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2010年12月 5日 (日)

拝啓仙石官房長官様

ロシア革命を主導したレーニンは、その著書『国家と革命』の中で警察や軍隊を「暴力装置」と批判的に表現しています。レーニンがロシアで革命を起こそうとしても、つねに立ちはだかってくる国家機関が警察と軍隊であったのですから、それを批判し否定するのは常套手段と云えるでしょう。

この思想の影響を受けたのが、安保闘争期以降の日本の左翼思想家達です。もちろん、その当時の革命ごっこにかぶれた若者も自分達の頭で考えもせずに、レーニン的な揶揄の意味で軍隊を「暴力装置」という表現するのを無条件に受け入れてしまいました。それが流行していたから、ただそれだけの理由です。

しかし、「暴力装置」という表現は、政治学や社会学においても、国家の物理的強制機能を指す言葉として多く使用されている事を知っておかないと、皆さんも時代遅れの左翼思想家にされてしまいかねません。

社会学的な見地から「暴力装置」(Organized violence)という表現を規定したのがマックス・ウェーバーでした。ウェーバーはこう言います。暴力に実質的に対抗できるのは同等の暴力だけである。つまり、暴力を統制するためには、より強力な暴力、すなわち「組織化された暴力」(Organized violence)が社会の中で準備されなければならない。現代社会に於いては、それが軍隊・警察に相当するのだと。

何だか小難しい話になっていますが、要するに、刃物を持って人質を取っている人間に対抗するためには、こちらもそれ以上の武装をしていることを相手に知らしめないと、その犯罪は解決できないということです。丸腰の警察官が、銃を持っている犯人に立ち向かい、説諭して、投降させるなんていう芸当は、『太陽に吠えろ』の頃で終わっています。(あの刑事ドラマもある意味レーニン的思想背景にあったとも云えますね)

たしかに、暴力は人間の尊厳や人権をおびやかすものです。あらゆる対立は非暴力的な手段によって理性的に解決されるべきだというのは、世界中の如何なる宗教もそう説きますし、人類何千年の歴史から生まれた高尚な思想であり、社会の規範(法律)とされるのは当然のことです。しかし、その規範が正しく実施されるとは限らないのが人の世の常でもあります。暴力を失った国家は理想郷でしょうが、他国が暴力を持って攻めてくれば、それで滅びるのは誰が考えても当然の帰結です。

そのためには、暴力に対抗するための必要な(必要と国家が考える範囲の)暴力は用意されているべきだというのが、ウェーバーのいう「暴力装置」の意味なのです。この論理を利用したのが、「MAD(Mutual Assured Destruction)=理論相互確証破壊」という核戦争の仁義です。核兵器を配備している国家と対等に渡り合いたければ、貴方も核兵器を配備しなさいというのは、リアリスト的な視点に立てば何等不合理ではないということになりますね。

ただし、この「暴力装置」は国家が独占しておかないと困ります。誰かの私兵として動かれたら、それは暴力団や盗賊と何等変わらないからです。ヴェーバーは、この点についても発言しています。

合法的(正統)な暴力の独占(monopoly on legitimate violence)は、一定の領域において単独の主体(国家)が暴力に関する権威・権限を行使する状態を定義したものであり、このような独占が正統のプロセスを介して生じなければならないと。(『職業としての政治』)

イラク戦争を始めたブッシュ政権が、その正統性を国内外から厳しく指弾されたのは、戦争行為の決定(暴力の行使)が正当なプロセスを経てなされたのか?という点であったのは、皆さんも記憶されていることと思います。

さて、先の仙石官房長官の自衛隊は暴力装置だと云う発言は、レーニン的思想背景に基づいてなされたものか、マックス・ウェーバー的思想背景に基づいてなされたものか、この点が真っ当な国なら問題になっているのですが、誰もそんなことは云いませんでしたね。

仙石氏も、世耕代議士の追及に対して、「私はマックス・ウェーバー的思想背景に基づいて自衛隊のシビリアンコントロールは正常になされねばならないという意味で、そう申し上げた」とでも言い逃れを云えない、この教養もユーモアもない議会の情けなさ。官僚政治を政治主導にすると云う公約を掲げた政権の中心人物が、この程度なのにですよ。

仙石官房長官には、是非ウェーバーの『支配の社会学』(Soziologie der Herrschaft)を一読されることをお勧めします。

ウェーバーは云います。そもそも社会全体に影響を与える行政活動から政治性を排除することはできない。しかし官僚制は政治性を排除し、非政治的なものへと変容させ、合理化進めるものである。これは官僚制の有効性であると同時に、官僚政治の原因にもなり、そのことは「政治の貧困」をもたらし、価値観の対立や討議という政治の意義が失われることにもつながるのだと。

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コメント

 国会で官房長官が「暴力装置」という発言をした時、私は苦笑を禁じ得なかった。以前に自民党の石破前防衛大臣が同じ言葉を講演の中で使っていますので、これを問題視するという気はなかったのです。しかし、ね、このような言葉尻をとらえての舌戦は戦前の天皇機関説論争や腹切り問答と同じで亡国の道を辿らせるものとして注意を喚起しておきたい。

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