« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月

2007年9月30日 (日)

「白」か「黒」か

http://www.asahi.com/national/update/0929/SEB200709290015.html

「高校日本史の教科書検定意見で沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする記述が削除された問題で、検定意見の撤回を求める県民大会が29日、沖縄県宜野湾市の海浜公園で開かれた。会場周辺も含め、約11万人(主催者発表)が参加した。仲井真弘多知事は「軍の関与は隠せない事実」と強調。高校生や沖縄戦の生存者も壇上で抗議の声を上げた。」

こういう議論になると、今時の日本人は「ある」と「ない」しかない両極端な話になるのに、毎度ながらウンザリさせられます。

以前に日記でも書きましたが、大江健三郎の「沖縄ノート」(岩波新書)で書かれていた「旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする」内容が伝聞による取材であって、真実とは違っていたという話しを書きました。しかも、「沖縄ノート」の内容を検証した曽野綾子氏の「ある神話の背景」(文藝春秋刊、昭和 48年)によって随分以前から事実誤認と風聞による又聞きであることが指摘されていたにも関わらず、岩波新書の「沖縄ノート」は絶版にも訂正にもなっていない不思議な出来事があり、未だに大江健三郎は平和主義者のような扱いのままです。

沖縄戦で市民が日本軍の敗戦が迫る中で軍による保護を受けられず、指揮系統の崩壊しつつある軍部隊の個々の判断や自らが玉砕する事への心理から来る圧力から住民に自決を命じた場面がなかったとはいいません。しかし、冷静を保ち住民を保護しようとした部隊だってあったことでしょう。

また、戦後の国民に対する補償を定めた「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が、戦災を受けた国民を年金や弔慰金の適用外としたため、悲惨な状況に置かれた沖縄県民人の傷痍生存者や遺族を救済するために、自決は軍命令によりなされたとすることで「準軍属」扱いにし、年金や弔慰金が受け取れるようにしたという方便が一部にあったことも明らかになっています。

こんな話しは当事者の大人達の間で密かに決められたことでしょうから、もう真相を語れる人もいないのかも知れません。あるのは当時子供だった人達の悲惨な体験だけ。そして沖縄戦で亡くなった内地からの日本兵約9万人の遺族の悲しみは誰も省みなくなってしまいました。彼等だって沖縄で死にたくはなかったろうに。未亡人や孤児になった人だっていたでしょう。そんな人に浴びせられるのが住民を自決に追いやった被告としての立場です。

斯くして、日本軍は悪であり、沖縄県民は被害者という単純な構図だけが出来上がりました。これで得してるのは誰でしょう。

確かに戦災を被った国民全員を救済するのは貧乏国家だった当時の日本政府には困難だったでしょう。それならそれで、政府が中心になって沖縄県民を救済する基金を設けて、民間などからの寄付を募って浄財で救済を試みる方法論だってあったはずです。しかし、そんなことをするよりも皆平等に扱うという建前論で逃げたつけが此処までになってるんですから。

ですから政府が責任を追及されないとは私はいいません。しかし「白」か「黒」かという単純な話しではないということも理解して、もしもハッキリさせたいというのなら、個々の事件をそれぞれ分析していくしかないのではと思います。

何時から日本人は、こんな単純な思考回路に成り下がったのか、そちらの方こそ私には追求すべき課題だと思えて仕方がありません。

このページは xfy Blog Editor を利用して作成されました。

2007年9月21日 (金)

リタリーナー

依存性の高い向精神薬「リタリン」の乱用が広がっている問題で、製造・販売元の「ノバルティスファーマ」(東京都港区)が、適応症から難治性・遷延性鬱病を削除する方向で検討していることが報じられています。それによると、ノバルティス社は関係学会や厚生労働省の了解が得られ次第、同省薬事・食品衛生審議会に自主的に削除を申請する方針だそうです。目的は鬱病への処方の全面禁止によって、「リタリン」乱用への大きな歯止めとしたいからです。

実は「リタリン」を鬱病の治療薬として処方している国は日本だけです。普通の国では「注意欠陥・多動性障害(ADHD:Attention Deficit Hyperactivity Disorder)」に対して処方される向精神薬として知られてます。(主にアメリカで使われています)

「ADHD」は小学校入学前後に発見される場合が多いとされている「行動障害」の病名のひとつです。最近は保育園や幼稚園でも見つかるケースが多くなっています。その特徴は注意力が維持されにくく、様々な情報をまとめることが出来ず、集団行動を取るのが苦手というものです。注意力が散漫なので、全体に出されている指示を聞き逃し、一人だけが別の行動を取っていたり、あるいは移動する場所が判らずにウロウロしたりして、常に注意される事が多くなります。ただし、「注意欠陥」や「多動性」は、その大小はあるものの幼児期には誰もが示す傾向です。素人判断で「ADHD」と決めつけるのは危険です。専門医に診察を受けて判断すべきですが、現場にいて長く観察している保育士さんや先生方は、あるいはそうではないのかという懸念を持つ子供さんが増えていると感じているのも事実です。

「リタリン」はそうした児童・生徒に処方される薬というのが世界では常識ですが、どういう訳か日本で児童・生徒に処方される例よりも、鬱病の治療薬として処方される場合が多いことは以前から指摘されてきました。

「ADHD」を持つ児童のうち3分の1から3分の2は症状を残したまま成人すると言われ、時間が守れない、物の整理や情報の管理ができない、大切なことを忘れる、見通しをつけるのが苦手、衝動的に行動してしまう、注意力を持続することができないなど、日常生活をきちんとこなす能力に欠陥が現れる事が多いため、職業人としてはその適性を疑われることが多いとされています。そのため仕事のミスの連続などで同僚や上司などから叱られたり、圧力を感じる傾向が強まることで、二次的に鬱病を発症したりする可能性は否定できません。そのための治療薬として処方されているのなら問題はないのですが、1958年の販売開始以来、軽度の鬱病に処方されてきた経緯を考えると、一概にそうとも云えないことが判ります。

「リタリン」は、仕事に行きたくない気分の時、疲労感が強くある時などに服用すると、元気になってやる気も出るし、覚醒の度合いが強くなるため注意力が高まり、仕事の効率をあげるなどの作用をもたらします。改善の度合いも比較的早いので即効性があると勘違いして、「リタリン」に頼るようになる習慣性がある薬品です。

日本で「リタリン」は覚醒剤扱いで、医師といえども処方適量を超えて患者に渡せば麻薬取締法違反容疑で取り調べを受ける可能性があるほどなのに、先ほど書いたように精神科を受診して、鬱症状を訴え、以前に「リタリン」を飲んでいたというと、案外簡単に処方されるので、やる気を出したい(要するに高揚感が欲しい)という単純な理由で飲んでる人は多かったのですが、最近は食欲減退という副作用があるのでダイエットのために飲んでる馬鹿とかもいるようです。

記事にもあるようにノバルティス社は

(1)現在の科学水準に照らし、うつ病に効果があるとの十分な根拠が得られていない(2)他に効き目がある抗うつ薬が多数販売されている

として、適応症からうつ病を除外しても問題はないとさえ言ってるのに、「リタリン」の乱用が行われている背景には、精神科医の不足などで、満足な診察(精神科だと初診時に患者との会話による症状の聞き取りに大変時間を要する)を出来ずに、簡単な診察だけで処方してしまいやすい薬物として「リタリン」が普及してしまったことに、この乱用の問題点があるように思われます。またネット上で「リタリン」を興奮剤として乱用する情報が氾濫したことも、この問題の混迷に一役買っているのも事実です。

結局、「ADHD」患者への対応もそうですが、医療行政の立ち遅れが、「リタリン」に代表されるように、覚醒剤として分類される薬品を、安易に処方させていたと私は思います。心の病で悩んでいる人が多くなっているのに、精神科や心療内科の病院と臨床経験豊富な精神科医の少なさにちゃんと対策をしてこなかった厚生労働省の無策こそが、先に批判されるべきなんだと思います。


このページは xfy Blog Editor を利用して作成されました。

2007年9月19日 (水)

「ランドクルーザー」は世界を駆ける

トヨタ自動車は918日、最上級クラスのSUV(スポーツタイプ多目的車)「ランドクルーザー」を98カ月ぶりに全面改良して発売した。岩場や砂地などを走行する際、エンジンとブレーキを操作しなくても時速15キロに速度を自動制御し、運転者はハンドル操作に集中できるという独自のシステムを標準装備した。全タイプが四輪駆動車。走行状況に応じて前輪と後輪の駆動力の配分を変化させる機能も搭載し、発進や加速をよりスムーズにした。また、エアコンの吹き出し口を28カ所に設置し、運転席と助手席、左右の後部座席の車内4エリアで個別に温度設定ができる空調システムも標準装備した。世界約100カ国で順次発売を開始し、08年には年間10万台以上の世界販売を目指すとしています。

 

トヨタ・ランドクルーザー (Land Cruiser) と言えば、日本を代表する四輪駆動自動車の代名詞。アメリカにジープ(Jeep)があるように、日本にはランドクルーザーがあるといっても過言ではないでしょう。しかもこの両者には浅からぬ因縁があるのですから面白いですね。

 

1940年のこと。アメリカ陸軍補給処は、ナチス・ドイツ陸軍のポーランド侵攻におけるキューベルワーゲンの活躍に注目。来るべき欧州大陸の大戦で小型軍用自動車の必要性を痛感し、国内の自動車製造会社に大まかな設計要件を付けたリストを送って、小型偵察車開発計画に応募することを要請したのでした。その結果、設計に優れていたアメリカン・バンタム社案が採用され、ジープのプロトタイプとなる車輌が製作されました。その出来映えに満足した陸軍でしたが、肝心のアメリカン・バンタム社は中小企業で生産力に難があるとして、その設計図を公開して、生産を引き受ける自動車会社を募集します。それに応じたウィリス・オーバーランド社とフォード・モーター社が量産車を生産し、1941年には8614台のジープが納入されたのでした。その一部はフィリピンにも送られていました。

 

1941年に生産された各社の車両数)

Bantam BRC-40:2,605

Willys MA :1,553

Ford GP :4,456

 

同年末に日米開戦。日本陸軍がフィリピン侵攻作戦を実施し、戦場で見付けたのが「バンタムMk IIBRC-60*1940年生産」。早速、内地に送り性能試験をしてみて驚嘆。南方戦線でこの鹵獲したジープに乗った部隊からも、こうした車輌の必要性が要求されるようになったため、1943年に陸軍は軍用車の納入実績があった日本内燃機や陸王内燃機等にジープのコピーが作れるか検討させはじめます。しかし両社には適したエンジンが無い事が判明。さらに調べていく内にトヨタ自動車に適したエンジンがあることが判り、トヨタに「バンタムMk II」のコピー車製作を依頼することになったのでした。

1941americanbantamjeep

 


トヨタは陸軍からサンプルとして渡されたバンタムを参考に森本真佐男技師らが中心となって、ジープに負けない四輪駆動車を設計しようと苦心惨憺したものの、どうやっても合理的に作ろうとすればするほど姿形がジープに似てくるのでした。しかし陸軍からはそっくりでは駄目という風に厳命されていたため、当時の戦時標準型4トントラックに似せた中央1個のヘッドライトに曲面フェンダー、デッキには木製の荷箱が載せられた「AK10(トヨタ社内での呼称)」を完成させます。陸軍の手でその採用試験が終わったのが1944年の8月。「四式小型貨物車」として制式化され生産準備に入ったものの、部品などの生産が軌道に乗り始め頃には終戦を迎えていたのでした。比較にもなりませんが、その頃アメリカでは計647,925台のジープが生産されていたのですから驚きです。

Toyotasyoki

 

さて戦後、警察予備隊が創設され、その車輌が国産で調達されることになり、トヨタが開発したのがトヨタ・ジープBJ(6気筒OHV3,400ccB型ガソリンエンジン)。惜しくも予備隊の採用にはならなかったものの、警察などで採用されるようになり、様々な改造バージョンが出来上がり好評を得た。そして1954年。ジープという名称が商標権の問題で使用できなくなり、トヨタが考え出したのが「ランドクルーザー」という名称だったそうです。一説では対抗馬の英国車「ランドローバー」に対抗するため(ジープは追い抜いたという自負もあり)、「ROVER(海賊船)」を追いかけて駆逐するという意味で、「Cruiser(巡洋艦)」を用いたのだとも言われているのですが本当でしょうか。

733pxtoyota_land_cruiser_yellow_vl

 


この「ランドクルーザー」の大型エンジン(当時の日本ではトラックのエンジンに匹敵)によるパワーのある走行性能は、日本よりは海外で早くから受け入れられ、1960年代から世界で販売されるようになります。その、ずば抜けた耐久性と故障の少なさは世界中で高い評価を受け、やがて「紛争あるところランクルあり」と言われるほど、アフリカや中東などで軍用車輌に改造されて砂漠やサバンナを走り回るようになったのです。

 

故にアフリカと関わりの深い英仏などで、日本が武器輸出をしていないと胸を張っても、薄ら笑いでかわされるほど、先方は武器とわざと言わずに、日本は武装をしない兵器として「ランドクルーザー」の輸出をして稼いでいると見ているのです。アメリカなどがココムのリストに「ランドクルーザー」を入れていたのも、そうした視点からです。

 

今や中国でも沢山走っている姿を見かける「ランドクルーザー」ですが、この車を真似ることは出来ても同じモノが作れないほど、そこには日本の自動車技術の粋が詰まっているのだそうです。

2007年9月 8日 (土)

責任者出てこい!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070907-00000307-yom-soci

「大阪市で昨年7月、市消防局に救急搬送を依頼した30代の妊婦が「満床」などを理由に19病院で受け入れを断られ、病院が見つからないまま自宅で出産していたことがわかった。」

奈良の妊婦が流産した一件以来、「実は・・・」という後追い取材の結果が各新聞社などで報じられているので、まずは、それらの一部をご覧下さい。

千葉市の30代の妊婦が昨年、夜間に下腹部の不調を訴え119番したが、救急隊の照会に同市内などの16の病院が受け入れを拒否し、最終的に搬送された病院で、切迫流産と診断されていたことが5日、分かった。今年に入ってからも別の30代の妊婦が11回受け入れを拒否され、約1時間にわたり搬送できなかったケースがあったという。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070905-00000184-jij-soci

千葉県市川市で昨年8月、妊娠初期に破水した20代の妊婦が11カ所の病院から受け入れを断られ、12番目の病院に搬送されるまで、119番から約1時間20分かかっていたことが7日、分かった。同市では昨年7月にも、破水した30代の妊婦が「空きベッドがない」などを理由に9カ所から断られ、病院搬送まで約1時間10分かかったケースがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070908-00000095-san-soci

仙台市内で昨年2月、救急車で夜間に搬送された10歳代の妊婦が、電話での受け入れ要請を断られ、約2時間後、18か所目の病院に収容されていたことが7日、わかった。市消防局は、「妊婦にはかかりつけの病院がなく、当時はどこの病院も込み合っていた」としている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070907-00000115-yom-soci

図らずもこの三つの報道で判るのは、「空きベッドがない」というのと「かかりつけの病院がない」というキーワードです。

まず、「空きベッドがない」のキーワードを調べてみると、こういうことが判りました。日本産科婦人科学会によると、出産を扱う施設は、1993年には全国に約4200カ所あったものが、2005年には約3000所に減少しています。なるほどベッドの数は確かに減っていました。その上、産婦人科医数も2004年に約10600人で10年前の1994年から比較すれば7%の減少にあるというのですから、ベッドもないが医師もいないという医師不足も確かなようです。

ただ、単純計算では10600÷3000=3.5人ということになりますので、数字の上では、ひとつの産科に3.5人の産婦人科医がいることになっちゃいます。これが多いのか少ないのか素人には判りにくいのですが・・・。

そこで調べてみると(2002年現在)、小児科は全国に14,481人、内科医は74,704人、外科医は23,868人と産婦人科医が少ないのは確かなようです。これをアメリカと比較すると産婦人科医は37,057人ですから、国土面積や人口に違いはあるとしても格段の違いです。

よく産婦人科医の減少は、過酷な勤務と訴訟リスクと言われますが、訴訟社会のアメリカでもこんなに産婦人科医がいる以上、訴訟リスクは病院側の対応次第という気もしてきます。

過酷な勤務の方は医師の偏在が大きな理由として考えられます。厚労省は都道府県ごとに、リスクが高い妊産婦や新生児を24時間受け入れる「総合周産期母子医療センター」の整備を目指していますが、そのために産婦人科医が集約され、地域の産科医が不足しているおそれに関してあまり報じているところがないようです。(話は違いますが小児科医もいずれ不足が表面化すると思います。それほど危機的状況です。)

こうした事態をどうしたらよいのでしょう。私は他の医療でも同じ問題を抱えていますが、高度医療病院には一般外来は必要ないという原則を、ちゃんと医療行政側が音頭をとって仕組みとして維持することだと思います。

判りやすく言うと、鼻風邪程度で大学病院へ受診に行くなということです。医療制度として、初診は地域の診療所や医院。ここで医師が治療により高い程度の病院が必要と判断したら、地域の中度医療病院への紹介状を書いて貰い、患者は受診する。その上で、さらに高度な医療が必要と判断された場合に、県単位で置かれている高度医療病院へという三段階の棲み分けを貫かない限り、限りある病床数を必要な患者に提供できる筈がありません。この原則を産科でも確立することがまずは行政に科せられた最優先事項で、ネットワークシステムの構築とか言うのはその原則が動き始めてから有効性は活かされるというものだと思います。奈良県の場合などはシステムの構築に、こうした視点をわざと入れないで実績作りのために勇み足で稼働させたから使い物にならなかったと云えるでしょう。

さて、次のキーワード「かかりつけの病院がない」の方を見てみましょう。通常のお産というのは、まず妊婦が妊娠後に定期的に健診のため産科に通うというのが、この国の常識とされています。そうすれば、陣痛が始まった時に入院する医療機関は予め決まっていることになるので、こんなたらい回しなどおこる筈もないというのが産婦人科医団体の意見のようです。確かに橿原市のケースでは、妊婦は産科にかかっておらず、それで消防が受け入れ病院を探したという報道でした。要するに産婦人科に救急外来はあるけれど、それは「かかりつけ」という常連さんのために開かれていて、一見さんには余裕のある時しか開かれないと言っているのと同じです。

皆さんご存じのように、国民健康保険や団体健康保険の加入者でも、妊婦は保険適用外(出産に伴う健診や入院費用)になっています。そのため出産後に加入している保険団体に申請すれば、出産一時金などの名目で出産費用の何割かは戻ってくる救済策が設けられているのですが、例えば契約社員やパート勤めなどで、身分が不安定な独身の女性が出産する場合、健診料や出産費用が賄えるのかという面では、医療制度はまだまだの面があります。確かに少子高齢化が危惧されて、自治体によっては「妊婦医療費助成制度」を設けて、検診以外の保険適用分は届出が出された日から出産した翌月の末まで医療費が無料となる支援策を持っているところもありますが、あまり世間で知られているとも思えません。

しかも、こうした制度などは、かかりつけ医や保健婦さんなどが教えてくれないと妊婦には判りづらいでしょうし、第一子の場合は誰でもこうしたことに初めてなので、そんな制度があるなら事前に引っ越そうかとかは考えも及ばないかも知れません。妊娠したら、まず市役所へ行って下さいともなかなか言われませんし。

お金のことだけで言えば、健保に無加入な人の多さが問題になっている現状では、そうした人が妊娠して出産する場合、ギリギリまで産科に受診しない場合も考えられます。保険料が払えないんですから、健診費用も払えそうもないでしょう。まして出産費用など払える訳もない。そういう人が救急車を要請したら、受け入れた病院は医療費を支払って貰えないリスクを抱え込むことになります。断られた理由の一部はこうしたことからではないかと私は推測しています。

一昔前の善良な日本だったら、それでも人命優先で受け入れていたため、在日の外国人がワザとそういう手で医療費を踏み倒すケースが問題になっていました。では日本人ならどうするのか。最近の大きな病院にはケースワーカーが大抵常駐しています。看護師を通じて面談を申し込めば相談に応じてくれるのですが、恐らく生活保護を受けなさいという結論になるだろうと思います。入院している期間のみ限定の生活保護なら比較的、市役所も対応してくれるようですから。生活保護では医療は無料になりますので、支払いは市町村が立て替えてくれるという具合です。

こんな話はレアーケースじゃないのとお思いの方には、こんな数字はどうでしょうか。大阪市消防局によると、昨年1年間で産科に搬送されたのは2673人。このうち、かかりつけ病院など搬送先が決まっておらず、119番通報後、受け入れ病院を探したケースは135件もあったそうです。

では、どうしたらいいのでしょう。少子化の対策に税金を投入するとしたら、先ほど例に出したように「妊婦医療費助成制度」を国の医療制度として確立し、妊娠した女性は市町村に届け出て母子手帳を取得した瞬間から、妊娠と出産に関わる間の医療費は無料とする、いわば母子手帳が保険証になるという制度で対応するしかないのでは。もちろん、シングルマザーであろうが関係なしの、日本国籍を保持する者に普くで。

それと失業保険も、契約社員やパートなどの女性が妊娠を理由として退職した場合、例え加入日数が半年でも、安心して出産と育児をしてもらうため、1年間は失業保険を給付するという特例を設けるべきでしょう。また出産後の再就職支援には、厚労省と協力して保育所への入所支援も職安で行えるようにするとかいう、出産後の支援も行っていかないといけないのではないでしょうか。

出産率が減少したと嘆くばかりで、こうした支援策をまともに考えない、国会や厚労省というのは、いったい何処を向いて公務をしているのか、考えると憤りますね。

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ