月12日 (火)

そこに広がる真実は

社会保険庁の不祥事続きで、連日国会もニュース媒体も、この話題で持ちきりになっています。確かに年金を管理する組織が年金の記録のずさんな管理を行い、誰の年金であるかを判らない状態になってるのは言語道断。これまでも年金財源を乱脈な使途で失いながら誰も、その責任を問われないに等しい状況であったのも国民の怒りが高まる要因になっている。

しかし、今日はそんな話題から別の側面の分析をお話ししてみたいと思います。

http://www.zakzak.co.jp/top/2007_06/t2007060418.html

「社保庁と自治労(全日本自治団体労働組合)が、労働条件向上を優先する覚書などを何度も交わしていたことが4日、分かった。」

こういう報道が,ここのところ目立つようになってきました。内容を見てみると何とも馬鹿馬鹿しい物ばかりで、リストラの洗礼をうけてきた民間企業の労働者から見たら、まさに"ふざけるな"といいたくなるようなお話ばかりです。こんな労働協定を指示した自治労が実は民主党や社民党の有力支持団体であることを皆さんはご存じでしょうか。

上でご紹介している記事には、こんな下りがあります。『永田町関係者は「自治労側の徹底抗戦で作業スケジュールが遅れた。このため、(年金記録消失の一因である)大量の入力ミスが発生した面はある」と解説する。』悪いのは自治労だというお話です。

思い起こせば今から20数年前。中曽根内閣の時に国鉄(日本国有鉄道)は分割・民営化されました。国鉄の民営化は中曽根首相の強い意志で実現し、当時はその手腕を評価する声が高かったものです。巨額の赤字を抱え、国労(国鉄労働組合)という強力な労働組合が君臨していた国鉄は、まさに今の社保庁と何ら変わらないようなお荷物でした。表向き、そんな国鉄を解体・民営化して再生させるというのが目的だとして、マスコミも巻き込んでキャンペーンが行われ国労=国鉄の癌というイメージが浸透し、解体止むなしという世論が形成されたのでした。

しかし後年、中曽根氏はこんな発言をしています。『分割・民営化の狙いについて「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」(AERA:1996年12月30日・1997年1月6日合併号)。

(注)『総評』(日本労働組合総評議会)は日本最大の全国的労働組合中央組織として政界にも大変な影響力を有していましたが、1989年連合(日本労働組合総連合会)に合流して今は存在しません。この『総評』の大きな勢力が官公労組でした。

    * 日本官公庁労働組合協議会(官公労)

    * 全日本自治団体労働組合(自治労)

    * 日本教職員組合(日教組)

    * 公共企業体等労働組合協議会(公労協)

          o 国鉄労働組合(国労)

          o 国鉄動力車労働組合(動労)★国鉄分割民営化を前に脱退

          o 全逓信労働組合(全逓・現日本郵政公社労働組合)

          o 全国電気通信従業員組合(全電通・現NTT労働組合)

中曽根内閣の官房長官、後藤田正晴氏も政界引退後に、あるテレビ番組(「平成にほんのよふけ」)に出演して「社会党を崩壊させるには、国鉄を民営化して国労を潰さないとだめだからね」と発言していました。要するに国鉄民営化の裏の目的は政敵の支援団体壊滅という計略だったことになります。中曽根内閣はもう一つの巨大労組であり総評の中核であった全電通(全国電気通信従業員組合)がある電電公社の民営化も見届けています。

この視点で小泉内閣の郵政民営化を見てみるとどうでしょうか。戦後間もない1949年、逓信省が郵政省と電気通信省(後の電電公社、現NTT)に分割された際に。郵政省には全逓(現日本郵政公社労働組合)、電気通信省には、全電通(全国電気通信従業員組合)という組合が結成されます。国鉄同様に職員数の多かった郵政省と電気通信省では、その組合員数も多かったのは当然です。全逓の場合最盛期には、郵政省の職員数が26万人の時代に組合員は24万人、組織率90%という時代がありました。(全電通の方は現在NTT労組と名称を変えていますが2005年現在で24万人を組合員を有しています。)もちろん現在の最大労組『連合』の一大勢力でもあるんですから、この団体を民営化することは国労の場合と同じ効果を期待できるのではないでしょうか。

中曽根元総理の目指した『総評』解体は後に成功します。

公共企業体等労働組合協議会の労組は、中曽根・小泉内閣によって全て民営化されるか、その道筋が付けられてしまいました。そして今批判にさらされているのは社保庁の職員が多く加盟する自治労。安倍内閣は一見国会で民主党から社保庁問題、年金問題で批判の矢面に立たされているように見えますが、社保庁不信は社保庁の解体・民営化につながる追い風でもあります。そして民営化に伴い自治労の組合員は確実に経るのです。この影響力の低下は、その支持を受ける政党(民主党と社民党)にも及びます。

安倍内閣はやられているようで、実は確実に民主党と社民党を追いつめてる事に成りはしないでしょうか。


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2007年6月11日 (月)

SATの指揮権を警察庁へ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070611-00000012-jij-soci

「愛知県長久手町の立てこもり事件で、県警警備部機動隊所属の特殊部隊SAT隊員が殉職したことを受け、警察庁は11日までに、全国8都道府県警に配置された SATが現場に出動する際、隊員の態勢などについて現地で本部長に助言したり、刑事部や本庁との連絡調整をしたりする専門チームの設置を決めた。」

SATの効果的な運用と受傷事故の防止が目的で週内にも発足するチーム名は「3S」(SAT・サポート・スタッフ、仮称)というそうです。警察庁長官が『パトレイバー』シリーズを見ている人なら却下されそうな名前です。

さて戯れ言は別として、今回の隊員死亡は不幸な流れ弾の被害によるものとはいえ、愛知県警の指揮能力に数々の問題を投げかけたのは確かな事だと思います。つまり、SATに出動を命じる現場では犯人の射殺ないし銃器使用による制圧を行う覚悟が必ず必要ということです。今回、この点が大変曖昧でした。

特殊部隊をただ機動隊などの支援で出してくるのは意味があるのでしょうか。これじゃデモの警備に戦車を出してくるのと大差ない対応でしかありません。SATが出てきたら犯人側は自分は射殺されるという恐怖を感じて貰わなければ意味がありません。現実に英国では同様の事件にSASが出動してきたと知った犯人は大部分が投降してくるといいます。これが本来の特殊部隊の警備的な使い方ではないでしょうか。

以前も書きましたが日本では警察が犯人を射殺して殺人で訴えられるという事例があって以降、警察上層部は警察官の犠牲を出しても犯人を殺さずに捉える事に固執して30年以上が経ちます。この間警察突入部隊によって犯人が射殺された事例は1979年の「三菱銀行立て篭もり事件」のみです。今回も愛知県警の本部長は犯人射殺の決断は出せなかったと非難されても致し方ない結果でした。山本博司愛知県警本部長は52歳。1977年に東京大学卒業後に警察庁に採用されたキャリア組で、佐賀県警本部長、岐阜県警本部長を歴任し、愛知県警本部長には05年10月に就任しています。穿った見方をすれば愛知県警本部長は単なる通過点のポストでしかありません。「ノンキャリア組で占められる県警の刑事部長ら県警幹部たちは、往々にして、万が一失敗してトップの経歴に傷をつけることがないようにとの配慮がはたらく」(佐々淳行氏:東京新聞5月18日付夕刊)という警察の伝統にこそ、今回の事態の原因があります。記事にあるようなサポートスタッフがいても、軋轢こそ産みさえすれ、このままでは単なるオブザーバー扱いに終わる可能性の方は高いのではないでしょうか。

http://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/so-net/sample/thisperson/070524.html

現在、SATを持っている警察は以下の自治体警察です。その部隊の規模は、警視庁3個班、大阪府警察2個班、他の道県警察は1個班、合計11個班の編成で、隊員の総数は約300名と公表されています。

    * 警視庁

    * 大阪府警察

    * 北海道警察

    * 千葉県警察

    * 神奈川県警察

    * 愛知県警察

    * 福岡県警察

    * 沖縄県警察

 

この際、この部隊の指揮権を警察庁に移管する法令を作ってはどうでしょうか。指揮権は警察庁警備局長が持ち、犯人の射殺命令は警察庁長官が最終判断する。長官はキャリア職の上がりのポストです。将来を心配して指揮能力が鈍るような立場でもないでしょう。警察は超がつくほどの縦割り社会です。問題解決の方法はこれしかない気がします。またSATの運用経費は国費で賄われているのが現状ですから、その点でも筋は通せる気がします。

ただし、警察の果断な指揮を我々世論も讃える努力はすべきだと思います。「仏作って魂入れず」で何時までも通用する世の中でもないのですから。


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2007年6月 9日 (土)

ダブルスタンダードの国では当然か

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20070609k0000m030126000c.html

「中国四川省の夕刊紙・成都晩報で今月4日、民主化運動が武力鎮圧された89年の天安門事件の遺族に敬意を表する一行広告が掲載された。これを理由に、成都晩報の編集長と広告局の責任者の2人が更迭されたと、香港英字紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が8日、報じた。」

中国の憲法にも「言論の自由」がちゃんと謳われているのをご存じですか?

[中華人民共和国憲法第二章 公民の基本的な権利と義務]

 「第三十五条 中華人民共和国公民は、言論、出版、結社、集会、行進、を行う権利と自由を享有する。」

http://www.geocities.jp/ps_dictionary/c/xianfa.htm

しかし、この記事のように「言論の自由」は名目だけのもので、実際には自由はありません。これが共産党一党独裁の政治支配の現実ということなんですが、中国が海外から資本導入を進め、また海外へ経済的進出を深めれば深めるほど、こうした二律背反が中国の姿を歪めていくのは確かです。

例えば、こんな記事が以前ありました。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/55540/

「中国政府系シンクタンク、中国社会科学院がこのほど出版した「中国人材発展報告」(社会科学文献出版社)によると、改革開放政策が始まった1978年以降に出国した留学生のうち7割以上が帰国しておらず、「頭脳流出」が深刻になっていることが明らかになった。中国の今後の発展と安定に脅威になると研究者は指摘している。同報告によると、海外に留学したのは昨年までに106万人。しかし、帰国したのは27万5000人と3割にも満たなかった。帰国した者の多くは「近く定年退職する者」や「人文科学系」らの学生で、「科学技術系」の学生は帰国率が低いのが特徴。海外にとどまっている79万人のうち、20万人余りが現地で就職したり、永住許可や外国籍を取得している。同報告では、「人材流出の原因」として、収入や生活状況、子供の教育環境、民主的政策-などを指摘。このままでは「中国の経済・社会発展に悪い影響を与える」と危機感をのぞかせている。今後、帰国者の起業支援や収入面での優遇政策の実施などによって、2010年までに新たに15万人から20万人の留学生を帰国させたいとしている。」

国の頭脳とも云うべき研究者達が留学先から戻りたがらないというのですが、その割合は何と留学生全体の7割にも上るというのですから驚きです。しかもその理由を分析して、「収入や生活状況、子供の教育環境、民主的政策」と云うのですから、自らもよく判ってる訳です。

1999年7月に共産党と国務院が、宗教団体『法輪功』を非合法化し、激しい官製キャンペーンを展開して以来、弾圧されてることを見ても、中国には信教の自由は無いように思えるのですが憲法ではちゃんと保障されている権利なんです。

「第三十六条  中華人民共和国公民は信教の自由を有する。」

『二枚舌の国』(ダブルスタンダードの国)が中国の本質であるというのをお忘れなく。

・・・こんな国でオリンピックをして大丈夫なんだろうか。


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2007年6月 6日 (水)

そこに広がる闇のお話

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070605i205.htm?from=rss

「滋賀県米原市のアユ養殖販売業者が相続税約14億8000万円を脱税したとされる事件で、相続税法違反容疑で逮捕された川森千恵子容疑者(69)らが、現金約12億円を一斗缶(18リットル缶)などに入れて隠し持っていたり、自身や親族名義の四百数十口座に分けて資産を蓄えたりしていたことが、大津地検の調べなどでわかった。また、口座の名義には家族や親族のほか、家族の旧姓なども使われ、計約17億6000万円が蓄えられていた。2004年4月に川森容疑者の夫が死亡した前後に、新たに家族の関係者の名義で開かれた口座もあったという。地検は、家族らの預貯金にすることで、相続財産ではないと装った可能性もあるとみている。」

記事にあるアユ養殖販売業者は滋賀県内でも大手の業者なんだそうですが、だからといって何十億も資産を残せるような美味しい商売でもないんです。この業者さんがこれだけの蓄財をしたのには、これから検察当局が手をつけようとしてるある利権が存在しているというもっぱらの噂話をご紹介したいと思います。

皆さんは『漁業補償』という言葉をご存じですか。漁業補償は、公的機関が行う場合は「『公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱』(閣議決定)等により規定されたものであり、当該基準要綱は土地収用法その他の法律により土地等を収用し、又は使用できる事業に必要な土地等の取得又は使用に伴う損失の補償基準の大綱を示したものである。」というような定義が存在します。

ネット上で公開されている三重県の場合を以下に書き出して見ます。

本県においては「三重県県土整備部公共事業の施行に伴う損失補償基準」(監第743号)等に基づく漁業補償を行っている。

 

1.補償の対象となる権利主体

①漁業権等とは(共同漁業権、区画漁業権、定置漁業権、入漁権、許可漁業)等をいう。

2.補償の種類(区分)

①漁業権等の消滅に係る補償(基準第20条)

 消滅させる漁業権、入漁権その他漁業に関する権利に対しては、当該権利を行使することによって得られる平年の純収益を資本還元した額を基準とし、当該権利に係る水産資源の将来性等を考慮して算定した額をもって補償するものとする。

②漁業権等の制限に係る補償(基準第27条)

 漁業権等の制限に対しては、当該権利が消滅するものとしてそれぞれそれらの規定により算定した額に当該権利の制限内容等を考慮して適正に定めた割合を乗じて得た額をもって補償するものとする。

③漁業権等の消滅又は制限により通常生ずる損失の補償

 ・漁業廃止補償(基準第50条)

 ・業業休止補償(基準第51条)

 ・漁業の経営規模縮小の補償(基準第52条)

④その他通常生ずる損失の補償

 ・養殖物補償(基準第56条)

⑤土地等の取得又は土地等に使用に伴うその他の措置

 ・離職者補償(基準第62条)

 以上のことがらが漁業補償の概要である。

 

噛み砕いて言えば、公共工事に伴い漁業権を侵害するような場合に金銭的な補償をすることを云う訳です。では、その補償額とはどんな物かを次に見てみたいと思います。

「諌早湾干拓事業 金子発言後の調整で85年、閉め切り面積3550ヘクタール、干陸面積1635ヘクタールに。88年春までに湾内12漁協が漁業補償243億5000万円、湾外11漁協が補償12億1000万円、3県漁連は漁業振興資金15億円、佐賀県大浦漁協が補償8億6000万円で決着。89年11月に着工。97年4月、堤防が閉め切られた」(01/04/13毎日新聞ニュースより)

諫早湾干拓事業に伴う漁業補償の記事です。諫早湾内で漁業権を持っていた漁民達に対して『漁業廃止補償』として243億5000万円を支払ったとあります。受取窓口は12の漁業協同組合です。具体的には以下のような分配になっています。

(漁協名)  (配分額) *単位(円)

小長井町    1,525.735,000

高来町湯江   4,075,510,000

小江      1,486,918,000

深海      3,618,275,000

諫早市長田   2,287,161,000

諫早        858,573,000

小野      2,417,265,000

森山町     1,820,197,000

吾妻町     3,634,101,000

瑞穂      1,300,626,000

国見町神代     412,699,000

国見町土黒     912,940,000

合計     24,350,000,000

私の調べた範囲では上記の漁協の組合員数が公開されていませんので、具体的に一人あたりの額は不明ですが、僅かに小長井町漁協配分額をに関して、1組合員あたりに単純平均で1250万6千円という記述を見つけました。

諫早湾内の場合は漁業という生業を失う補償ですから、安くないとはいえ必要な措置なのかも知れないと思いますが、記事にあるように湾外で漁をしていた漁民への補償というのも存在しています。これは工事に伴う水の濁りや土砂による埋め立てなどで漁場を荒らしたことへの償いという意味合いです。また3県漁連には漁業振興資金15億円という費用も支払われています。これは漁民への運転資金等の貸し付け金の原資となるように配慮した資金なのですが、当然ながら漁業を営む個人や漁業組合等が対象になるものです。

こんな風に海に面した公共工事では必ずと言っていいほど漁業補償が行われているのが現状です。そんな中で巨額な補償金は動いている事は案外知られていない気がします。この補償金という利権は農林水産省が持っている予算ともいえる訳ですから、今捜査が進んでいる緑資源機構と同じように、そこには談合を始め深い闇が広がっているようです。

そんな一例を次にお話ししたいと思います。

関西空港の2期工事はおおむね完成を見て最後の仕上げに入っています。その2期工事の用地造成予算は当初の額で1兆1千億円だったのをご存じでしたでしょうか。滑走路とターミナルビル等の設備費の方は4200億円でした。つまり造成費はその約3倍を必要としたという計算になります。(後に厳しい財政事情から造成費は一兆円に圧縮された)これは中部国際空港の当初予算が総額で7680億円と見積もられていたことを考えても、条件等の違いはあるにしても予算総額の必要な部分が、かなり不透明という指摘は以前から出ています。

*中部国際空港建設に際して支払われた漁業補償費の総額352億8000万円です。

関西空港1期目工事の際に支払われた漁業補償費は何と612億円という前例のない額でした。その内訳は大阪250億円、兵庫323億円、和歌山39億円です。支払先は各漁連。その後の分配は漁連が各組合に行い、組合が組合員にという構造です。しかもこれ以外に漁業振興基金というのを設けて、そちらへも原資として建設費の一部が流れ込んでいます。今回の2期目工事は大阪漁連に対して200億円が補償費として支払われました。しかも当初大阪漁連側は278億円を要求していたのですから減額できたと空港側は胸を張ってる状態です。しかし、今回も補償費とは別に漁連の振興基金に30億円の増資が行われましたので、裏では大阪漁連側の思惑に近い金銭が動いたのは確かなようです。と

(関西空港のあゆみ)

http://www.kar.or.jp/history/ayumi.pdf#search='%E9%96%A2%E7%A9%BA%E3%81%AE%E6%BC%81%E6%A5%AD%E8%A3%9C%E5%84%9F%E8%B2%BB'

こうした補償費は何も公共工事ばかりではありません。例えば1991年に黒部川に関西電力の所有する「出し平ダム」から、堆積した砂を川に向けて排砂した際に、46万立米のタール状ヘドロが富山湾に流れ込んで問題になり漁業補償費を支払うことになった額は4億8千万円でした。地区によりまちまちですが平均すると補償額は一人の組合員に対して400万円から800万円ほどだったと言われています。しかもこれ以外に関西電力は

富山県漁連に以後毎年振興金のような形で迷惑料を支払う代わりに、此処の組合員からは委任状を取り付けるという条件で年間3億円程度を今も支出しているのだそうです。

(一部は1993年3月17日・朝日新聞富山版)

関西電力に関しては福井県や京都府の日本海側での原子力発電所周辺でも関連漁連に似たようなお金を支出してるのですが、こうした資金が個人の組合員に分配されているケースもあれば、漁連や漁協が管理して運営資金や貸し付けにに当てているケースもあって、闇利権が広がってる訳です。

これ以外でも河川などで工事をする際にも漁業補償費を支払うのは常識になっていて、河川改修工事などでは、巨額のお金が動いています。

更に問題だと指摘されているのが、漁業権を有して漁協の組合員となっているのですが、既に漁船はなく出漁もしていない人達までが、この利権目当てに組合費を払っているという実態も存在し、関西空港の造成では大阪らしく、暴力団や各種団体等もこれに群がって様々なトラブルが囁かれ続けています。つまり補償費で暮らしていける人が世の中にはいるということです。

さて、滋賀県米原市のアユ養殖販売業者が何故こんな巨額な蓄財が出来たという答えも、漁業補償費にあります。この業者は付近の河川や琵琶湖の漁業権を持っている元々は漁師でもあった人物。これまでの様々な漁業補償費の蓄財が脱税の背景にあったとしたら、漁業補償費っていったいなんだろうと考え込みたくなります。

*漁業権を巡る有名なお話が以下のアドレスで。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/boso/herusu.htm

http://www005.upp.so-net.ne.jp/boso/disney01.htm


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2007年6月 5日 (火)

戦史を学ぶときが来た

マキャベリーは『政略論』の中で「過去を見ながら未来を予測したいと思えば、その地方の住民が長期にわたって、どのような長所・短所を持っていたかを調べればよい。」と書いています。

戦争という歴史の研究にこれを置き換えれば、どの国にも戦い方には国民性が現れるものですから、その点を検討し蓄積することで、次の戦いの際の外交や戦略に活かす素地を作るということになるのではないでしょうか。

そういう意味で第二次世界大戦は多大な犠牲と国富を失わせた訳ですから、その血と肉で得られた体験や記録は必ず後世の役に立てて行かねばならないと思うのですが、どうでしょうか?

日本には戦史叢書(大東亜戦争公刊戦史)という防衛庁防衛研究所戦史部編纂の資料がありますが、その改訂は1966年8月20日発行以来、 1983年2月20日増刷時にあっただけで、その後の発見や研究の成果が活かされているとはいえません。戦争に関して常に反省をするというポーズは得意ですが、自国民へ向けてさえ、この程度の予算しか与えてこなかったというのはなんとも情けないことです。「防衛研究所が引き継いでいた大本営の膨大な史料の整理・分類が、昨年度にようやく完了のメドがつき、立ち遅れが指摘されていた戦史の比較研究に重点を移せることになった。」というコメントも嘆息するばかりです。

日本が明治以来行ってきた中国分析の資産も雲散霧消して、あの国の特性をよく理解せず、外交で失敗ばかり重ねる外務省を見ていると、役所にはこの手の研究が出来ないということなるとおもいます。しかし、大学や政府系のシンクタンクでも同様なのは何故でしょうか。

戦史の話に戻しても、大学の歴史学科で近現代史、特に戦史を専門的に研究するところなぞ、すくなくとも国立大学(今は独立行政法人)系には皆無です。高級官吏や外交官を輩出する東大法学部にしたところで、戦史など体系的に学んではいません。

この辺にも、「戦争」を口にすることは悪であるという一種の洗脳教育を行ってきた、いわゆる「護憲派」運動の弊害が生じている証です。「癌」と言うから「癌になる」、だから癌の研究をすることも止めておくという論理を医師が学会で公言すれば、まともな人物として扱われないと思います。しかし、戦史の研究者に対しては、こうした変な論理を振りかざす輩がいるから不思議です。

本当におかしな国、汝は日本ですね。


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2007年6月 1日 (金)

「王様」と「元帥」

ルーズベルト大統領は、第二次大戦で陸軍をマーシャル元帥、海軍をキング提督(元帥)に任せました。「元帥」の名をもつ人物を陸軍参謀総長に、「王様」の名をもつ人物を海軍総司令官ともいうべき合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長を相手にしては、日本が勝てなかったのも当然でしょうか?

第二次大戦中を通して、米海軍の「頭脳」であり続けたキング元帥ですが、日本では一部の人を除けば「無名」といってもいい人物ではないでしょうか。しかし、軍関係者はもちろん、企業など組織運営を研究する人間たちにとっては、格好な研究対象となっているようです。

Ejking4244 マーシャルとキングの二人は、およそ気の合いそうな人物ではありませんでした。

マーシャルは典型的な「堅物」でしたが、一方のキングは「堅物」とは程遠い人物だったようです。ある意味典型的な船乗りというか、「バウンティ号」のブライ船長よろしく、規律にうるさく、癇癪もちで「ニトロ・グリセリン」という仇名でしたから、物騒極まりない上司だったのでしょう。R・K・ターナー提督のようにアルコール中毒にならなかったのが、不思議なほどの大酒のみで、その上に女癖も悪いという人物でした。なにせワシントン勤務の海軍士官で「美人」の女房持ちは、気が落ち着かなかったという評判もあったそうです。

もしも、ルーズベルトに出会わなかったら、第二次大戦が始まらなければ、どこかの艦隊司令官で定年を待つだけで終わった人物だったのかも知れないだけに、まさにヒトラーのお陰で提督になれたのかも知れません。

さて、そんなキング提督の履歴を少し見てみましょう。

1878年11月23日 ロレーン(オハイオ)生まれ

1897年 ロレーン高校を卒業

1897年 海軍兵学校入学

1898年 夏に「USS San Francisco」に乗り組み米西戦争に出征

    ☆優秀な働きで「Sampson Medal」を与えられる

1901年 海軍兵学校卒業 64人中4番 少尉候補生

1903年6月7日、少尉任官

「USS Eagle」   (キューバの調査任務)乗り組み

「USS Cincinnati」(アジア艦隊戦隊旗艦)乗り組み

「USS Alabama」  (大西洋艦隊戦隊旗艦)乗り組み

「USS Illinois」 (欧州戦隊旗艦)乗り組み

1906年6月7日、中尉 任官

1906年6月7日、大尉 任官*確か中尉が廃止になったためかと

1906年 海軍兵学校教官(砲術)

1908年 大西洋艦隊第二戦隊(戦艦)司令部参謀*旗艦「USS Minnesota」

1909年 「USS Minnesota」機関長

1910年 大西洋艦隊司令部参謀長*旗艦「USS Connecticut」

1911年 海軍兵学校教官(技術実験科科長)

1913年7月1日、少佐

1914年 大西洋艦隊第六戦隊司令

1916年 大西洋艦隊司令部参謀長として第一次大戦に参戦

1917年7月1日、中佐

1918年9月21日、大佐

1919年 海軍兵学校 大学院 院長

1922年7月 大西洋艦隊 潜水艦戦隊司令部参謀長

同年    同第七潜水艦戦隊司令

1924年 潜水艦基地隊司令(ニューロンドン)兼海軍兵器調達監督官

    *沈没潜水艦の引き上げに貢献

1926年「USS Wright」艦長兼搭載航空機隊司令

1927年 大西洋艦隊司令部航空部隊参謀

同年  航空機操縦士としての訓練を受ける

    大西洋艦隊偵察航空隊司令

1928年 海軍省航空局 局員

1929年 ノフォーク航空基地司令

1930年 「USS Lexington」艦長

1932年 海軍大学 高級課程学生

1933年11月1日、少将

1933年 海軍省航空局 局長

1936年 海軍航空艦隊司令官

1938年1月29日、中将

1940年 海軍省一般委員会委員

1941年2月1日、大将

1941年12月30日 大西洋艦隊司令長官

1942年3月18日 合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長

1944年12月17日、元帥

キングが海軍士官学校に入校するために家を出たとき、父親は長続きはしないかも知れないと心配して、彼に往復の切符を買ってくれたとか。彼はその時の復路分の切符を後年になっても大切にして手元に置いていたそうです。キングの父は鉄道に務める技師だったそうですから、切符の手配はお手の物だったんでしょうが、この逸話はキングが親から見ても団体生活に向かない性格だったということなのか、或いはひ弱で体力的に劣るということだったのか、少し考えさせられる話です。

キングの履歴を見ると、艦隊勤務と教官勤務を交互にしていることがよく判ります。船乗りとしての技量は海上勤務で磨いたことが伺えますね。しかし駆逐艦乗りという訳でもないところが微妙です。彼は教える方でも向いているという判断をされていたということになるのでしょうか。米軍は有事にはポストに応じて階級を与えます。例えば少佐だった人を大佐職のポストに就けるために大佐にします。そして平時になると大佐職を離れたと同時に元の少佐に戻ったりするのが当たり前なのです。キングは中佐を1年務めただけで大佐になりますが、これは艦隊の参謀長として相応しい階級だからで戦時昇進のようなものです。しかし戦争が終わっても元の中佐に戻ることがありませんでした。恐らくは彼が仕えた司令長官が彼の働きを評価して何等かの手を講じたのでしょう。それと同時に彼は将官候補としても推薦されたのではと想像します。

2年間の陸上勤務後に潜水艦部隊に行ったのも当時は当然の配置のようです。ニミッツも潜水艦部隊にいましたし、将官へ進むルーチンだったのかも知れません。その後で航空部隊に行くという辺りは山本元帥と少し似ています。パイロットの資格を一応取るのも似ていますが、米国の場合はこれは法律に定められた義務です。

こういう風に見てくるとキングは、上からの人事評価も良かったのが判ります。いわゆるお茶引きにもあっていません。確かに性格に難があったとか、酒癖が悪かったとか、女癖が悪かったとかあるかも知れませんが、ある意味そういう点を凌駕する実力がないと米海軍では出世できないと思います。まあ、洗練された海軍軍人とは違う船乗りタイプで社交術に長けていないとかあったのか知れません。

キング提督が部下や同僚を評してこんな事を言ったそうです。

*リーヒは「物の本質を見極めようとせず,足して二で割る事のもみ消し屋」

*マーシャルは「出来る男かも知れないが,愚鈍」

*マッカーサーは「海軍戦争の原理を全く理解していない愚か者」

*ニミッツは「部下の才能を買いかぶり,事を荒立てないことばかり考えている官僚主義者」

*ハルゼーは「救いようの無い馬鹿」

*タワーズは「部下を集めて閥を作る事しか能の無い奴」

*アーノルドは「マーシャルのイエスマン.自分が何を喋っているか判っていない」

キングの伝記に書かれている上の台詞は、部下の怠慢や努力して全身全霊で任務を果たさない者には大変厳しい人物であったのが想像できます。部下をフォローして育てるとか、そういう手間を部下に掛ける気は少なくとも司令官職になってからは無かったようです。この点が彼の悪評につながってるのは確かです。実際に彼に罵倒され更迭された部下はかなり居たといいますんで。

Ejking45

ただ、あまり気付かれていないのですが、彼が合衆国海軍全体の司令官と海軍作戦部長を兼ねた際に、彼の下で幕僚を務めた人が当然いた訳ですが、そのスタッフはキング提督とのトラブルで解任されたり、自ら辞職した例が多くあるかというと、あまりありません。実際そうしたスタッフは個人的な関係としてはキングは冗談もいうし、打ち解けて話をする機会もあると証言しています。

戦時ですから、自らの職務遂行上で障害となると判断すれば、当人の将来などは二の次にして指揮官を解任することに関して、キングに躊躇はありませんでした。時にはニミッツのような方面司令官の上司を通さずに、それこそ頭越しに解任を行うこともあったのも事実です。これはミッドウエイ海戦で敗れた南雲司令官・草鹿参謀長を連合艦隊(以下GFと略す)旗艦大和に呼んで、彼等の謝罪と再度の挑戦の願いを叶える口添えをした山本GF長官、それを認めた嶋田海軍大臣とは全然違う人事感覚をキング提督が行使していたのは確かです。

私はキング提督と日本海軍の造船士官の至宝、平賀譲中将とを同じ様な人物に思えて仕方がありません。平賀は用兵側の要求に応じられない部分は頑として妥協せず、自らの設計に関する理念は変えませんでした。一旦用兵側と妥協すれば際限なく妥協を繰り返し、それが設計上の無理となって跳ね返る。昨今のマンション構造偽装と似たような話になるのです。そんな平賀は頑固すぎるとして用兵側に嫌われ、海軍は彼を一線から外しました。その後任に推挙されたのは人当たりの良い優秀な人物でしたが、彼は用兵側と妥協してやまないため、やがて海軍は大きなツケを支払わされました。

その点キングは戦争は勝つことが目的であって、戦後のことをどうするかなど考慮の外におき、部下を勝利を得る道具として使うことに徹したという思われます。極めて有能で、タフで、かつ行動的で自信過剰でなければ、到底あの巨大な米海軍という組織の長は務まらなかったことは確かです。こういった人物を使いこなしたルーズベルトという人物と、アメリカの行政組織の大きさと深さを改めて感じます。ルーズベルトはあるいは海軍次官の経験があるので、キングとも、その頃に接する機会があったのかも知れませんが。それで彼が仕事が出来ることは知っていたのでしょう。その上、日本嫌い、英国嫌いなのが都合が良かったという面もあったのでしょう。

英仏などの欧州連合の居丈高な連中にはキングのような荒武者でないと、気押されて妥協しかねないという事を考えると、欧州に派遣する人物は協調性のある者、本国で最終決定を行うべき者はうるさ型の嫌われ者(という風評があるのが都合が良い)、そしてそれでもという場面で大統領の決断という仕組みが政治的には非常に効果があるという計算がルーズベルトにはあったのではないでしょうか。つまり、キングは防壁・緩衝帯を期待されたんでしょう。そうなるとリーヒも可哀想な役回りです。

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こんなキング提督のような強い個性が戦時には必要なリーダーなんですが、日本ではその点があまり理解されていない気がしています。戦争に勝つのは強い意志が必要ということでしょうか。

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