« 「完璧」や「絶対」は神のみの御業 | トップページ | アメリカに学ぶことはまだある »

2012年8月15日 (水)

どうして李大統領は竹島へ行ったのか

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2120098&media_id=20

「韓国の李明博大統領は14日、天皇陛下が「訪韓したがっている」との認識を示した上で、「(日本の植民地統治期に)亡くなられた独立運動家を訪ね、心から謝罪するなら来なさいと言った」などと述べた。大統領による天皇陛下への「謝罪要求」は極めて異例で今後、波紋を呼びそうだ。大統領の発言は14日、忠清北道の大学で行った教員との会合の席上であった。大統領府によると、李大統領はまた、「『痛惜の念』との言葉だけなら、来る必要はない」とも述べた。「痛惜の念」は、1990年5月、当時の盧泰愚大統領来日時、宮中晩さん会での天皇陛下による「お言葉」の中に含まれている。大統領は、10日に強行した竹島上陸について、参加者から質問が出たのに対しては、「日本は加害者と被害者の立場をよく理解していない」と、改めて対日批判を展開。「私は(日本を)国賓訪問したくない」などと語った。」

歯止めが無くなったら、もうこれですからね。これからどんどん酷くなると思っておかないといけません。韓国(北朝鮮も)が日本に併合されたのは、1910年(明治43年)8月22日のことです。つまり来週の水曜日が、その屈辱の日という訳です。明日は独立を取り戻した日として、韓国では「光復節」という記念日になっています。そのタイミングを狙った李明博大統領の人気取りなんです。

さて、どうして、こんな話になるのかを少し解説したいと思います。

日韓併合以前の朝鮮半島は独立していた国だったかといえば、そうではなかったのはご存じの通りです。当時の韓国を治めていたのは「李氏朝鮮(1392年から1910年まで)王朝」でした。この李氏朝鮮は、代々中国の王朝に朝貢することで侵略を受けないようにするという冊封(さくほう)体制を国の基本外交としていました。要するに中国の属国となる事で、国政などの自治権を李氏朝鮮が許されるという体裁をとっていたのでした。朝鮮に外交問題が生じたら、相手には中国を通してくれと云う風にして責任転嫁をするのを常としていました。

そんな朝鮮に明治維新後の日本が開国を迫ってきます。幕末の徳川幕府宜しく、李氏朝鮮の内部では、開国派と非開国派に別れて侃々諤々の小田原評定があって、結局は中国(当時は清王朝)の許しも無いのに開国は出来ないという何時もの方便に走ります。

ところが「江華島事件」を機に日本から不平等条約である日朝修好条規を締結させられてしまうというアクシデントが起きてしまいます。これを契機に、李氏王朝内部では政争がおきて王朝の求心力が低下してしまいます。この辺りは幕末の徳川幕府とそっくりです。さらに李氏朝鮮による長期支配による統治機構内の腐敗や悪政への憤懣が国民には元々あったため、この混乱に乗じて民衆叛乱(東学党による農民反乱・甲午農民戦争など)が続発します。ろくな武力を持たなかった李氏王朝が、この騒乱を鎮圧できないとみた清国と日本は、共に叛乱鎮圧を名目に朝鮮半島へ出兵。ところが事態の終息後も日本軍は、王朝内部に工作をして、そのまま朝鮮半島に留まってしまいます。

そこに起きたのが日清戦争です。日本の勝利で終わった戦争後の下関条約により、朝鮮に於ける清国の支配を排除することに日本は成功します。

これに危機感を持ったロシアが三国干渉により日本の朝鮮半島支配を妨害する試みに出てきます。それに乗っかろうとした王朝の親露勢力の工作により、最後の朝鮮王となった高宗(こうそう)を取り込み、ロシア公使館において1年あまり政務を執る異常事態となります。(「露館播遷」)つまりロシアの威光で日本を排除して、李氏王朝の維持を図ろうという外交方針の転換でした。

しかし日本の方は、ロシアが遼東半島の支配権を得た後、黄海での航行の自由と、太平洋で直接出て行ける海域の確保を求め、朝鮮半島の属国化を進めてくるのではないかと危惧してしまいます。この対立が発火点となって、日露戦争が始まります。この日露戦争で日本が勝利し、ロシアのアジアに於ける影響力が排除されてしまいます。またロシアは革命騒ぎに巻き込まれ、その後暫く国際社会への影響力を行使出来る状態にはなくなっていきました。

このままでは自国の独立は日本により犯されるとみた李氏王朝は、オランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送り、自国の自治権の保障を国際社会に訴えようとしますが、列強からは、会議そのものへの参加を拒絶され、目的を達成することができませんでした。(ハーグ密使事件)

この事件以降、李氏王朝内部でも、日本の庇護下に入り独立を確保することを主張する勢力が台頭し始めます。要するに、冊封体制を維持するために、中国からロシアに乗り換えたのを、勢いの増した日本に乗り換えようする外交判断を迫ったのです。

ところが日本は全く別の方針で朝鮮半島の支配を試みようとしていました。それが自治権を奪い、日本と併合するという方法論です。これが今に至る日韓紛争の火種です。つまりは、冊封体制こそが国の基本と千年近く考えてきた朝鮮民族から、自治権を奪い、劣等民族と思っていた准日本人とされてしまうという話です。こんな支配に屈辱を強く感じていても不思議ではありません。

日本の外交判断の誤りが、結局は全てのスタートだったのは記憶しておいても損はありません。

ですから、李承晩(初代韓国大統領)がアメリカの後ろ盾を得て大韓民国を建国した際に、自治権回復の証として、日本領であった竹島を奪ってみせたのです。そして実効支配を無理して続け、日本に恥をかかせ続けて溜飲を下げている象徴なのです。なにせ復興のために、日本から賠償金代わりに円借款などの資金援助を受けるという事態になったのですから、屈辱は続いていたのですし。

更に云えば、韓国は自力で独立を勝ち取った訳でもありません。抵抗運動は日本の支配下で繰り返されてきましたが、内乱になるようなうねりにすることが出来ず、日本の支配甘んじていました。太平洋戦争が激しくなると日本兵として出征するようにもなります。独立できたのは日本が敗戦し、戦勝国が海外での植民地を取り上げたからです。だからこそ、竹島は日本に勝てたという確かな証として大切なのです。韓国も現在では「サムスン電子」という世界的な大企業があって、日本の家電メーカーの技術を上手く利用して大成功しています。もう竹島で溜飲を下げることはないのですよと云えない日本も情けないのですけどね。

というような次第ですから、自分の政治的な求心力を回復させるために李明博大統領がパンドラの箱を開けた事は、後々には韓国の国益を損なっただけという結果を残すようにしなければなりません。日本政府は、ここ20年の外交方針を覆し、懲罰的な対抗手段に出ていかないといけない訳です。仮に竹島を日本が支配するためには、韓国を何処かの国の属国になるようにしないといけないかも知れませんね。

« 「完璧」や「絶対」は神のみの御業 | トップページ | アメリカに学ぶことはまだある »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/97581/55428557

この記事へのトラックバック一覧です: どうして李大統領は竹島へ行ったのか:

« 「完璧」や「絶対」は神のみの御業 | トップページ | アメリカに学ぶことはまだある »

2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ