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2013年4月12日 (金)

「Love her or hate her」(彼女を愛するか、憎むか)

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=2391728



4月8日、イギリス初の女性首相マーガレット・サッチャー氏が、10年にわたる認知症の末、脳卒中で亡くなった。87才だった。エリザベス女王(86才)は「悲しいニュースだ」と声明を発表。キャメロン英首相(46才)はスペイン訪問を途中で切り上げ緊急帰国した。世界にも悲しみは広がった。アメリカのオバマ大統領(51才)は、「世界は最も偉大な自由の擁護者の一人を失い、米国は真の友人を失った」と声明を発表した。しかし一方で、インターネット上には、彼女の死去を歓迎するページが設置された。元炭鉱労働者はフェイスブックに「人生で最良の日だ」と書き込んだ。テレビの中継でも、涙を浮かべながら悲しむお年寄りの女性が紹介された後、「私の街をぶちこわした。彼女の死を歓迎する」と答える男性が登場するといった異様な事態になっている。評価が真っ二つに分かれる女性であった。それでも現代を生きる女性にとって、彼女の存在が大きなものであったことは間違いない。それは、映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で、サッチャー氏を演じ、昨年のアカデミー賞主演女優賞を獲得したメリル・ストリープ(63才)の追悼の言葉にも表れている。「世界中の女性たちに、お姫さまになるという幻想ではなく、別の夢を抱かせた」食料雑貨店を営む中産階級の家に生まれたサッチャー氏は9才のとき、学校から優秀賞をもらい、「私は、幸運だったのではない。それだけの努力をした」と言った。「彼女のお父さんは13才までしか教育を受けなかったのですが、独学で勉強し、雑貨店を経営しながら、市会議員、上級議員、そして市長にまで上りつめた人。その父から“他の人がやるからというだけの理由で、何かをやってはだめだ。できないとか、難しすぎるということはない。男も女もない”と言われ、“自助努力”の教えを受けたんです。彼女は他の女の子たちと遊んだりせず、勉強に打ち込んでいたんです」 私立の女学校に進学後、名門オックスフォード大学へ。卒業後は、化学者としてプラスチック工場で働いた後、保守党の支部に入会し、1959年に下院議会議員選挙で初当選を果たす。630人の議員中、女性はわずか5人。33才のサッチャーは最年少だった。そして1979年にイギリス初の女性首相となる。54才。首相としては若く、女性で、平民という、異例ずくめの首相だった。

マーガレット・サッチャーが英国の首相であった時、アルゼンチンと長年に渡り領有権が争われていたフォークランド諸島に突然アルゼンチン軍が侵攻を始めました。自国の領土を回復するのですから宣戦布告などありません。しかも英軍は財政難の影響で縮小傾向にあり、本国を遠く離れた離島に警備のため置いていた兵力は31名の海兵隊員と11名の海軍兵の計42名のみでした。侵攻当日、1982年4月1日に先遣隊としてアルゼンチン軍がフォークランド島に送り込んだのは、92名のコマンド隊員でした。しかし思いがけない英軍側の抵抗にあった先遣隊は、翌朝に900名の本隊の到着を待って英軍の抵抗を封じることになりました。フォークランド島がアルゼンチンによって占領されたのは4月2日のことでした。


(原潜として初めて敵艦を魚雷攻撃で撃沈した「コンカラ」の凱旋時の様子)

この事態を受けたサッチャーは4月3日にイギリス軍へフォークランド諸島奪還のために派遣部隊と機動艦隊の編成を命じました。イギリス海軍は4月5日に艦隊旗艦の空母ハーミーズを中核とした空母2、駆逐艦10、フリゲート艦13、揚陸艦8隻、輸送艦他支援艦16の計49隻から成る機動艦隊(第317任務部隊)をポーツマス港より出撃させます。さらにフォークランド諸島奪還の中継基地としてフォークランド諸島北西約6000kmに位置する英領アセンション島の利用を決め、4月5日から18日にかけて、イギリス空軍の手で艦隊支援用補給物資が次々と集積されていきました。4月12日には先行してフォークランド諸島に向かっていたイギリス海軍の潜水艦隊が同海域に展開を完了(この時、潜水時の速力は40ノット以上、つまり時速でいえば70キロ近い高速だった)。ただちに、イギリス政府はフォークランド諸島の半径200海里(370km)を封鎖海域とし、以後この海域に他国籍の艦船の侵入を禁じることを世界に宣言してみせました。そして4月21日にはSASによるサウス・ジョージア島上陸偵察作戦が開始されます。この早業に世界は驚きました。なにせ英軍の総勢は陸海軍で23,000人。侵攻を受けてから僅か3日間でこれだけの戦力を用意し、本国から離れること18,000㎞の彼方に送り込んだのですから。


(アルゼンチン軍機の攻撃を受け炎上するイギリス海軍のフリゲート「プリマス」)

この時のことを後にサッチャーは、「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」(領土とは国家そのものであり、その国家なくしては国民の生命・財産の存在する根拠が失われるという意)と述べています。

これがサッチャーの毀誉褒貶の誉褒だとしたら、毀貶の方は色々と逸話が残されています。どれも彼女が政権を担っていた時の政策によるものが主です。しかし、こんな話しも有名です。

サッチャーの長男マークがダカール・ラリーに出場中に一時行方不明となったことがあります。この事態を聴いたサッチャーは、当時首相の職にあったのですが、「息子が見つからなかったら、レースを中止にさせる」と開催側に圧力をかけたと言われています。最終的にマークは無事に発見・保護されたのですが、捜索に英軍の派遣を示唆するなど常軌を逸した言動もあったといわれています。このマークは、それから数年後、当時居住していた南アフリカ共和国で、「赤道ギニアのクーデターを企んでいた傭兵へ資金援助を行った」容疑で逮捕されてしまいましたが、サッチャーはすぐに200万ランド(約4千万円)の保釈金を支払い、イギリスへの帰国を認めさせています。翌年には南アフリカ政府と司法取引をし、「資金提供は認めるが、クーデターの意図は知らなかった」ということで、懲役4年(執行猶予付き)と300万ランド(約6千万円)の罰金を支払い事なきを得たのでした。

この親馬鹿ぶりは尋常ではありませんよね。あの織田信長も息子には異常な親馬鹿だったといいます。偉人の有り様には、どこか桁外れな面があるのかも知れません。

ご冥福をお祈りします。

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