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2007年6月 1日 (金)

「王様」と「元帥」

ルーズベルト大統領は、第二次大戦で陸軍をマーシャル元帥、海軍をキング提督(元帥)に任せました。「元帥」の名をもつ人物を陸軍参謀総長に、「王様」の名をもつ人物を海軍総司令官ともいうべき合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長を相手にしては、日本が勝てなかったのも当然でしょうか?

第二次大戦中を通して、米海軍の「頭脳」であり続けたキング元帥ですが、日本では一部の人を除けば「無名」といってもいい人物ではないでしょうか。しかし、軍関係者はもちろん、企業など組織運営を研究する人間たちにとっては、格好な研究対象となっているようです。

Ejking4244 マーシャルとキングの二人は、およそ気の合いそうな人物ではありませんでした。

マーシャルは典型的な「堅物」でしたが、一方のキングは「堅物」とは程遠い人物だったようです。ある意味典型的な船乗りというか、「バウンティ号」のブライ船長よろしく、規律にうるさく、癇癪もちで「ニトロ・グリセリン」という仇名でしたから、物騒極まりない上司だったのでしょう。R・K・ターナー提督のようにアルコール中毒にならなかったのが、不思議なほどの大酒のみで、その上に女癖も悪いという人物でした。なにせワシントン勤務の海軍士官で「美人」の女房持ちは、気が落ち着かなかったという評判もあったそうです。

もしも、ルーズベルトに出会わなかったら、第二次大戦が始まらなければ、どこかの艦隊司令官で定年を待つだけで終わった人物だったのかも知れないだけに、まさにヒトラーのお陰で提督になれたのかも知れません。

さて、そんなキング提督の履歴を少し見てみましょう。

1878年11月23日 ロレーン(オハイオ)生まれ

1897年 ロレーン高校を卒業

1897年 海軍兵学校入学

1898年 夏に「USS San Francisco」に乗り組み米西戦争に出征

    ☆優秀な働きで「Sampson Medal」を与えられる

1901年 海軍兵学校卒業 64人中4番 少尉候補生

1903年6月7日、少尉任官

「USS Eagle」   (キューバの調査任務)乗り組み

「USS Cincinnati」(アジア艦隊戦隊旗艦)乗り組み

「USS Alabama」  (大西洋艦隊戦隊旗艦)乗り組み

「USS Illinois」 (欧州戦隊旗艦)乗り組み

1906年6月7日、中尉 任官

1906年6月7日、大尉 任官*確か中尉が廃止になったためかと

1906年 海軍兵学校教官(砲術)

1908年 大西洋艦隊第二戦隊(戦艦)司令部参謀*旗艦「USS Minnesota」

1909年 「USS Minnesota」機関長

1910年 大西洋艦隊司令部参謀長*旗艦「USS Connecticut」

1911年 海軍兵学校教官(技術実験科科長)

1913年7月1日、少佐

1914年 大西洋艦隊第六戦隊司令

1916年 大西洋艦隊司令部参謀長として第一次大戦に参戦

1917年7月1日、中佐

1918年9月21日、大佐

1919年 海軍兵学校 大学院 院長

1922年7月 大西洋艦隊 潜水艦戦隊司令部参謀長

同年    同第七潜水艦戦隊司令

1924年 潜水艦基地隊司令(ニューロンドン)兼海軍兵器調達監督官

    *沈没潜水艦の引き上げに貢献

1926年「USS Wright」艦長兼搭載航空機隊司令

1927年 大西洋艦隊司令部航空部隊参謀

同年  航空機操縦士としての訓練を受ける

    大西洋艦隊偵察航空隊司令

1928年 海軍省航空局 局員

1929年 ノフォーク航空基地司令

1930年 「USS Lexington」艦長

1932年 海軍大学 高級課程学生

1933年11月1日、少将

1933年 海軍省航空局 局長

1936年 海軍航空艦隊司令官

1938年1月29日、中将

1940年 海軍省一般委員会委員

1941年2月1日、大将

1941年12月30日 大西洋艦隊司令長官

1942年3月18日 合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長

1944年12月17日、元帥

キングが海軍士官学校に入校するために家を出たとき、父親は長続きはしないかも知れないと心配して、彼に往復の切符を買ってくれたとか。彼はその時の復路分の切符を後年になっても大切にして手元に置いていたそうです。キングの父は鉄道に務める技師だったそうですから、切符の手配はお手の物だったんでしょうが、この逸話はキングが親から見ても団体生活に向かない性格だったということなのか、或いはひ弱で体力的に劣るということだったのか、少し考えさせられる話です。

キングの履歴を見ると、艦隊勤務と教官勤務を交互にしていることがよく判ります。船乗りとしての技量は海上勤務で磨いたことが伺えますね。しかし駆逐艦乗りという訳でもないところが微妙です。彼は教える方でも向いているという判断をされていたということになるのでしょうか。米軍は有事にはポストに応じて階級を与えます。例えば少佐だった人を大佐職のポストに就けるために大佐にします。そして平時になると大佐職を離れたと同時に元の少佐に戻ったりするのが当たり前なのです。キングは中佐を1年務めただけで大佐になりますが、これは艦隊の参謀長として相応しい階級だからで戦時昇進のようなものです。しかし戦争が終わっても元の中佐に戻ることがありませんでした。恐らくは彼が仕えた司令長官が彼の働きを評価して何等かの手を講じたのでしょう。それと同時に彼は将官候補としても推薦されたのではと想像します。

2年間の陸上勤務後に潜水艦部隊に行ったのも当時は当然の配置のようです。ニミッツも潜水艦部隊にいましたし、将官へ進むルーチンだったのかも知れません。その後で航空部隊に行くという辺りは山本元帥と少し似ています。パイロットの資格を一応取るのも似ていますが、米国の場合はこれは法律に定められた義務です。

こういう風に見てくるとキングは、上からの人事評価も良かったのが判ります。いわゆるお茶引きにもあっていません。確かに性格に難があったとか、酒癖が悪かったとか、女癖が悪かったとかあるかも知れませんが、ある意味そういう点を凌駕する実力がないと米海軍では出世できないと思います。まあ、洗練された海軍軍人とは違う船乗りタイプで社交術に長けていないとかあったのか知れません。

キング提督が部下や同僚を評してこんな事を言ったそうです。

*リーヒは「物の本質を見極めようとせず,足して二で割る事のもみ消し屋」

*マーシャルは「出来る男かも知れないが,愚鈍」

*マッカーサーは「海軍戦争の原理を全く理解していない愚か者」

*ニミッツは「部下の才能を買いかぶり,事を荒立てないことばかり考えている官僚主義者」

*ハルゼーは「救いようの無い馬鹿」

*タワーズは「部下を集めて閥を作る事しか能の無い奴」

*アーノルドは「マーシャルのイエスマン.自分が何を喋っているか判っていない」

キングの伝記に書かれている上の台詞は、部下の怠慢や努力して全身全霊で任務を果たさない者には大変厳しい人物であったのが想像できます。部下をフォローして育てるとか、そういう手間を部下に掛ける気は少なくとも司令官職になってからは無かったようです。この点が彼の悪評につながってるのは確かです。実際に彼に罵倒され更迭された部下はかなり居たといいますんで。

Ejking45

ただ、あまり気付かれていないのですが、彼が合衆国海軍全体の司令官と海軍作戦部長を兼ねた際に、彼の下で幕僚を務めた人が当然いた訳ですが、そのスタッフはキング提督とのトラブルで解任されたり、自ら辞職した例が多くあるかというと、あまりありません。実際そうしたスタッフは個人的な関係としてはキングは冗談もいうし、打ち解けて話をする機会もあると証言しています。

戦時ですから、自らの職務遂行上で障害となると判断すれば、当人の将来などは二の次にして指揮官を解任することに関して、キングに躊躇はありませんでした。時にはニミッツのような方面司令官の上司を通さずに、それこそ頭越しに解任を行うこともあったのも事実です。これはミッドウエイ海戦で敗れた南雲司令官・草鹿参謀長を連合艦隊(以下GFと略す)旗艦大和に呼んで、彼等の謝罪と再度の挑戦の願いを叶える口添えをした山本GF長官、それを認めた嶋田海軍大臣とは全然違う人事感覚をキング提督が行使していたのは確かです。

私はキング提督と日本海軍の造船士官の至宝、平賀譲中将とを同じ様な人物に思えて仕方がありません。平賀は用兵側の要求に応じられない部分は頑として妥協せず、自らの設計に関する理念は変えませんでした。一旦用兵側と妥協すれば際限なく妥協を繰り返し、それが設計上の無理となって跳ね返る。昨今のマンション構造偽装と似たような話になるのです。そんな平賀は頑固すぎるとして用兵側に嫌われ、海軍は彼を一線から外しました。その後任に推挙されたのは人当たりの良い優秀な人物でしたが、彼は用兵側と妥協してやまないため、やがて海軍は大きなツケを支払わされました。

その点キングは戦争は勝つことが目的であって、戦後のことをどうするかなど考慮の外におき、部下を勝利を得る道具として使うことに徹したという思われます。極めて有能で、タフで、かつ行動的で自信過剰でなければ、到底あの巨大な米海軍という組織の長は務まらなかったことは確かです。こういった人物を使いこなしたルーズベルトという人物と、アメリカの行政組織の大きさと深さを改めて感じます。ルーズベルトはあるいは海軍次官の経験があるので、キングとも、その頃に接する機会があったのかも知れませんが。それで彼が仕事が出来ることは知っていたのでしょう。その上、日本嫌い、英国嫌いなのが都合が良かったという面もあったのでしょう。

英仏などの欧州連合の居丈高な連中にはキングのような荒武者でないと、気押されて妥協しかねないという事を考えると、欧州に派遣する人物は協調性のある者、本国で最終決定を行うべき者はうるさ型の嫌われ者(という風評があるのが都合が良い)、そしてそれでもという場面で大統領の決断という仕組みが政治的には非常に効果があるという計算がルーズベルトにはあったのではないでしょうか。つまり、キングは防壁・緩衝帯を期待されたんでしょう。そうなるとリーヒも可哀想な役回りです。

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こんなキング提督のような強い個性が戦時には必要なリーダーなんですが、日本ではその点があまり理解されていない気がしています。戦争に勝つのは強い意志が必要ということでしょうか。

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