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2009年2月

2009年2月21日 (土)

既に制海権争いは始まってる

http://www.recordchina.co.jp/group/g28286.html

 

00924日、仏AFP通信は中国の潜水艦の活動が活発化していることを報じた。3日、米NGO・アメリカ科学者連盟(FAS)発表の報告が指摘した。その活動回数はロシア海軍をも上回ったという。4日、環球時報が伝えた。同報告は米海軍定常の機密情報をもとに制作された。2005年は一度もなかった中国海軍潜水艦の遠隔地活動は、06年に2回、07年に7回、08 年には12回と急速にその数を増やしているという。FAS核情報プロジェクト主任のハンス・クリステンセン氏は「活動回数から中国海軍が保有している潜水艦数が予測できる」と指摘、現在の保有数は54隻だと推測した。また潜水艦の活動増加は新たな任務を担っていると話し、おそらくは太平洋の防衛ラインをより東側へと拡大するためだろうとの見解を披露した。」

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(「宋級(039)」潜水艦)

 

2009127日、英シンクタンク・国際戦略研究所(IISS)は報告書「ミリタリーバランス2009」を発表し、2009年は人民解放軍が中国国内から海外展開へと転換する転機になると報じました。

 

中国は経済成長を超える速度で軍事費を急増させており、20年連続で軍事費を二桁成長させており、経済危機にもかかわらず09年には前年比176%増の572億ドル(約51300億円)に達しています。日本の09年度予算では防衛費は47740億円が計上されており、7年連続のマイナスとなる見込みなのとは正反対です。中国の軍事費は既に07年から日本を上回っており、二桁成長の中国とマイナス成長の日本との差は今後開く一方となっていく可能性があります。また中国の場合、公表されている軍事費は実情を反映していないと以前から批判されていて、実際の予算はその2倍以上と指摘する専門家もいるほどです。

 

軍事面での中国脅威論が高まるなかで、中国政府は常に長い国境線を有するだけに、一定程度の軍事力が必要だとしてその正当性を主張しています。しかし近年では、単なる装備の近代化にとどまらず、空母建造が取り沙汰されたり、衛星利用測位システム(GPS)の整備を進めるなど、行動範囲の拡大が目立ちます。これは経済面だけではなく軍事面でも米国に次ぐ超大国・中国の台頭を意味するだけに、日本をはじめとする近隣諸国にとって大きな脅威となってのしかかっているのが現状です。

 

その中国が今頻りに増強を表明しているのが、その海軍力です。目的は自国の輸出入の大半を占める海運ルートの確保を目指す制海権の範囲を、東シナ海、南シナ海、インド洋の一部、太平洋の一部まで広げたいということだと思われます。

 

この構想は元々段階を踏んで行われてきたもので、何も今に始まったことではないのですが、あまりにその動きがゆっくりなために、日本のような時間の国では分かり難く(要するに忘れてる)なってるだけです。実際には1970年代から、ひとつの方向性を持って制海権の確保はすすめられてきたのでした。大まかに年代別に分けると以下のような感じになります。

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(「ユアン級(039A)」潜水艦)

 

 

 

1970年代:周辺海域から南シナ海への進出開始(西沙諸島への侵攻と占領)

1980年代:南沙諸島(赤瓜環礁など六カ所)の占拠、軍事施設の建設 

1990年代:「領海法」の制定(尖閣諸島・南シナ海全域の領有を主張、ミスチーフ環礁占拠、東シナ海でのガス田開発)

2000年代:シーレーン防衛への関心増大(エネルギー需要の増大に伴う輸送路の確保のため)、日本周辺海域での海軍艦艇の活動増大と海洋調査海域の拡大

 

その理念を示すものが、1982年に海軍司令員であった劉華清が示した「海上防衛構想(内部国防方針)」です。それによると中国海軍は、

 

*第1列島線(領海<排他的経済水域を含む>内、台湾/対米有事の際の作戦海域)

*第2列島線(領海外の制海権保有水域、有事の際に米海軍の来援を阻止・妨害する海域)

 

という海上国防圏を設定し、その確保に順次動いていくという方向性が示されています。恐らくはこのドクトリンに基づいて、中国海軍増強のタイムスケジュールは、以下に書くような段階を踏みながら整備されてきたのではないかという気がします。

  

①改革期(1982年~2000):中国沿岸海域の完全防備体制を整備

②前期躍進期(2000年~2010):第1列島線内(近海)の制海能力獲得*

③後期躍進期(2010年~2020):第2列島線内での一定の制海権能力確保

④完成期(20202050):米海軍の太平洋・インド洋における独占的制海権を阻止し、米海軍と対抗できる海軍を整備する

 

*中国政府の言う「近海」とは、黄海、東シナ海、南シナ海をさす。これらは中国の海であるという主張。

 

現在は前期躍進期にあたっており、ここ最近の中国海軍の動きを見てみれば、潜水艦の活動が目立ちます。その運用は東・南シナ海での活動からスケールアップして、グアム島付近までの中部太平洋海域へと拡大されて来ています。米機動部隊の接近は、その音紋採取が目的でしょうし、日本の領海内を含む太平洋での海洋調査は海中の精密な海図を製作していることが伺えます。また海中の温度等の計測による音響学的な調査を行うことで、パッシブソナーの開発や運用に対するデーター収集を行っているのでしょう。また、中国海軍が通常空母2隻を建造・運用した後、原子力空母を2隻運用したいという話も最近出てきていますが、これは④の完成期の理想像ではないでしょうか。

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(「ハン級(091)」原子力潜水艦)

 

 

<近年の中国海軍潜水艦の動き>

200411月:「漢」級SSN がグアム島周辺海域まで進出、帰途日本領海を侵犯 

200509月:東シナ海日中中間線付近での最新型中国艦艇の示威行動 

200605月:新型潜水艦兵力の増強 <1>

200608月:中露合同軍事演習

200610月:東シナ海で米空母の至近距離で「宋」級SSを発見 

200612月:06年中国国防白書が海軍の近代化を明記 <2>

200804月:海南島の南部三亜に潜水艦用を含む大海軍基地を建設 

 

<1>新型潜水艦兵力の増強=キロ級SS12隻の購入に加えて、2010年までに「宋」級SS 12隻、「元」級SS 2隻、「商」級SSN 5隻、「晋」級SSBN 2隻の建造を見積り<米国防省「中国の軍事力」>

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(「基洛級(877)」キロ級潜水艦_)


<2>近海での総合作戦能力の増強と、SSBNによる核反撃能力の向上を目指す。胡錦濤主席は「中国は海洋大国。国家の主権と安全を守り、海洋権益を保護するために強大な海軍を建設せよ。」(0612)と明言している。

 

 

中国は経済成長を継続させるために、安定したエネルギー資源や原材料の輸入を必要としています。その為に、例えば、中東からの石油の輸送路であるインド洋や東シナ海、南シナ海の制海権を独自にコントロールすることを目指しているのです。逆に言えば、この海域の制海権を現在握っているのは米海軍ですから、米中対立が逼迫した事態になった場合、中国は米海軍によって経済の発展を止められてしまう可能性があるということになります。

 

この場合、水上艦艇による制海権の確保には、機動部隊(空母任務群)によるコントロールを行っている米海軍に対して、空母無しでの対抗は不可能です。したがって空母を運用出来るようになるまでは制海権の確保は不可能と言うことになります。しかし、旧ソ連海軍や嘗てのドイツ海軍が行ったように、潜水艦による制海権確保は潜水艦部隊を有すれば可能です。米海軍に対抗する空母群の完成までは、中国海軍は潜水艦による対抗を目指すというのが、その戦略なのではないかと思われます。

 

そう考えてみると、海南島に潜水艦用の大型基地を持ったことは、自国の海としている東シナ海、南シナ海の制海権確保に大変重要な拠点を得たことになります。裏を返せば、米海軍はこの基地を無視しては同海域で活動ができないと言う事態に立ち至っていると言うことです。これは何も米海軍のみの脅威ではありません。日本のシーレーンは、まさにこの海域に集中しているのです。それは台湾や韓国、極東ロシアも同じです。Hainanfull

仮に台湾有事に立ち至った場合、中国海軍が南シナ海からバシー海峡の出入り口までを、水上艦艇や潜水艦によって制海権確保を行い、台湾周辺海域を戦闘海域として宣言されてしまうと、日本はスンダ海峡を通り、小笠原へ至るルートでしか中東方面のシーレーンが確保出来ないという事態になります。また東シナ海や南シナ海を船団を組んで海上自衛隊が護衛しながら通過するにしても、偶発的に中国海軍との衝突が起きたりすれば大変な事態になるかも知れません。

 

冷戦期、日米海軍(海上自衛隊)は、チョークポイントという日本の領海に存在する3海峡(対馬・青函・宗谷)を封鎖することで、極東ソ連軍の潜水艦部隊や水上艦艇を日本海に封じ込める作戦を計画し、平時も常に監視する態勢を敷いていました。この戦略は有効に機能し、事実上ソ連の潜水艦部隊は太平洋に出ても日米海軍に監視され、その所在が明らかにされていることが多かったと言われています。そのためソ連海軍は潜水艦による太平洋の制海権確保を実施する確信が持てず、極東正面での戦略は頓挫したといっても良かったでしょう。

しかし、中国海軍の潜水艦部隊の場合、封じ込められるのは日米海軍の方で、仮に第2列島線までの制海権確保を許せば、日本はシーレーンの大半を失い、自国の領海内での制海権すら確保出来ないという、嘗て米海軍によって行われた飢餓作戦の二の舞を体験することになりかねません。

そういう観点で日本政府が海上自衛隊の将来像や、艦艇等の整備を計画しているのかといえば、さに非ずで、相変わらず十年一日のように、冷戦後の軍縮と称して粛々と縮小を行うのみ。本当にこんなことで良いのでしょうか?

2009年2月13日 (金)

歴史の悪戯にしても・・・

私のように戦史を趣味にしている者にとって、歴史は後世の人間から見ればとんでもない皮肉なことをしでかしているなぁと思うことがたまにあります。

今日はそんな一例を書いてみたいと思います。昭和13年6月当時、朝鮮軍(司令部:龍山)として北鮮を守備する第19師団は度重なるソ連軍との国境紛争に手を焼いていました。一例を挙げれば、乾岔子(カンチャーズ)島事件、張鼓峰事件、沙草峰事件などがそれに当たります。

第19師団は精鋭として帝国陸軍では聞こえた部隊です。この頃の師団長は尾高(すえたか)中将。花の16期と呼ばれた陸士16期の出身でした。同期には、岡村寧次、土肥原賢二、板垣征四郎、永田鉄山、小畑敏四郎など昭和史を飾る将帥がいます。

その中で尾高は教育者として知られていました。中尉時代に陸士の生徒隊付として勤務したのを振り出しに、少佐の時に歩兵学校教官、中佐で教育総監部課員、大佐になって陸士の本科生徒隊長という経歴故ですが、第一戦車隊長として第一次大戦後に注目された戦車部隊の育成にも携わるなど将来戦への知識も身に付けていました。将来の陸軍中枢での軍政家としてよりも実戦部隊を統べる将官として期待されていた人物です。この期待は張鼓峰事件、沙草峰事件で果たされます。歴史上、彼は独断で出動したと師団長とされていますが、出動後は中央の命令(大陸令第154号)「張鼓峰付近に於けるソ軍の不法越境に対し、所要に応じ在鮮の隷下部隊を国境近く集中することを得。但し実力の行使は命令に依る。」を良く守り防衛戦に徹して敵の攻勢を退ける戦いをやり通しました。 

さて、19師団には2っの歩兵旅団がありました。歩兵第37旅団と歩兵38旅団旅団です。旅団は2個連隊と付属部隊で構成されています。それぞれの連隊長は下にあるとおりです。

第19師団(羅南):師団長尾高亀蔵中将(陸士16期)

歩兵第37旅団(咸興)
  歩兵第73聯隊(羅南):連隊長 田中 勤大佐(陸士25期)
  歩兵第74聯隊(咸興):連隊長 長  勇大佐(陸士28期)

歩兵第38旅団(羅南)
  歩兵第75聯隊(会寧):連隊長 佐藤幸徳大佐(陸士25期)    
  歩兵第76聯隊(羅南):連隊長 上村幹男大佐(陸士24期)

少し戦史に詳しい方なら”えっ”と言われたり、名前を見て驚かれたりされていることだと思います。

第73聯隊連隊長、田中勤大佐は、この後1年間第4師団の参謀長を務めると、第17歩兵団長、独立混成第15旅団長、第61独立歩兵団長、第61師団長を歴任して、支那事変から終戦まで中国大陸で戦い続けた人です。典型的な野戦の武人タイプでした。

第74聯隊の連隊長、長勇大佐は後に沖縄戦で参謀長として第32軍に赴任し、その声望に麾下の軍が勝利を期待した人物です。彼は橋本欣五郎中佐らが率いた「桜会」の重要メンバーの1人として知られ、政治色の濃い昭和期の典型的な人物です。10月事件のプランナーとしても有名ですが、元々彼は参謀本部支那課のエースでした。敗戦後、生き残っていれば戦犯として東京裁判に召喚されかねない昭和維新の侠客なのです。何せ中尉時代にやくざ10人と喧嘩したという逸話まで持っています。彼は張鼓峰事件の停戦交渉で、持ち前の胆力を発揮してソ連軍代表をあっといわせて国民に英雄ともてはやされたりもしました。彼は大川周明とも親しく、当時の右翼とも太いパイプを持っていたと云われてます。

歩兵第75聯隊連隊長、佐藤幸徳大佐はインパール作戦で命令に反して撤退を行い抗命罪を問われた師団長として有名です。彼はこの後国境守備隊の隊長を務め、第23歩兵団長、第67独立歩兵団長、第31師団長と進むのですが、彼は統制派の活動家として若手将校時代から有名な、いわば札付きの異色な人物でした。それが昇進に影響していた時期もあるようです。「相沢事件」の皇道派相沢中佐を福知山連隊で孤立させ暴発させたのも彼です。東条英機にも近く、桜会に参加して橋本欣五郎にも信頼されていました。ですから、同じ桜会の牟田口廉也とインパールで対立するのも皮肉な話です。

歩兵第76聯隊連隊長、上村幹男大佐は陸大教官も務めた戦略家で、この後歩兵第5旅団長として支那事変に参加。台湾軍参謀長、俘虜情報局長官、第57師団長、第4軍司令官として終戦を迎えます。

これだけでもへーと私などは思うのに更に同じ師団の砲兵連隊長(山砲兵第25連隊)には、あの田中隆吉大佐が赴任していたのです。彼こそは第一次上海事変を起こした張本人。あの川島芳子を愛人として、土肥原賢二と組んで綏遠事件(蒙古独立運動)を指揮した人物としても知られています。彼が東条英機の引き立てで砲兵連隊長のあと陸軍省兵務課長に抜擢され、その後第一軍参謀長を1年務め上げて、兵務局長へと栄進するのは有名なお話しです。それほど東条の信任が厚かったのに、東条の腹心中の腹心、武藤章と馬が合わず、対立の挙げ句が生来の神経過敏から来る病を得ての入院。そして待命、予備役編入に追い込まれ、それを逆恨みした故に、東京裁判ではキーナン判事の隠し球として法廷に現れ、東条こそが戦争の主導者だと告発する役を演じるのですから皮肉なお話です。

ある人は当時をこう表現しています。「第19師団長・尾高亀蔵中将は、軍隊教育の権威であるとともに積極敢為な将軍として知られていた。また隷下部隊長も豪気な者が多く」と。普通に読めばふーんですが、此処まで読んでこられた方は、豪毅も豪毅、よくも集めたというようなメンバーだということがよく理解できると思います。従って、当時の陸軍部内でも、張鼓峰事件は陸軍の謀略だという噂が絶えなかったのも頷けます。

では、誰がこんな人事をおこなったのかと当時の陸軍人事局長を調べてみたら、後宮淳と阿南惟幾ということが判りました。人事課補任課長は加藤守雄。無名の人ですが人事畑が長かった人で、歩兵34連隊長を務めている最中に病に倒れ、その後舞鶴要塞司令官、仙台幼年学校校長と異動しましたが幼年学校校長在任中に病没しています。どうも何か意図があったというよりも偶然の悪戯的な人事のようですね。

本当に歴史は時々こういう悪戯をしてくれるものです。

2009年2月 5日 (木)

どうちぇさんへ

どうちぇさん

折角頂いたコメントの返信を資料付でメールしたら、実は不達だったことが判明しました。
メルアドが変わられたんでしょうか?
私は昔のままのメルアドです。
niftyのFDRの頃の。
もしこれを読んだらメールを下さい。

                                  孔子

もう舵は戻されてる

「読売新聞社が1月31日~2月1日に実施した面接方式の全国世論調査で、首相に最もふさわしいと思う国会議員を聞いたところ、トップは小泉元首相の 14・4%で、小沢民主党代表13・7%、舛添厚生労働相7・5%が続いた。麻生首相は4・7%で、自民党離党で注目された渡辺喜美・元行政改革相の4・ 6%をわずかに上回った。」

マスコミとしては悔しいんだろうなぁ。ここ2年ほど小泉改革を叩いてきたのに、世論はそのベクトルを無視してるんだから。

曰く”小泉改革は格差社会を出現させた”、”小泉改革の成果であった派遣法の改正が今のネットカフェ難民を生み出した”、”外資の参入を大幅に認めた結果、日本はハゲタカファンドに根こそぎやられてしまった”等々。

でも、少し頭のある人なら、小泉総理が竹中平蔵氏を経済政策のブレーンに据えた時点で、アメリカ型の小さな政府という方向性は見て取れたはず。小 泉改革が目指すのは、真の自由競争と自己責任社会への転換。つまり政府や自治体が財政によって様々な支援をするのではなく、競争に負けてホームレスになる のも自己責任。そもそも税金を払わない時点で市民でも国民でもないという冷徹な社会改革を目指していた。

それを国民に伝えようともせず、景気回復優先、財政再建優先という矛盾する改革を、国の予算の見直し、公務員の削減による人件費の抑制という緊縮財政に読み替えられるというペテンに相乗りしたのはマスコミだったんじゃないですか。

私自身、派遣労働者が3年だったら正社員なんていう詭弁は信じる気にもなれなかったですが。2年11ヶ月で一旦解雇して、1ヶ月後に再雇用なんて 芸当は教育界では昔々からやってた手法ですからね。要は3年継続して雇用しないなら正社員にする義務はないと言うやり方は経営者の立場からしたら当然で しょう。だからこそ真の自由社会なら、そこで各個人が弁護士を立てて地位保全を訴えて、100人斬ったら、100件の訴訟が起こるような社会にするため に、弁護士の大増員を目指して法科大学院が出来たんじゃないですか。

なのに共産党などは相変わらず自治体の財布をアテにした生活保護申請に向かわせようとしてる。その財政基盤はどこから手当てするのかは、派遣労働 者の中で派遣斬りにあった全員が生活保護を受給して、財政的に破綻する状況を作り出してから、全体の予算の配分を政治問題にする腹なんです。でも生活保護 から抜け出せない人が増えていったら当然共産党はケツをまくるんです。弱小党ですから、国会審議で我々の主張は無視されたと言えばいいんですから気楽です よ。取り敢えず「政府の責任だ!」で何でも括れちゃうんだから。

セーフティーネットは出来るだけそのネットを使わないで頑張るというモラルで維持されるものです。みんなでネットにぶら下がれば糸は切れて全員が 沈んでしまう。「働かざる者、喰うべからず」と言ったのは中国共産党でした。ソ連では失業して三ヶ月経っても職が見つからない者は不労罪で収監される法律 がありました。共産主義国家でもセーフティーネットの張力は日本の現状と大して変わらないと言うことです。

日本社会は1950年代後半からの社会主義的資本主義国家として、ヨーロッパ型に近い社会機構の整備をして、世界第二位の経済大国まで登り詰め た。なのに、血液型の違うアメリカ型資本主義こそが第一位への道とばかりに、輸血出来ない筈の血液を入れようとするから、拒絶反応が強く出て来るんです。

小泉改革だって、結局景気対策を先にやらざる得なくなって、不良債権処理に国が組織を作り、法律を作って対応したから、昨年までの好景気が出現したんです。国民が小泉元総理を未だに支持してる理由も、そこにあるんです。

一方で小泉改革は財政再建の御旗も降ろせないから、歳出面で三位一体改革を進めて、地方への補助金をカットする一方で、金だけ渡して地方が使い道 を決めるという丸投げも抱き合わせてやったり、財政削減のために医療費カットを目指して「後期高齢者医療制度」なんていうペテンも実行し、改革という名で 予算削減に大なたを振るった。今その効果が出てきた。地方も使えるお金がないから、国を見習って財政削減を嫌でも進めないといけなくなって、知事にはそれ が出来る人を有権者が選ぶようになってきました。

ダイエットすると誓ったのに、あちこち不便で苦しいから止めますというのなら、昔の暮らしが良いと思うのなら、規制緩和はやめて規制強化に動いて いくしかないんですよ。外資の金融への参入は20年前のレベルに引き戻し、ハゲタカファンドが一流企業の株主になれないようにしないと、雇用を守って従業 員と共生する企業なんてやれる訳がない。なにせあちらは、もの言う株主さんです。仕事がないのに無駄な労働力に無駄金を払うなと圧力を掛けてでも配当は払 えと迫ってくるんですから。

実際は、ライブドア事件や村上ファンド事件で株主が一番偉いと公言した時代の寵児二人が司法の壁の向こうへ落ちた時点で、日本政府は小泉改革を否 定する路線にハンドルを切ってます。100年に一度の不景気は、実は規制強化・政官主導の中央集権化への追い風なんです。国債を景気対策のために大増刷し て、内部留保のある銀行に引き受けさせて、兎に角公共投資で金をばらまいて、自民党の本来の支持基盤である建設土木業界を勢いづかせる。食糧自給率向上の ため支持基盤の農協を通して公的資金が農業振興につぎ込まれる。減反じゃなくて米増産、米輸出で儲かる農家を作るとか言う。政権を渡してたまるかと自民党 は選挙のためにも公金をばらまくのは当然です。

麻生総理は消費税の増税に拘ってるのは、ヨーロッパ型社会へ戻すためには、消費税は15%程度は必要。そうしないと、このバラマキの後始末が出来 ないという心配からです。そして日本は20年後には消費税20%を越える国になるでしょう。労働人口の納める所得税はあてに出来ない。無職の人でも生活保 護の人でも、ものを買えば消費税は支払う。その納税がセーフティネットを支える原資になる。そういう社会への転換が始まろうとしてるんです。

むろん、アメリカはそうなったら決まり文句の門戸開放とか言い出すでしょう。でも少なくても数年はそんなことには構ってられないでしょうから、今が絶好のチャンスなんです。日本はどうやってもアメリカ型の社会機構には馴染まないんです。ぬるま湯大好きなんですから。

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