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2009年4月

2009年4月11日 (土)

40数年前の日本でも

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090411-OYT1T00553.htm

「東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会議が開かれているタイ中部パタヤで11日午後、アピシット政権退陣を求めるタクシン元首相派実動部隊「反独裁民 主戦線(UDD)」のデモ隊が会議会場のホテルに侵入、数人が負傷し、現場は大混乱に陥った。アピシット首相は「日本を含む会議参加国が一連の会議の無期 限延期に合意した」と述べ、パタヤを含むチョンブリ県に非常事態宣言を発令した。」

タイの混迷ぶりも此処に極まれりという印象を世界中に配信してしまいましたね。

このニュースを目にして連想されたのは、「ハガチ」という名前でした。「ハガチ」とは当時の新聞が書いていた表記で、本当は「ジェイムズ・キャン ベル・ハガティ(James Campbell Hagerty)」と言います。彼はドワイト・D・アイゼンハワー政権期(1953年 - 1961年)のホワイトハウス報道官でした。

彼は1960年6月10日に東京国際空港(現在の羽田空港)へやってきます。当時の日本は日米安保条約改定に反対する運動が高まり、一種の騒乱状 態でした。丁度記事にあるタイの状況に似ています。ハガティはアイゼンハワー大統領訪日(戦前戦後を通して米大統領が初めて来日する話だった)の日程を協 議するため来日したのですが、空港周辺に詰め掛けたデモ隊に、その車は包囲され、日本の警察力では何とも出来ないと判断されて、アメリカ海兵隊のヘリコプ ターで救助されるという事件に発展。後に「ハガチー事件」と言われました。米軍が日本の中で戦後に活動した珍しい記録でもあります。

当時の私は・・・生まれてませんv(≧∀≦)v

教科書に出てこないお話しとしては、こういう危機的状況を背景にして、当時の岸信介総理は警察だけではデモ隊を抑えられないと判断。今ではあり得 ないお話しですが、右翼の大立て者児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暗黒街の親分衆(要するに暴 力団)の会合に派遣。松葉会会長・藤田卯一郎、錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光やテキヤ大連合のリーダー尾津喜之助ら全員が手を貸すことに合意し たんです。って、要するにデモ隊鎮圧に暴力団や右翼が参加していたというお話しです。

それでも一向に収まらない騒乱に岸総理は不安を拭えず、防衛庁長官赤城宗徳に対して陸上自衛隊の治安出動を要請。東京近辺の各駐屯地では出動準備態勢が敷かれたのですが、当時の赤城防衛庁長官は出動要請を断固拒否。 当時の政治家は大局を見て判断できる人が居たと言うことでしょうか。

ノイローゼ状態になった岸総理は自殺まで考えたそうですけど、6月15日に起きた暴力団と右翼団体によるデモ隊襲撃で多くの重傷者が出て、さらに 警官隊とデモ隊が国会議事堂正門前で大規模に衝突して、デモに参加していた東京大学学生の樺美智子が圧死するという事件が起きるに至り、在京新聞社7社 (『朝日新聞』、『毎日新聞』、『讀賣新聞』、『日本経済新聞』、『産業経済新聞』、『東京新聞』、『東京タイムズ』)]は、6月17日に共通で「議会政 治を守れ」としたスローガンを掲げた社告を掲載。国会デモ隊の暴力、社会党の国会ボイコット、民社党との過度の対立を批判した七社共同宣言が出されます。 無論、左翼側はそれを批判して「新聞が死んだ日」とも評されたんですが、まあこういう歴史を知らずにえらそうにタイを批判するのは止めましょうね

こういうハードは反政府運動が国民の支持を急激に失う原因にもなったんですが、そこは後援者のソ連や中国もしたたかで、『ベ平連』(正式には「ベ トナムに平和を!市民連合」)というソフト運動へと転換していくのです。小田実はこの運動で有名になった作家です。日本は平和国家を戦後標榜し、どんな戦 争にも反対するという運動は、当時も今も日本人には参加しやすい運動です。でも、この運動が実は反米運動だったとご存じですか。

何故かと言えば、1979年に中国がベトナムへ侵攻した『中越戦争』、ソ連がアフガニスタンへ侵攻した『アフガン侵攻』は、『べ平連』運動のように盛り上がらないどころが、第二『ベ平連』も出来なかったし『ア平連』も出来なかったんですから。

中学時代の担任は『ベ平連』運動に参加してた平和運動に熱心な人でしたんで、1980年の同窓会で再会した際、当時大学生の私は「先生、ア平連やりましょか!」と持ちかけたんですが「なんや”ア平連”って?」という反応でしたからね。

日本の平和運動の大きなのは大半が反米工作だと確信できた瞬間でした。

タイの騒動にはどんな背景があるんだろうとここまで読まれて思われた方、貴方はリアリストです。

2009年4月 3日 (金)

三ツ矢サイダーの話

「『三ツ矢サイダー』は1881年に同商品の淵源となる“天然鉱泉水”が発見され、1884年に商品化された歴史のある炭酸飲料。以来、時代の変化に応じ てフルーツフレーバーやデザインボトルなどの商品を展開しており、04年には天然素材の香りのみを使用し、風味と品質の向上をはかっている。」

http://gourmet.oricon.co.jp/64628/full/

いきなり三ツ矢サイダーの話ではなくて恐縮です。

夏目漱石の『行人』といえば、漱石の後期三部作の内の一作です。順序で言えば『彼岸過迄』→『行人』→『こころ』ですが、皆さんご記憶ですか?

以下はその『行人』の中の一節です。

お兼さんは黒い盆の上に載せた平野水(ひらのすい)と洋盃(コップ)を自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞 いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私が」と云って急に罎を取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手 ばかり見ていた。その手には昨夕気がつかなかった指環が一つ光っていた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/775_14942.html

中学生の頃、夏休みの課題図書に、この『行人』が指定されました。小学生の頃に『三四郎』や『それから』は読んでいたので、楽勝だと思っておりま した。しかし、読んでみると全然判らないんです。もっとも、妻の愛を試すために弟と二人で一夜を過ごさせたりする夫の気持ちなんて、中学生に判るはずもな いんですが、文学小学生だったプライドで悪戦苦闘した想い出が今は懐かしいです。

さて、上に引用した「平野水」もかなり苦労したひとつです。国語辞典を引くと

      

炭酸水の別名。もとは兵庫県川西市平野の鉱泉からくんだ炭酸水の商標名。

とあるんですが、何のことだか判りません。炭酸水なんて当時知りませんでしたし。インターネットもありません。結構拘る方だったんで、この際兵庫 県川西市平野へ行って鉱泉を訪ねるしかないだろうと思うようになって、母に頼んで交通費を出して貰い、一日川西へ行くことにしました。幸い、川西市へは電 車を利用して2時間は掛からない距離です。

そして夏の暑い日に、川西市へ。駅で聞けば判るだろうと平野の鉱泉の場所を聞いてみました。すると対応してくれた駅員さんが駅長室へ連れて行って くれ、事情を説明してくれたのです。親切な駅長さんはちよっと待ってというと部屋を出て行き、すぐに戻ってきました。手には三ツ矢サイダーの瓶が二つ。何 のことだろうと思いながら黙っていると、駅長さん曰く。

「平野鉱泉は炭酸水が湧いてくる泉として江戸時代からしられていたんだよ。明治時代になって宮内省がこの炭酸水を宮中での晩餐会などで使うために 御料工場を造って、炭酸水の瓶詰めを作るようになった。洋酒を炭酸水で割るカクテルなどに使うために必要だったし、外国のモノは高くて不便だったんだね。 その御料工場が民間に払い下げられて、その経営者は炭酸水に甘い味を付けてサイダーという商品を考えたんだ。それがこの三ツ矢サイダーだよ。」

と言って手にした瓶をひとつくれたのです。なんだなんだ平野水は何時も呑んでる三ツ矢サイダーなのかと思った瞬間でした。

後々調べてみると、「三ツ矢」の由来は、平安時代中期に摂津源氏の祖源満仲が住吉大社(大阪市住吉区)の神託に従い「三つ矢羽根の矢」を放ち、矢 の落ちた多田(現在の兵庫県川西市市内)に居城を建てたという地元の伝説によるらしい。それに伝説では平野鉱泉は満仲が狩の際に発見したと伝えられている のだそうです。

http://www.jttk.zaq.ne.jp/sfuku239/kawanisi/hiranokousen.htm
http://www.asahiinryo.co.jp/company/information/enkaku/

帝国海軍の公式なディナーのメニューを見ると、この平野水がちゃんと出てきます。
こういうサブ知識が役立つ時もあるということです。海軍ではサイダーが高級品で、普段はもっぱら軍艦で「ラムネ」を飲んでいたのをご存じですか? どうして「ラムネ」が愛されたかと云えば、軍艦には消火設備として炭酸ガス発生装置が備えられていたから。炭酸と砂糖と瓶があれば「ラムネ」は作れちゃい ます。後日にはラムネ製造器を備えるようになったんですけどね。この「ラムネ」の語源が「レモネード」だというのは有名な話ですけど、未だに諸説あるそう です。

ついでに書いておきますと「サイダー」を「cider」と英語表記しますけど、これをフランス語読みすると「シードル(cidre)」になりま す。要するにリンゴ酒のこと。林檎を発酵させて造られるアルコール飲料で大抵は発泡性です。リンゴ酒といえばカルヴァドス (Calvados) ですけど、こちらは蒸留酒です。それとノルマンディー地方以外のリンゴ酒はカルヴァドスとは名乗れませんので念のため。

ということで日本とその領土の一部であった韓国以外の国で「サイダー下さい」といえば、大半はこのリンゴ酒が饗される可能性が高いということで す。まあ、このサイダーの一例を見ても韓国は日本の文化に深く影響されてると言うことです。ライスカレーもオムライスもありますしね。それと戦時中は「サ イダー」は敵性語ということで「噴出水」と読み替えられていたんだって。

http://en.wikipedia.org/wiki/Chilsung_Cider

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