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2009年8月

2009年8月29日 (土)

はじめてのものに

はじめてのものに

ささやかな地異は そのかたみに
灰をふらした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

多分、皆さんも高校の国語の時間に習ったかもしれない立原道造の処女詩集『『萱草に寄す』の冒頭に選ばれている「はじめてのものに」というソネットです。

東京の上野に立原道造記念館があると聞いているのですが、まだ訪ねたことがありません。もしも皆さんがお出かけになることがありましたら、これから書いていく文章を立原道造記念館に行く道筋で思い出して頂ければ何かのお役に立てるかと思います。

(立原道造記念館)
http://www.tachihara.jp/index.html

この詩の冒頭にある「ささやかな地異」とは、彼が信濃追分の油屋旅館に恋人と滞在中に見た浅間山の小噴火をさしています。その後に続く詩は、ひとしきり降り来る火山灰に、宿から見える景色がまるで白く染められるかのようにぼやけて見えるのを、自分と恋人との不安定な関係や、病弱な彼の未来への不安などになぞらえている部分です。

立原はどうして恋人が去るかも知れない不安を思うのか。実はこれは彼自身がひとりで自分の将来への不安(実際24才で結核死んでいるんです)を想像し、こんな先のない自分から彼女は去って行ってしまうのではないかという思い込みのような部分から来ています。

では、彼女との別れを彼はどうして恐れるのか。その理由が二編目に書かれています。

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

恋人の性格の明るさ(太陽のような強烈なものではなく、月明かりのような穏やかな明るさ)、笑い声、そこから感じられる自分に対する好意や愛情が、まるで部屋一杯に溢れてるように思う彼の心情が描かれている部分です。裏返せば立原は、自分に無いものを彼女から得ているという想像が出来ます。物静かで口数の少ない、一見すると大人しい(今風にいえば草食系)彼の人物像が浮かんできます。そんな恋人との関係が山のように永久不変に続いて欲しいと願っているというのが「(その窓からは山の姿が見えた)」で暗喩されています。

――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

恋人という友人よりも心情的には近しい相手に抱く不安。それは人は人の心の中を推察出来ても、けして知る事が出来ないと言う不確定要素からくるもので、この心情は恋人同士なら誰しもが共有する不安です。その不安を口に出して相手に確かめても、恋人はそれを否定しても、それでもその言葉は本当だろうかという不安に襲われる。そんな心情を描いたのが3編目のこの部分です。

さて、最後の4編目です。

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

ここで出てくる「エリーザベトの物語」とは、シュトルムの小説『みずうみ』(Immensee)を指しています。立原は大学卒業の年に、シュトルム短篇集『林檎みのる頃』を訳出しているほど好きだったようです。シュトルムはドイツの法律家で裁判官を務めた人物ですが、その一方で詩集を何冊も残した詩人でもあります。ドイツ近代詩の始祖になぞらえられる人物です。

当たり前のことですがシュトルムの詩はドイツ語書かれているので、立原は中学時代から恐らくドイツ語を第一外国語にする乙類(要するに理系専攻) コースだったんでしょう。実際彼は東大の建築学科を卒業して設計者になっています。しかも在学時に書いた設計で東大建築学科が毎年選ぶ優れた設計に対して与える『辰野金吾章』に3度選ばれている秀才でした。彼が所属した研究室の後輩が東京都庁などの設計者丹下健三です。立原も長生きしたら、日本のあちらこちらに彼の作品が残されたことでしょう。

「エリーザベトの物語」というのは、粗筋はこういうお話しです。

少年ラインハルトは、近所に住む5歳年下の少女エリーザベトを幼い頃から慕い、またエリーザベトもラインハルトを慕っていた。しかし、ラインハルトは大学生となって町を離れることになり、彼女とも離ればなれに暮らすようになる。復活祭の日に帰省したとき、ラインハルトはエリーザベトとの間になにかよそよそしいものが入り込んできたような印象を抱く。エリーザベトの母は、ラインハルトとかつて同級生だったエーリヒがインメン湖畔の別邸を父から相続したと話す。2年後、学業に励むラインハルトのもとに自分の母から手紙が届く。エリーザベトがエーリヒから結婚申し込みを受け、2度断ったものの3度目に受諾したという知らせであった。この知らせを聞いて、ラインハルトは言いようのない失望と喪失感に襲われると同時に自分でなくエーリヒを選んだエリザベトを恨み、彼女が自分でなく資産家を選んだかのように勝手に思い込むようになる。

数年後、帰省したラインハルトはエーリヒに招かれてその邸宅を訪れ、エリーザベトとも再会する。民謡収集を仕事としているラインハルトは、ある日の夕方、夫妻やエリーザベトの母を前に民謡を朗読するが、そのなかに「母の勧めで愛する人をあきらめ、別の人と結婚してしまった自分を後悔している」という内容の詩が含まれていた。これを聞いたエリーザベトは席を立って出ていってしまう。数日間を一緒に過ごした後、ラインハルトはエーリヒ夫妻に別れを告げずに早朝屋敷を出ていこうとするが、エリーザベトは彼の旅立ちを予感して彼の前に立つ。そんな彼女に、ラインハルトはもう二度と会うことはないだろうと告げるのだった。

この物語の内容を踏まえて4編目を読むと、「いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか」というのが、自分の中で恋人との別れを予感する不安は何時から生まれたのかという思いを示しているのが判ります。

「火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に」も、火山のように熱い恋心を燃やした彼女との思い出。「幾夜さかは」とは恐らく二人で抱き合った情愛を言うんでしょうが、これは夢のようになってしまうんだろうかと思うと言っています。そう思いながら「エリーザベトの物語」をもう一度読み直したら、それは立ち直れないですが、これも多分暗喩で、彼女と別れてしまったら(彼女が私を捨てるなら)、自分は二度と会うことはないのだろうという男の意地のように私には思えてしまいます。

立原は結核でしたから、それを彼女にうつしたくないあまり、もしかしたら性交渉もキスもしなかったかも知れません。ただ同じ布団で抱きあい、お互いのぬくもりを感じながら語り合ったということだったんじゃないか。私が結核で同じ状態ならそうすると思うんですけど、皆さんはどう思われますか。

普段は堅い話ばかりしている私ですが、こういう文章も書けるんですよ。happy01

お楽しみ頂けましたら幸いです。

2009年8月23日 (日)

今回の選挙に寄せて

「衆院選公示後に毎日新聞が実施した特別世論調査と情勢取材の結果、320議席を超える勢いを見せた民主党。特に小選挙区では自民党の「岩盤」とも言える西日本でも優位な戦いを進めており、全国的に政党支持基盤の地殻変動が起きていることを示した。前回の05年衆院選(郵政選挙)では関東・近畿の都市部を自民党が席巻したが、今回は軒並み民主党候補がひっくり返す「オセロ現象」も広がりそうな情勢。自民党は15前後の道県で小選挙区をすべて失う可能性がある。」(毎日新聞 - 08月22日のネット上の記事より)

政権交代を掛けた選挙だと勢いづくのはいいのですが、冷静な目で見てると、問題は政権が交代する事じゃなくて、自民党の国家運営の失敗を、次の政権がどう糺して、この複雑な国際情勢の中で国家を舵取りするかなんだいう点が置き去りにされているような気がして仕方がありません。

その昔、地政学という学問がありました。地政学とは地理的な位置関係が政治、国際関係に与える影響を研究する学問のことですが、単純に地理的な学問なのではなくて、政治・経済・軍事といった国家運営に関わる全ての分野を取り込んだ国家戦略の基礎研究のような様相をもっているため、大国といわれる国には、高名な地政学者が生まれ、国家戦略理論の基礎を形成してきました。

イギリスの地理学者である「サー・ハルフォード・ジョン・マッキンダー」(Sir Halford John Mackinder)は、1943年7月号の『フォーリン・アフェアーズ』に「球体の世界と平和の勝利」(the Round World and the Winning of the Peace)という論文を寄稿しています。大英帝国の国家戦略の掉尾を飾る彼の論功が第二次大戦どんな影響を及ぼしたか。それはこの論文を読んでみると多少は判ろうというものです。

同時期、ドイツの陸軍将校であった「カール・エルンスト・ハウスホーファー」(Karl Ernst Haushofer)は、ミュンヘン大学の教授として地政学と言う新たな学問の創造をおこない、新興政治勢力であったナチスとも深く関わるようになります。そんな彼も「太平洋の地政学(Geopolitik des pazifischen Ozeans)」という論考を公表していて、ナチスが日本を同盟に誘った参考にされた可能性があるのではと言われてきました。ちなみにハウスホーファーの一番出来の良い弟子がルドルフ・ヘスでした。

アメリカでは日本の明治時代に当たる時期に、米国海軍将校であった「アルフレッド・セイヤー・マハン」(Alfred Thayer Mahan)は『海上権力史論』などの多数の著作によって、海洋戦略の観点から見たシーパワー理論でアメリカの国家戦略に大きな影響を与えました。元来大陸国家であるアメリカが海洋国家へと脱皮する契機になったのではとさえ言われています。

さて、じゃ大国日本にはどんな地政学者がいたのか。

エッ・・・と、済みません。転た寝してました。私が不勉強なんでしょうか。寡聞にして知りません。

実は日本には世界に誇るような地政学の泰斗は生まれませんでした。評論家は沢山いたんですが理論家はついに生まれてこなかったとでも申しましょうか。

それでも日本が明治期に新興国家として国際社会に登場して、後に世界の列強国となり得たのは、その足りない国家戦略を日英同盟によって補完したからに他なりません。大英帝国の援助無くしては日露戦争は勝利を見出せなかったでしょう。その好例が日本海海戦の勝利です。

敗戦後の日本を牽引した吉田茂は、この歴史に学んで日米同盟を基軸とした国家戦略を創造し、この選択が今の経済大国日本を生み出す源となったのは確かだろうと思います。但し吉田は軍人が大嫌いで、軍事に関しては必要最低限な国家防衛能力があれば良く、その外側は米軍が補完すると考えたので、日本の国家戦略から軍事の意味合いが変質したのは、ある意味未来に禍根を残したと思います。

今の日本の政治家を見ていると、日本の国内だけを見た国家戦略を語れる人物はいますが、国際社会の中での日本の国家戦略を語れる人物は居ないようです。その部分を補完するのが日米同盟なのだと言う事も忘れている政治家も大勢います。

例えば社民党のマニフェストには、こうあります。

1.北朝鮮に核保有を断念させ、戦後処理問題の解決に取り組みます
2.日米同盟の強化に反対し、多国間の安全保障システムを構築します 
3.平和憲法の理念の実現をめざし、自衛隊を縮小・改編します 
4.国連中心の外交政策をすすめ、非軍事面の国際協力を進めます 
5.北東アジアを非核化し、核も戦争もない21世紀をめざします

日本という国家の存在を保障し、その繁栄を継続させるために国家戦略はあります。憲法はその為の規範です。ところが日本では国家の存在の保障を優越する位置に憲法が存在すると主張する人がいます。私はこれを「平和憲法信仰」と呼んでいます。信仰の怖い側面に、殉教精神というのがあります。信仰を守るためには信仰と共に死んでも構わないと言う精神世界を国家戦略に持ち込むと、極端な話が平和憲法のために国家が滅亡しても構わないという帰結を生むことになります。

当たり前の話ですが、国家の存在と憲法が対立したら、国家が優越するのは当たり前だと私は思います。勿論これが正しい意見かどうかは議論の余地があります。あくまで私が正しいと信じるだけの意見であることはお断りしておきます。私は骨の髄までリアリストですので、国家の生存が主目的であれば、その障害に憲法がなるのであれば、それは無視する考え方しかできません。

さて、社民党が言う「多国間の安全保障システムを構築します」という「多国間」とは何処の国を具体的に指すのかが書いてありません。日米同盟を基軸にしたら他国に中国は入りません。それはアメリカの国益に反するからです。じゃアメリカを外したら同盟を組める相手は?まさに禅問答です。

「平和憲法の理念の実現をめざし、自衛隊を縮小・改編します」というのも、戦争放棄を謳う憲法の理念実現のため、国家の防衛は二の次にしますという話にしか読めませんが、それを実現するためには国防を代替する仕組みが必要です。それが前述した「多国間の安全保障システムを構築します」になる筈ですが、その具体的な方法論が明示されていなくては、まさに絵に描いた餅です。

こんな風に空手形を堂々と国家戦略に掲げて公表する風土が許されている国は、先進国の中では日本だけでしょう。困ったことにその思想に共鳴する勢力は民主党にもかなり居ます。そして自民党ですら自分達の始祖が構築した国家戦略を理解出来ず、一種の信仰のように思い込んでる勢力がいます。

例えば、「専守防衛」という軍事戦略の解釈です。この論理解釈を旧社会党風にフランス人相手に展開したら、恐らく狂人扱いされかねません。何せ敵は自国の国土に上陸してから撃退するというんですから。本来は島国日本の特性を活かして、洋上や上空で敵は撃破し、一歩たりとも国土を踏ませないというのが戦略である筈です。そうしないと国土に住む住民を戦闘に巻き込み、多数の民間人の死者を出す事になるからです。

しかし政治の世界では、平和憲法の理念を守る方が優越されているため、住民の被害は、その憲法を選択し、改憲を行わない意思を示している国民の被害を甘受すると言う解釈にされてしまいます。しかも狡猾なことに、このような解釈が成り立つことは有権者には明かされて来ませんでした。

この話はチャンと自分で考えたら誰もが見出せる単純な問題点なのですが、そうは思わない人が日本の知識階層に多数存在しているのが不思議です。

政権が変わったら何もかもバラ色になるという妄想は、離婚して再婚した方が幸せになるという話と同じで、幸せになるための努力をしない限り、実現は不可能ということなんだと考え直して、今度の選挙に臨んで頂きたいものです。

ただ、このような視点で各党のマニフェストを見てみると、実は何処も選択肢に選べないという不安を味わうのは私だけでしょうか。

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