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2008年11月

2008年11月28日 (金)

テロの時代

http://jp.reuters.com/news/pictures/articleslideshow?articleId=USTRE4AP75S20081127&channelName=topNews#a=1

「インドの金融中心地であるムンバイで26日夜、観光客を狙ったとみられる銃撃などによる攻撃で、少なくとも80人が死亡した。日本の外務省によると、同 事件で日本人1人が死亡、1人が負傷した。地元テレビ局によると、欧米の観光客らは2つの高級ホテルで人質に取られており、軍隊がホテルの1つに突入した。」

ムンバイってどこやねんと思われてる、其処の貴方!
エッって、貴方のことですよ。
「ムンバイ」=「ボンベイ」なんです。
ああピナツボ火山が噴火して一夜にして壊滅した都市のあるところ・・・。
って、貴方それは「ポンペイ」でしょう。
それにピナツボ火山はフィリピンだし。
それを言うならベズビオ火山が正解なんです。

という関西風のネタは置いておいて、9.11以降、世界中のどの都市でも、こうしたテロに出会す可能性はあるんです。そして日本人は人質にされる可能性の高い国民のひとつであると言うことを自覚しておかないといけません。

何故か?

もしもイスラエル人を人質にした場合だと、イスラエル政府は人質救出のためあらゆる手段を検討し、条件が整えば特殊部隊を送り込んで人質を助け出 すことも厭いません。それが不可能で身代金を払うことになったとしても、人質解放後は、あの諜報機関モサドが犯人を特定し、追跡してひとりづつ暗殺してい きます。イスラエル人を人質にしてもリスクが多くて大変なんです。

じゃ、アメリカ人なら。こちらはテロリストとは交渉しない原則を貫きますし、やはりインド政府を軍事力で恫喝してでも救出には特殊部隊の投入を行う可能性が高いです。インド洋に空母を急派して、其所から特殊部隊が出てくる事も可能なので、相手にすると厄介です。

でも日本は、国外で自国民が人質になっても救出する術がありません。北朝鮮に拉致された自国民の情報を警察が掴みながら、それを無視してきたよう な政治態勢の国ですし。特殊部隊はありますが、海外での作戦を行う法律がありません。それに輸送する術も、待機させる場所もありません。インド政府にそれ を認めさせる外交力もありません。犯人を人質解放後に追跡して逮捕する機関もありませんし、ましてや犯人を逮捕したり暗殺したりする力もありません。ある のはお金だけです。

しかも日本のマスコミは、人質の安全が第一だと言いますが、救出に強硬手段で出れば、それを憲法違反だとか、超法規的行動だとか、色々批判してく れます。逆にテロリストと交渉はしないという姿勢を貫いても自国民を見殺しにするのかと書き立てます。身代金を払ったら払ったでテロリストに屈するのかと注意する始末。

イラクでは誘拐された日本人青年が生きながら首を切断されて殺害されるという事件がありましたが、世論が激昂してイラクを爆撃しろなんていう意見 は出ても来ない国です。逆にこんな時期にイラクへ行くからと言われる始末。本人の不注意を責めることで不条理な出来事から逃避する国民性は「自虐的」とい うのですが、戦前に上海で日本人僧侶が殺害されたことを契機にして上海事変はおこり、日支双方が正規軍を投入して戦争状態になったりした反省を長年教育さ れたからだというのが自虐史観、陰謀史観という奴です。

ということで、こんな美味しい国民はいないのです。

じゃどうすればなのですが、発展途上国や政情が不安定な国、あるいは多宗教の国で宗教対立が起こっている国へ出掛ける際は、欧米系のホテルは避け る。爆発事故などを見掛けたら、地元の人が逃げていく方向を冷静に観察して同じように逃げ出す。観光地でも遺跡以外の宗教施設にはなるべく出掛けない。日中以外の外出はしない。日本人の長期旅行社がたまり場にしている安宿やその近辺のレストランなどで、現地に詳しい日本人から情報を聞き出して、安全な場所 を知る努力をする。長期滞在の場合は毎日に同じ時間に同じ場所を歩かないなど、色々と考えておかないといけません。

もしも人質にされたらですが、怒りの感情を抑えて、冷静になることが大切です。

金融不安は政情不安を呼び込みます。日本でもテロの時代が来ないとも云えないのですから、我が身は自分で守りましょう。

2008年11月21日 (金)

田母神歴史観を巡る騒動~歴史は繰り返すで良い訳がない

「自衛隊トップの斎藤隆・統合幕僚長は20日の定例会見で、田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長が統合幕僚学校長時代に新設した講座「歴史観・国家観」について見直すことを表明した。講座では「現在の日本における歴史『認識』は、日本人のための歴史観ではない」とする教育が行われ、田母神氏の論文に近い内容が散見されるとして、野党側が問題視している。斎藤氏は「全体のバランスからみてやや隔たりがあるという印象を受けるかもしれないが許容される範囲を逸脱したとはいい切れない」としつつ「今回の件をふまえ、よりバランスの取れた教育内容になるよう見直しを検討したい」と述べた。」

田母神元空幕長の歴史観は、従来の政府見解とは違います。これは公務員として、また幹部自衛官として、自分個人の見解(歴史観)を公式見解とも取られかねない立場で表明する行為は軽率という批判は当然のことでしょう。

ただマスコミは、これで終わらせずに、「自衛隊の歴史観」に踏み込んで、政府見解通りに教えろという段階に来てるのが当然かのような論理は首を傾げざる得ません。無論誤った歴史を積極的に教えろとは思いませんが、様々な歴史観が存在していることを教え、それらの内容を専門家から聞き、その上で政府見解を自衛官も公的立場では表明することの意義を教えると言うのでなけければ、これは不祥事に名を借りた思想統制に過ぎません。幹部自衛官には、バランスの取れた世界的な視野に立つ歴史教育の場を充実させようと、どうして言わないのでしょう。

自衛隊は政府の命令無しには戦闘を始められない組織として50年間存在し、政府もそれを繰り返し公言していたんですよね。ならば例え自衛隊の中でどんな歴史観が横行しようが、まさに”そんなの関係ねえー”で、その統率は政府の元にあること、それを維持されるべき事を真っ先に世論へ訴えるべきなんじゃないですか。それがシビリアンコントロールなんだし、当然のことなんだと思います。

私はまさに、ここにマスコミの歪んだ歴史観があるなぁと思います。なにせ、先の世界大戦を引き起こしたのは”軍人”だという大嘘な歴史観を敷衍してきたのマスコミですから。

日米開戦時、日本は陸軍(あるいは海軍でもいいですが)による独裁国家であったとは、何処の歴史教科書にも書いてありません。”軍部の台頭”により軍が侵略戦争をはじめたと皆さんも習いませんでしたか。軍部が台頭したのは事実ですが、軍部が独裁を布いたというのは事実ではありません。もしも独裁していたのなら各省庁の大臣や官僚のトップは軍人で占められていないとおかしいじゃないですか。下は開戦時頃の東条内閣の閣僚名です。

<blockquote>
総理大臣    東条英機(陸軍大将・陸士17期) 軍人
外務大臣     東郷茂徳(貴族院議員・無所属倶楽部) 元官僚(外務省)
内務大臣     湯澤三千男(官僚・内務省)
大蔵大臣     賀屋興宣(官僚・大蔵省)
陸軍大臣     東條英機首相兼任    
海軍大臣     嶋田繁太郎(海軍大将・海兵32期) 軍人    
司法大臣     岩村通世(官僚・司法省)    
文部大臣     橋田邦彦(東京帝大医学部教授)
農林大臣     井野碩哉(官僚・農林省)    
商工大臣     岸 信介(官僚・商工省)    
軍需大臣     東條英機首相兼任    
逓信大臣     寺島 健(予備役海軍中将・海兵31期) 軍人    
鉄道大臣     寺島健逓信相兼任    
運輸通信大臣 八田嘉明(貴族院議員・研究会)    
拓務大臣     井野碩哉農林相兼任    
大東亜大臣 青木一男(貴族院議員・研究会)    
厚生大臣     小泉親彦(予備役陸軍軍医中将)  軍人   
国務大臣     鈴木貞一(予備役陸軍中将・陸士22期 軍人
国務大臣     安藤紀三郎(予備役陸軍大将・陸士11期) 軍人
国務大臣     青木一男 (貴族院議員・研究会)    
国務大臣     藤原銀次郎(民間・王子製紙会長)    
内閣書記官長 星野直樹(貴族院議員・研究会)
法制局長官 森山鋭一(官僚・内務省)    
</blockquote>

日本が、世界大凶の影響を受けて冷え込んだ内需の拡大と大不況を転換するために考えついたのは、資源のある土地を手に入れ、その資源を元に産業を改革し、外需も盛んにしようとする計画です。その背景には日露戦争で獲得した満州鉄道の権益と、それを守るために満州に駐屯を認められていた日本陸軍(関東軍)の存在がありました。満州鉄道は鉱山などを所有し、商業や建設などの関連企業を持つ巨大なコンツェルンでしたから、それらを利用して、原材料の調達から製造までを同地で行い、その労働力を日本からの移民で賄うという皮算用です。

当時の中国は内戦状態で、統一された国家としての内政は脆弱でした。清王朝時代から、米英仏露は中国を侵略し、土地や利権を得て、植民地として中国に拠点を築いていました。例えば上海にはこれらの国の租界とよばれる治外法権の土地が存在し、中国の上海でありながら、中国人が立ち入れない場所や、租界内での裁判権を中国側が持たないといった不平等な状態にありました。北京では、同様に各国の租界があり大使館や租界を警備する名目で軍隊は駐屯していました。当時の列強国は全て侵略国だったんです。

政府の基本的な構想を、陸軍軍人の石原完爾は彼独自の宗教観・国家観を元に、満州を独立した国として、その国を傀儡政権によりコントロールしようとする一種の革命を、関東軍の幹部と密かに計画して、実行に移し満州帝国建国となるのは有名な話です。これを当時は「満州事変」と呼び、日本中でお祭りムードになって、提灯行列が出たなんて話もあるくらいです。

当時の大日本帝国憲法では、

第11条 天皇は陸海軍を統帥す
第12条 天皇は陸海軍の編制及常備兵額を定む

となっていて、天皇により軍のコントロールは行われるとする「統帥権の(議会や政府からの)独立」=第11条と、天皇を補佐する国務大臣(この場合陸海軍大臣)が「編成権」および「予算権」を天皇の代理として取り扱うという=第12条という、「軍令」と「軍政」の区分はありましたが、その内容に関して細々とした規定を定めていないものでした。どうしてそうなったかといえば、政府に統帥権を預けて仕舞えば、それは「幕府」になるからです。天皇家が衰微したのも、統帥権を征夷大将軍に預けた事によるんですから、明治政府が折角大政奉還までこぎ着けて天皇親政を復古させたのに、それを再び許せるはずがないと考えたのだろうと言われています。

憲法の規定を当てはめれば、天皇の統帥権を無視して満州帝国を建国した関東軍の幹部達は憲法違反を起こしてるのですか、マスコミはもちろん、政府や天皇の側近も含めて、首謀者や関係者は更迭、懲戒免職を含めた処分を行わなければおかしいですよね。しかし実際にはそうはならなかったのです。

それはどうしなのか?

私は先日、日記で「海軍休日」という話を書きました。あのワシントン海軍軍縮条約の更新を巡るロンドン海軍軍縮条約の締結に関して、1930年(昭和5年)4月下旬に始まった帝国議会で、海軍軍令部は要求していた補助艦の対米比7割に満たないとして、条約締結拒否を進言したにも関わらず、それを無視して政府がこの条約を結んだことを、野党の政友会総裁犬養毅と鳩山一郎が衆議院において、「軍令部の反対意見を無視した条約調印は<strong>統帥権の干犯</strong>である」と政府を激しく攻撃しました。こうした反対論は、この条約に不満を持っていた海軍の一部や右翼団体(バックに陸軍もいたそうですが)を巻き込むことになり大騒動に発展します。しかし、それでも政府は、軍縮の意義と効果をワシントン条約で実感していた官界や世論の支持と、元老・内大臣の了承を背景にして、帝国議会・枢密院で締結をを押し切り、同年10月2日に批准にこぎつけます。

政友会がこの問題を持ち出したのは、同年に行われた第17回衆議院議員総選挙において、政友会が大敗したことや、政友会の有力支持団体に在郷軍人会(退職軍人の親睦団体)があって、資金面や選挙などでの影響力を無視できなかった点などが理由であったと言われていますが、いずれにしても政争の具にした「統帥権の干犯」問題を、マスコミがセンセーショナルに喧伝して面白可笑しくしたためにどうなったか。

同年11月14日、濱口雄幸総理は右翼団体員に東京駅で狙撃されて重傷を負います。治療の結果、一時期は持ち直したモノの翌年8月26日に亡くなりました。総理の負傷によって、濱口内閣も1931年(昭和6年)4月13日総辞職することになりました。濱口内閣は緊縮財政(今で云う財政改革)を掲げて、徹底的な歳出削減と行政のスリム化を持ち前の強い実行力で推し進めた政権でしたから、この挫折は財政面でも大きな影響を後々及ぼすのですが、それよりもテロの話をしましょう。

テロを起こして濱口内閣を倒閣することで得をするのはだれか。政治テロ犯罪には必ず動機があるものです。濱口改革が進行すれば、軍自体の縮小や軍需産業の衰退などが起こりかねません。公共事業の削減は企業にとって死活問題です。助成金の削除もまた同じ。つまりは緊縮財政に反対する勢力の何処かが実行を指示したと考えるのが自然です。

濱口総理を狙撃した犯人は、佐郷屋留雄という当時21才の右翼団体の構成員でした。彼は逮捕された後の取り調べで犯行動機を尋ねられ「統帥権干犯は不敬である」と云ったそうです。刑事が「統帥権干犯とは何だ」と聞くと、彼は言葉に詰まり説明できなかったと云います。これでは彼自身が個人的な憤慨で犯行を実行したとは考えにくいと思われませんか。

濱口内閣の後に組閣されたのは、政友会の犬養毅内閣です。犬養もまた財政再建には軍縮が必要とし、それに取り組んだのですが、今度は陸海軍若手将校による、五・一五事件というテロで殺害されます。これを契機にして軍部へ政治的な圧力を掛けることは命懸けとなってしまい、政党政治が終結を迎える原因となったのは歴史でも習ったことと思います。

今の鳩山兄弟の祖父鳩山一郎が戦後に総理就任を目前にしながら、GHQにより公職追放の憂き目に遭うのは、濱口内閣を倒閣するために、「統帥権干犯」を持ち出し、政争の具にしたことが、やがては軍国主義への道を決定づけたというGHQの歴史観によるものです。その是非はともかく、軍部の台頭をロンドン海軍軍縮条約批准を巡る政争で許した責任は、今の歴史観では忘れられがちです。

満州事変でも政府が首謀者を処罰するように軍部に迫ることが出来たはずです。マスコミも世論を右傾化させないように、政府の後押しをする報道だって出来たかも知れません。しかし、テロが怖かったんです。また政党政治家がかつて官僚人事を政争の具に利用して、官僚への影響力に制限を加えられていたため、例えば内務省の警保局を拡大拡充させて、テロ根絶を目指して軍とも対抗できる組織(警察軍)を事実上組織して対抗するというような発想は実現できなかったと言えます。

この時、陸海軍の軍人全員が軍部台頭万歳だったかとえば、そうではありません。しかし、幹部軍人の教育に置いて、政治と軍との関係を教えることはありませんでしたし、当時の軍人は選挙権がない(軍人は政治に関わらずと定められていた)という立場では、政治に無関心であったことは否めません。これが財政状況を無視しても軍備を拡大させるという予算要求に影響したのは確かだと思います。

幹部軍人を養成する士官学校の卒業者のみで、軍指導層を形成することの危うさは、まさにこの点にある訳で、米軍や自衛隊でも幹部の採用は一般大卒者との二本立てであるのは、健全な軍事の良識を維持していくための施策です。

こういう風に歴史を見てみると、幹部自衛官に対して、政府見解のみを歴史教育として行う危うさが理解できることと思います。軍人は広く歴史を学び、政治の機微を理解できる素養を持ちながら、シビリアンコントロールの意義を深く理解して、政治の命令以外での軍の作戦発動なしてはならない。そうした私的な行動は亡国の始まりとなるということを実感して貰わないと困るのです。

勉強し直すのだったら、まずはマスコミの政治記者からではないかと思うのですが。

最後に、もしこの三連休に東京駅に行かれることがありましたら、東北新幹線の改札付近に濱口総理の遭難現場を示すプレートがありますので、探してみられては如何でしょうか。昭和史のひとつの遺跡が東京駅に今も残されています。

そして国民の一人一人が真摯に軍事という問題を共有しない限りは、この国はやがて第二次大恐慌の余波を受けて、テロの時代となり、政争の具に軍事を利用しようとする政党政治によって、再び亡国へ導かれてしまうかも知れないという、その恐怖心を克己していただければ幸いです。

2008年11月19日 (水)

案外身近な大麻

オランダでは一定限度の使用が認められています。ただし販売は政府が専売にしていて、煙草と同じように、認可された店でしか販売は許されていません。下手 に禁止して密売されるよりも、表に出してコントロールした方が良いという考え方ですね。以前は麻薬中毒の人間も病院で中毒という診断書を得られたら、一定 量の麻薬を病院で治療として投与されることが認められた時期があったと聞きました。これも麻薬の密売による被害を防ぐという思想だったようですが、ヨー ロッパ全土から麻薬患者が押し寄せてきて大変だったりして廃止されたそうです。世界中で見たら、オランダのこの考え方は少数派ですし、今オランダもこの制 度の維持を悩んでる時期なんだとも耳にします。それもこれもEU化の影響だとも。

さて、じゃ日本ではどうなんでしょう。

「大麻」とは、昔の日本では、

 (1)伊勢神宮および諸社から授与するお札。
 (2)幣(ヌサ)の尊敬語。おおぬさ。
 (3)アサの別称。

という意味でした。けしてマリファナの意味ではなかったんですが、それほど日本人には「麻」は身近な存在でした。

今の総理大臣は「麻生」と言う苗字ですが、これは「麻の生えてる場所」という意味です。「麻」は、日本語では「大麻(タイマ)」、「苧麻(カラム シ)」、「黄麻」、「亜麻」、「マニラ麻」などの総称です。主にこれらの原料から製した繊維で糸や布を織るのに用いられました。歴史で習った「租庸調」の 「調」は絹2丈と綿(マワタ)3両、または麻布2.5丈と麻3斤の事です。思い出されましたか。

麻の実は鳥の飼料にしたり、緩下剤(要するに下剤)として用いられたりもしたのですが、食用にもしたようです。穀類の種類をいう古い言葉に「九 穀」というのがありますが、それは、稷(ウルチキビ)・黍(モチキビ)・粟(アワ)・稲・麻・大豆・小豆・大麦・小麦の九種の穀物をさしていますから。ち なみに「八穀」では、稲・黍(キビ)・大麦・小麦・大豆・小豆・粟・麻の八種の穀物となります。

ただ日本に自生している麻はクワ科の一年草で中央アジア原産だと言われています。
記事にある「大麻」はインド原産のもの。印度大麻はその葉に幻覚作用があり、インドではハシーシュと呼ばれ神事に用いられた時期もあり、今でもインドでは割りに簡単に手に入ります。ただし、この印度大麻はシルクロードを通り日本にもやってきて栽培はされていました。

私達の周りには「麻」のつく単語は沢山あります。「麻衣」、「麻縄」、「麻糸」などです。また「快刀乱麻」とは、切れ味のよい刀で、乱れもつれた 麻を切る意味ですね。日本ではその強さを利用して弓に張る緒にしたのですが、麻を撚(ヨ)り合せ薬煉(クスネ)でねり続けてまとめたものを「白弦」、更に これに漆を塗ったものを「塗弦」といってました。

また「麻」は古代に「苧」とも書かれ「ヲ」と読ましました。

「桜麻(さくらを)の麻生(をふ)の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも」

という万葉集の古歌が残されています。

また、地名にも「大麻」という名を残す所は全国に多くあります。「大麻比古神社」もありますし、「大麻神社」は全国にありますよ。

2008年11月18日 (火)

「非処女で結婚無効」の訴えを退ける訳

http://www.lemonde.fr/societe/article/2008/11/17/l-annulation-d-un-mariage-pour-non-virginite-de-l-epouse-rejetee-en-appel_1119767_3224.html

L'annulation d'un mariage pour non-virginité de l'épouse rejetée en appel

「イスラム教徒のカップル間で、妻が処女と偽っていたとして、夫が結婚の無効を求めた裁判で、フランス北部ドゥエの控訴院(高裁)は17日、夫側が勝訴し た一審判決を破棄し、結婚を有効とする判決を下した。判決は、妻の嘘が仏民法で結婚無効の要件となる「基本的資質をめぐる過失」に当たるとした一審の判断 について、「うそは基本的資質とは無関係」と退け、「処女でないことは結婚生活に影響しない」とした。夫妻はともにモロッコからの移民で、夫が30代のコ ンピューター専門家、妻は20代の看護師。イスラム教では、未婚女性の婚前交渉はタブー視されている。」

近代法の発祥の地のひとつフランスでは、「信教の自由」は当然のこと保障されています。
とはいっても、フランスの法律の基本である法理には、多分にキリスト教的倫理観に基づいた概念が背景に存在するのは否めません。なにせ法理には条理と慣習が存在するものですから。

さて、移民してきた人々が元居た国でキリスト教以外の宗教を信仰しいてた場合、移民したからと云って宗旨替えをする訳じゃないでしょうから、当然異教徒としては移民先でも法律の法理を自分達の元居た国の感覚で見てしまう可能性は大いにあるでしょう。

この点が移民を多数受け入れた国の苦難だと云える気がします。 

法律問題とは離れますが、生活習慣の違いから常識がずれているために、外国人住民と近隣住民がトラブルになるケースは、この日本でも多く耳にする ようになりました。例えば、日本では家の造りが、昔は防音性よりも通気性に重きを置いたという事情から、夜になれば隣近所に生活の音ですらなるべく出さな いようにして、静かに過ごすのが常識です。しかしそうではない国に育った外国人が、自宅の庭で毎週末深夜までバーベキューパーティを繰り返し、騒いでいる ことが問題になり、近隣住民と話し合いをしたそうですが、外国人住民は何が悪いのかという態度で終始したため、この家が借家であったので、持ち主が憤慨し て違約金を払って契約を解除して解決したことが、私の自宅の近くでありました。以後、このあたりでは外国人には家を貸さないという雰囲気になっているよう です。

記事にあるような、結婚に際して、妻の処女性がどれだけ重要かというのは、それぞれの国の慣習に基づく観念で、当然のこと時代と共にそれは変化してしまうものです。

日本でも戦前ならかなり処女性を重視したでしょうし、実際の慣習として女性の初婚年齢は20代前半と早くしてありました。ある意味婚前交渉は結婚 を前提にしていないとタブーでした。まともな家庭の男性であれば、それを破ることは社会的信用を失いかねない程、そのあたりの仕切は厳しかったでしょう。

しかし、今の日本ではこういうことを言う男性は”重い”とか”うざい”になってしまうのではないでしょうか。実際に性体験の低年齢化は進んでいますし、処女性は必要ないとはいかないまでも、優先順位は格段に落ちているのではないでしょうか。

今の日本の裁判で妻が処女はなかったから離婚したいという訴えは、どう裁かれるのか興味深いところですが、恐らく処女で無かったという証明は訴え た夫側が行わなければ成らず、それこそ初体験の相手を探し出して、法廷で証言して貰うなりしないといけなくなるでしょう。それでも離婚が認められるかどう かは微妙なところではないかと思われます。むしろ婚前交渉を許し、回数を重ねたにも関わらず結婚する約束を反故にして、別の女性と結婚したという男性への 損害賠償の訴えの方が勝訴しそうな気がします。

何故なら、元々処女性を問うのは、妻が妊娠した場合にその子供は夫の子なのかを昔は確認する方法が無かったからです。結婚後も妻の姦通を禁ずる観 念も同じ理由から発生しています。しかし現在では、DNA親子鑑定という科学的な方法が確立されていますから、疑問があれば鑑定をすることで親子関係は確 認が可能です。したがって、歴史的に妻となる女性の処女性を必要とした要件は既に不必要になり、あとは個人の観念として必要性が問われる問題となっている のですから、個人個人の趣味を裁判で判断するのは不適当な気がします。

記事の裁判で、もしも私が女性側の弁護士なら、それじゃ夫は婚前交渉に関して妻以外とは絶対にないのかという質問をするでしょう。男性の場合にも女性からすれば同様に処男性を重要視するのは夫婦同権の精神からも有効な戦術だと判断できるからです。

しかし、これが婚前交渉を宗教的には禁じている宗門同士の婚姻である場合はどうなのかという争いとなると、それがイスラム教であって、控訴人も被告人も外国人の移民であった場合に、これを日本の法律で裁くのは正しいのかという入口論争から始められたりしたら、大変な裁判になりそうな気がします。む しろそういう判断を避けるのは今の民事裁判ではないでしょうか。

さて、フランスの控訴院(高裁)が「処女でないことは結婚生活に影響しない」とし示した判断は、現在のフランスの法律における常識に照らして、法 の下との平等に配慮したということであり、フランスに住む永住権を持つ者や国籍を有する者は、フランスの法律における正義により裁かれるべきという意思表 示のように思います。其処に宗教的な常識を含まないとするのも、法律的にはきわめて常識的な判断ではないでしょうか。

ただ、これだから西洋の法律はと言い出すイスラム教徒も当然居る訳ですから、外国人を受け入れるということが、お互いに譲り合うという精神性の出来ていない社会で、如何に大変なことなのかもよく示してくれていると思えます。

2008年11月17日 (月)

同じ名前の神社が 全国各地にあるのはなぜ?

http://r25.jp/b/honshi/a/ranking_review_details/id/1112008111309?vos=nr25mn0000001

「街をブラブラ歩いていると氷川神社を見つけた…でもアレ?氷川神社ってほかの街にもあったような。同じ名前の神社って、いくつもあるものなんですか?はい。氷川神社は、埼玉にある総本社をはじめ、全国に約300社あります。祀っている神様が同じなので、神社の名前も同じなんですね。氷川神社で祀っているのは、おもに「スサノオノミコト」だそう。ちなみに全国で一番数が多いのは八幡神社で、こちらで祀られているのは八幡神。そういえば八幡様もたくさんありますね。」

うーん、判ったような判らん様な説明ですね。有り体に云えば、人間の移動に伴い、元居た土地の祭神を、移動先に持って行ったというのが正しいと思 います。また遠隔地にあって、霊験の高い神様を、自分達の町にも是非欲しいという地域の願いから、分社という形で持ってきたから、全国にあるのだともいえる と思いますけれど。

例に出ている「八幡神社」の総本社は九州の宇佐八幡宮(正式には宇佐神宮)です。ここは今でも気軽に行けない所です。ついでに書いておきますと、宇佐神宮の神官に辛島勝という人がいました。この辛島氏は、今も大分県宇佐市に地名が残っていますが、「サイレント・ イブ」のヒットで知られる歌手辛島美登里の父方は、大分のこの地の出身だそうです。

「氷川神社」に関して云えば、総本社は埼玉県さいたま市大宮にある大宮氷川神社です。氷川神社の規模の大きさ を示す言葉「大宮」が頭に付いてるのは、これが後に地名となったからです。それだけ他に沢山の氷川神社が出来たからとも云えます。さいたま市の玄関大宮駅 も、さいたまという地名よりも大宮という地名が先にあったから名付けられているのでしょう。こんな風に日本全国にある「大宮」や「一宮」、「二宮」、「三 宮」という地名は、その地に地域で一番社格の高い神社があって、そういう名前で人々に呼ばれたからなのですが、昔は各國(地方)ごとに一宮、二宮、三宮ま では決まっていたことの名残でもあります。

氷川神社の祭神は、「須佐之男命(スサノオノミコト)」、「大己貴命(オオクニヌシノミコト)」、「奇稲田姫命(クシナダヒメ)」です。

古事記によれば、イザナギとイザナミの間に産まれたスサノオノミコトは粗暴な振る舞いをしたため地上に追放され、出雲の地に降り立ちます。そこで ヤマタノオロチを退治することを条件に嫁に迎え入れたのがクシナダヒメ。二人の間に生まれたのがオオクニヌシノミコトという関係ですので、親子を祀るとい う形にされています。

しかし、実際には、スサノオノミコトは大和朝廷の象徴で、出雲王朝を侵略し、王族の娘クシナダヒメを妻に迎えて、生まれたのがオオクニヌシノミコ トという風に考えた方が判りやすいでしょう。出雲王朝は出雲族となり、日本の東の地へ幾つかに分けられて入植させられるのですが、武蔵の国もまたそのひと つであったのでしょう。武蔵國造は出雲族であったと云われていますし。「氷川」という神社の名前も出雲の「簸川(ひかわ)」という土地名に由来すると言わ れていますので、出雲の「簸川」付近に元々住んでいた出雲系の豪族が武蔵国へやってきたという証なのかも知れませんね。

スサノオノミコトを祭神にした有名な神社としては誰もが知っている京都の八坂神社があります。今の京都は昔は 山城国と云ったのですが、平安京が遷都されるまでは、秦氏と賀茂氏が治める渡来人系の國でした。八坂神社も元々は牛頭天王を祭神にしていました。牛頭天王 は朝鮮の新羅で崇められていた祭神です。後々、大和朝廷の末裔が朝廷を開くにあたり、この牛頭天王とスサノオノミコト同じ神にしてしまい(これを習合とい います)、未だに続いているのですが、京都でもお年寄りなどは八坂神社のことを「祇園さん」と云います。祇園神とは牛頭天王の事です。京都三大祭りの「祇 園祭」は八坂神社のお祭りなのも、そういう謂われがあるからなのですよ。

ところで、クシナダヒメは「櫛名田比売」とも表記されるのですが、これは彼女の愛用していた髪飾りが「櫛」であったことに由来するという説があります。全国にある櫛田神社は祭神にクシナダヒメを祀るのですが「櫛+田」であることなどから、農業に欠かせない水を得るための雨乞いをしていた巫女の象徴神がクシナダヒメではないのかとも推測できる気がします。

福岡市にある博多山笠祭りで有名な櫛田神社には、そのクシナダヒメが祭神に見当たらず、祭神はスサノオノミコトや姉のアマテラスなのですが、恐らく何かの理由でクシナダヒメを祭神から外したのでしょう。

韓国では、このクシナダヒメは朝鮮古代王朝の王女で、それを日本から来たスサノオノミコトが連れさってしまったとい伝説になってるそうです。この 説で行くと天皇家にも朝鮮王朝の血が流れてるという(実際流れてる説はありますけど)話になるので、お得意のウリジナルなのでしょう。

2008年11月16日 (日)

何が問題なのかを見誤るなかれ

ホテル・マンション経営のアパグループが「真の近現代史観」をテーマに今年5月10日から募集を始めた懸賞論文への応募に関連して、防衛相直属の防衛監察 本部がいよいよ監察に乗り出したそうです。

防衛監察本部は昨年9月、談合や情報流出など相次ぐ不祥事の再発防止のため設立された機関。トップの防衛監察監 は検察OBの桜井正史・元名古屋高検検事長です。

ただし、この応募を巡って誤解をしないでおきたいのは、応募した自衛官の大半は上司から指示ないし依頼をされて応募をしたという事実です。また、指揮系統がすべての軍事組織で、その指揮伝達ルートを軽々しく使用した点が問題なのだという点を押さえておきましょう。この点でマスコミ報道は既に、この問題をずらして伝えていますから。 さらに云えば、アパ懸賞論文に自衛官が大数応募したのがけしからんという論理が、このまま罷り通れば、自衛官が外部で発言したりする機会も無くなります。既に防衛省内局はそれに近い動きを始めていますが、外部との接触を断ち、自閉気味に独善を積み重ねることの方が、将来からみたら余程けしからん事態を招きかねないという想像力を皆さんは持たれてみて下さい。

報道されている情報から事実を追うと、航空幕僚監部(普通の会社でいえば本社)の石井義哲(一佐)教育課長が5月20日付けで、航空自衛隊全部隊に懸賞論文の応募要領をファクスしています。その反応が鈍いと見た課長は、上司である小野田治(当時空将補)空幕人事教育部長(現西部航空方面隊司令官)に依頼して、6月中旬には主要部隊に投稿を促す趣旨の手紙を郵送したことが判明しているからです。

これでは隷下の各部隊は空幕(会社で云えば本社)からの指示と捉えられても仕方のない話です。

事実、こうした指示らしきモノを受けて隷下部隊の「航空支援集団司令部」(東京都府中市)では、司令部総務部長の平川一佐が配下の「航空救難団司令部」(埼玉県狭山市)に 対して、応募を呼びかける内容の文書をファクスしていたことも判明しています。これを受けて同司令部では、全国10か所にある配下の「航空救難隊」などの 部隊の司令に対し、「積極的に投稿するように」と指示を出しているのです。その結果、「航空救難団」では16人の応募者を数えるまでになったと想像されま す。

62人が応募した(空自隊員の応募総数は計97人)「第6航空団」(石川県小松市)では、石野貢三(空将補)司令自らが懸賞論文応募へ積極的に取り組み、隊員に論文を書かせていたことも判明しています。これは同基地の支援会会長が懸賞論文の主催者であるという関係から、余計に熱心になっていたとも推測されます。

したがって、監察本部が対象にするのは、懸賞論文そのものへの応募ではなく、空自の組織的な応募を巡っての経緯や田母神前空幕長からの指示がなかったどうかを調査することにあると思います。

そうでないと、上司に半ば強制的に書かされた論文を、しかも正規の手続きを経て応募したにも関わらず、その行為が咎められるようなことになったら、これは書いた方の心情としては詐欺も同然です。

上官の命令に従うことが厳格に求められている縦割りの軍事組織で、こんな詐欺が罷り通れば、いずれは指揮が崩壊し、下克上が常態化してしまいます。今回のこの事件の処理を誤れば、指揮への猜疑心や警戒感が生まれるばかりではなく、今後は不満や恨みを組織防衛のために、内局に嵌められたという陰謀思想へすり替えられる危険性すら胚胎していると思われます。やがてはそれらが化け物になり、軍の暴走へとつながりかねないのではと懸念するだけに、今回の事態の処理は監察本部が真に軍事組織を知って行動しているかどうかの試金石なのだと自覚がもとめられるところだと思います。

追記

来春早々にも空幕付への異動があるとしたら、

西部航空方面隊司令官 小野田治 空将(前航空幕僚監部・人事教育部部長)
航空幕僚監部・人事教育部・教育課課長 石井義哲1空佐.

ということになるでしょう。これでセクハラで9月から空幕付になっている空将補を含めて、空将、空将補、一佐という異例の空幕付が出現する可能性が生まれてきました。

2008年11月 9日 (日)

新空幕長は薩摩隼人

いゃー以外でした。というか内局は慣習をワザと無視してこういう人事に出たのかという感想です。何故そう思うかと言えば航空総隊司令官は防大17期の永田 久雄空将だからです。他に17期はいません。普通こういう人事では上位の職に期が下の者は発令されることがありません。不祥事を続きの海幕でこの夏に同じ 人事が起こりましたが、その手法が再び使われた格好です。永田空将は2007年3月28日の就任ですから、来年の春には任期を終えます。空幕長にならない 限りは退職ですので、これで勇退は早まるかも知れません。

新空幕長の外薗健一朗空将は防大18期。同期の空将には、北部航空方面隊司令官入澤滋空将、航空支援集団司令官織田邦男空将、航空教育集団司令官 菊川忠継空将しかいません。外薗空将は今年の春に空自初の情報本部本部長に異動したばかりで、しかもこのポストに出た人はまず空自に戻りません。その分長 く勤務し、内閣衛星情報センター所長へ転出するので、タイミング次第では空幕長の退職年齢まで勤務できる余録があります。そういう敬意があるので新空幕長 の予測から外した人物です。

元々空幕長になる指定席ポストは航空総隊司令官という時代がここ10年程強かったんです。それ以前は圧倒的に航空幕僚副長が多かった。これはラインとスタッフを分ける傾向にあったし、空幕長よりも1期下の航空総隊司令官という序列も意識してたんだと思います。

(空幕長)
20 鈴木昭雄 1990.7.9 -1992.6.16 防大1期 航空総隊司令官 退職
21 石塚勲 1992.6.16 -1994.7.1 防大3期 航空総隊司令官 退職
22 杉山蕃 1994.7.1 -1996.3.24 防大4期 航空総隊司令官 統幕議長
23 村木鴻二 1996.3.25 -1997.12.8 防大6期 航空幕僚副長 退職
24 平岡裕治 1997.12.8 -1999.7.9 防大8期 航空幕僚副長 退職
25 竹河内捷次1999.7.9 -2001.3.26 防大9期 航空総隊司令官 統幕議長
26 遠竹郁夫 2001.3.27 -2003.3.27 防大11期 航空幕僚副長 退職
27 津曲義光2003.3.27 -2005.1.12 防大13期 航空支援集団司令官 退職
28 吉田 正2005.1.12 -2007.3.28 防大14期 航空教育集団司令官 退職
29 田母神俊雄 2007.3.28 -2008.10.31防大15期 航空総隊司令官 退職
30 外薗健一朗 2008.11.7 -     防大18期 防衛省情報本部長

じゃ航空総隊司令官になる指定席ポストはといえば、それは航空支援集団司令官か航空教育集団司令官が多かったんです。ライン部隊のNO2、NO3 だからでしょう。これが航空幕僚副長からという場合は次期空幕長にという意味合いがあったんですが、いずれにしてもそれはパイロット資格のある人物という 不文律があったように思います。それ以外からの発令は空幕長が任期半ばで統幕議長になってリリーフという意味合いが強かった。ところが、田母神さんの場合 は空幕長が統幕長になる順番なのに、それがどういう訳だか海自の斉藤海将に流れてしまい空幕長は任期満了を待って勇退。本当なら防大14期空幕長の次の筈 が航空総隊司令官から統幕長へとなった。だからこそリリーフ外園空幕長は正規の序列以外から引っ張るしかなかった。こう見ています。

(航空総隊司令官)
23 鈴木昭雄1989.6.30 - 1990.7.8 防大1期 航空幕僚副長     航空幕僚長
24 法性弘 1990.7.9 - 1991.7.1 防大1期 航空支援集団司令官 退職
25  石塚勲 1991.7.1 - 1992.6.15 防大3期 航空支援集団司令官 航空幕僚長
26 宮下裕 1992.6.16 - 1993.7.1 防大3期 統合幕僚会議事務局長 退職
27 杉山蕃 1993.7.1 - 1994.6.30 防大4期 航空幕僚副長         航空幕僚長
28 宮竹惠哉 1994.7.1 - 1995.6.30 防大5期 航空支援集団司令官 退職
29 小泉進 1995.6.30 - 1996.7.1 防大6期 航空教育集団司令官 退職
30 江藤兵部 1996.7.1 - 1997.7.1 防大7期 航空教育集団司令官 退職
31 武田清 1997.7.1 - 1998.7.1 防大8期 航空教育集団司令官 退職
32 竹河内捷次 1998.7.1 - 1999.7.8 防大9期 航空支援集団司令官 航空幕僚長
33 大串康夫 1999.7.9 - 2001.3.27 防大10期 航空幕僚副長         退職
34 岩﨑克彦 2001.3.27 - 2002.3.22 防大11期 航空支援集団司令官 退職
35 平木善道 2002.3.22 - 2003.3.27 防大12期    航空教育集団司令官 退職
36 小田邦博 2003.3.27 - 2004.8.30 防大13期 航空教育集団司令官 退職
37 田母神俊雄2004.8.30 - 2007.3.27 防大15期 統合幕僚学校長         航空幕僚長
38 永田久雄 2007.3.28 -         防大17期 航空幕僚副長

さて、下が一佐からの外薗空将の経歴です。

<一佐>
ベルギー防衛駐在官
空幕人事教育部補任課人事第1班長
第3航空団基地業務群司令
空幕調査部調査課長

<空将補>
空自幹部学校副校長
北部航空警戒管制団司令
空自第五術科学校校長
統合幕僚会議第五幕僚室長

<空将>
中部航空方面隊司令
統合幕僚学校校長
情報本部本部長

大まかに言って防衛駐在官に出た人は情報・調査系の色が付きます。外園空将も一佐時代に空幕調査部調査課長を経験していますので、情報本部本部長へ出て行く要素はありました。

私は田母神氏の行動を賞賛するつもりはありません。 しかし今回の騒動を利用し、空自の人事を壟断して、それをシビリアンコントロールという錦の御旗で誤魔化すという行為が、後々どういう影響を生む か。組織刷新を狙うなら、空幕長を発令する際に、航空総隊司令官も異動させて、せめて同期で固めるという配慮があるべきですからね。

こういう話しはマスコミがまず書きませんが、入隊の期の順番と昇任の順序とが統制の全てである軍事組織で、過度にこの部分をいじるのは後々禍根を 生むものです。昭和海軍で大角海軍大臣が一部の勢力と結託して、自分の意に添わない人材を粛清する人事を断行したことがあります。その結果として、海軍に 大臣の意に逆らった意見を唱えることは憚れるようになりました。誤った方向性に進もうとする組織のトップに忠言することを萎縮させた結果が、ある意味では 先の大戦だったともいえるのです。

元々内局の官僚機構的な人事感覚が先の事務次官守屋氏の不祥事を防げなかったのに、その汚れた手で正義を唱えてる感覚が私には理解出来ません。本 来なら総理大臣が自分の職責で防衛大臣と計らって独自の人事を行うのがシビリアンコントロールです。空自を立て直すリーダーを持ってくるところに、内局の お眼鏡に叶うロボットが来たと部内に思わせるような士気の下げ方を平気でして、士気を下げておけと思う官僚の浅知恵が、この国を誤らせないといいけれど。

暗い話の最後にミニ雑学をひとつ書き添えると、前空幕長が田母神(たもがみ)で、新空幕長は外薗(ほかぞの)って、二人共に読み仮名つきですが、外園と書いて「ほかぞの」と読ませるのは鹿児島の人間だけです。

2008年11月 8日 (土)

ミッシェル・オバマ(Michelle LaVaughn Obama)の基礎知識

http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-34771820081106

「ミシェル夫人はシカゴのサウスサイドにある中低所得者層が多く住む地域で育ち、公立の学校に通った。水道局職員だった父親について語ることが多く、その 価値観は両親によって養われたという。奨学金を得て東部のエリート校であるプリントン大学やハーバード大学ロースクールで学んだ後は、法律事務所やシカゴ 市長のオフィスで働いた。ミシェル夫人の最近の仕事はシカゴ大学病院副院長で、その収入はオバマ氏を上回っていた。夫妻は、オバマ氏の書籍2冊の印税収入 などで現在は経済的に恵まれているが、夫人は両親から学んだ価値を強調する。ミシェル夫人は「愛情と安心感のある、自分のために犠牲になってくれる人たち がいるような家庭で育ったなら、お返しをする義務がある。だから地域活動は私の人生にとって大きな意味がある」と話す。」

Michelle_obama

ファーストレディーになるミッシェル・オバマ(Michelle LaVaughn Obama)は、ロースクール(法科大学院)卒の弁護士で、夫よりも収入がある・・・、あれ?何処かで聞いたような気が。

オバマ氏と民主党の大統領候補指名を争ったヒラリー・クリントンと全く同じじゃないですか。違うのはヒラリーがイェール大学ロースクールの出身 で、ノートン・ローズ法律事務所という超有名弁護士事務所の幹部であったというキャリアくらい。まあ、このハイソー(死語)なイメージが彼女を嫌う人には こき下ろす良いネタになってるんですけどね。

Obamas_and_bidens

さて、キャリアの方ではミッシェル夫人もヒラリーには負けてはいないんですよ。彼女はプリンストン大学からハーバード大学ロースクールというバリ バリのエリートコース。日本風に云えば昭和39年生まれですから、黒人女性がアイビーリーグに入るのにさして抵抗のない時代に生まれたことが幸いだったと もいえますね。しかも彼女はシカゴの公立高校(Whitney M. Young Magnet High Schoo)からの進学生。その上クラスメイトが、民主党の1988年大統領予備選で、初の黒人大統領候補として戦い、惜しくも次点に泣いた米黒人運動指 導者のジェシー・ジャクソン(Jesse Jackson)の息子ジェシー・ジャクソン・ジュニア下院議員というのは何か運命を感じさせる話です。まあ、お父さんのジャクソン氏はオバマ陣営の選挙 戦で足を引っ張る場面があったりしたんですが、勝利宣言の会場には招かれていて彼の泣き顔が中継で写されていたのは、単に黒人政治家同士以上の逸話があっ たということです。

Obama_at_american_university_2

しかもこういう偶然は彼女だけじゃありません。オバマ次期大統領もディック・チェイニー現副大統領と縁戚(8親等)であることが明らかになっています。

http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-28377220071017

オバマ氏との初デートが、1989年にスパイク・リーが監督・制作・脚本・主演をして公開された『ドゥ・ザ・ライト・シング』(英語:Do the right thing)というブルックリンを舞台に人種差別と対立を扱った問題作というんですから、さすがです。

現在のミッシェル・オバマ氏のお仕事は「シカゴ大学病院副院長」。何で弁護士が大学病院の副院長?調べてみると、その役職名は正式には「vice president for community and external affairs at the University of Chicago Hospitals」。要するに渉外・広報担当の副院長さんということのようです。

http://www.uchospitals.edu/news/2005/20050509-obama.html

彼女が記事の中で「政権で直接的に政策にかかわることはなさそうだ。最近の雑誌のインタビューでは、娘のマリアちゃん(10)とサーシャちゃん (7)の話題に触れ、「正直に言って、私の一番の仕事は『母親司令官』であり続けること」と語っている。」というのも、黒人女性初のファーストレディーと いう前例のない立場。ヒラリーと同じやり手の女性弁護士というイメージ。こうした事への世間の目を意識して、まずは反感を買わないように一歩引いていくイ メージを打ち出してるという風に思えるのは私だけでしょうか?

Barack_michelle

大統領夫人は何かとマスコミに注目される存在です。まして若い大統領夫人ともなれば、そのファッションや言動にマスコミは讃えもすれば叩きもする。もちろんそんな事でめげるような、そんな柔な女性ではないのは弁護士としてのキャリアが物語ります。

ミシェル夫人は記事の中で「愛情と安心感のある、自分のために犠牲になってくれる人たちがいるような家庭で育ったなら、お返しをする義務がある。だから地域活動は私の人生にとって大きな意味がある」と云っていますが、民主党は元々リベラルな気風のある政党です。

夫のオバマ氏が医療保険制度や年金制度の見直しや改革、石油への依存度からの脱却を必要な問題として挙げ、グローバル資本主義には懐疑的であっ て、新自由主義経済政策の象徴であるNAFTAに反対し、国内労働者の保護を訴えるモンロー主義的な思想の持ち主と見られていますから、ある意味で夫の フォローを上手くしているとも云えますね。

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私にはジョン・フィッツジェラルド・ケネディが説きそうな言葉にも聞こえますけど。ミッシェル・オバマもT.H.ホワイトの『The Making of the President 1960』は読んでますね、きっと。 

2008年11月 2日 (日)

「海軍休日(Naval Holiday)」

皆さんは「海軍休日(Naval Holiday)」という言葉をご存じですか?

1921年1月にアメリカでワシントン海軍軍縮会議が開かれました。この会議の主旨は、第一次大戦後、新興海軍国であるアメリカ合衆国が世界第一主義を標榜し、戦艦をはじめとした艦艇の建艦に着手したことにより、英・日の両国もこれに対抗して建艦競争を行い、建艦競争が起こったことにより、その競争に伴う建艦費、維持費の膨張をどうするかでした。この頃各国の財政に建艦競争が重い負担を強いていたからです。例えば日本に おいては、その予算は歳出の3分の1にも達し、さらに増大することが予想されていたのです。

終わり無き建艦競争は国家の財政を破綻させる。その危惧を政治課題にしたのは、国民への税制面での負担軽減を公約に当選したアメリカの大統領ウォレン・ハーディングです。彼は財政節減のためには、軍事費の大幅な削減を行なわなくてはならないと主張し、そのためには建艦競争を終わらせるための国際的協定が第一である考えたのです。

そこで海軍軍縮に関する国際会議の開催を列国に提案。

同様の悩みを抱えていた列国政府は、この提案に賛同して、最初に書いたワシントン海軍軍縮会議が開かれたのでした。アメリカは、この機会に台頭してきた対抗馬の日本に一定の枠を押しつけようとも画策します。これ がアメリカ発案の「五・五・三艦隊案」です。米英の主力艦5割に対して、日本を3割に制限を加えようとするアメリカ案に、当然日本国内の世論は激昂しまし た。一枚岩の日本海軍を分裂させる契機にもなった言われているほどです。田母神前空幕長がアメリカに嵌められたという思いに敷衍されているのは、こういうアメリ カの外交を示してるのでしょう。

しかし、この時日本の代表として会議に出席した海軍大臣加藤友三郎は「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べ きものにあらず。仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争のときのごとき少額の金では戦争はできず。しからばその金はどこよりこれを得べ しやというに、米国以外に日本の外債に応じ得る国は見当たらず。しかしてその米国が敵であるとすれば、この途は塞がるるが故に結論として日米戦争は不可能 ということになる。国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なり と信ず。」として、この不利な比率を敢えて受諾する決意を固めます。部内の声高な反対意見も彼の見識の前に口を閉ざさざる得なくなったといわれていますが、下級士官には割腹自殺をする騒動などが起こりましたが、政府は勿論加藤の意見に大賛成でした。

敢えて書きますが、加藤友三郎は日本海海戦の際に東郷平八郎連合艦隊司令長官の参謀長を務めた海軍軍人です。軍人は戦争大好き的な観念がまかり通る昨今、私達の祖先にはチャンと国益を考えられる軍人が居ました。(というかこれが論理的・科学的には普通なんですけれども)

       (加藤友三郎大将)

こうして老朽艦のみならず建造中、計画中の戦艦を廃棄し、各種の制限を定め、主力艦の建造はむこう10ヵ年休止する協定は結ばれます。その後、休 止期間が終る前に行われたロンドン海軍軍縮条約によって、さらに5ヵ年の延長をされます。そして1935年には、さらに5ヵ年の延長を目指して第二次ロン ドン海軍軍縮会議が開かれますが、これが不調に終わり、ロンドン海軍軍縮条約の失効(1936年末)をもって海軍休日は終了することになりました。この不 調の理由には様々な原因がありますが、今は書かずにおきます。

条約の失効を迎えて、各国がどれだけの戦艦を建造したか。ちょっと下を見て下さい。右は就役年月日を示します。

<アメリカ海軍>
Washington BB-56      June 01, 1940
North Carolina BB-55  June 13, 1940
South Dakota BB-57    June 07, 1941
Massachusetts BB-59   Sept.23, 1941
Indiana BB-58         Nov. 21, 1941
Alabama BB-60         Feb. 16, 1942
Iowa BB-61            Aug. 27, 1942
New Jersey BB-62      Dec. 07, 1942
Wisconsin BB-64       Dec. 07, 1943
Missouri BB-63        Jan. 29, 1944

<イギリス海軍>
King George V         Feb. 21, 1939
Prince of Wales       May. 03, 1939
Anson                 Feb. 24, 1940
Duke of York          Feb. 28, 1940
Howe                  Apr. 09, 1940
Vanguard              Nov. 30, 1944

<フランス海軍>
Dunkerque      Oct. 02, 1935
Strasbourg     Dec. 12, 1936
Richelieu      Jan. 17, 1939
Jean Bart      Mar. 06, 1940

<ドイツ海軍>
Scharnhorst    Oct. 03, 1936
Gneisenau      Dec. 08, 1936
Bismarck       Feb. 14, 1939
Tirpitz        Apr. 01, 1939

<イタリア海軍>
Vittorio Veneto   July 25, 1937
Littorio          Aug. 22, 1937
Roma              June 09, 1940

<日本海軍>
大和            Aug. 08, 1940
武蔵             Nov. 01, 1940

無条約時代になって、日本が建造できた戦艦はたったの2隻。イギリスは6隻、アメリカは10隻。「五・五・三」どころの比率じゃありませんでした。国内で評論家気分で幾ら声高に叫ぼうが、議論しようが、国家には歳入があって予算が決まるもの。また限られた工業力があります。加藤友三郎の言葉がいかに真理を突いていたかは明らかです。

それじゃ、どうして日本は米英戦にうって出たのか?

陰謀史観で見たらアメリカかイギリスに嵌められたんですが、中立を標榜しているアメリカを第二次世界大戦に引き込むため、ドイツ戦に参戦するため、三国同盟を結んでいた脳天気な日本を利用した・・・などなど後付でも色々言えそうです。

とまあ、そういう話しは他でするとして、皆さんに質問です。貴方は上の戦艦の中で、どの戦艦がお好きですか?

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