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2012年2月 4日 (土)

「マイウェイ 12000キロの真実」の嘘

http://myway-movie.com/column1.html

「1999年5月、私はモスクワのロシア国立軍事文書館で、ソ連軍に捕らえられた日本兵捕虜の記録を読んでいた。NHKがノモンハン事件(1939年夏)の60周年記念番組を制作することになり、新たに公開されたソ連側史料を分析して欲しい、と依頼されたためである。ノモンハン事件では、火力で勝るソ連軍に対して劣勢の日本軍が果敢に攻撃を繰り返し、多くの犠牲を出した。数百人の日本兵がソ連軍の捕虜となったが、戦闘中に意識を失い、あるいは怪我で動けなくなった将兵であり、決して投降したわけではない。ソ連側は意識のある者を全員訊問して、ロシア語で捕虜記録を作成した。それとは別に、日本語あるいは漢文で書かれた日本兵捕虜の記録も残っている。ロシア語の翻訳もついているが、ノモンハン事件終結後の捕虜交換に応じなかった者たちのファイルに綴じられていた。ここで運命が分かれる。捕虜交換で日本側に送還された日本将兵には過酷な事態が待ち受けていた。まだ『戦陣訓』は発布されていなかったものの、すでに「生きて虜囚の辱めを受けず」という考え方は陸軍内部に浸透しており、帰還した将校は自害を求められた。兵卒は捕虜体験を語ることを禁じられ、肩身を狭くして除隊させられた。捕虜交換に応じなかったのは、どのような日本兵だったのか。記録には偽名が書かれ、出身地もでたらめで、階級も記されていない。日本側資料では確認が取れなかった。1930年代の日本軍には、日本人だけでなく植民地朝鮮や台湾の人々が含まれており、ノモンハン事件には満洲国軍の兵士(漢人・朝鮮人・満洲人など)も参加している。ソ連側に残った日本兵は、ほとんどが日本人ではなかったはずである。徴兵されて無理やり戦場に送り込まれた本映画の主人公「キム・ジュンシク」のような朝鮮人だった可能性が高い。日本人であるにもかかわらず、あえて捕虜交換を拒んだ人物がいるとすれば、捕虜に自害を強いるような日本軍の人道無視の体質、それを熟知した将校ではあるまいか。まさに、もう一人の主人公「長谷川辰雄」に違いない。 ソ連に残った二人に安穏とした生活が待っているはずもなかった。シベリアの強制収容所に送り込まれて、過酷な労働を強いられ、思想教育も受けさせられる。1941年6月、独ソ戦が始まると、ソ連は国家の命運をかけて、ヒトラーの攻勢に立ち向かわなければならなくなった。成年男子はすべて徴兵されて戦場に送り込まれた。捕虜とても例外ではない。それを拒めば、数百万のソ連人を粛清したスターリンによって、シベリアの露と消える。ジュンシクと辰雄は、赤軍兵士としてソ連南部でドイツと戦ったのだろう。戦場で追い詰められた二人がドイツ軍に投降した。不審な東洋人であるが、日独伊三国同盟の同盟国人であるため、ソ連兵として捕虜の扱いを受けることは免れる。その二人が1944年6月のノルマンディー上陸作戦で、多国籍の枢軸国側の兵士として連合軍と戦い、三たび捕虜になろうとは。こうした歴史の偶然も否定できない。限りなく真実に近いドラマである。」

この映画、歴史の捏造という部分に目を瞑れば、良く出来た映画だと思います。まぁ、それくらい作り話だという証ですけど。映画を見ている最中、私の頭を横切るのは小林源文の名作『Happy Tiger』(1993年)のこと。ネタ元は此処なのかと思って帰ったら、当の小林源文氏は、この映画のホームページでこう語っています。何等かの承諾を得た証拠かも知れませんね。

さて、捏造されている部分ですが、まず朝鮮総督府が朝鮮人への徴兵を始めたのは1944年の9月という敗戦の1年前。この映画のようなノモンハン事件が起きていた当時にはあり得ないお話しでした。韓国では、この程度の捏造は日常茶飯事ですから、驚くには値しませんけど。

日本が朝鮮人を差別したことは否定しませんが、陸軍士官学校は毎年数名の朝鮮人を士官学校に採用していましたから、朝鮮人の陸軍将校は少なからず陸軍に存在していました。最高位は陸軍中将。洪思翊(ホン・サイク)と云って、戦後に戦犯に問われて処刑された人です。映画では流石に、この事実を持ち出されては困るので、朝鮮人達は罪を償うために陸軍へ強制的に入隊させられたことになっています。こういう話は米軍などでは今でも聞きますが、旧軍ではあり得ないお話しでした。ただし、日本人の囚人で徴兵されて兵役に就くと云うことが第二次大戦中にはおきました。元総理の中曽根康弘海軍大尉は、その囚人兵部隊を後方で率いていたことがありました。要するに囚人部隊は基地設営のような支援任務が主で、前線での配置はあり得なかったのです。また、現在の国家公務員第一種試験の前身であった高等文官試験でも朝鮮人採用枠があり、朝鮮総督府のキャリア官吏に採用されていたのでした。他にも現在のソウル大学の前身である京城帝大や高等教育機関を整備したりした面も統治時代に始まった話で、植民地経営には功罪があるのは常識です。

まぁ、百歩譲ってノモンハンに朝鮮人兵士がいたのだとしたら、上の記事にあるように満州国軍の兵士だった可能性です。ノモンハン事件では、その満州軍の石蘭支隊歩兵第14団第1営が叛乱を起こし、派遣されていた日本人将校4名を殺害してソ連軍へ投降しています。その数234名。彼等がその後どうなったかは判りませんが、猜疑心の強いロシア人のこと。映画のように強制労働に従事させられた可能性は高いです。

さらに捏造が判りやすいのがオダギリジョー演じる辰雄です。高等学校の学生だった彼がある事件を契機に医者志望から祖父と同じ職業軍人を目指しソウルから姿を消してしまいます。まぁ、これはいいでしょう。チャンドンゴン演じるジュンシクは、その事件のために収監され、罪を償うために陸軍へ強制入隊させられます。この二人が再会したのが何年後なのか。物語は1928年から始まります。この時の2人が小学生です。仮に10才として、ノモンハン事件の発生は1938年ですから2人は20才という話になります。日本軍の徴兵年齢は20才。これ以前にいくら懲役でとはいえ入隊するのは無理があります。更に云えば、この仮年齢を5才繰り上げたとしても、辰雄がジュンシクの前に10年後に現れた時に大佐になっていたというのが有り得ません。

日本軍は徹底した官僚組織で年功序列でした。皆さんご存じと思いますが、真珠湾攻撃を現場で指揮した機動部隊(第一航空艦隊を増強した艦隊)司令長官の南雲忠一中将が、その地位に相応しくなかったのではと云われて久しいですね。誰をその任に就ければ良かったのかという議論になると、よく名を出されるのが小沢治三郎中将です。彼は空母を集中した航空艦隊を構想し、実現させた機動部隊の生みの親。経歴的には適任です。しかし彼は選ばれませんでした。中将としての経験年数が艦隊司令長官へ配するには足りなかったという内部規定のせいでした。国の命運をかけた大戦さの時に規定に縛られた平時の人事で臨むというのは、日本人以外では理解不能な話でしょう。ですから韓国人監督には思いもつかなかったのです。

そんな日本軍で、20数才で大佐なんて、とても有り得ません。辰雄の祖父がいくら陸軍の将官であったとしてもです。昭和天皇の弟宮である高松宮は海軍軍人でしたが、大佐になったのは37歳の時でした。これは戦時で昇任速度が早まったとはいえ、海軍の中でも最速の昇任速度です。つまり辰雄が皇族であったとして、20代での大佐は有り得ないということです。

さらに、最近反原発運動で話題の山本太郎演じる野田という伍長がおこなうイジメは日本陸軍の典型的なイメージで、何かと云えば”この朝鮮人が”という口癖もありそうで、物語の中では日本人のイメージを代弁する韓国映画のお約束です。

韓国映画で韓国人の世界観を描いて、それを見た韓国人が満足するのは結構なことです。ただし、そのフィクションを真実だと銘打って公開するのは卑怯です。映画を見た日本人の大半は歴史の知識が不足していますから、その誤りに気付かずに真実と思い込むのは確実ですので。

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