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2011年7月30日 (土)

世の中の変質を狙う意図があるのか?

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1688911&media_id=2

「乗客106人と運転士が死亡した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長、山崎正夫被告(68)の論告求刑公判が29日、神戸地裁(岡田信裁判長)で始まった。検察側は「職責上、現場カーブでの脱線事故を容易に認識できた。ATS(自動列車停止装置)整備を指示できたのは被告以外にいなかった」と断じ、禁錮3年を求刑した。

 公判で山崎被告は無罪を主張。弁護側は起訴内容について、

(1)半径300メートル以下のカーブはJR西管内だけで2000カ所以上あり、現場カーブ(半径304メートル)が特に危険とはいえない

(2)ダイヤの過密化で信号機を増設するなど安全対策に問題はなかった

(3)96年のJR函館線脱線事故は運転士の居眠りなど貨物列車特有の原因だったため、事故を受けてカーブにATSを設置した鉄道会社は存在しない

--などと主張し全面的に争っている。

 検察側は論告で「鉄道事業者には乗客の安全を確保する極めて高度な責務があり、被告こそが責任者だった」と述べ、安全対策を統括する鉄道本部長だった96~97年当時の事故の予見義務違反と結果回避義務違反を厳しく指摘した。

 (1)と(2)については、現場カーブの半径が96年にほぼ半減されたことでカーブの転覆限界速度が手前の直線の最高速度(120キロ)を下回り、ブレーキのかけ遅れなどで脱線する客観的危険性が高まったと主張。制限速度差が50キロと大きいカーブは数少ないうえ、97年のダイヤ改正で直線を120キロで走行できる快速列車が急増し、さらに危険になっていたと断じた。

(3)については、▽函館線事故がカーブでの速度超過との報告を受けた▽JR貨物が対策としてATSを改良した装置の整備を予定していることが業界の会議で報告された

--と指摘した。

 JR西は90年以降、半径450メートル未満のカーブに列車を安全に減速させる機能を備えた新型ATSを路線単位で順次整備していた。山崎被告は公判で理由を「乗り心地のため」と証言したが、検察側は論告で「押収資料で乗り心地が検討された形跡は一切ない」とし、「速度超過による脱線防止のため」と述べた供述調書の内容が信用できるとした。」


まず、結論から言います。この判決は大変な意味をもたらします。世間では、106人の犠牲者が出たのだから有罪は当然で、禁固3年は軽すぎるとなるのでしょうが、冷静になって考えてみて下さい。

検察側の云う「鉄道事業者には乗客の安全を確保する極めて高度な責務があり、被告こそが責任者だった」という主張は、誰に向けられているのかというと、会社全体ではなくて、安全対策を統括する鉄道本部長(JR西日本前社長、山崎正夫被告)にです。検察は、1996~97年当時の事故の予見義務違反と結果回避義務違反を厳しく指摘したというのですが、鉄道本部長が事件を予見したとして、それを回避する努力をしていたら、事故が起きて死者が106人出たとしても無罪なんですか。実際は、私企業であるんですから、事故予防のために毎年予算を設けて、出来る範囲でしか安全対策は出来ません。

もっとも公共機関であっても、予算に限りがある以上は利益度外し過ぎる対策が取れるとは思えません。

つまり、事故を起こした会社の安全対策担当役員を有罪にしてしまえば、事は足りるという前例を検察は作り上げたがっているにすぎないのではないですか。これって要するに責任を組織に問うというスタンスから、個人に問うというスタンスへ変わったという証ではないですか。

既に先例はありました。

2001年の日航機ニアミス事件です。この裁判では、ニアミス事故で管制官の刑事責任が問われた初めてのケースでした。裁判は管制指示と事故に因果関係があるかどうか、両被告が事故を予見できたかどうかが争点となりました。

事故を知らない人に、少し回り道になりますが、事件のあらましを書きますと、2001年1月に静岡県焼津市上空で事故は発生しました。航路上にある日航機同士が接近したため、東京航空交通管制部の管制官は片方の機に降下指示を出すところを、誤って別の機に降下を指示してしまいました。それを指導役の管制官も見過ごしたことで、両機は異常接近してしまい、それぞれの機に搭載されていた衝突防止装置(TCAS)の指示で、急降下した機の乗客乗員多数が負傷した責任を管制官が問われたのです。

JRの事故にしろ、日航機のニアミス事故にしろ、事故を起こした事は責任を問われるべき事です。ただし、故意に事故を引き起こしたような事例は別にして、アクシデントであった場合には、その原因を究明して、次の事故を招かない様に改善の種にすることが大事だと思います。

今の検察は、このような事案で刑事責任を個人に背負わせることを社会で認めさせようと目論んでいます。しかし、今後も重大な事故が発生します。

その時に事件関係者は責任を問われないようにと黙秘権を行使して、事故の真相を語らない傾向を助長させれば、その事故の原因が究明されるわけがありません。或いは大変困難になるのは想像に難くありません。

鉄道事故や航空機事故、あるいは医療事故などは、それぞれ専門家による事故調査委員会が調査を行い、検察による起訴相当と判断をしたら告発を行えば良い訳で、むしろ事故の原因を究明することで同じ事故を二度と起こさせないという観点に立った対応が成されるべきだと思います。

屁理屈かも知れませんが、管制官の指示ミスによるニアミス発生の危険性が予見できるのであれば、従前からそういった状況を想定して、ルールが整備されているべきです。そのような是正が行われていない以上は、その組織なり関係者にも同様の過失が認められべきだと思います。しかし、そのような関係機関や関係者への責任が問われることはなく、すべての刑事責任を事故を起こした管制官個人が負わされるということに、社会常識がなれば、まさに「正直者(素直に反省して証言をした者)が馬鹿をみる」結果を助長することになるのでないでしょうか。それが判っていて正直さを組織が個人に求めるのは、無理というモノです。

ただ憎いから、誰かに責任を問いたいからというのは、遺族や関係者の方なら当然の感情でしょうが、その国民感情を汲み取るかのようにみせて、実は事故を個人責任とする方針転換がおこなわれていけば、逆の効果を生み出すことを、少し皆さんも想像してみて下さい。

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