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2007年9月19日 (水)

「ランドクルーザー」は世界を駆ける

トヨタ自動車は918日、最上級クラスのSUV(スポーツタイプ多目的車)「ランドクルーザー」を98カ月ぶりに全面改良して発売した。岩場や砂地などを走行する際、エンジンとブレーキを操作しなくても時速15キロに速度を自動制御し、運転者はハンドル操作に集中できるという独自のシステムを標準装備した。全タイプが四輪駆動車。走行状況に応じて前輪と後輪の駆動力の配分を変化させる機能も搭載し、発進や加速をよりスムーズにした。また、エアコンの吹き出し口を28カ所に設置し、運転席と助手席、左右の後部座席の車内4エリアで個別に温度設定ができる空調システムも標準装備した。世界約100カ国で順次発売を開始し、08年には年間10万台以上の世界販売を目指すとしています。

 

トヨタ・ランドクルーザー (Land Cruiser) と言えば、日本を代表する四輪駆動自動車の代名詞。アメリカにジープ(Jeep)があるように、日本にはランドクルーザーがあるといっても過言ではないでしょう。しかもこの両者には浅からぬ因縁があるのですから面白いですね。

 

1940年のこと。アメリカ陸軍補給処は、ナチス・ドイツ陸軍のポーランド侵攻におけるキューベルワーゲンの活躍に注目。来るべき欧州大陸の大戦で小型軍用自動車の必要性を痛感し、国内の自動車製造会社に大まかな設計要件を付けたリストを送って、小型偵察車開発計画に応募することを要請したのでした。その結果、設計に優れていたアメリカン・バンタム社案が採用され、ジープのプロトタイプとなる車輌が製作されました。その出来映えに満足した陸軍でしたが、肝心のアメリカン・バンタム社は中小企業で生産力に難があるとして、その設計図を公開して、生産を引き受ける自動車会社を募集します。それに応じたウィリス・オーバーランド社とフォード・モーター社が量産車を生産し、1941年には8614台のジープが納入されたのでした。その一部はフィリピンにも送られていました。

 

1941年に生産された各社の車両数)

Bantam BRC-40:2,605

Willys MA :1,553

Ford GP :4,456

 

同年末に日米開戦。日本陸軍がフィリピン侵攻作戦を実施し、戦場で見付けたのが「バンタムMk IIBRC-60*1940年生産」。早速、内地に送り性能試験をしてみて驚嘆。南方戦線でこの鹵獲したジープに乗った部隊からも、こうした車輌の必要性が要求されるようになったため、1943年に陸軍は軍用車の納入実績があった日本内燃機や陸王内燃機等にジープのコピーが作れるか検討させはじめます。しかし両社には適したエンジンが無い事が判明。さらに調べていく内にトヨタ自動車に適したエンジンがあることが判り、トヨタに「バンタムMk II」のコピー車製作を依頼することになったのでした。

1941americanbantamjeep

 


トヨタは陸軍からサンプルとして渡されたバンタムを参考に森本真佐男技師らが中心となって、ジープに負けない四輪駆動車を設計しようと苦心惨憺したものの、どうやっても合理的に作ろうとすればするほど姿形がジープに似てくるのでした。しかし陸軍からはそっくりでは駄目という風に厳命されていたため、当時の戦時標準型4トントラックに似せた中央1個のヘッドライトに曲面フェンダー、デッキには木製の荷箱が載せられた「AK10(トヨタ社内での呼称)」を完成させます。陸軍の手でその採用試験が終わったのが1944年の8月。「四式小型貨物車」として制式化され生産準備に入ったものの、部品などの生産が軌道に乗り始め頃には終戦を迎えていたのでした。比較にもなりませんが、その頃アメリカでは計647,925台のジープが生産されていたのですから驚きです。

Toyotasyoki

 

さて戦後、警察予備隊が創設され、その車輌が国産で調達されることになり、トヨタが開発したのがトヨタ・ジープBJ(6気筒OHV3,400ccB型ガソリンエンジン)。惜しくも予備隊の採用にはならなかったものの、警察などで採用されるようになり、様々な改造バージョンが出来上がり好評を得た。そして1954年。ジープという名称が商標権の問題で使用できなくなり、トヨタが考え出したのが「ランドクルーザー」という名称だったそうです。一説では対抗馬の英国車「ランドローバー」に対抗するため(ジープは追い抜いたという自負もあり)、「ROVER(海賊船)」を追いかけて駆逐するという意味で、「Cruiser(巡洋艦)」を用いたのだとも言われているのですが本当でしょうか。

733pxtoyota_land_cruiser_yellow_vl

 


この「ランドクルーザー」の大型エンジン(当時の日本ではトラックのエンジンに匹敵)によるパワーのある走行性能は、日本よりは海外で早くから受け入れられ、1960年代から世界で販売されるようになります。その、ずば抜けた耐久性と故障の少なさは世界中で高い評価を受け、やがて「紛争あるところランクルあり」と言われるほど、アフリカや中東などで軍用車輌に改造されて砂漠やサバンナを走り回るようになったのです。

 

故にアフリカと関わりの深い英仏などで、日本が武器輸出をしていないと胸を張っても、薄ら笑いでかわされるほど、先方は武器とわざと言わずに、日本は武装をしない兵器として「ランドクルーザー」の輸出をして稼いでいると見ているのです。アメリカなどがココムのリストに「ランドクルーザー」を入れていたのも、そうした視点からです。

 

今や中国でも沢山走っている姿を見かける「ランドクルーザー」ですが、この車を真似ることは出来ても同じモノが作れないほど、そこには日本の自動車技術の粋が詰まっているのだそうです。

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