« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月12日 (月)

「南京大虐殺なかった」という虎の尾

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1922173&media_id=20

「名古屋市の河村たかし市長は20日、中国・南京市の共産党市委員会常務委員ら8人に対し、南京大虐殺について、「戦闘行為があって多くの方は亡くなったが、いわゆる虐殺はなかった」と持論を展開した。同日の記者会見で明らかにした。一行は友好都市である名古屋市の河村市長を表敬訪問。劉志偉常務委員らに対し、河村市長は「亡くなった父が1945年の終戦時に南京にいた時、地元住人にやさしくしてもらった。虐殺のようなことがあれば、対応が違っていたはず」などとして、南京市で討論会を開くことを提案した。河村市長は2009年9月の市議会で、中国が南京大虐殺の被害者を30万人としていることに対し「深い疑問がある。誤解されて伝わっているのではないか」と一般質問に答えた。名古屋市市長室国際交流課によると、河村市長は昨年12月5日、名古屋市役所を訪れた南京市の李(リ)副市長に対しても、大虐殺はなかったとする趣旨のことを発言している。」

南京大虐殺が事実かどうかに関しては、様々な説が流布され、幾つもの著作が公刊されていますので、興味のある人は、それらを読破されて、自分の頭で考えてみられることをお薦めします。私は、この問題に関して、虐殺はあった、ただし30万人なんて数字にはならないと思っています。精々数百人単位の被害者であったことでしょう。こう書くと"ほら大虐殺はあったじゃないの、なのに日本は謝罪もしていないでしょう”という人が出て来るのですが、日本はちゃんと謝罪責任を果たしています。東京裁判で死刑に判決を受けた人の中に松井岩根という陸軍軍人が居ました。彼は南京での残虐行為があった点を罪状にされ有罪判決を受けたのですから。また名も無い軍人達が同様に刑場に消えた事も事実です。戦争犯罪の追求はそれで終わった筈ですが、肝心の日本人がそれを忘れています。さらに、戦後延々と続けられた対中国へのODAによって、日本が中国大陸を戦場にした事への事実上の謝罪は終えていると思います。これまた忘れているのは日本人だけのような気がしますけどね。

まぁ、その問題を此処で書きたいと思っている訳ではありません。

今回の河村市長の対応相手は表敬訪問に市役所を訪ねてきた南京市の幹部。しかもメンツが第一の中国人。さらに建前では南京大虐殺があったという主張を持っている連中です。そういう事情が分かっていて、反南京大虐殺論をぶってみるというのは、早い話が人気取りの話題作りに過ぎません。こういう外連味が最近目立つのが河村市長のような気がします。

日本は先の戦争で、広島・長崎に原水爆による空襲を受け、東京大空襲や大阪、名古屋などの大都市への空襲でも多くの市民が命を落としました。その数は30万人どころか50万人とも云われているのですが、これまた日本人はすっかり忘れてしまっています。

私が市長なら、”南京も市民が戦火により大変な目に遭ったと思うが、日本でも原水爆や計画的な大都市での空襲により市民が大変な目に遭っている。ここ名古屋もその例に漏れない。この事を南京に戻られたら市民の皆さんに報告して欲しい”と、相手が南京大虐殺を持ち出す前に言いだしますけどね。

そういうお前は何処に居た

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1931048&media_id=2

「経団連の米倉弘昌会長は27日の記者会見で、東京電力の福島第1原発事故について「東電の経営問題で事故が起きたのではなく、大災害で起きた。特に政府の対応が非常に間違っていたのではないか」と政府を批判。「事故直後に原子力安全・保安院の駐在員は逃げ出したが、東電の職員は逃げ出すことなく事故の収束に全力を挙げた。国は『保安院の職員が逃げ、どうもすみませんでした』と謝るべきだ」と、改めて東電を擁護した。米倉会長が指摘したのは、事故直後の昨年3月12日、原発周辺に駐在している原子力保安検査官がオフサイトセンターに退避したこと。政府の事故調査・検証委員会は昨年12月の中間報告で「この時期に保安検査官が退避する判断が適切だったか疑問が残る」としていた。米倉会長は東電の企業向け電気料金の値上げについても「原発の稼働ができないことで原油の輸入が何兆円か増えている。値上げするなと言われたら、電力会社は全部つぶれてしまう」と理解を示したが、東電擁護と受け取れる一連の発言は議論を呼びそうだ。」

福島第一原発の事故は、津波による天災ではありません。どうしてかといえば、原子炉棟自体は津波によって全壊したり、原子炉が海に転落などしていないからです。

今回の事故の原因として、公表されている見解は、

①地震により送電設備が故障し外部電源を失った。
②地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機が海水に浸かって故障した。
③全電源喪失になると非常用冷却装置の弁が自動で閉じることが周知されていなかった。

の3点が主な理由とされています。地震が原因だから天災だという意見もあるでしょうが、この国で地震が起きないことを前提にして建造物や施設が設計されているとしたら、その時点で人災ではないでしょうか。つまり、3つの理由は、仮に地震が起きたらどう対応するかという対応策が施されていて当然の話です。地震が起きて外部電力が失われたら、どう対応するのか?津波で地下にあった非常用発電機が作動しなかったら、どう対応するのか?そういう発想が成されていないで事故を招いたのですから。

事故原因を冷静に分析したら、安全は"安全だ”と唱えるだけでは担保できない。常に最悪を想定し、最善を考える姿勢が必要だという結論に至るはずです。危機管理は絶対安全という立場にたってはならない、常に危機は存在すると言う意識であらねばならないと思うのですが。

そういう話を経団連の会長が言うのだったら、まだ日本は震災から学んだ話になりますね。なのに現実は、それとは真逆。どうして、そうなるかと云えば、安全には金が掛かるからです。もっとも、東電は、その安全への対価を惜しんだために、天下の東電という地位から転落。事実上の国有化をされ、賠償と廃炉が終わるまで数十年で会社自体がどうなるかも不明です。似たような姿勢で社稷を失った大企業が幾つもあるというのに。

>事故直後に原子力安全・保安院の駐在員は逃げ出したが、東電の職員は逃げ出す
>ことなく事故の収束に全力を挙げた。

原子力保安院の人間から”我々は逃げるべきでは無かった”という自己批判が出てきて欲しいとは思いますが、それを上から目線で、しかも部外者の経団連会長が言いだすのは如何なモノでしょうかね。彼等に留まるように命令でも出ていたのなら別ですが。

そろそろ真剣に考えるべき問題です

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1925291&media_id=20

「大阪市の橋下徹市長は22日、市役所で報道陣に対し、小中学生が目標の学力水準に達しない場合、進級を認めず留年させることを検討するよう市教委に要請したことを明らかにした。同日開いた市教育委員との意見交換会でも協力を求めた。義務教育課程の留年は、学校長の判断で法的には可能だが、実際の運用はほとんどない。橋下市長は「学んだかどうかに関係なく進級させることで、かえって子どもたちに害を与えている。理解できない子にはわかるまで教えるのが本来の教育だ」と述べた。」

世間は、落第制度の運用に大変否定的なようです。曰く、「留年して年下の学生の中に入ると可哀想」、「落第を繰り返す内に登校拒否になったらどうするの」など、要するに落第すると可哀想だという視点です。

しかし、現場から見たら、橋下市長の話は同感せざる得ないのです。というか教育委員会や組合が、こうした留年制度を求めるべき立場なのに、世間の批判を受けるのが嫌で蓋をしてきたとも言える気がします。なにせ、高校に入ったばかりの生徒に九九の暗唱をやらせると、さっぱりなのがゾロゾロいるのが現実です。

中学校は、小学生低学年レベルの学力も無い生徒を平気で高校へ送ってくる訳じゃありません。今の態勢では平均以下の生徒の学力レベルを引き上げる時間はカリキュラム上組めません。課外授業を組もうにも、放課後は会議やらクラブ活動やら行事がガチガチに嵌まっているし、保護者だって生徒だって下校時間が遅くなるのは喜ばないし、組合だって労働強化だと喜ばないものです。

だから、小学校がちゃんと学力をつけてくれたら、こんな苦労をしないのにと思う。これは高校でも同じ思いで、中学校は何やってるんだと腹の中で思っている。

それもこれも、学力がレベルに達していないのに進級し卒業出来る仕組みにある訳です。

記事にあるように法制度上は義務教育であっても留年は可能です。高校では現実に留年になる生徒がいますが、どうして小中学校では滅多に見掛けないのでしょう。それには二つの理由があります。

ひとつはお金の問題です。義務教育は一部を除いて無償ですが、その経費は税金で賄われます。
その予算が大まかに云えば一人頭で9年間分予算化されるのですが、留年などでその年数が増えることを予算当局は簡単には許してくれません。ですから、学校長の判断をまず教育委員会が簡単には認めてくれないような仕組みが出来上がっています。そんな面倒な手続きをするくらいなら、進級させたり卒業させたりした方が自分達にとっては何かと楽なのです。しかも、それをチェックする第三者機関もありません。さらに保護者の方は留年させたら大抗議でしょうが、逆では何の抗議もありませんから、本人の学力不足という事実に目を瞑れば、他の人間は万々歳というのが当たり前になっています。なにせ現場の評価が問われるという問題にもなるのですから。

そうした背景にあるのはあまりに貧相な教育予算です。この国は教育レベルの高さで国を支えてきたというプライドがある割りには、道路や箱物を作ってきたような予算を教育に割いてはこなかった。そこに全ての問題の源流があるように思います。

もう一つの問題は、小学校と中学校で留年制度を導入した場合、何年留年するのか判らないということです。義務教育というのは本来は保護者が子供を9年間修学をさせる義務があるという意味なのですが、現在では9年間は国が無償で教育を実施する義務があると解釈されているように思います。もしも、9年間を過ぎたら(つまり留年したら)有料になるという制度になったとしたら、簡単には社会の理解を得られないと思います。さらにこの制度で出現するのは、留年をし続けても小学校や中学校が卒業出来ない生徒が必ず出てくると言う問題です。

つまり、留年制度を設ける以上は、義務年限を定め、それを越えるような在学期間になった場合には、保護者が退学を判断できる権利を設ける必要性があるという話になるのではないかと思います。さらに云うと、今時の世相から判断するのに、進級や卒業出来ないのは学校側の教育力のなさにあるとして、訴訟が頻発する可能性もあると思います。

つまり、この問題は可哀想で判断できるような単純な問題では無くて、そこの深いお話しだと云うことです。

それでも、私は留年制度を設けるべきだと思います。それくらい学力レベルの低下が激しいのです。そこで提案ですが、小学校や中学校の卒業時に、全国一斉で卒業認定試験をやりませんか。この試験に合格しないと卒業が延期されます。延期された生徒は、学区内に設けられる認定試験準備学校へ春から入学。ここで翌年の試験勉強をして貰います。あとは試験に合格するまで公費で面倒を見る。それくらいの態勢は用意しないと、止めどないほどの退学者が社会に輩出されて、やがては社会の活力そのものが失われて行くと思います。

最後に蛇足で書いておきますと、今回の橋下市長の提議は、あくまで自らが敵視している教育委員会へ爆弾を投げ込んで、反応を伺っている戦術でしかありません。大阪市で例え留年制度が出来たとしても、大阪市外へ引っ越してしまえば何にもしなくても進級や卒業が出来る現状を変えられない限りは実現不可能な話ですから。

2012年3月11日 (日)

ヨハネの黙示録第八章

最近、折に触れて聖書を読むことが多くなりました。

と言っても、私はキリスト教徒ではありません。どちらかといえば仏教徒で、禅宗の臨済宗に帰依しています。ただ、何となく40代の頃から聖書を手にする機会が増えました。さて、下の章はかなり有名な部分なので、既にご存じの方も居られると思いますが、敢えて書いておきます。

「第三の天使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、松明のように燃えている大きな星が、空から落ちてきて、川という川の三分の一とその水源との上に落ちた。この星の名は「苦ヨモギ」と言う。水の三分の一が、「苦ヨモギ」のように苦くなった。水が苦くなって、そのために多くの人が死んだ。」

And the third angel sounded, and there fell from heaven a great star, burning as a torch, and it fell upon the third part of the rivers, and upon the fountains of the waters; and the name of the star is called Wormwood: and the third part of the waters became wormwood; and many men died of the waters, because they were made bitter.


ヨハネの黙示録は新約聖書の最後に配置された書であり、昔から予言の書であると解釈される場合があって、聖書の中でその取り扱いが色々と議論され来た問題の書でもあります。プロテスタント福音派では、ヨハネの黙示録を『ヨハネが受けたキリストの啓示』であるという解釈をしているように、これまた昔から人々に神の声を伝えてきた書として受けとめられてきました。

水源の上に落ちてきた松明のように燃える星の名前は「苦ヨモギ」というとありますが、苦ヨモギ(苦蓬)とはキク科ヨモギ属の多年草です。生薬名は「苦艾」(くがい)=英名は(worm wood)。ワームとは蛇のことで、エデンの園から追放された蛇の這った後に生えたという伝説に由来するといわれています。そのため学名は聖なる草を意味する「エルブ・アブサント」に由来するのです。北欧のバイキングの間では「苦ヨモギ」は死の象徴とされているそうです。その葉、枝を健胃薬、駆虫薬としてもちいたり、干したものを袋に詰め衣類の防虫剤として使ったりと薬草として古くから利用され来ました。

この苦ヨモギを、ウクライナ語では「チョルノブイリ」 (чорнобиль / chornobilʹ) と言います。「チョルヌイ」 (chornyj) は「黒い」、「ブイリヤ」 (bylija) は「草」の意味で、直訳すれば「黒い草」となります。その名前を冠した原発が大事故を起こした時に、世界のヨハネの黙示録の愛読者は腰を抜かしたのでした。

昨年の3月の大震災以降、バチカンでは、日本の福島県は「苦ヨモギ」という意味ではないのかと議論になっていることでしょう。ちなみに、福島県の花は(県花)は「ネモトシャクナゲ」です。石楠花の葉には「ロードトキシン」というケイレンを引き起こす成分を含みます。つまり有毒植物です。大量に摂取すると吐き気や下痢、呼吸困難を引き起こすことがあります。何だか皮肉なお話です。

福島の松明(原発)が水源に落ちないようにあの日から常に祈り続けています。

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ