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2013年4月 8日 (月)

ただの傍証が大ニュース?

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2386128

「1957年夏、米軍の旧立川基地にデモ隊が侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決(59年3月)後、最高裁長官が上告審公判前に、駐日米首席公使に会い「判決はおそらく12月」などと公判日程や見通しを漏らしていたことが、米国立公文書館に保管された秘密文書で分かった。1審判決後、長官が駐日米大使と密会したことは判明しているが、基地存在の前提となる日米安全保障条約改定を前に、日本の司法が米側に図った具体的な便宜内容が明らかになったのは初めて。専門家は「憲法や裁判所法に違反する行為だ」と指摘している。布川玲子・元山梨学院大教授(法哲学)がマッカーサー駐日大使から米国務長官に送られた秘密書簡を開示請求して入手した。書簡は59年7月31日にレンハート駐日首席公使が起草。田中耕太郎長官に面会した際「田中は、砂川事件の最高裁判決はおそらく12月であろうと考えている、と語った」「彼(田中氏)は、9月初旬に始まる週から、週2回の開廷で、およそ3週間で終えると確信している」などと記している。実際には、公判期日は8月3日に決まり、9月6、9、11、14、16、18日の6回を指定し、18日に結審。最高裁大法廷は同年12月16日に1審判決を破棄、差し戻した。書簡はさらに、田中長官が「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話した、としている。60年の日米安保条約改定を控えた当時、米側は改定に反対する勢力の動向に神経をとがらせており、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいた。それだけに、田中長官が1審破棄までは明言しないものの「評議が全員一致を生み出すことを願っている」と述べたことは米側に朗報だったといえる。布川氏は「裁判長が裁判の情報を利害関係のある外国政府に伝えており、評議の秘密を定めた裁判所法に違反する」とコメントしている。また書簡では、砂川事件1審判決が日米安保条約改定手続きの遅れにつながっているとの見解を日本側が在日米大使館に伝えていたことも明らかになった。書簡は情報源について「(日本の)外務省と自民党」と記している。」

今回の布川玲子・元山梨学院大教授が発見した在日米国大使館からの電文は、2008年に新原昭治(国際問題研究者・非核の政府を求める会核問題調査専門委員)が公表した秘密文書の傍証にあたるものです。「しんぶん赤旗」(2008年4月30日版)で報じられたのを読んだ記憶があります。

一部の報道では日本の司法の独立を疑うという論調も出ているようですが、私には当時の最高裁長官であった田中耕太郎その人が問題だった気がします。

田中耕太郎は鹿児島の人で、第一高等学校から東京帝国大学法科大学法律学科へ進学。在学中に高等文官試験に合格。大正4年東大を首席で卒業し内務省へ入省するが1年半で退官。大正6年に東京帝国大学法学部助教授に転身。大正12年に東京帝国大学教授、昭和12年には東京帝国大学法学部長に就任。昭和16年、帝国学士院(日本学士院の前身)会員に選定。昭和20年10月には文部省学校教育局長に転じ、昭和21年5月に第1次吉田内閣で文部大臣として入閣。文相のまま6月に貴族院議員に就任。昭和22年に参議院選挙に立候補し当選。緑風会に属した。その後も文相として教育基本法制定に尽力。昭和25年に参議院議員を辞職して最高裁判所長官へ就任。閣僚経験者が最高裁判所裁判官になった唯一の例として、また長官在任期間歴代1位(3889日)として、歴史に名を残しています。

早い話が、当時の総理吉田茂に近い人物だったということです。吉田は『造船疑獄』で、犬養健法務大臣を通して、検事総長に佐藤栄作(当時の幹事長)の逮捕を延期させる戦後唯一の指揮権発動を行ったのは有名な話しです。砂川事件で在日米軍基地が憲法違反という判決が出て、日米安保条約そのものの違憲性も問われかねないと吉田総理が田中長官に圧力を掛けたと想像するのも難くないのです。吉田総理がここまで対米関係を重視したのは当時の日本周辺の政治情勢を知らねばなりません。正義を通して国が滅びても良いという論理は、国民全体のことを考えたら云えない台詞だと私は思いますけどね。

ところで、記事にある布川玲子氏ですが、最終学歴は早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程満期退学。大学は早稲田大学第一政治経済学部政治学科(1963年入学)です。当時の同級生だった鈴木邦男(一水会代表)によると布川氏は「社思研」(社会思想研究会)のメンバーだったそうです。社思研は社青同解放派の拠点サークル。つまり布川氏は全共闘のシンパだったということです。早大政経学部の自治会は社青同解放派が握っていたので当然といえば当然。団塊世代のインテリの典型のような方です。

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