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2008年11月21日 (金)

田母神歴史観を巡る騒動~歴史は繰り返すで言い訳がない

「自衛隊トップの斎藤隆・統合幕僚長は20日の定例会見で、田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長が統合幕僚学校長時代に新設した講座「歴史観・国家観」について見直すことを表明した。講座では「現在の日本における歴史『認識』は、日本人のための歴史観ではない」とする教育が行われ、田母神氏の論文に近い内容が散見されるとして、野党側が問題視している。斎藤氏は「全体のバランスからみてやや隔たりがあるという印象を受けるかもしれないが許容される範囲を逸脱したとはいい切れない」としつつ「今回の件をふまえ、よりバランスの取れた教育内容になるよう見直しを検討したい」と述べた。」

田母神元空幕長の歴史観は、従来の政府見解とは違います。これは公務員として、また幹部自衛官として、自分個人の見解(歴史観)を公式見解とも取られかねない立場で表明する行為は軽率という批判は当然のことでしょう。

ただマスコミは、これで終わらせずに、「自衛隊の歴史観」に踏み込んで、政府見解通りに教えろという段階に来てるのが当然かのような論理は首を傾げざる得ません。無論誤った歴史を積極的に教えろとは思いませんが、様々な歴史観が存在していることを教え、それらの内容を専門家から聞き、その上で政府見解を自衛官も公的立場では表明することの意義を教えると言うのでなけければ、これは不祥事に名を借りた思想統制に過ぎません。幹部自衛官には、バランスの取れた世界的な視野に立つ歴史教育の場を充実させようと、どうして言わないのでしょう。

自衛隊は政府の命令無しには戦闘を始められない組織として50年間存在し、政府もそれを繰り返し公言していたんですよね。ならば例え自衛隊の中でどんな歴史観が横行しようが、まさに”そんなの関係ねえー”で、その統率は政府の元にあること、それを維持されるべき事を真っ先に世論へ訴えるべきなんじゃないですか。それがシビリアンコントロールなんだし、当然のことなんだと思います。

私はまさに、ここにマスコミの歪んだ歴史観があるなぁと思います。なにせ、先の世界大戦を引き起こしたのは”軍人”だという大嘘な歴史観を敷衍してきたのマスコミですから。

日米開戦時、日本は陸軍(あるいは海軍でもいいですが)による独裁国家であったとは、何処の歴史教科書にも書いてありません。”軍部の台頭”により軍が侵略戦争をはじめたと皆さんも習いませんでしたか。軍部が台頭したのは事実ですが、軍部が独裁を布いたというのは事実ではありません。もしも独裁していたのなら各省庁の大臣や官僚のトップは軍人で占められていないとおかしいじゃないですか。下は開戦時頃の東条内閣の閣僚名です。

<blockquote>
総理大臣    東条英機(陸軍大将・陸士17期) 軍人
外務大臣     東郷茂徳(貴族院議員・無所属倶楽部) 元官僚(外務省)
内務大臣     湯澤三千男(官僚・内務省)
大蔵大臣     賀屋興宣(官僚・大蔵省)
陸軍大臣     東條英機首相兼任    
海軍大臣     嶋田繁太郎(海軍大将・海兵32期) 軍人    
司法大臣     岩村通世(官僚・司法省)    
文部大臣     橋田邦彦(東京帝大医学部教授)
農林大臣     井野碩哉(官僚・農林省)    
商工大臣     岸 信介(官僚・商工省)    
軍需大臣     東條英機首相兼任    
逓信大臣     寺島 健(予備役海軍中将・海兵31期) 軍人    
鉄道大臣     寺島健逓信相兼任    
運輸通信大臣 八田嘉明(貴族院議員・研究会)    
拓務大臣     井野碩哉農林相兼任    
大東亜大臣 青木一男(貴族院議員・研究会)    
厚生大臣     小泉親彦(予備役陸軍軍医中将)  軍人   
国務大臣     鈴木貞一(予備役陸軍中将・陸士22期 軍人
国務大臣     安藤紀三郎(予備役陸軍大将・陸士11期) 軍人
国務大臣     青木一男 (貴族院議員・研究会)    
国務大臣     藤原銀次郎(民間・王子製紙会長)    
内閣書記官長 星野直樹(貴族院議員・研究会)
法制局長官 森山鋭一(官僚・内務省)    
</blockquote>

日本が、世界大凶の影響を受けて冷え込んだ内需の拡大と大不況を転換するために考えついたのは、資源のある土地を手に入れ、その資源を元に産業を改革し、外需も盛んにしようとする計画です。その背景には日露戦争で獲得した満州鉄道の権益と、それを守るために満州に駐屯を認められていた日本陸軍(関東軍)の存在がありました。満州鉄道は鉱山などを所有し、商業や建設などの関連企業を持つ巨大なコンツェルンでしたから、それらを利用して、原材料の調達から製造までを同地で行い、その労働力を日本からの移民で賄うという皮算用です。

当時の中国は内戦状態で、統一された国家としての内政は脆弱でした。清王朝時代から、米英仏露は中国を侵略し、土地や利権を得て、植民地として中国に拠点を築いていました。例えば上海にはこれらの国の租界とよばれる治外法権の土地が存在し、中国の上海でありながら、中国人が立ち入れない場所や、租界内での裁判権を中国側が持たないといった不平等な状態にありました。北京では、同様に各国の租界があり大使館や租界を警備する名目で軍隊は駐屯していました。当時の列強国は全て侵略国だったんです。

政府の基本的な構想を、陸軍軍人の石原完爾は彼独自の宗教観・国家観を元に、満州を独立した国として、その国を傀儡政権によりコントロールしようとする一種の革命を、関東軍の幹部と密かに計画して、実行に移し満州帝国建国となるのは有名な話です。これを当時は「満州事変」と呼び、日本中でお祭りムードになって、提灯行列が出たなんて話もあるくらいです。

当時の大日本帝国憲法では、

第11条 天皇は陸海軍を統帥す
第12条 天皇は陸海軍の編制及常備兵額を定む

となっていて、天皇により軍のコントロールは行われるとする「統帥権の(議会や政府からの)独立」=第11条と、天皇を補佐する国務大臣(この場合陸海軍大臣)が「編成権」および「予算権」を天皇の代理として取り扱うという=第12条という、「軍令」と「軍政」の区分はありましたが、その内容に関して細々とした規定を定めていないものでした。どうしてそうなったかといえば、政府に統帥権を預けて仕舞えば、それは「幕府」になるからです。天皇家が衰微したのも、統帥権を征夷大将軍に預けた事によるんですから、明治政府が折角大政奉還までこぎ着けて天皇親政を復古させたのに、それを再び許せるはずがないと考えたのだろうと言われています。

憲法の規定を当てはめれば、天皇の統帥権を無視して満州帝国を建国した関東軍の幹部達は憲法違反を起こしてるのですか、マスコミはもちろん、政府や天皇の側近も含めて、首謀者や関係者は更迭、懲戒免職を含めた処分を行わなければおかしいですよね。しかし実際にはそうはならなかったのです。

それはどうしなのか?

私は先日、日記で「海軍休日」という話を書きました。あのワシントン海軍軍縮条約の更新を巡るロンドン海軍軍縮条約の締結に関して、1930年(昭和5年)4月下旬に始まった帝国議会で、海軍軍令部は要求していた補助艦の対米比7割に満たないとして、条約締結拒否を進言したにも関わらず、それを無視して政府がこの条約を結んだことを、野党の政友会総裁犬養毅と鳩山一郎が衆議院において、「軍令部の反対意見を無視した条約調印は<strong>統帥権の干犯</strong>である」と政府を激しく攻撃しました。こうした反対論は、この条約に不満を持っていた海軍の一部や右翼団体(バックに陸軍もいたそうですが)を巻き込むことになり大騒動に発展します。しかし、それでも政府は、軍縮の意義と効果をワシントン条約で実感していた官界や世論の支持と、元老・内大臣の了承を背景にして、帝国議会・枢密院で締結をを押し切り、同年10月2日に批准にこぎつけます。

政友会がこの問題を持ち出したのは、同年に行われた第17回衆議院議員総選挙において、政友会が大敗したことや、政友会の有力支持団体に在郷軍人会(退職軍人の親睦団体)があって、資金面や選挙などでの影響力を無視できなかった点などが理由であったと言われていますが、いずれにしても政争の具にした「統帥権の干犯」問題を、マスコミがセンセーショナルに喧伝して面白可笑しくしたためにどうなったか。

同年11月14日、濱口雄幸総理は右翼団体員に東京駅で狙撃されて重傷を負います。治療の結果、一時期は持ち直したモノの翌年8月26日に亡くなりました。総理の負傷によって、濱口内閣も1931年(昭和6年)4月13日総辞職することになりました。濱口内閣は緊縮財政(今で云う財政改革)を掲げて、徹底的な歳出削減と行政のスリム化を持ち前の強い実行力で推し進めた政権でしたから、この挫折は財政面でも大きな影響を後々及ぼすのですが、それよりもテロの話をしましょう。

テロを起こして濱口内閣を倒閣することで得をするのはだれか。政治テロ犯罪には必ず動機があるものです。濱口改革が進行すれば、軍自体の縮小や軍需産業の衰退などが起こりかねません。公共事業の削減は企業にとって死活問題です。助成金の削除もまた同じ。つまりは緊縮財政に反対する勢力の何処かが実行を指示したと考えるのが自然です。

濱口総理を狙撃した犯人は、佐郷屋留雄という当時21才の右翼団体の構成員でした。彼は逮捕された後の取り調べで犯行動機を尋ねられ「統帥権干犯は不敬である」と云ったそうです。刑事が「統帥権干犯とは何だ」と聞くと、彼は言葉に詰まり説明できなかったと云います。これでは彼自身が個人的な憤慨で犯行を実行したとは考えにくいと思われませんか。

濱口内閣の後に組閣されたのは、政友会の犬養毅内閣です。犬養もまた財政再建には軍縮が必要とし、それに取り組んだのですが、今度は陸海軍若手将校による、五・一五事件というテロで殺害されます。これを契機にして軍部へ政治的な圧力を掛けることは命懸けとなってしまい、政党政治が終結を迎える原因となったのは歴史でも習ったことと思います。

今の鳩山兄弟の祖父鳩山一郎が戦後に総理就任を目前にしながら、GHQにより公職追放の憂き目に遭うのは、濱口内閣を倒閣するために、「統帥権干犯」を持ち出し、政争の具にしたことが、やがては軍国主義への道を決定づけたというGHQの歴史観によるものです。その是非はともかく、軍部の台頭をロンドン海軍軍縮条約批准を巡る政争で許した責任は、今の歴史観では忘れられがちです。

満州事変でも政府が首謀者を処罰するように軍部に迫ることが出来たはずです。マスコミも世論を右傾化させないように、政府の後押しをする報道だって出来たかも知れません。しかし、テロが怖かったんです。また政党政治家がかつて官僚人事を政争の具に利用して、官僚への影響力に制限を加えられていたため、例えば内務省の警保局を拡大拡充させて、テロ根絶を目指して軍とも対抗できる組織(警察軍)を事実上組織して対抗するというような発想は実現できなかったと言えます。

この時、陸海軍の軍人全員が軍部台頭万歳だったかとえば、そうではありません。しかし、幹部軍人の教育に置いて、政治と軍との関係を教えることはありませんでしたし、当時の軍人は選挙権がない(軍人は政治に関わらずと定められていた)という立場では、政治に無関心であったことは否めません。これが財政状況を無視しても軍備を拡大させるという予算要求に影響したのは確かだと思います。

幹部軍人を養成する士官学校の卒業者のみで、軍指導層を形成することの危うさは、まさにこの点にある訳で、米軍や自衛隊でも幹部の採用は一般大卒者との二本立てであるのは、健全な軍事の良識を維持していくための施策です。

こういう風に歴史を見てみると、幹部自衛官に対して、政府見解のみを歴史教育として行う危うさが理解できることと思います。軍人は広く歴史を学び、政治の機微を理解できる素養を持ちながら、シビリアンコントロールの意義を深く理解して、政治の命令以外での軍の作戦発動なしてはならない。そうした私的な行動は亡国の始まりとなるということを実感して貰わないと困るのです。

勉強し直すのだったら、まずはマスコミの政治記者からではないかと思うのですが。

最後に、もしこの三連休に東京駅に行かれることがありましたら、東北新幹線の改札付近に濱口総理の遭難現場を示すプレートがありますので、探してみられては如何でしょうか。昭和史のひとつの遺跡が東京駅に今も残されています。

そして国民の一人一人が真摯に軍事という問題を共有しない限りは、この国はやがて第二次大恐慌の余波を受けて、テロの時代となり、政争の具に軍事を利用しようとする政党政治によって、再び亡国へ導かれてしまうかも知れないという、その恐怖心を克己していただければ幸いです。

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