« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月26日 (土)

国軍を忘れた国

「リビアの首都トリポリの情勢が緊迫するなか、首都から約200キロにある隣国チュニジアとの国境に、「毎日、1万人前後」(地元住民)のリビア人や外国人の脱出者が殺到している。「カダフィは外部の反体制派がトリポリの住民に合流しないよう、市の周囲に治安部隊や戦車を配置している」。25日、トリポリの自宅から車で裏道を抜け、チュニジア側国境の村ラスジディルに着いたリビア人の会社経営アブサラム・オルヘリさん(38)は、証言した。オルヘリさんによると、市中心部では、外国雇い兵数千人や戦車が配備され、雇い兵は時折、市民に向けて銃を乱射するという。反体制派住民は武器を持たず、立ち向かえない。「トリポリ近郊のザウィアやズワーラは反体制派が制圧したが、国際社会が関与しないと、カダフィは何をしでかすか分からない」と訴えた。」

Troops_occupying_nagatacho_1

本日は2月26日。1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、帝国陸軍の第一師団を中心にした国軍の叛乱事件が起きた日です。参加した部隊の下士官と兵は叛乱を主導した上官(将校)の命令で行動しただけにも関わらず、その罪を減じられずに多くの兵士が支那事変や太平洋戦争で最前線に送られて戦死をしています。

(主たる叛乱参加部隊)
近衛師団・近衛歩兵第3連隊
第1師団・歩兵第1連隊、歩兵第3連隊


叛乱を主導した青年将校は理想に殉じたと、当時のマスコミは持ち上げたものですが、それを国民の側が素直に理解し支持出来たのは、講談や歌舞伎などで忠臣蔵の物語を知っていたからではないでしょうか。あれはまさに叛乱行為だと今でもあまりに理解出来ない人が多いのですから、これは今でも問題です。

Ijn_land_force_februrary_1936

この事件の”もしも”は、帝国海軍がかなり強硬な態度に出ていたら、海軍陸戦隊と叛乱軍が帝都において相撃つという大事件に発展していたかも知れないことです。そうなると、この亀裂は簡単には修復もできませんから、太平洋戦争に至る道程で別の歴史が展開されたかも知れません。もっともそうなると帝国日本は法治国家とは云えなくなりますか。

さて、お話しをリビアに戻しましょう。

リビアにも国軍はあります。陸軍は5万人の兵力を保有していると云います。以前は10万人ほど居たという説がありますが周辺諸国との戦争や、叛乱への警戒などから現在は半減しているモノと思われます。それでも頼りになるはずのリビア国軍を首都防衛に重用せずに傭兵による防衛戦を企図するカダフィーの深層心理。

独裁者は孤独ということなのでしょうかね。

エジプトでは、その国軍が最初から基本方針を保っていて、盲腸のようになっていたムバラク大統領に全ての怨嗟を集めさせ、国軍の治安出動命令を利用して、エジプト国軍を民衆の味方にする事に成功しています。

そういえば、お隣の国の中国では、国軍がありません。今ある人民解放軍は中国共産党の軍事部門です。中国の政治的なリーダーは、その党の私兵をどう掌握するのかということが求められます。しかも肝心の人民解放軍は、その駐屯地域の実力者と深く結びついた歴史が長くて、悪く云えば軍閥です。何時寝首をかかれるか判らない不安を抱えながらのリーダーの心労は大変なモノだとも云います。

しかしです。この日本には国軍がありません。自衛隊は自衛のための戦闘でしか活動できないように法律が整備されています。国の政体とか国体を守る責任はあるのかどうかも明確ではありません。今の法律で云えば、日本の政体を守るのは警察庁以下の全国の警察組織だったりします。海上保安庁も広義では、その意味で活動は出来るでしょう。ただ、まともな国の軍隊と戦って、それを撃破する能力がある訳じゃありません。元々そういう組織になっていないのだから仕方がないですけどね。

もしもですが、戦略上東京を放棄しないと行けないよう戦闘状態になって、政府が首都を守れと自衛隊に命令したとしてです。国民の避難状況を考え、東京を非武装都市化して、自衛隊が引いた方が良い場合もあるのに、政府が頑なに首都決戦を命令したら、元々国軍でもない自衛隊が市民の側に立って行動することがあっても、事後に法律で裁かれるとしても、それは単なる命令違反でしか訴追が出来ません。場合によっては執行猶予がつくような微罪になりかねません。そもそも国軍ではないのですから軍事法廷も法的に認められてはいないのです。

今の中東から北アフリカの市民暴動を、圧政に対する市民革命と讃えてる日本のマスコミや有識者さん達は、自分が住んでいる国が同じ事で更に矛盾した展開を生み出すのだろうにとは想像もしない。本当に他所の出来事は他人事なのだということがよく判ります。

日本は、未だに2,26事件の本質的な問題を理解出来ない人が多数なのだなぁ・・・と昨夜布団に入ってから考えてしまいました。


2011年2月14日 (月)

軍事クーデターを政界刷新と読み替える術

一応好意的に報道されているエジプトの政変ですが、日本も含めた欧米のマスコミの態度や評価を皆さんは不思議に思われませんか?

というのも今回の政変は明らかに軍部によるクーデターなのです。例えばですが、エジプト軍が若者や市民の連日の大統領退陣要求デモに対して治安出動を命じられ、政府機関の要所に配置されたのに、市民に対して何等、排除するような行動に出ていないというのは、単純に軍が市民の敵にはなりたくないと考えたというのは早計でしょう。軍部はデモ鎮圧命令を逆手に取って、堂々と大軍を首都に展開し、軍部隊の威圧により政府機関を掌握する行為に出て来たと見ることも出来るのですから。

そういえば、アメリカのゲーツ国防長官は「エジプト軍のデモ隊に対する冷静な対応が民主化の進展をもたらした」と会見で述べています。クリントン国務長官ではなく、ゲーツ国防長官がこんな事を言うのにも訳があります。要するにエジプト軍へ長年にわたり軍事協力をしてきたアメリカ軍のチャンネルを使い、エジプト軍に対して冷静な対応を要請したということを暗に仄めかしているのです。そしてこれは、とりもなおさず今回の無血クーデターをアメリカ軍が支持した(後押しをした)と言う想像にもつながります。無論、アメリカ軍の背後にはホワイトハウスの意思が働いているのは確実ですから、オバマ大統領の意向はムバラク政権排除であったとアラブ諸国の首脳達は考えている事でしょう。そうなると、そもそもFacebookやtwitterで若者が始めた民主化デモそのものが、CIAによる扇動工作なのではないかという疑心暗鬼が生まれることにもつながります。何せ誰が書いたか判らないネットの匿名性は、情報操作を行う者には好都合ですから。

さて、エジプトのムバラク大統領の辞任に伴い、ムバラク氏の退陣が明らかになる前の11日午前に大統領の全権を受け継いだ軍最高評議会が発表した「声明第2号」には、こういう内容がありました。

①混乱収束後の非常事態令の解除
②総選挙の結果に関する不服申し立ての受理
③憲法改正
④自由で公正な大統領選挙の実施

――を保証。

さらに、権力移行が完結するまでは市民の要求に真摯に向き合うと表明してあり、軍が民主化プロセスの後見役を担うとの姿勢を内外に印象づける内容になっています。

先月29日付のフランスの『le figaro』(internationalnet版)には、こういう記事が出ていました。

「1952年の王政転覆クーデター以来、国家安定の庇護者であるエジプト軍は、ムバラク前大統領を含めて総ての大統領を軍部より出してきた(ナギーブ⇒ナセル⇒サダト⇒ムバラク)。2004年にムバラク前大統領が病気になった時には、軍が国政を動かした。国防大臣のtantaouiは容赦なく首相のみならず息子のgamalも押しのけて、大統領の病気の間、軍が重要な戦略地点に駐留した。軍は秘密主義で(軍の高級将校のの氏名も軍事予算や総人員数すらも、良くは知られていない)国民に恐れと尊敬の念を起させている。軍は政権の中で最も腐敗していない組織とされていて、金曜日に群衆は軍を歓呼で迎えた。今回軍が表に出てきた点をあるエジプトの新聞記者は「人が軍に鍵を渡すときは解るが、何時軍がそれを返すかは解らない」と警告した。

私達は忘れていますが、スエズ戦争というのが1956年にありました。別名第二次中東戦争とも呼ばれます。イギリス・アメリカの支援による大事業であったアスワン・ハイ・ダムの建設をエジプトのクーデター政権が非同盟主義を打ち出したために中止になり、当時のエジプト大統領ナセルは、その対抗手段としてスエズ運河の国有化を発表。スエズ運河運営会社の株主でもあり、石油を含む貿易ルートとしてスエズ運河を利用するイギリス・フランス両国は、これに強く反発。そのため、英仏両国はイスラエルを支援してエジプトとの戦争を煽動し、自らは仲裁の名目でこれに介入したのでした。結果は戦争には勝利を治めますが、国際社会からの強い非難を受けて英仏はエジプトから撤退。エジプトはそれまで事実上英仏が管理していたスエズ運河の国営化に成功。イスラエルはシナイ半島を占領したもののアメリカの強い反発を考慮して同地を撤退。世界の基軸通貨ポンドは急落し、変わってドルが基軸通貨として認知される契機になったため、英国内閣は瓦解してしまいました。確か当時の首相はイーデンだったと思います。

今のオバマ政権はこの歴史を知らない訳がありません。今のアメリカの立場は期せずして英国のそれです。エジプトで失敗したらアメリカの国際的な影響力は低下してしまい、基軸通貨がドルではなく元になってしまうかも知れない恐怖。エジプトを失い、イスラエルの孤立感を深めることは、ひいてはイランの核兵器配備が現実化した時点でイラン戦争に至る可能性が高まることを意味します。そうなるとイランはホルムズ海峡を封鎖する挙に出るでしょう。西側のエネルギー供給ルートを失う事は世界経済に多大な影響を及ぼします。アメリカを支持するサウジアラビアの様な国も、この混乱による経済損失などが大きくなればアメリカへの支持を失わせる結果にもなりかねません。そうなれば中東はイスラムの牛耳る地域となり、1世紀以上に渡りアメリカが気付いてきた石油利権は雲散霧消になってしまいます。かと云って米軍がイランとの全面戦争を始めてしまえば、疲弊している米軍はアフガニスタンやパキスタンと云った友好国の支持をもうしなう可能性すら出て来ます。もちろん勝利を治めなければオバマ政権は瓦解しかねません。そんな危ない戦争をアメリカがやりたい筈が無いのも自明です。

ですから、西側諸国から見て穏健的な妥協案を示すエジプト陸軍最高評議会の態度は理想的だと云えるでしょう。とにもかくにも古い体質を体現したムバラクは去りました。軍部は、12日には議会を解散し、憲法を停止すると発表。しかもムバラク大統領が最後に指名していった暫定のシャフィク内閣を当面活かし、残務整理にあたらせるとしています。さらに秋までには改憲の是非をめぐる国民投票を実施し、大統領選挙を実施することを公約しています。また、「締結した外国との条約はすべて遵守する」と外交的な継続性を協調することも忘れませんでした。

ただし、国内的には問題山積です。エジプトでは実業界と政界の癒着ないしは腐敗(クローニー・キャピタリズ)が横行しています。此処にメスを入れなければエジプト軍は国民の信任を失いかねません。しかし肝心のエジプト軍も上部機構は腐敗していると言われています。(もっともこの腐敗度は西側の基準からの視点であって、エジプトの国内基準に照らしたら軍部はまだマシな方だという見解もあります)そうなると民主的な手順を踏んでいては国内改革や政治刷新は遅延してドラスティックな演出は不可能です。それ故に、議会解散、憲法停止という手続きを陸軍最高評議会は選択したのだと思われます。

要するに、実業界と政界の関係者で癒着が著しい者をスケープゴートにして、大衆にそれらの獲物を掲げて、国内での不満のガス抜きをした上で、軍部が後押しする政党を総選挙で勝利させるシナリオだということです。また過激派としてイランのシーア派から支援されたイスラム原理主義組織も、そうした改革の中でどう料理するのかが軍内部で問われていくことになると思われます。

いずれにしてもというか、どんな形であれというか、エジプトが政治的に安定し、西側との友好関係を維持していなければ、日本はエネルギー供給ルートが不安定になります。原油の高騰は物価の高騰を招き、日本経済を直撃するのは確実です。その点では日本もエジプトの軍政に対して支持を表明するしかないのですが、果たして管政権がそこまでちゃんと読んで外交政策をおこせるのか。そこにも注目したいと思います。

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ