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2010年6月

2010年6月17日 (木)

「La Battaglia di Algeri」

「英エンパイア誌が「史上最高のワールドシネマ100本(100 Best Films of World Cinema)」を発表した。(ここでいうワールドシネマとは、英語以外の言語=外国語映画のことだ。) 第1位に選ばれたのは、黒澤明監督の「七人の侍」(54)。黒澤監督のあまたある傑作のなかでも、とりわけ世界の映画人に大きな影響を与えた作品として知られる。エンパイア誌は、「アクションと人物造形、東洋と西洋、ブロックバスターとアートハウスといった要素が完璧に融合した、あらゆる言語を超越する傑作」と評価。」 

ベスト10は以下の通り 

1.「七人の侍」(日本/54/黒澤明) 
2.「アメリ」(フランス/01/ジャン=ピエール・ジュネ) 
3.「戦艦ポチョムキン」(ロシア/25/セルゲイ・エイゼンシュタイン) 
4.「自転車泥棒」(イタリア/48/ビットリオ・デ・シーカ) 
5.「パンズ・ラビリンス」(スペイン・メキシコ/06/ギレルモ・デル・トロ) 
6.「アルジェの戦い」(フランス・イタリア/66/ジッロ・ポンテコルボ) 
7.「シティ・オブ・ゴッド」(ブラジル/02/フェルナンド・メイレレス) 
8.「第七の封印」(スウェーデン/56/イングマール・ベルイマン) 
9.「恐怖の報酬」(フランス/53/アンリ=ジョルジュ・クルーゾー) 
10.「千と千尋の神隠し」(日本/01/宮崎駿)



この中で、6位に入っている「アルジェの戦い」について少し書いてみましょう。 

2007年に米映画協会(AFI)に所属する監督、脚本家、俳優、編集者、批評家ら1500人が、1997年以来10年ぶりに歴代のアメリカ映画のベスト100を選出&発表したことがあります。一応ベスト10を書いておくと以下のようになります。当然ながら英語の映画ばかり(^○^) 

1 市民ケーン(1) 
2 ゴッドファーザー(3) 
3 カサブランカ(2) 
4 レイジングブル(24) 
5 雨に唄えば(10) 
6 風と共に去りぬ(4) 
7 アラビアのロレンス(5) 
8 シンドラーのリスト(9) 
9 めまい(61) 
10 オズの魔法使(6) 



ところが、2009年3月に、映画マニアが多い米国Yahoo!の編集スタッフたちが徹底討論し、映画史上の名作リスト「死ぬまでに見たい映画100」を発表すると(順位は敢えてつけなかった) 

※英語原題のABC順、カッコ内は製作年&監督名 

「十二人の怒れる男」(1957、シドニー・ルメット) 
「2001年宇宙の旅」(1968、スタンリー・キューブリック) 
「大人は判ってくれない」(1959、フランソワ・トリュフォー) 
「8 1/2」(1963、フェデリコ・フェリーニ) 
「アフリカの女王」(1952、ジョン・ヒューストン) 
「エイリアン」(1979、リドリー・スコット) 
「イヴの総て」(1950、ジョセフ・L・マンキウィッツ) 
「アニー・ホール」(1977、ウッディ・アレン) 
「地獄の黙示録」(1979、フランシス・フォード・コッポラ) 
「アルジェの戦い」(1967、ジッロ・ポンテコルボ) 
「自転車泥棒」(1948、ビットリオ・デ・シーカ) 
「ブレードランナー」(1982、リドリー・スコット) 
「ブレージングサドル」(1974、メル・ブルックス) 
「欲望」(1966、ミケランジェロ・アントニオーニ) 
「ブルーベルベット」(1986、デビッド・リンチ) 
「俺たちに明日はない」(1967、アーサー・ペン) 
「勝手にしやがれ」(1959、ジャン=リュック・ゴダール) 
「戦場にかける橋」(1957、デビッド・リーン) 
「赤ちゃん教育」(1938、ハワード・ホークス) 
「明日に向って撃て!」(1969、ジョージ・ロイ・ヒル) 
「カサブランカ」(1942、マイケル・カーティス) 
「チャイナタウン」(1974、ロマン・ポランスキー) 
「市民ケーン」(1941、オーソン・ウェルズ) 
「グリーン・デスディニー」(2000、アン・リー) 
「ダイ・ハード」(1988、ジョン・マクティアナン) 
「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989、スパイク・リー) 
「深夜の告白」(1944、ビリー・ワイルダー) 
「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて 
水爆を愛するようになったか」(1964、スタンリー・キューブリック) 
「我輩はカモである」(1933、レオ・マッケリー) 
「E.T.」(1982、スティーブン・スピルバーグ) 
「燃えよドラゴン」(1973、ロバート・クローズ) 
「エクソシスト」(1973、ウィリアム・フリードキン) 
「初体験/リッジモンド・ハイ」(1982、エイミー・ヘッカリング) 
「フレンチ・コネクション」(1971、ウィリアム・フリードキン) 
「ゴッドファーザー」(1972、フランシス・フォード・コッポラ) 
「ゴッドファーザー PARTII」(1974、フランシス・フォード・コッポラ) 
「007/ゴールドフィンガー」(1964、ガイ・ハミルトン) 
「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」(1966、セルジオ・レオーネ) 
「グッドフェローズ」(1990、マーティン・スコセッシ) 
「卒業」(1967、マイク・ニコルズ) 
「大いなる幻影」(1938、ジャン・ルノワール) 
「恋はデジャ・ヴ」(1993、ハロルド・レイミス) 
「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」(1963、リチャード・レスター) 
「花様年華」(2000、ウォン・カーウァイ) 
「或る夜の出来事」(1934、フランク・キャプラ) 
「素晴らしき哉、人生!」(1946、フランク・キャプラ) 
「ジョーズ」(1975、スティーブン・スピルバーグ) 
「キング・コング」(1933、メリアン・C・クーパー&アーネスト・B・シュードサック) 
「レディ・イヴ」(1941、プレストン・スタージェス) 
「アラビアのロレンス」(1962、デビッド・リーン) 
「ロード・オブ・ザ・リング」3部作(2001、2002、2003、ピーター・ジャクソン) 
「M」(1931、フリッツ・ラング) 
「M★A★S★H マッシュ」(1970、ロバート・アルトマン) 
「マルタの鷹」(1941、ジョン・ヒューストン) 
「マトリックス」(1999、アンディ&ラリー・ウォシャウスキー) 
「モダン・タイムス」(1936、チャールズ・チャップリン) 
「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」(1975、テリー・ギリアム) 
「アニマル・ハウス」(1978、ジョン・ランディス) 
「ネットワーク」(1976、シドニー・ルメット) 
「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922、F・W・ムルナウ) 
「波止場」(1954、エリア・カザン) 
「カッコーの巣の上で」(1975、ミロシュ・フォアマン) 
「突撃」(1957、スタンリー・キューブリック) 
「もののけ姫」(1999、宮崎駿) 
「サイコ」(1960、アルフレッド・ヒッチコック) 
「パルプ・フィクション」(1994、クエンティン・タランティーノ) 
「レイジング・ブル」(1980、マーティン・スコセッシ) 
「レイダース/失われた聖櫃《アーク》」(1981、スティーブン・スピルバーグ) 
「紅夢」(1991、チャン・イーモウ) 
「羅生門」(1951、黒澤明) 
「裏窓」(1954、アルフレッド・ヒッチコック) 
「理由なき反抗」(1955、ニコラス・レイ) 
「ロッキー」(1976、ジョン・アビルドセン) 
「ローマの休日」(1953、ウィリアム・ワイラー) 
「プライベート・ライアン」(1998、スティーブン・スピルバーグ) 
「シンドラーのリスト」(1993、スティーブン・スピルバーグ) 
「捜索者」(1956、ジョン・フォード) 
「七人の侍」(1954、黒澤明) 
「ショーシャンクの空に」(1994、フランク・ダラボン) 
「羊たちの沈黙」(1991、ジョナサン・デミ) 
「雨に唄えば」(1952、スタンリー・ドーネン&ジーン・ケリー) 
「白雪姫」(1937、デビット・ハンド) 
「お熱いのがお好き」(1959、ビリー・ワイルダー) 
「サウンド・オブ・ミュージック」(1965、ロバート・ワイズ) 
「スター・ウォーズ」(1977、ジョージ・ルーカス) 
「サンセット大通り」(1950、ビリー・ワイルダー) 
「ターミネーター2」(1991、ジェームズ・キャメロン) 
「第三の男」(1949、キャロル・リード) 
「スパイナル・タップ」(1984、ロブ・ライナー) 
「タイタニック」(1997、ジェームズ・キャメロン) 
「アラバマ物語」(1962、ロバート・マリガン) 
「トイ・ストーリー」(1995、ジョン・ラセター) 
「ユージュアル・サスペクツ」(1995、ブライアン・シンガー) 
「めまい」(1958、アルフレッド・ヒッチコック) 
「恋人たちの予感」(1989、ロブ・ライナー) 
「野いちご」(1957、イングマル・ベルイマン) 
「ベルリン・天使の詩」(1987、ビム・ベンダース) 
「オズの魔法使」(1939、ビクター・フレミング) 
「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(1987、ペドロ・アルモドバル) 
「大樹のうた」(1959、サタジット・レイ) 

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「アルジェの戦い」がチャンと入っていますね。「アルジェの戦い」は原題が「La Battaglia di Algeri」と云います。フランス語かイタリア語という題名ですね。 

監督のジッロ・ポンテコルヴォ(Gillo Pontecorvo)はイタリア人ですが元々はイタリア系ユダヤ人。大学時代に左翼運動に荷担しすぎてフランスに逃れる羽目になり、此処で映画の道に入るのですが、オランダ人共産主義者イヴ・アレグレ監督に師事してドキュメンタリータッチの映画を学びます。その後共産党に入党。大戦中は反ナチスパルチザン活動に参加。戦後イタリアに戻るがジャーナリストの世界で活躍し映画から遠ざかる。それはソ連のプラハ侵攻で共産党に失望し、脱党するまで続いたのでした。そして再び映画の世界に戻り本格的な映画作品としては三作目が、この「アルジェの戦い」です。

そういう経歴の監督だけに、映画はフランスの植民地支配から立ち上がった民衆の独立運動に光を当て、出演者も現地の素人に毛の生えたような人を使うことで、まるでドキュメンタリー映画のような作品に仕上げています。あまりにリアルすぎて、時々アルジェリアの独立運動を伝える際に、ニュース映像のように使われていることすらあるほどです。

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日本でアルジェリア独立紛争の映画というと、アランドロンやアンソニー・クインが出演した「名誉と栄光のためでなく(Les Centurions)」が有名ですが、この映画とあわせて「アルジェの戦い」を見れば、理解が深まるかも知れませんね。 

フランス人にとって、アルジェリア独立紛争はアメリカのベトナム戦争のようなもので、政府の弱腰や政治判断という名のご都合主義に振り回された軍部は叛乱騒ぎを起こし、ドゴール大統領の強権的判断が功を奏して、叛乱は不発におわったものの、後々まで軍部に深い傷を残しました。 

フランス外人部隊の精鋭中の精鋭とされている部隊に、第2外人落下傘連隊というのがありますが、どういうものか第1外人落下傘連隊が存在しません。実はこの第1外人落下傘連隊がアルジェリアで叛乱を起こした部隊の中核で、後に解体されてしまって永久欠番になっているのです。 

もしも見る機会があったら一度ご覧下さい。 フランス軍が嫌いになりますこと請け合いです(* ̄m ̄) ププッ

PS

友人によれば、2006年に公開された、『いのちの戦場-アルジェ1959』という映画も同じテーマを扱った秀作だそうですが、未見です。

2010年6月16日 (水)

因果は巡るというお話し

「運命の人と出会い、順調な交際を経て結婚に至るなら、それはお互いにとって非常に幸せなこと。しかしアイルランドのある夫婦は、幸せな結婚生活を送っていた最中に、思わぬ形で運命に潜んでいた過去が紐解かれ、衝撃の真実を知ってしまった。ナイトクラブで知り合って恋に落ち、現在は5歳になる男の子もいるこの夫婦。実は父親が同一人物と分かり、4月に行われたDNA鑑定からも異母兄妹の関係にあると断定されたのだ。さまざまな偶然も重なった結果、今になって明らかとなった真実に、2人ともショックを受けているという。」 (ナリナリドットコム)

「経験論」を代表する英国の哲学者デイヴィッド・ヒュームが、因果性とは、空間的に隣接し時間的に連続で、二種類の出来事が伴って起きるとき、この二種類の出来事の間に、人間が想像する(人間の心、精神の側に生まれる)必然的な結合関係のことであると喝破しています。

記事の2人は、元々兄弟として結ばれる縁が、夫婦という別の縁に掛け違われたにせよ、数多居る人の中で偶然こうしたカップルが誕生するのは奇跡に近いお話しでして、因果というモノを考えずにはいられないのが仏教徒としての常です。

さてさて、こういう不思議なお話は如何でしょう?

1972年11月6日午前1時9分頃に福井県敦賀市の北陸本線敦賀駅-南今庄駅間にある北陸トンネル(総延長13,870m)で、走行中の大阪発青森行き、急行「きたぐに」(15両編成)の11号車食堂車(オシ17 2018)喫煙室椅子下から火災が発生。火災車両から発生した猛烈な煙と有毒ガスが排煙装置のないトンネル内に充満したこと等の悪条件が重なり、30人(内1人は指導機関士)が死亡し、714人にものぼる負傷者を出す大惨事となった事件がありました。

後に『北陸トンネル火災事故』と呼ばれるのですが、この日の午前中に羽田空港発福岡空港行きボーイング727を覆面をした男が乗っ取り、キューバへの亡命を要求したハイジャック事件が起きて、マスコミ報道は午後から夕方にはこの事件にスイッチしちゃいます。ただし、当時大阪に住んでいた私の記憶では、関西ではこのトンネル火災事故の方が取り扱いは大きかったと思います。被害者に関西在住者が多かったからでしょうね。

このハイジャックされた便名がJAL351便。1970年3月31日に赤軍派が起こした日本航空便ハイジャック事件(『ど号ハイジャック事件』)と同じ便名という偶然がおきます。機体こそ違え機種は同じボーイング727。この犯人、こんな短距離機でキューバへ行ける訳もないと機長に説得され、長距離機を要求。351便は羽田に引き返し、人質解放とひき替えに用意されたダグラスDC-8(JA8040機)に乗り換えたところで機内に潜んでいた警察官に逮捕されます。世に云う『日本航空351便ハイジャック事件』の顛末です。

目出度し、目出度しとなった22日後の1972年(昭和47年)11月28日。このDC-8(JA8040機)はモスクワのシェレメーチエヴォ空港で、離陸直後に墜落。操縦乗務員6名(内3名は交代要員)、客室乗務員7名、日本航空職員1名、乗客62名(内日本人は52名)の搭乗者計76名中、62名が死亡するという『日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故』を起こします。

このDC-8(JA8040機)は、1970年の「よど号ハイジャック事件」の人質達が解放された韓国から帰国する際に使用された機体でもありました。

因果は巡るですね。

さて、その「よど号ハイジャック事件」で、英雄が二人産まれました。その内の一人である機長の石田真二は、事件後にマスコミが愛人が居ることを突き止め、バッシングの中で日航を退社。その後様々な仕事を転々とし、最後は夜間警備員として生涯を終えた故人です。もう一方の、人質解放と交換に人質になった山村新治郎運輸政務次官。後に農林水産大臣や運輸大臣も経験。自民党の中で確実に地位を築いていきましたが、1992年4月12日、自民党訪朝団団長として北朝鮮への訪問を翌日に控える中、次女に自宅で殺害されるという悲劇的な最後を迎えます。

氏名は公表されていませんが、「よど号ハイジャック事件」の乗客の中の1人は、7年後の1977年に発生した『ダッカ日航機ハイジャック事件』のハイジャック機にも乗り合わせ、二度も赤軍派のハイジャック事件の被害者になるという希有な体験をしています。

因果応報な話を最後にしますと、最初に書いた『北陸トンネル火災事故』が起きる3年前のこと。1969年にも事件と同じ北陸トンネル内を通過中の寝台特急「日本海」で列車火災が発生したことがありましたが、列車乗務員が機転を利かせて、当時の規程(火災発生時はいかなる場合でも直ちに停車する)を無視して列車をトンネルから脱出させ、速やかな消火作業を行った結果、死傷者を生じさずにすんだのですが、当時の国鉄上層部は、事故をインシデントとして捉えることなく、この行為を「規程違反」として杓子定規に乗務員を処分してしまい、運転マニュアルの見直しを行いませんでした。

そのため事故列車は長大トンネルの中間で規定どおり停止する選択をせざるを得ず、結果として大惨事を惹起させることになりました。事件を捜査した検察・警察は、多数の犠牲者を発生させた結果責任として機関士と専務車掌の2人を業務上過失致死傷罪で起訴。裁判では検察側がトンネル内で列車を停止したのが被害を大きくしたとする争点となり、長期裁判となって争われたが、1980年11月25日に金沢地方裁判所で下された判決では、事故当時乗務員のとった行為は「規定を遵守し最善を尽くした」とされ、また車両の切り離し作業におけるブレーキ管のホースの切り離し等、機関士にとって不慣れな作業による遅れは「許される範囲」として2人とも無罪が確定するに至った。

しかし、前述の寝台特急日本海火災事故を検証せず、その後も運転マニュアルの見直しを
を放置した国鉄幹部の責任が裁判で追及される事はなく事件は終わってしまいました。(事故後、「日本海」の乗務員に対する処分は撤回された)

司法も事件をマクロな姿勢で捉え、再発を防止するという観点ではなく、ミクロな視点で事件の責任を当事者に取らせるべきか否かでのみ機能したことが、後々記憶に新しい福知山線の脱線事故など、鉄道事故が繰り返される度に、それ以前に起きていたインシデントな事故を鉄道会社は積極的に事故防止に利用するという姿勢に転換出来ていないことを物語っている気がします。

そういう逃げは、後々因果によって清算されるのだと考えてみる経営者が必要です。

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