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2013年2月

2013年2月26日 (火)

安全の感覚

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2338455

「エジプト南部の観光地ルクソールで26日午前7時(日本時間同日午後2時)ごろ、観光客ら21人を乗せた熱気球が高度約300メートル上空で爆発して墜落し、日本人4人を含む乗客18人が死亡、3人が負傷した。ルクソール県のサード知事が毎日新聞カイロ支局の助手の電話取材に答えた。外務省は4人の日本人のうち、63歳の男女各1人(いずれも東京都出身)の死亡を確認したと発表した。」

私の知人がアフリカ旅行の際に気球に乗って墜落事故に遭いました。一緒に乗った人は亡くなり、ご本には脊椎を骨折する大怪我。保険会社にお勤めだった家族がスイスにある救急航空機を会社を通じて手配し、最速で日本へ連れ帰りました。しかし、時既に遅く、ご本人は障害を負う事になり、車椅子での生活を余儀なくされてしまいました。

で、私が云われたのは、海外では日本と同じように安全が守られているとは限らない(今は日本だってあてになりませんが)のだから、気球にしろ、遊覧飛行機にしろ、大丈夫と思わないことという教訓でした。

何故そんな話しになったのかといえば、事故に遭われた翌年に、私が豪州でスカイダイビングをしてきた話しを聞いてのことでした。

ルクソールでは、テロにより日本人の死亡事故も過去にはあったと記憶しています。国内旅行の感覚で海外旅行に出掛けないこと。そういう気がします。

2013年2月25日 (月)

熊野古道「牛馬童子」が破損

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2336730

「世界遺産・熊野古道の和歌山県田辺市中辺路(なかへち)町の箸折(はしおり)峠で、市指定文化財の石像「牛馬童子(ぎゅうばどうじ)」(高さ56センチ)の頭部が破損しているのを、25日朝、地元住民からの通報を受けた市教委文化振興課職員が確認した。確認時、首と胴体は分離した状態で、首が胴体に載っていた。人為的なものかなど、市が原因を詳しく調べている。牛馬童子像は08年6月、頭部が人に切断されてなくなる事件が起きた。現在の像は、市が同年10月、頭部のレプリカ(砂岩製)を作製し、ステンレス棒や接着剤でつなぐなどして修復したもの。切断された元の頭部は10年8月、市内で見つかり、市が保管している。牛馬童子は、熊野古道の主要道の一つ「中辺路」のシンボルとして知られる。牛と馬にまたがった僧服姿の童子の素朴で愛らしい風貌などから、牛馬童子目当てに熊野古道を歩く観光客も多いという。」

記事の牛馬童子は、地元では「箸折峠の牛馬童子(はしおりとうげのぎゅうばどうじ)」と呼ばれています。明治時代に作られたものですので、そんなに古くもないとはいえ、制作されて120年は経過している訳ですから、歴史的遺物ではあります。それが2度も2000年以降に破壊されるというのは、今の日本の世相がよく現れている気がします。

さて、この像は平安時代(延喜22年(986年)に熊野行幸の際)の花山法皇の旅姿を偲んで彫られた石仏です。花山法皇は、藤原氏の策略にあって出家とともに皇位を失った(「寛和の変」)悲劇の天皇として知られています。熊野詣では、そんな失意の心境のまま都を離れ旅をした時のモノです。牛馬童子の像がある箸折峠で、萓の茎を折って箸にして食事をとろうとしたところ、茎から露がしたたり落ちたのを見て、法皇は「これは血か、露か」と物哀しげに側近にたずねたことから、以来、麓の里は近露(ちかつゆ)、この峠は箸折峠と呼ばれるようになったといいます。

その後、長徳2年(996年)に、花山法皇は、中関白家の内大臣藤原伊周・隆家に矢で射られるという「花山法皇襲撃事件」(別名「長徳の変」)が起こります。

この事件、藤原伊周が通っていた故太政大臣藤原為光の娘三の君と同じ屋敷に住む四の君(かつて寵愛した女御藤原忯子の妹)に花山法皇が通いだしたところ、それを伊周は自分の相手の三の君に通っているのだと誤解し、弟の隆家に相談。すると隆家は従者の武士を連れて法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜く挙に出たのでした。やがて事件は世間に伝わり、隆家は出雲権守に左遷、伊周は大宰権帥に左遷となりました。この左遷のタイミングが、藤原道長が内覧の宣旨を得た後に起き、藤原道隆の一族、中関白家が排斥される結果となったので、歴史的には政変と受け取られています。

こんな風に、とことん藤原氏に翻弄された法皇がどんな思いで死んでいったのか?彼は寛弘5年(1008年)2月に40才で崩御しています。死因は不明。失意の死であったのは確かでしょう。呪詛の想いで亡くなったかも知れない、この天皇に祟られたくないと昔の人は思ったことでしょう。だから、この像は長らく大事にされてきたともいえます。

ですから、この事件は日本の歴史をちゃんと教えていないことが原因ではないかと思うのです。

    2013年2月24日 (日)

    弱い犬ほどよく吠える

    http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2335625

    「北朝鮮の朝鮮人民軍板門店代表部は23日、米韓が来月実施する定例の合同演習「キー・リゾルブ」と野外機動訓練「フォール・イーグル」の中止を求める通知文を、サーマン在韓米軍司令官宛てに送った。朝鮮中央通信が伝えた。3回目の核実験を機に圧力を強める米韓をけん制する狙いがあるとみられる。通知文は、演習が「侵略戦争の導火線に火を付ける」ことになると指摘し、報復措置を示唆。「悲惨な破滅の運命は火を付けた者に、痛快な勝利は正義の守護者にある」と警告した。キー・リゾルブは朝鮮半島有事を想定した演習で、3月11日からの11日間に米韓合わせて約1万3500人の兵士を動員。フォール・イーグルは同1日から4月30日まで続けられる。」

    記事では二つの演習が行われるように読めますが、実際は一つの演習です。統合指揮訓練やら戦争対応が「キー・リゾルブ」、実際に軍艦やら戦闘機やらが動くのが「フォールイーグル」です。

    北朝鮮が大騒ぎしているのは、核実験を挙行(強硬)したという自分達の挑発行為が、米韓による軍事報復を招かないかという心配から来ています。

    今回の「フォールイーグル」では、日本海に米空母「ジョージワシントン」が展開します。北朝鮮にしたら、日本海の海中に展開した米原潜からトマホークによるレーダーや通信施設への攻撃に始まり、空母からの航空機による空爆で防空網を破壊された後に、いきなりピョンヤンへ空輸された陸上部隊による首都占領とかになれば、38度線に展開した大兵力をいきなり呼び戻すことも出来ず、あっさり政権転覆が起きてしまうのですから、警戒するのも当然と言えます。

    人間、後ろ暗いことがあると、じたばたするものですね。

    2013年2月12日 (火)

    卑弥呼



    「卑弥呼」の事は、日本人なら誰もが知っているほどに、古代史の中の有名人ですね。ところが、「卑弥呼」という漢字表記が変だと思う人は少ないようです。

    有名な「魏志倭人伝」には、こう書かれています。



    景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。太守劉夏、使を遣わし、将って送りて京都に詣らしむ。 その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、「親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫難升米・次使都市牛利を送り、汝献ずる所の男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉り以て到る。汝がある所遥かに遠きも、乃ち使を遣わし貢献す。これ汝の忠孝、我れ甚だ汝を哀れむ。今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮綬せしむ。汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。



    「倭王」の”矮”は、「委(ゆだねる)」に人(人偏)が加わった字形。音符の”委”は、「なよなかな女性」を意味し、解字は「ゆだねしたがう」、「柔順なさま」、「つつしむさま」という意味もありますが、そこから転じて「うねって遠いさま」という意味もあります。

    私は遠い国の王様という意味で「倭王」なのかと思っていますが、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれたという説や倭人の人心が従順だったからだという説まであるほどに、謎です。同様に「卑弥呼」という表記も、、中華思想により、他国の地名、人名には蔑字を使っている為に、この様な表記となっているという説があります。なにせ「卑」ですからね。

    では、日本ではどういう表記だったのでしょうか?

    *日巫女(ひみこ)…太陽に仕える巫女、の意
    *日御子(ひみこ)…太陽神の御子、の意
    *姫子(ひめこ)
    *姫御子(ひめみこ)
    *日女子(ひめこ)
    *日向(ひみか・ひむか)
    *甕依姫(みかよりひめ)・・・聖なる甕という意

    という説があるようです。確かに、飛鳥時代も含めて「ひみこ」という名前が出てきた記憶がないです。

    私は発音を優先するなら「姫御子(ひめみこ)」だし、魏志倭人伝の内容を優先するなら「日巫女(ひみこ)」なのだろうと考えるのですが、いずれにしても、これは個人名ではなくて、明治天皇というのとおなじで諡号(おくりな)のことでしかありません。

    その後継者であると「魏志倭人伝」が記しているのは(卑弥呼の宗女)「壹與」(とよ)という呼び名になっています。この「壹與」は今風に書けば「台与」。「台」は官僚機構という意味もありますから、政権を与えられたとか、譲られたとかいう意味にも読めます。こちらは諡号どころか、単なる禅譲された人くらいの意味でしかないのでは。

    しかも「とよ」という名前が入る古代史(記紀に出てくる人名)の人物を捜すと、

    ○崇神天皇の皇女である「豊鍬入姫命天皇((とよすきいりびめのみこと)」
    ○孝霊天皇の皇女「倭迹迹日百襲媛命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)」

    という名前に行き当たります。

    崇神天皇の治世(紀元前97年2月 - 紀元前29年1月)は、中国の文献に記載されている邪馬台国の時代と重なることになるので、その娘とされる「豊鍬入姫命天皇」が日巫女として呪術で国を治めていたというのは、以外に辻褄があう話ではあるのですが、女王「卑弥呼」というイメージが先行しているのか、以外にこういう意見は少数派。

    第七代の天皇である孝霊天皇の治世は、紀元前290年2月 - 紀元前215年3月。第十代の天皇である崇神天皇よりも遙かに以前。これじゃ「魏志倭人伝」との整合性が取れないことになります。なのに、「箸墓古墳」の被葬者とされる倭迹迹日百襲媛命を卑弥呼と同一人物とする説はかなり世間に流布されています。

    卑弥呼や壹與が実存したとしたら、「欠史八代」(記紀に具体的な事績が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇は実存しないという定説)どころか、実存されるとされてきた崇神天皇の存在も危うくなります。

    逆に崇神天皇が実存したとしたら、その姫御子(ひめみこ)が呪術に長けた日巫女と評判だったのを又聞きした「魏志倭人伝」の作者が勘違いして、男の天皇の存在を書き忘れたということになります。

    ・・・てなことを、本日風呂屋の湯船に浸かりながら何となく考えておりました。



    2013年2月 6日 (水)

    商売上手だね

    http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2315427

    「元米国務省日本部長のケビン・メア氏は6日、国会内で講演し、中国海軍の艦艇による海上自衛隊艦艇への火器管制レーダー照射について、「米軍であれば、(自らへの)攻撃と判断して反撃する」と述べた。そのうえで、「中国海軍は規律が良くないし、あまり訓練もされていない。非常に危ない」との懸念を示した。中国の海洋戦略に関しては「尖閣諸島だけでなく(沖縄本島などの)琉球諸島も狙っている。中国の脅威にどう対処するか、日本は決断しなければならない」と述べた。具体的には、現在6隻のイージス艦を増やし、航空自衛隊の次期主力戦闘機として米国から調達する「F35」を予定の42機より多く購入すべきだと指摘した。」


    ケビン・メアは今でも米国国務省のスポークスマンですね。早くF-35を買えというのですから。

    ”中国海軍の艦艇による海上自衛隊艦艇への火器管制レーダー照射について、「米軍であれば、(自らへの)攻撃と判断して反撃する」”

    と云いますが、海南島事件というのをご記憶でしょうか。

    2001年4月1日、午前 8 時 55 分(中国標準時)、海南島から東南に 110 キロメートルの南シナ海上空の公海上で中国国内の無線通信傍受の偵察活動をしていたアメリカ海軍所属の電子偵察機 EP-3E と中国人民解放軍海軍航空隊所属の J-8II 戦闘機が空中衝突する事故を「海南島事件」と云います。

    中国人民解放軍機のパイロットは行方不明。アメリカ軍偵察機は大きな損傷を負いながらが、至近の中国軍海南島の飛行場に午前 9 時 33 分に不時着。搭乗員は中国当局によって身柄を拘束され、電子装置の詰まった機体を好きにされたのです。

    で、米軍は中国に攻撃を加えたか?

    それは否です。

    2013年2月 5日 (火)

    面子だけの相手ですから

    http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=2313950

    「防衛省は5日、中国海軍のフリゲート艦が1月30日に東シナ海で、海上自衛隊の護衛艦に火器管制レーダーを照射したと発表した。射撃用の同レーダーを照射することで、海自を威嚇したものとみられる。小野寺五典防衛相は5日、「大変異常で一歩間違うと危険な状況に陥っていた」と述べた。同省によると、1月19日にも、東シナ海で中国海軍のフリゲート艦から、海自護衛艦搭載のヘリコプターに火器管制レーダーが照射された疑いがある。」 

    なんだなんだと思う前に、東シナ海って、正確には何処のことで、海上自衛隊の護衛艦はどの船なのというところに立ち戻りましょう。



    中国海軍と海自が対馬の沖でトラブルとはあまり思えません。東シナ海とは書いてありますが、早い話が尖閣諸島の周辺海域で日本領海に隣接した水域。海自の方は警備のためのパトロール。中国海軍の方は尖閣諸島で日本側とトラブルがあった場合に即座に駆け付けるための待機任務でしょう。


    (記事に出てくる「ゆうだち」)

    さて、1月30日(水)の事件の方です。当日の午前10時頃、東シナ海において、中国海軍ジャンウェイⅡ級フリゲート「連雲港(Lianyungang)」(522)から、海上自衛隊第7護衛隊「ゆうだち」(佐世保)が、火器管制レーダーを照射されたと防衛省は発表しました。


    (ジャンウェイⅡ級フリゲート)

    火器管制レーダーとは、軍艦の武器であるミサイル大砲の照準をするための小型レーダーのような装置のことです。ただ、中国海軍は軍艦としてのテクノロジーは旧世代に属しますので、火器管制レーダーといっても、こんなにあります。上の写真の艦橋上部にある二つの小さなレーダーのようなものが火器管制レーダーです

    ただし、火器管制レーダーと一口にいっても、幾つも種類を搭載しているのが中国海軍でして、ジャンウェイⅡ級フリゲートには、こんなに種類が御座います。種類が多いのは技術的に優れているからとは言えません。むしろ、搭載している火器(武器)に、それぞれ管制レーダーを配するのはテクノロジーが遅れているからですので。

    火器管制レーダー
    ○345型(MR-35)→SAM用 1基
    ○352型(Square Tie)。後期艦では344型(MR-34)→SSM&砲用1基
    ○347G型(EFR-1/Rice Lamp)→機関砲用 1基
    ○347G型(EFR-1/Rice Lamp)→機関砲用 1基
    □光学電子照準機(JM-83H)→砲用1基




    (搭載ヘリが照射された「おおなみ」)

    1月19日(土)の方の事件の概要はこんな感じです。午後5時頃、東シナ海において、中国海軍ジャンカイⅠ級フリゲート「温州(Wenzhou)」(526)から、海上自衛隊第6護衛隊「おおなみ」(横須賀)搭載ヘリコプターに対する火器管制レーダーの照射が疑われる事案が発生していたというものです。


    (ジャンカイⅠ級フリゲート)

    ジャンカイⅠ級フリゲートの方はフランス海軍のテクノロジーが多少活かされているようです。

    火器管制レーダー
    ○345型(MR-35)→SAM用 1基
    ○344A型(MR-34)→ SSM&砲用 1基
    ○347G型(EFR-1/Rice Lamp)→CIWS用2基



    さて、火器管制レーダーを照射するというのは、何時でも攻撃できる態勢にしたというシグナルです。ですから、かなり強いアピールにはなります。しかし、これで戦争状態になったとはいえません。あくまで挑発行為です。

    中国は勝てない戦争はしません。面子が全ての国です。日本に戦いを挑んで、もしも海戦で敗北したりしたら、国内世論がそれを許しません。今のところ、日本と事を構えるには時期がよくありません。なにせ中国は新指導部への移行期です。僅かな瑕疵でも体制がひっくり返る可能性があるのですから。

    日本政府は、こんな挑発行為にはけしてのらず、その事実だけを世界に公表し続けていくことで、中国による戦争への誘導を批判するだけでいいのです。

      2013年2月 4日 (月)

      あいゃ、しばらく!しばらく!

      http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=2311475

      「歌舞伎を代表する大名跡を継ぎ、豪快な荒事を見せた12代目市川団十郎(いちかわ・だんじゅうろう、本名堀越夏雄=ほりこし・なつお)さんが3日午後9時59分、肺炎のため東京都港区の病院で死去した。66歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。04年5月に急性前骨髄球性白血病と診断され一時舞台を休演、06年5月に舞台に本格復帰した。骨太で明るく、おおらかな芸風で親しまれた。昨年12月に体調不良を訴え、肺炎の疑いで治療を続けていた。病院には、妻の希実子さん、長男の市川海老蔵(35)小林麻央(30)夫妻が駆けつけ、最期をみとったという。団十郎さんは昨年12月18日に軽い肺炎のため京都・南座公演を休演し、その後、虎の門病院に転院した。肺炎の兆候があるとの理由で、1月の新橋演舞場公演を休演。さらに1月9日には3月に予定した主演舞台「オセロー」も休演することを発表し、団十郎さんは「オセロー役は念願の役であり、初の翻訳劇出演ということで楽しみにしておりましたので、本当に残念です」とコメントしていた。」


      十二代目市川団十郎の『暫』を一度だけ見たことがあります。『暫』は元禄時代に初演された古典。話しの内容が分かり易いので歌舞伎初心者には見やすい演目です。

      粗筋は、こういう感じ。皇位へ即こうと目論む悪党の清原武衡が、自らに反対する加茂次郎義綱ら多人数の善良なる男女を捕らえる。清原武衡が成田五郎ら家来に命じて、加茂次郎義綱らを打ち首にしようとするとき、鎌倉権五郎景政が「暫く~」の一声で、さっそうと現われて命を助けるというお話しです。

      とにかく「暫」という掛け声が芝居の全てを支えるので、登場の仕方やその掛け声をどう見せるかが役者の力を見極めるポイントとなっています。『暫』の初演はて初代市川團十郎が演じた関係で、今でも当たり役として成田屋の大切な演目の一つに数えられていますが、その当たり役を確立するのに貢献したのが九代目団十郎なのは有名なお話しです。

      ところが九代目には娘しか子供が産まれず、弟子であった五代目市川新蔵を養子として、十代目を継ぐ筈が37才で急死。こうして十代目は永久欠番となってしまいます。十一代目は、七代目松本幸四郎の長男で市川宗家に養子に入っていた九代目市川海老蔵が襲名。大いなる飛躍が期待されながら、56才で胃癌で死去しています。その息子さんが今回亡くなった十二代目市川団十郎です。

      十一代目の弟が八代目松本幸四郎(後の松本白鸚)。今の幸四郎の父です。つまり、七代目市川染五郎と十二代目の長男十一代目市川海老蔵は従兄弟同士の間柄となります。

      団十郎は十代目以降70才となれない悲運の梨園の血筋と噂されかねないお話しですが、今の海老蔵に精々頑張って欲しいものです。

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