« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

2009年10月31日 (土)

『死に至る病』

「キルケゴールの書物はキリスト教徒以外にも極めて興味深い」と言ったのはヤスパースです。

キルケゴールは敬虔なクリスチャンでした。しかし、彼の宗教観は、信仰を徹底的に自己の問題として捉えているという点で、他の信者とは一線を画していました。この「自己の問題」を単純に言い替えると、「個性」や「主体性を持つ」ということになります。それは人がこの世と関わって生きるために常に問題にしなければならない、基本的かつ重要な問題であるとキルケゴールは考えるのでした。ですから、彼は大衆を嫌いました。なぜなら、大衆において人は自己を失っているからです。大衆に所属することで生じる「主体性のなさ」や「群集心理」は、広い意味で自己喪失を意味するとキルケゴールは喝破しています。他人の意見に左右されることなく、「単独者」としての自分を自覚し、主体的に生きることこそ、真に人間らしい生き方であるとキルケゴールは説くのです。

そんなキルケゴールの代表的な著作が『死に至る病』です。

『死に至る病』を初めて読んだのは高校1年生の時でした。

私は高校生になった時、様々な精神的なストレスに晒されていて、胃潰瘍になり罹っている状態でした。食事をしては吐き、電車に乗るとトイレに行きたくなって、普通列車にしか乗れないような精神状態だったのです。下痢も毎日のように続いていました。今から考えると自分とは何者か、自己とは何か、そういう自分探しをする時期だったのだと思います。

ですから、キルケゴールのこの言葉にはいきなりやられました。

「人間は精神である。しかし精神とは何であるか。精神とは自己である」

人間であることとは、つまり自己であることと同義であり、さらにこのように人間を捉えることが人間であることの理由でもある。人間は精神の存在であり、精神によって規定されているとキルケゴールは語りかけます。

「自己とは何であるか、自己とはひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係することである」

自己とは「関係そのもの」ではなくて「関係する」ことであるとキルケゴール説きます。ここで自己とイコールで結ばれる「関係」とは、対立する二つの概念の間にある停止した静的なもの、例えば「主観と客観の関係」というようなものではなく、動的な自ら関係していくようなもの。つまり自ら態度を決定し自己を決定していく事というような積極的な意味に捉えるべきです。

人は人であることを自ら自覚するためにも、自らの行動や態度を決めるべきであり、それは他人の意見に左右されるものではない。そういう風にあの頃は読めたものです。

我々は普段の生活のなかで、様々な形で絶望しています。近しい人の死であったり、目標の挫折であったり、その理由は様々ですが、これらは自己との関係を不均衡にさせる作用を生みます。絶望という心理状態に人が陥るのは、このように自己への関係がバランスをとれなくなったときであり、さらに自己との不均衡とは、つまりは他者との不均衡でもあります。

そして、絶望はなにか外的な事件によって己の身にふりかかるものではなく、「人間自身のうちにひそむこと」である。「それなら、絶望はどこからくるのか。総合がそれ自身に関係するその関係からくるのである。(中略)そして、この関係が精神であり自己であるというところに、そこに責任があるのであって、あらゆる絶望はこの責任の下にある」つまり、絶望とは自己から生起し、自己によって問題となり、自己の責任において考察されるべき心理状態なのです。つまり、外的な事件は絶望の直接的な原因ではなく、それを生み出すきっかけにすぎないとキルケゴールは言います。絶望は常に自分自身の中に潜んでいるのであり、そとから降りかかるものではない。では、このような絶望を前に人はどうすればよいのか。

キルケゴールは絶望という「病」の分析によって、「絶望していないということ、絶望していることを意識していないということ、それこそが絶望のひとつの形態に他ならない」とか、「安心や落ち着きこそ、絶望に他ならないことがありうる」とか、「幸福の奥底、これこそ絶望にとって一番好ましい」などという結論を出し、「絶望」という心理状態が、人間の普遍的状態であり基本的状態であることを明らかにしています。人間の生には、その根底に絶望が潜んでいるのです。

自己への意識を強くするとは、「絶望」への意識を強くするということに他ならないともキルケゴールは言います。「絶望の旅は自己意識に比例して強まる」。しかし、人間が己の自己と向き合い「真の自己」を獲得するには、この絶望を深める(自己意識を強くする)ということを徹底的に行わなくてはならないと。絶望は短所であると同時に長所でもある。「この病(絶望)にかかりうるという可能性が、人間が動物よりも優れている長所なのである」とさえ言う。

人は絶望を体験して、初めて自己の確立された大人になっていく。けして絶望から逃げててはいけない。このキルケゴールの思想は30代の私の心の慰めともなりました。

2009年10月 7日 (水)

金日成(キム・イルソン)主席の遺言

「中国国営新華通信が6日伝えた金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長と温家宝中国首相の発言の要約。金正日委員長:韓半島の非核 化は金日成(キム・イルソン)主席の遺言です。朝鮮が韓半島の非核化を実現するために努力するという目標に変化はありません。朝米対話を通して、朝米間敵 対関係は必ず平和関係に変わらなければなりません。朝鮮は朝米会談の状況を見守りながら、6カ国協議を含む多者会談が行われることを望みます。

普通にこの文面を読んだら、飲んでいた珈琲を吹き出してしまうかも知れません。あるいは開いた口がふさがらないという思いになるでしょうね。

でも、外交というのは普通の人付き合いとは違うモノです。国益を掛けた戦略的なゲームです。笑顔を握手しながら、お互いに足は相手の膝を蹴ろうと身構えてる。そういうものなのです。

そういう視点でこの発言を見てみると、朝鮮半島の非核化は北朝鮮の国是だという話しですよね。つまり非核化するプロセスを外交的手段で解決する意 志はあるというアピールです。無論したたかな計算がそこにはあって、非核化するための費用や非核化することで失う抑止力を補完する見返りは、国際社会、具 体的には6カ国協議の参加国に負担をお願いしますという話しになります。

これまでの北朝鮮の核開発をめぐる外交を振り返れば、原子炉の建設をめぐり、核兵器の開発を行いにくい軽水炉をアメリカなどに建設させたり、発電 施設として開発してきた原子炉が稼働できない分の電力確保のために重油を提供させたりと、相手が合意を維持するためには仕方がないという心理を上手く利用 して、引き出せるモノは引き出すということを徹底してやった経緯があります。

今回の非核化宣言も、現実に外交の場で交渉の遡上に出て来るのは、資金提供、資材提供、規制の緩和などで、アメリカに対しては不戦条約のようなモノを要求して、朝鮮半島の平和のために、完全な米軍の撤退を突きつけてくると思われます。

それにオバマ大統領は核兵器の無い世界を説いたばかり。ある意味揚げ足取られてるんですから、流石北朝鮮外交の冴えた戦術だと思います。

一方で日本に対しては、拉致被害者を交渉材料にして、様々な経済支援を6カ国協議とは別の場で要求してくるでしょう。何せ日本は非核化運動のアジアの旗手ですから、それを持ち出されたら今の民主党政権は混乱して、ぶれてしまうのは確実ですから。

こうした話を頭に入れて、中国の発言を見て下さい。

「温家宝首相:「朝鮮が韓半島の非核化目標を堅持し、6カ国協議を含む多者対話でこの目標を実現すると明らかにしたことに賛辞を送ります。中国は 朝鮮と他の当事国とともに努力して韓半島の非核化を実現し、北東アジアの平和と安定、発展のために積極的な貢献をするつもりです」

はい、中国は北朝鮮の立派な信念を讃え、その実現に向けて共同歩調を取りますよと云うんですが、実現に要する人・物・金は北東アジアの平和と安定の恩恵を受ける国が払いましょうねと言う話です。

これは具体的に云えば、日本であり、その同盟国アメリカであるのは明白ですよね。

アメリカの軍事的なプレゼンスが、今後北東アジアではグアム島あたりに後退してしまうのは既に決定事項です。東シナ海や日本海の制海権は第七艦隊と日本が共同で維持しないといけない状況が其処まで迫っているということですね。

ですが、現実には、海上自衛隊は今それだけの実力は持っていません。これからの10年の海上自衛隊の艦艇の整備方針などを見ても、現在の「なみ」 級のような5千トンクラスの護衛艦から、維持しやすい3千トンクラスの中型護衛艦へと転換させる話が進んでいます。しかもその数は定数で決まっていますか ら、これは1980年代後半の状態に戻るという見方も出来るでしょう。

財政的に厳しい日本が軍拡に突き進めないというのは、北東アジアの国々では想定内のお話しだけに、北朝鮮や中国がどう思っているか。それをこの金日成の遺言が示してくれている気がします。

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ