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2013年8月

2013年8月30日 (金)

シリアへの軍事攻撃機運が高まるが・・・

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=2557434

「米国と同盟国によるシリアへの軍事攻撃の策定が大詰めを迎えている。米政府高官によると、空爆を含む複数の選択肢が検討され、攻撃は数日間続くとみられる。数百人が死亡したとされるシリアの化学兵器使用疑惑をめぐり、現場を検証している国連の調査団はこの日、2日目の調査を終了。ただ、潘基文国連事務総長は、調査完了には4日必要との見解を示した。そうしたなか、米国と欧州、中東の同盟国は、アサド政権が化学兵器を使用したとほぼ断定し、軍事力を行使する機運が高まっている。英国は、シリアへの軍事介入を可能にする国連決議案をまとめ、国連安全保障理事会に提示。国連安保理はこの日、同案をめぐり協議を始めた。ロシア、中国が拒否権を行使することは必至とみられるなか、米国と同盟国は国連決議なしでも行動に踏み切る姿勢を鮮明にした。ただ、ホワイトハウスは、オバマ大統領がいまだシリア対応をめぐり最終的な決断を下していないとの立場をとっている。米政府高官は、米国が軍事行動に踏み切る場合、単独では行わないとし「複数の同盟国と参加について協議している」と語った。また、攻撃は1日で終わるとは限らないと述べた。別の米高官によると、引き続き軍事攻撃の目標の明確化に取り組んでいるとし、アサド政権の化学兵器使用能力を低下させ今後の使用を阻止することが検討されているという。攻撃開始の時期は依然不透明となっているものの、国連調査団がシリアに滞在している間は、西側諸国が攻撃を始める可能性は低いとみられている。シリアの隣国で、北大西洋条約機構(NATO)に加盟するトルコでは、軍が警戒態勢を強めている。イスラエルは予備兵を動員し、シリア、もしくはレバノンからの攻撃に備え防衛力を強化している。シリアのジャファリ国連大使は、反体制派による3回の攻撃でシリア軍が毒ガスを浴びたとして、これらの攻撃について調査するよう潘国連事務総長に書面で要請したことを明らかにした。また、シリアのミクダード副外相は、米国や英国、フランスはシリアで「テロリスト」が化学兵器を使用する手助けをしたと非難した。西側諸国による空爆の可能性が強まる中、シリア市民の間では緊張が高まっている。シリア情勢を受けた原油供給懸念から、原油価格は6カ月ぶりの高値をつけた。これに追随し、米エネルギー関連株が上昇し、米株式市場は上昇して取引を終えた。ただ、シリア情勢緊迫化を嫌気し、新興国の株・債券・通貨は全面的にトリプル安の展開となった。」

確かシリアに”アラブの春”が飛び火したのが2011年3月のこと。最初は大人しくデモ行進をしていた民主化勢力が、いつの間にか先鋭化した集団の武力闘争に引きずられ、政府との武力衝突が起きてから既に2年を越えてしまっています。政府軍は内戦を戦えるだけの経済力がありますが、民主化勢力は何処から武器弾薬を得ているのでしょう。.

シリアに隣接するレバノンにはヒズボラという私設の軍事組織を保有するシーア派勢力がいます。このヒズボラのスポンサーはイラン。恐らく、ヒズボラはシリアの反政府勢力に武器弾薬を支援し、少人数かも知れませんが軍事アドバイザー的な人間を派遣して、政府軍への攻撃の指導を行っていると思われます。

エジプトでもそうですが、中東に於ける民主化運動は、我々日本人が連想する、王政や独裁制を打破して、民主的な選挙により得たばれた大統領制を戴く共和政体、あるいは議会制を戴く民主政体を目指している訳では必ずしもありません。むしろ宗教(イスラム教)を優先させた宗教政体を作ることを目指してる。政教分離が大原則と信じている日本人からすると、大変復古主義的な運動なのです。確かに、中東には長期独裁政体や王政が未だに残されています。これらを政教分離の西欧民主主義政体なみにするというのも、欧米側の政治姿勢から見てのお話しで、これが絶対に正しいとは言い切れません。現に米国はイラクやアフガニスタンで、そうした民主化に失敗し、混乱と騒乱だけを残して、撤兵を始めていますから、これが正しいという民主化はありません。そこを注意しないと、反民主化弾圧=悪という単純な見方に陥ります。

さて、どうして、オバマ大統領は迷うのでしょうか?

少し前になりますが、6月28日にロシア外務省のスポークスマンは、サウジアラビアは同じ君主制国家六か国(クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦)がシリアに経済援助を行うことはテロ行為だと非難しました。実際にサウジアラビアなどの産油国で王政を敷く国々は、シリアで行われている内戦でシリア政府に勝利をして欲しいと願っています。民主化の広がりは、王政の危機と捉えているのは明らかです。この姿勢は2011年2月4日にバーレーン市民がエジプトの反政府デモに呼応して反政府デモを開始し、最大野党のシーア派政党「ウィハーク」などを始め諸勢力が王制廃止を訴えはじめてデモが過激化した際には、連合軍を組織してバーレーンに3月中には制圧してしまいました。この強硬な手法を取る背景には、イランの勢力拡大を阻止したいという思惑が絡んでいます。

実はバーレーンには米海軍・第五艦隊の司令部が置かれています。民主化運動は間近に見ていたはずですが、それが軍事力で封殺されるのをオバマ政権は黙認しました。理由は、この民主化がシーア派による宗教支配を目指すものであり、米国の目指す民主化とは全く違うという解釈があることと、シーア派の背後にはイランがいるのは明らかだからです。

そのイランはアサド政権を支えようと熱心に支援をしています。その理由は旧ソ連の隷属国であったシリアを、ソ連崩壊後に援助の肩代わりをして従属国と見なしてきました。シリアの隣国はレバノンです。レバノンにはヒズボラがいます。イランはヒズボラへの影響力を確保し、スンナ派諸国による反シーア派・反イラン・ブロックの牽制を外交方針としていますから、アサド政権の崩壊はイラン外交の崩壊を意味するに等しいという話しになってしまいます。アフマディネジャド政権が退かざる得なかったのも、シリア内乱の収拾が出来なかった手腕の無さも一因にあるとも云われています。

さらに、シリアが何度か越境攻撃をしているトルコの存在も侮れません。トルコは現在「新オスマン外交」戦略を推進しています。『カスピ海から北アフリカ、バルカンからホルムズ海峡まで』の諸国と外交を通じて影響力を行使していこうとする戦略です。その根幹にあるのは、隣国の政治体制は現状維持を支持するという中東の君主制にも寛容な姿勢にあります。イラク、シリア、エジプトなどに影響力を行使していくことで、トルコが地域大国を目指すのが目標ですが、そうする背景にはイランの「大イラン勢力圏」構想の阻止があります。

つまり、サウジアラビアやバーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、トルコなどは、イラン包囲網の形成をお互い外交の主軸に据えて活動しているのですが、その為にはシリアのアサド政権は崩壊させてはならないという認識で統一され、現在は協調している状況です。この点では米国も英国も同じ考えだと思います。アサド政権を倒してしまうと、その後にイランの傀儡政権が出来てしまったら、イラクだってどうなるか判らないですし、産油国の政情不安は石油高を招いて、経済が混乱するのは必至ですから。

そして、シリア政府が管理している化学兵器が政府の崩壊でヒズボラなどの過激派の手に渡ったら、これは最悪です。イラクの化学兵器だって、流出していないとは言い切れない。そんな二の舞は避けたいという事情もあります。確かに、化学兵器を内戦で使用する事には懲罰を加えねばならない。しかし、アサド政権を崩壊させれば、その責任は米国に降りかかるかも知れない。国連統治なんて話しになれば、イランがテロを主導して、民主化を妨害し、内戦は治まるどころか泥沼化するかも知れません。

また踏み込んで云えば、シリア軍が使用した毒ガス(恐らくサリンだと云われてます)は、実はイランの特殊部隊が密かに現地に入り込み大量殺戮を行い、その情報を慎重に英国に流したという可能性も考慮した方が良いかも知れません。実際、イラクの時には化学兵器がなく、米国の正義は語るに落ちたのですから、米国が慎重になるトラウマは理解できます。こういうナイーブさ(あるいは正直さがピューリタリズムが建国の原動力であることの証)は、英国にはありません。

そんなこんなを考えると、よし!ミサイル攻撃でシリアへ懲罰を加えるぞとは、簡単に決断できないと思います。オバマ大統領の苦悩は暫く続くでしょうね。最近のオバマ大統領は白髪が増えて、見るからに憔悴しています。
*追記
英下院は29日夜、本会議で、シリアでの化学兵器使用に対する「強力な措置」の必要性について議会の同意を求める政府の動議案を反対多数で否決した。 キャメロン首相は否決後、「議会の決定に従う」と述べ、英国がシリア・アサド政権に対する武力行使には参加しない方針を示した。」
英国も深慮遠謀を巡らせたというところでしょうか。

2013年8月28日 (水)

隔離地域が必要だ

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2547395 

今の東京電力・福島第1原発の問題を報じたり、論じたりする手法を見ていると、凄くミクロな話しは出来るけれど、敢えて避けているかのようにマクロな部分は触れられていない気がして仕方がないのです。

例えば、記事にある汚染水の問題を見てみると、それが明らかになっています。


東京電力・福島第1原発が事故を起こしたのは、2011年3月11日でした。既に現時点で2年以上が経過しています。

Fukusima3_old
当初から汚染水が問題になり、発電所の敷地内へ暫定的に、その汚染水を貯蔵するタンクが次々に設置されていきました。その頃は直ぐにタンクが必要だったために、円形のタンクをボルトで締めて組み立て、内部にシーリングをするというタイプが採用されました。これだと設置に1週間ほどの期間で可能だったそうです。一応、タンクから汚染水が漏れることを考慮して、設置場所にはコンクリートの土台を設けて、周囲には数十㎝の高さの壁を設けてありました。このタンクが設置される時点では、まさか2年も3年も、このタンクに汚染水を溜めておくなんてことは、誰も考えていませんでした。

それがどうも長期的な施設として汚染水タンクが必要なのではないかという認識を持ち始めたのが昨年のことです。その後に設けられたタンクでは、組み立てに溶接を用いて強度を高める工法が用いられています。この方法だと設置には3週間を要するとのことです。

本来なら、この簡易タンクに溜められた汚染水は、以下のような処理を施されていくべきでした。

①タンク内へ高分子凝集剤を投入し、放射性汚水に含まれる大まかな物質を沈殿させる

②次に高吸水性高分子(吸水ポリマー)を投入して汚染水の流動性を拘束し表面を防水シートなどで養生し保管管理する

③これらの汚染水を順次架設の設備でドラム缶に詰めていく。汚染水は流動性を抑えられている状態なので、流れにくいため簡単にこぼれもしないし、流出もしない半固体状態でドラム缶詰めされる

④ドラム缶詰めされた汚染水を架設の冷凍倉庫へ運びマイナス25℃以下にて急速冷凍する

⑤凍結乾燥法を用いてドラム缶の水分のみを蒸発させ、吸水ポリマーとともに別の格納容器に格納する。このとき乾燥した吸水ポリマーは放射性物質を吸着しているので、体積は1000分の1、200ml以下になっている。原理的にはドラム缶1000本の分の汚染水がドラム缶1本に十分収まる容積となる

⑥地下の恒久的な貯蔵施設に収納して厳重に管理する

仮に、③の状態にまで処理が出来ていたら、流失という事態が生じても、それは半凝固体です。事後に回収するにしても、処理対応は素早く出来たろうと思います。 しかし、そうは出来なかった。

⑥の恒久的な貯蔵施設の建設が出来ていなかったというのが一番大きな理由だと思います。そもそも施設の建設地を受け入れる場所がないのです。被災地域の瓦礫の処理ですらあれだけ当時は揉めていたのをご記憶だと思います。それが永遠に近い期間保管する施設を受け入れろと言われても、何処もそんな厄介者は受け入れたくありません。それは仕方がないことだと思います。

 

まず、論じないといけないのは福島第一原発事故の後始末と廃炉処理の問題です。それが解決できて、次に全国の原発の廃炉に向けた計画を長期スパンで議論して決定し、そしてその処理貯蔵施設をどうするのかが決まっていかないといけないのに、この議論をすっ飛ばして、今すぐ全面廃炉が必要とやっちゃうから、この問題そのものが絵に描いた餅になり、国政でも効果的な政策の議論が進まないのです。

そうしたもたつきには理由があります。

まず、民主党の野田政権は終息宣言をしてしまったため、あとは東電が処理してくださいという流れがどういうものか世論で容認されています。これはある意味、政治は逃げた格好なのです。なのに何となく誰もが一安心したいからなのか、もう忘れたいのか、遠い場所の出来事のような気分がまんえんしています。

次に、どういうものだか、それにマスコミがのっかり、東電バッシングだけをやり続けて、今回のような汚染水の流出事故でも、ただ漏れたことを追求(ミクロな問題)するだけで、根本的な解決方法(マクロな問題)をけして世論に喚起しないのです。

では、どうして、そんな流れが出来ているのでしょう。



それは、未だに福島第一原発の設置されている、福島県双葉郡の大熊町・双葉町・浪江町に関して、政府が今後どうするのかを明確にしていないからです。(他にも避難地域はあります)

○大熊町 → 事実上全域が立入禁止

「帰宅困難区域」(作業員以外の住民の立ち入り・一時帰宅禁止):町全体の96%
「居住制限区域」(日中の時間帯のみ、町からの許可を得て一時帰宅可) 
「避難指示準備解除区域」(日中の時間帯のみ、町からの許可を得て一時帰宅可) 
 これらを合わせて町全体の4%

○双葉町 → 事実上全域が立入禁止

「帰還困難区域」:町全体の96%
「避難指示解除準備区域」:町全体の4%

○浪江町 → 原則立ち入り不可

「帰還困難区域」:町西部の山間部 町全体の約20%
「居住制限区域」:中央の平野部(平成16年を目処に制限解除予定)
「避難指示解除準備区域」:東側海沿い(平成16年を目処に制限解除予定)
これらを合わせて町全体の80%

明確にしないのは、この3つの町がこれからも居住不能なのは明らかなのに、それを明言して、他の地域に町を再建するという事が出来ない政治力のなさがあるからです。しかも、こういうことは事故が起きて半年あたりで、住民に説明をし、事実を告げて説得を行い、半ば強制的に移住をさせない限りは、何年、何十年も掛かってしまうのは、成田空港闘争などを見ていても明らかだからです。その決断が出来なかったのは誰かと言えば、あの管直人政権です。そして、その後を引き継いだ野田政権は、終息宣言を出して政治的な関与を震災救援が終えたのと同じレベルで幕引きしてしまったのです。



この両町を他の地域に移設して再建を始めていれば、この両地域へ廃炉や処理施設を建設することは可能になります。しかも永久に一般人は立ち入り出来ない地域(大熊町(78.70 km²)は概ね藤沢市と同じ広さ、双葉町(51.40 km²)は概ね東京都練馬区と同じ広さ、浪江町(223.10 km²)は概ね千葉市と同じ広さ)が政府の用地として確保できた筈です。

勿論、そんなことをしたら非難囂々になるでしょう。しかし、断固として対応しないから、世界中には日本が放射能事故にちゃんと対応できないことを明らかにし続けているのです。しかし、国内の世論が大事で、政権の維持が大事で、批判されるよりも、賞賛されるという道しか選択できない政党が残したこの難題をもって、今の与党を批判するのは筋違いですが、それでも政府である以上はこの問題の処理を決断しなければ、我々は半永久的にひとつの原発事故に振り回され続けるでしょう。

困難を避けて先送りをするという風潮は、日本でバブル期以降に顕著になったと個人的には思うのですが、政府や自治体が、その風潮にどっぷり浸かってしまっていては、国の役割を果たせません。

それだけは言えます。

分かったようなふりですか

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2519898

「命名・進水式を来月行う海上自衛隊史上最大の新型護衛艦に関し、旧海軍を象徴する戦艦「長門(ながと)」の名を受け継がせる案が浮上していたことが分かった。護衛艦には旧海軍の艦艇名が付けられるケースが多いが「時代錯誤では」と懸念する声もある。長門は真珠湾攻撃で重要な役割を果たした連合艦隊旗艦として著名で国内外で波紋を呼ぶ可能性があることから防衛省内でも異論があり67年ぶりの「復活」は見送られた。海自の艦艇名は月や雨雪などの天象・気象や山岳河川地名などから命名しているがイージス艦「こんごう」のように旧海軍の艦艇名に使われたものも多い。既存のヘリ搭載型護衛艦「ひゅうが」と「いせ」は律令制に基づく旧国名にちなんだ航空戦艦の名を継いでいる。今回も部隊のアンケート結果や語感などを踏まえて選んだ案を防衛相が許可する形で命名するが大臣に提出する前の段階で「長門」が有力な数候補の中に残ったという。」

この記事を読んで、思わず笑っちゃいました。

まず、護衛艦の命名には規準があります。その基準内で、これまで命名されてきました。だから、護衛艦の名前には「中曽根康弘」とか、「伊藤博文」なんて名前は永遠につくこともないのです。記事にもあるように、護衛艦の名前に関しては、月や雨雪などの天象・気象や山岳・河川・地名などから命名されています。ただ、その命名に関して、一定の流れは創設以来の伝統としてあるのは確かです。

さて、護衛艦と一口に言いましても、その種類で分けることができます。


○DDH(ヘリ搭載型大型護衛艦):

・山の名前:「はるな」・「ひえい」・「しらね」・「くらま」
・旧国名:「ひゅうが」・「いせ」


○DDG(防空ミサイル護衛艦)

・風の名前:「あまつかぜ」・「たちかぜ」型・「はたかぜ」型
・山の名前:「こんごう」・「きりしま」・「みょうこう」・「ちょうかい」・「あたご」・「あしがら」


○DD(汎用護衛艦)

・月の名前:「あきづき」型
・雨の名前:「むらさめ」型
・雲の名前:「やまぐも」型・「みねぐも」型・「あおくも型」
・雪の名前:「はつゆき」型
・霧の名前:「あさぎり」型
・波の名前:「あやなみ」型・「たかなみ」型

DDHとDDGの項目も見て下さい。従来、山の名前を命名してきたDDHに旧国名が命名されるようになった布石は、イージス型DDGに山の名前をつけた事と無関係ではありません。天象・気象や山岳・河川という命名規準は既に使われてしまっている。また旧海軍の空母を想起させるような「ひりゅう」・「そうりゅう」はつけたくないし、それらは潜水艦の命名規準とされているから使えない。となると旧国名を使うというのは当然出てくる答えなのですけどね。もっとも旧海軍の空母で元々戦艦だったものを改造した「赤城」・「加賀」・「信濃」は命名されることはないでしょう。

イージス艦の1番艦が出来るとき、DDGは伝統として「かぜ」が命名される事から、「ゆきかぜ」となるのではという下馬評が多かったものです。「かぜ」シリーズでいってれば、こんな言い掛かりもつけられなかったのに・・・と思うのは私だけ?

マスコミがウダウダ云うのだったら、東北の旧国名をつけてやったらいいでしょうに。記事になっている新型護衛艦(「DDH」)は「ひゅうが」型の発展拡大タイプです。いわば改「ひゅうが」型。一番艦は「ひたち」、二番艦は「でわ」でどうでしょう。

エッ?「むつ」でも佳いのじゃないか?

「むつ」という名前のついた戦艦は謎の爆沈をした「陸奥」があり、日本発の原子力実験船も「むつ」でしたが放射能漏れ事故を起こして廃船になった経緯がありまして、縁起を担ぐ船乗りとしては、この名前はつけ難いでしょうね。だからパスされると思いますよ。

この記事を書いた記者さんは、他にも「(改「ひゅうが」型は)全長は51メートル長い248メートル、幅は5メートル長い38メートルで、基準排水量は1.4倍の1万9500トン。全長は世界最大・最強と称された戦艦「大和」の263メートルに迫り、ヘリ9機を同時運用できる。」と書いています。戦艦「大和」と同じ長さだと隣国や周辺国に脅威を与えるのでしょうか?戦艦「大和」を越える長さの護衛艦を建造してはならないとでもいうのでしょうか?

下らない教養は捨てて、ちゃんと海上防衛のために、どんな護衛艦を建造するのが相応しいのかを論じて欲しいものです。例えば記事にある「他艦への給油や医療の設備もあり離島奪還作戦などの中枢と目されるほか災害救援の拠点も担う。」というのは、実は大事な項目なのですけれど。

最後に閑話休題をひとつ。

海自の補給艦には湖の名前がつけられています。昔々、海幕に「のじり」さんという偉い人がいました。ご自分のところに新造される補給艦の名前候補が回ってきたので見てみると、候補の中に「のじり」があったそうです。あとでめざといマスコミに揚げ足を取られないように、その名前を外したとか聞いています。

 

2013年8月25日 (日)

遅すぎた

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2517119

「社民党の福島党首は25日の常任幹事会で、参院選敗北の責任を取り、辞任する意向を表明した。」

そもそも福島瑞穂党首は、2003年に社民党が第43回衆議院議員総選挙で大敗し、党首の土井たか子が引責辞任をした後、後任の党首に指名されたのでした。その後の選挙の結果は下の通りなのですが、党勢を盛り返せたとはいえず、社民党の衰退を止められずに長らく党首を務めた(2003年11月15日~2014年1月20日で5期目の任期満了)訳ですから、今更ですが遅すぎたと思います。ご本人も以前から辞めたがっていたのですが、社民党の議員で誰もが名前を云えるのは彼女だけという状態では、他に人がいないという皮肉な話しになっているのでしょう。慰留があったそうです。しかし、流石に今回は退任も仕方なしというところでしょうか。

<衆議院>

*第41回総選挙前には30人
第41回総選挙:15人
第42回総選挙:19人
第43回総選挙:6人
第44回総選挙:7人
第45回総選挙:7人
第46回総選挙:2人


<参議院>
*第18回通常選挙前には20人
第18回通常選挙:5人
第19回通常選挙:3人
第20回通常選挙:2人
第21回通常選挙:2人
第22回通常選挙:2人


ということで、社会民主党の国会議員は2013年7月現在、衆議院議員2名、参議院議員3名の計5名。皆さん、福島党首以外の名前を云えますでしょうか?

衆議院議員
・小選挙区:照屋寛徳(沖縄2区)
・比例区:吉川元(比例九州)

参議院議員
2019年改選:又市征治(比例代表)
2016年改選:福島瑞穂(比例代表)・吉田忠智(比例代表)

辻元清美(現民主党)という後継者に逃げられ、次の党首はと云われても、名前が少しは知られているのは、又市征治(幹事長)か照屋寛徳(院内総務会長兼国会対策委員長)ぐらいでは。

しかし辻元清美は所属する政党を必ず傾かせる疫病神だね。次は共産党に鞍替えして欲しいぞ!

さて、福島党首の辞任表明に敬意を表して瑞穂ちゃんの名言(迷言)を少しご紹介します。


○2001年の参議院予算委員会:海上自衛隊インド洋派遣の質疑で、中谷元防衛庁長官に対し「よくわからないんですね。そこ(アラビア海)でB52が、実際に艦船から飛び立ち、攻撃をするわけです。直接に攻撃をするわけです。ですから、そこは相手方から見て十分攻撃される場所ですから、アメリカは戦闘地域と考えているわけです。日本がいつまでも、日本は戦闘地域と考えないと日本だけが言って、だから自衛隊は行けるのだとすることは極めて問題だと思います」と述べた。実際B-52H(1960年から運用中)は戦略爆撃機で、全長48.5m、全幅56.4m、離陸距離2,900mであり、艦載機として艦船から発艦するのは不可能。=軍事を批判する割に軍事音痴なのが可愛い!

○2005年の衆議院予算委員会で「生涯賃金が5200万円しかないということはマンションも買えないということです。 子供を一人育てるのに2400万円以上かかると言われています。少子化と言われますが、心構えの問題ではなく、 5200万円しか生涯賃金がない中で2400百万円は、少なくても子供にかかる。どうやって子育てができるのか。 これは明らかに政治の責任。これをどう解決するかについてどうするのか」と発言。これに対し、自民党議員からは「マンション買いたいなら働かなくちゃ」 「フリーでいたいからフリーターなんだろ」 「そんなの政治の責任じゃないよ」 とヤジが飛んだ。=支離滅裂な論理が東大法学部卒・司法試験合格の弁護士の論理構成だと思うとキュート。

○2005年の第44回衆議院議員総選挙で自民党が大勝した前後において、「郵政よりも大切な問題がある」「国民は全ての問題で自民党を支持したわけではない」との旨の、国民は「郵政民営化」についての限定的な政策について、自民党を支持したとする意見を表明した。自民党内において新総裁・新内閣が誕生した際に記者会見や党・個人のHPにおいて「極めて古い自民党内閣」・「いくら総裁が代わっても政権が変わらなければ意味はない」との旨の意見を発表したことがある。福田康夫内閣発足の際は「民意を得ていない」と批判した。 安倍内閣については「僕ちゃんの投げ出し内閣」、またその政治手法について「僕ちゃんの僕ちゃんによる僕ちゃんのための政治」と形容した。福田康夫内閣については「国民投げ捨て内閣」と評した。また麻生太郎首相を「国民の苦しみから最も対極にいる雲の上首相」と批判した。自身の政党観について2005年8月21日付けの自身のブログ福島みずほのどきどき日記にて、「自民党と民主党はカレーライスかライスカレーかの違いでしかなく、私たちの社民党はオムライスであり、カレーライスでもライスカレーでもないのだ」と語っている。しかし一方で、2004年7月8日、札幌市内における記者会見では「自民党への批判票が 民主党に流れるのを止めたい。地方の民主党の人たちは有事立法に反対と言っており、なぜ、社民党に来ないのかと不思議に思う 民主党(の表皮)をはげば考え方は社民党だ。何としても、これをはぎたい」と語っていた。=云ってること自体が支離滅裂なんだけど。

○2008年11月19日、元厚生事務次官宅連続襲撃事件について事件発生後の会見で、行為を肯定するものではないとしながらも、「ここまで追い詰めた政府の責任は厳然と存在する」と述べた。=自分が殺されてもそういえたら、貴方も憲政史に残る政治家になれるぞ!

○2009年12月3日、普天間基地移設問題について、「もしも、辺野古の沿岸部に海上基地をつくるという決定をこの(鳩山)内閣が行った場合には、社民党としても私としても、重大な決意をしなければならない」と述べ、辺野古への移設が決まった場合の連立政権離脱を示唆した。

○2009年3月26日の参院予算委員会において、2009年3月よりの北朝鮮のミサイル発射問題に関して弾道ミサイルが日本領内に落下した場合にこれを迎撃する日本政府の方針を批判した。中曽根弘文外務大臣、浜田靖一防衛大臣から理解を求める答弁がされたが、これに対しても福島は「当たらない場合は国益を侵害し、当たった場合でも単なる人工衛星だったらどうなるのか」と迎撃批判を続けた[1]。4月4日、政府の北朝鮮ミサイル発射の誤報に際し、「間違ってミサイル防衛で迎撃していたら先制攻撃にもなりかねなかった」と、先制攻撃が起こった可能性を主張した。=選挙区に北朝鮮のミサイルが落ちて死傷が出ていたら、政府はなにをやっていたのかと批判する融通無下さが社会主義運動家の論理だよね。

○2010年1月12日、東京都内で開かれた、在日本大韓民国民団(民団)中央本部の新年会で、「社民党も先頭に立って(永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案を)一緒に成立させたい」と発言した。同年4月17日、石原慎太郎が「与党の党首や幹部は帰化した人の子孫が多い」と発言したことに対し、福島はこれを自身への発言と捉え、同4月19日の記者会見において帰化した朝鮮人ではないと否定し、名誉毀損だとして発言の撤回を求めた。=この発言をせずに無視を決め込んだら在日帰化人説は出てこなかったろうに。

○2010年5月28日、普天間基地を辺野古へ移設するとした政府方針への署名を拒否し、大臣を罷免された。後の記者会見では「社民党、私は沖縄を裏切ることはできない。沖縄の人たちにこれ以上の負担を押し付けることに加担できない。署名はできない」と述べた。また「私を罷免することは、沖縄を切り捨てることだ。国民を裏切ることだ」と指摘した。同30日、政権離脱を決定し、その理由として「辺野古の沖に造らないということを国民の皆さん、沖縄の皆さんに約束してきた社民党としては、自分たちの言葉に責任を持つ政治をしっかりやっていかなければならないと考えた」と述べた。=こんなに筋を通したのに社民党は今や支持されない政党になったのは誰が悪いの?

○2010年11月1日、 尖閣諸島中国漁船衝突事件で海上保安庁が撮影したビデオ映像を視聴した後、「車が道路でちょっとコツンとぶつかるような、あてて逃げるという映像だ。(挑発行為は)離れてるし、分からなかった。反日デモがエスカレートしている状況だ。国民に公開することは慎重であるべき」との考えを示した。=ご自分のお車が追突されても、そう云えるのか聞いてみたい。

○2012年11月2日、参議院緊急質問において「復興予算が被災地以外で使われていることに、被災者が激怒しています。当然です」と発言。しかしその後、2011年6月から当該発言のあった同年11月にかけて、全額公費助成で実施されていた社民党本部の耐震診断の一部に復興予算が流用されていたことが明らかになった。この公費助成は、東日本大震災以後、拡充され復興予算の一部が当てられたが、その根拠法である東日本大震災復興基本法(2011年6月施行)は福島自身を含む社民党所属国会議員全員と与野党の賛成多数で可決成立した物である。同法では、その目的を、東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする(法1条)と明記しており、いわゆる復興予算が復興だけに使われる物ではないことが示されている。なお、発覚から5日後、又市征治幹事長は「違法ではないが好ましくない」として、復興予算相当分の280万円を被災地に寄付することを表明した。 =人間誰でも表の顔と裏の顔がありますよね。

○2013年5月14日、社民党党首として橋下徹・日本維新の会代表の従軍「慰安婦」必要発言についての談話を表明した。その中で、かつて、従軍「慰安婦」はいなかった、従軍「慰安婦」制度はなかった、狭義の強制性はなかったなどと隠蔽発言して糾弾された保守政治家はいたが、従軍「慰安婦」制度自体を必要だったと肯定する発言は聞いたことがない。軍規律維持に慰安婦制度が必要ということは、当時の日本軍は戦地で暴行をするような軍隊だったと認めたに等しい。として強く反発した。=いゃ、どっちも悪いと思うぞ!

2013年8月24日 (土)

大阪の地下鉄になぜか多い長い駅名のナゾ

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=95&from=diary&id=2514090

「大阪市営地下鉄にみられる特徴のひとつに、「長い駅名が多い」という点が挙げられる。日本一長い駅名があるというわけではないが、少なくとも誰もが一見して「長い駅名だなぁ」と感じるものがやたらと多く存在する。」

大阪や京都界隈は歴史が2000年はありますから、そんな歴史に裏打ちされた地名も沢山あります。以下はその一例です。大阪に住んでいる人は、どれも何を今更なのですが、余所者には全く読めない地名もあるのではと思います。

大開(おおひらき)- 大阪市福島区
夢洲(ゆめしま)- 大阪市此花区
立売堀(いたちぼり)- 大阪市西区
靱(うつぼ) - 大阪市西区
波除(なみよけ)- 大阪市港区
伶人町(れいにんちょう)- 大阪市天王寺区
浪速(なにわ)- 大阪市浪速区
御幣島(みてじま)- 大阪市西淀川区
柴島(くにじま)- 大阪市東淀川区
大桐(だいどう)- 大阪市東淀川区
新喜多(しぎた)- 大阪市城東区、東大阪市
鴫野(しぎの)- 大阪市城東区
放出(はなてん)- 大阪市城東区、鶴見区
河堀口(こぼれぐち)- 大阪市阿倍野区
我孫子(あびこ)- 大阪市住吉区、泉大津市
遠里小野(おりおの)- 大阪市住吉区、堺市堺区
依羅(よさみ)- 大阪市住吉区
千躰(せんたい)- 大阪市住吉区
杭全(くまた)- 大阪市東住吉区
住道矢田(すんじやた)- 大阪市東住吉区
百済(くだら)- 大阪市東住吉区
楠珺社(なんくんしゃ)- 大阪市住吉区
聖天下(しょうてんした)- 大阪市西成区
天下茶屋(てんがちゃや)- 大阪市西成区
十三(じゅうそう)- 大阪市淀川区
新高(にいたか)- 大阪市淀川区
茨田大宮(まったおおみや)- 大阪市鶴見区※昔はまんだおおみやと読んだ。
安立(あんりゅう)- 大阪市住之江区
瓜破(うりわり)- 大阪市平野区
喜連(きれ)- 大阪市平野区
加美鞍作(かみくらつくり)-大阪市平野区
天満(てんま)- 大阪市北区
兎我野町(とがのちょう)- 大阪市北区
長柄(ながら)- 大阪市北区
浪花町(なにわちょう)- 大阪市北区
道修町(どしょうまち)- 大阪市中央区
丼池(どぶいけ)- 大阪市中央区



これ以外にもまず読めないのが「高龗(たかおがみ) - 貝塚市」でしょう。「龗」の字を拡大すると、こういう風になります。



この字を何と読むかというと「おかみ」と読みます。「龍」という字の原型はこの字だと云われています。元々中国から入ってきたのですが、その際に雨の神様・水の神様という風に伝わった為に、元々の日本の水神だった「淤加美神(おかみのかみ)」を現す文字とされるようになり、日本書紀では「高龗神((たかおかみのかみ)」と表記されています。ちなみに古事記では「闇淤加美神(くらおかみのかみ)」と書かれています。火の神カグツチ(火之夜藝速男神(ひのやぎはやを))を産んだイザナミが陰部を火傷して死んでしまい、激怒したイザナギがカグツチを切り捨てた剣の柄から滴った血から生じた神とされています。同じく水神の「罔象女神(みづはのめのかみ)」は、そのとき死んだイザナミの尿から生じた神です。

「高龗神((たかおかみのかみ)」と「罔象女神(みづはのめのかみ)」は混同されていたり、共に祭神となっていたりするので、覚えて於いて損はありません。

水は水田で米を作る我が国では必要不可欠なものです。湧き水も豊かな我が国ですが、雨水も大切です。その雨水をもたらす神が「龗」です。龍は雷の稲妻を想起させ、龍を見れば雨が降ると信じていた時代もありました。そのため御祭神として祀られている神社は多く、有名なのは京都の「貴船神社」などがあります。貴船神社の総本社は「大和(おおやまと)神社」の摂社「高龗神社」であるのは当然です。治水を祈願することから九頭龍信仰と同一見されることがあり、「九頭神社」「戸隠神社」の御祭神であることも多いです。また神仏習合で真言密教と結びついたことで、善女龍王と紐づけられて「善女龍王社」や「龍王社」といった扁額が掲げられている神社もあるので、注意して見てみましょう。

話しは遠回りしましたが、貝塚市にも「高龗神社」があるのは書くまでもありません。

○全国初、2つの地名が合体した「西中島南方」

大阪地下鉄のメインラインとなる御堂筋線には、「西中島南方(にしなかじまみなみがた)」駅という、仮名表記で11文字にもなる駅名がある。新幹線・新大阪駅の近くにあり、2つの方角が混在しているような駅名を奇異に感じる人もいるようだ。この駅は阪急電車の「南方(みなみかた)」駅と連絡しており、最初はこの御堂筋線の方も「南方」駅となる予定だった。しかし、実際の駅の所在地が西中島町内であったため、「西中島」駅と「南方」駅、2つの駅名候補で論争が起こる。そして最終的に、どちらの主張も立てる形で両方を合わせた「西中島南方」駅に決定。これは、全国で初めて2つの地名を合体させた駅名と言われている。

○「四天王寺前」と「夕陽ケ丘」の争い

大阪の地下鉄駅名の中で、漢字表記・仮名表記どちらにおいても最も長いのが「四天王寺前夕陽ヶ丘(してんのうじまえゆうひがおか)」駅。谷町線という路線にある駅だ。この駅は地上で見ると夕陽丘町に接する場所に位置しており、当初はその町名をとって「夕陽ヶ丘」駅と命名される予定であった。しかし、駅からほど近いところに、かの聖徳太子が建立した四天王寺という寺院がある。四天王寺と言えば日本最古の本格的仏教寺院として、日本史の教科書にも必ず登場する歴史的建造物だ。そこで、全国から参詣者が集まるこの名所を駅名にするべきではないかという意見が浮上し、開業直前に「四天王寺前」駅という名前が最有力候補となった。ところが、「夕陽丘」を駅名に推す地元住民からの強い反発があり、結局「四天王寺前(夕陽ヶ丘)」と表記することに決定。社内アナウンスも「してんのうじまえ・ゆうひがおか」と呼んでいた。そして年月は流れて平成11年(1999)。同じ大阪市営地下鉄の別路線に「大阪ドーム前千代崎(現在はドーム前千代崎)」という駅が開業し、切符などに文字数の多い駅名が記載できるようシステムが改良される。これを機に「四天王寺前(夕陽ヶ丘)」のカッコが外され、「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅が正式名称となった。28年にも及ぶ地元住民の念願がついにかなったわけだ。「夕陽ヶ丘」なんて新興住宅地などによくある名前に、なぜそこまでこだわるのか?と疑問に思うかもしれないが、この大阪市天王寺区の夕陽丘はそれらとはちょっとわけが違う。中世の頃までの大阪湾は、現在の天王寺区を含む上町台地のすぐ西側まで海が迫っており、この夕陽丘の辺りは大阪湾に沈む夕日を眺める絶好のビューポイントだった。新古今和歌集の撰者のひとりでもある鎌倉時代初期の歌人・藤原家隆は晩年をこの地で過ごし、その住居を「夕陽庵(せきようあん)」と呼んだ。これが夕陽丘という地名の由来と言われており、また、幕末の国学者・伊達宗広も、藤原家隆に倣(なら)って住居を構えたこの地を「夕日岡(ゆうひのおか)」と命名している。いわば日本における元祖“夕日の見える丘”という歴史を持っており、それゆえ「そんな由緒ある地名を外して、少し離れた四天王寺を駅名にするとは何事か!」と地元住民は憤慨したのだ。

○2つの地域の言い分を尊重した苦肉の策

地下鉄は幹線道路の地下に敷かれることが多く、したがって隣接する町や区の境に駅が位置することが多い。大阪市営地下鉄は、先述の「四天王寺前夕陽ケ丘」駅の駅名論争があって以降、2つの地名を合体させて両地域住民を満足させる手法を多く取るようになり、その結果、こうした駅名が多くなっているわけだ。ただでさえ難読地名の多い大阪において、こうした2つの地名合成の駅名が多いことに、「地下鉄の駅名も分かりづらいものが多い」という声はもちろん沢山ある。

*「関目高殿(せきめたかどの)駅」

「関目」駅として開業。しかし、地元自治会の要望によって「関目(高殿)」駅と表記され、車内アナウンスでも「関目・高殿」呼ばれるようになる。そして平成9年(1997)、「関目高殿」駅が正式名称になった。「四天王寺前夕陽ケ丘」駅パターンの前例とも言えるが、同駅のような長期間の論争にはなっていない。

*「千林大宮(せんばやしおおみや)駅」

開業前は駅の東側が森小路町、西側が大宮町であったが、住居標示変更で森小路の一部が千林となったため、「千林大宮」駅として開業。ただし、駅の大部分は森小路に含まれており、駅の所在地も森小路2丁目となっているのだが、不思議と森小路側からの反対はなかったよう。

*「太子橋今市(たいしばしいまいち)駅」

もともと2つあった市電の停留所「太子橋」と「今市」を統合して誕生。

*「駒川中野(こまがわなかの)駅」

南海平野線(現在は廃線)の駒川町駅と中野駅の中間地点に位置し、計画時は「駒川」駅の予定だった。しかし、中野側から反対意見が出たため、2つを合体した。



私は昔昔、大阪工業大学の付属高校で教えてましたので、谷町線には随分お世話になりました。関目高殿や千林大宮もよく知っています。また、阪急の上新庄からバスで通うこともあって、太子橋今市にも土地勘があります。さらに自分が通学していた高校は夕陽丘の近くだし、教えに云っていた予備校は西中島南方の近くと、何だか自分のテリトリーの話しのように記事を読んでしまいました。

    中国軍機が沖縄と宮古島間初飛行

    http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=2515978



    「防衛省は24日、中国軍の早期警戒機が沖縄本島と宮古島の間の公海上空を通過し、東シナ海から太平洋に抜けるのを確認したと発表した。中国軍機がこの空域を飛行したのは初めて。領空侵犯はなく、航空自衛隊が緊急発進して対応した。」 


    (2010年3月12日の飛来機の映像)

    NHKのニュース映像を見る限り、飛来したのは中国海軍の「Y-8」洋上偵察機のようです。おそらく上海近くの海軍航空隊基地に展開しているの2機(No.9281、9301)のどちらかでしょう。普段は東海艦隊の作戦支援任務に従事している機体です。「Y-8」の9301機は、2010年3月12日に東シナ海上空を沖縄本島に向けて飛行していたため、航空自衛隊の緊急発進を受けた機体です。


    (こちらは確認されている機体で一番新しい9321機)

    Y-8の特徴は、機首にあるSkymaster(イギリスのRacal社(現タレス社)が開発した空中捜索レーダー)用の大きなレドームです。この捜索レーダーはイギリス軍のニムロッドMR.2とシーキングAEW.2に装備されているレーダーを改良したLバンドのパルスドップラー・レーダーです。その能力は、高度1,000m~3,000mを飛行している状態で、空中目標に対して85km(ルックダウン・モード)~110km(ルックアップ・モード)、水上目標に対して最大230~240kmの捜索範囲を有していると云われています。また海面上の32目標と空中の100目標を同時に追尾する事が可能で、これを支援するレーダー・システムとして2台のコンピュータを機体に備えており、一台が探知・観測用、もう一台が攻撃・管制用に使用されています。仮にY-8Jの実用上昇限度である10,400mまで上昇した場合、Skymasterレーダーは320km×640kmの範囲をカバーする能力を有しているので、一機での哨戒能力は広いんです。

    とはいえ、こんなものが飛んできても、空自のレーダーサイトの捜索レーダーの情報はあまり捕れないだろうし、あくまで水先案内のためのデモンストレーション。空自にはえらい迷惑でしょう。

    日本政府が中国政府の棚上げ論に乗ってこない事へのゆざぶり行動ですが、肝心の地元である沖縄は中国領だと云われても怒りもしないんだから、こりゃ大変です。

    2013年8月23日 (金)

    この国の敬意のあり方

    「クローズアップ現代」を見ていて、アッと思ったのが、安倍総理がNHKの日曜討論のスタジオに入ってきた場面。日本国の総理が会場入りしているのに、他党の党首や代表は誰も立たない。立ったのは司会者だけ。驚いたことに公明党の山口代表ですら立っていない。

    この国の総理大臣は憲政上最高位に位置するのに、それを判りきっている筈の国会議員がこの態度。これで道徳がどうとか、教育がどうとか云えないのじゃないのと思ってしまった。敬意というのは形式的な意味もあるけれど、それを国民の代表であり、自らを選良を称する立場であることを、彼等は本当に理解していないと言うのが、この行為から透けて見えてくる。

    テレビドラマを例にするの恐縮だが、米国のNBCで1999年から2006年にかけて放送された『ザ・ホワイトハウス』(原題:「The West Wing」)のある回での出来事。ホワイトハウス内で行われた何かのパーティーに突然バートレット大統領が飛び入りでやってくる。会場にいた全員が立ち上がり大統領を迎えたのだが、ある女性のテレビキャスターだけは座っている。リベラルな発言で有名なそのキャスターは、皆の話題の中心。しかし大統領が立って皆と談笑しているのに、彼女は相変わらず座ったまま。彼女の元にやって来た大統領は、皮肉たっぷりに彼女の不作法を叱りつける。会場の誰もがその通りという雰囲気に押されて、彼女は渋々立って大統領に敬意を示すことに。

    総理に敬意を示せない政党の代表達は、結局は党員や党友に尊敬されるのだろうか?

    変な平等主義がまかり通り、権威にふざけた態度で接するのが格好いいという子供のような倫理で構わないと云う連中が、国民の代表?

    笑わせるんじゃない!と思ったね。

    焦躁的声音在中国

    http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=97&from=diary&id=2477381

    「沖縄県与那国島町議会は、町が所有する21ヘクタールの土地を自衛隊基地用地として貸し出す議案を可決した。与那国島は尖閣諸島(中国名:釣魚島)から約150キロの距離にあり、戦闘機であれば6分ほどで尖閣諸島へ到着できる。環球時報が報じた。日本政府は中国軍への監視を強化することを目的に、2015年までに与那国島の中心に100-200人の陸上自衛隊員が常駐する兵営を建設し、東端に沿岸監視施設と移動式警戒管制レーダー基地を建設する計画を進めてきた。しかし、「日中で戦争が勃発すれば、与那国島は直接、中国との交戦の舞台となる可能性がある」として、島民の反対に遭っていた。今回、町議会は年間1500万円で用地を貸し出すことを決定、陸上自衛隊の君塚栄治幕僚長は6月末には正式な契約を済ませ、2015年までに基地を建設、稼働させることを発表した。同ニュースに対し、中国人ネットユーザーの多くは焦りを示しており、「基地が完成してしまえば中国は何もできなくなる。中国が何もせずにいればいるほど、日本は有利になってしまう」という声や、「こんな小さな島は数発の爆弾にも耐えられないだろう」と早速、島が戦場となる恐れを示唆する声もある。また、「日本製品をボイコットしよう。釣魚島や琉球諸島を中国が取り戻すまで徹底してボイコットしよう」と呼びかける声もあった。」

    中国の戦争の仕方は、相手に先に攻撃させて、自分達は自衛のために戦うという構図を確立してから始めるのが定石です。従って、与那国島に中国が攻撃を仕掛けてくることは有り得ません。

    ただし、こちらが切れそうになるような嫌がらせをどんどんやってくる可能性はあります。なので、中国人観光客は今後あてにしない方が無難です。もちろん、土地を売るのも貸すのも危険です。

    与那国島の現在の人口は1600人。ここに陸自の沿岸監視部隊がやってくると100人の隊員と一部の隊員家族が移り住みます。陸自自体の支払う税収に隊員と家族の税収や島内での買い物、外食などを考えると福の神に見えてくると思いますけどね。

    10年後には空自部隊も誘致してるでしょうね。

    2013年8月20日 (火)

    艦長という仕事

    http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130619-OYT1T01061.htm?__from=mixi


    (門司港から出港し関門海峡(早鞆の瀬戸)を通過し、母港の呉に向かう「しまゆき」)

    「海上自衛隊の練習艦「しまゆき」(3050トン)が11日夜、関門海峡を航行中、航路の中央寄りを航行したため、対向してきた貨物船に接近し、衝突を避けるため緊急の回避行動を取っていたことが、門司海上保安部の調べでわかった。貨物船側が回避を呼びかけ、練習艦も応じたため衝突は免れたが、同保安部は大谷三穂艦長(42)らから事情を聞き、しまゆきの航行が適切ではなかったとして再発防止を求めた。関門海峡の航路は、港則法に基づく特定航法で「できる限り航路の右側を航行しなければならない」と定められている。同保安部によると、しまゆきは11日午後8時50分頃、山口県下関市沖の六連島(むつれじま)東側付近を航行中、パナマ船籍の自動車を運搬する貨物船(2万6651トン)とすれ違う際、中央に寄っていたため、衝突の危険を感じた貨物船側が汽笛を2回鳴らして、左側に回避するよう求めた。2隻は最短で約250メートルまで接近したという。(2013年6月18日 読売新聞)」



    「関門海峡で海上自衛隊の練習艦「しまゆき」が貨物船に急接近した問題で、運輸安全委員会の船舶事故調査官2人は19日、関門海峡海上交通センター(北九州市門司区)で両船の航跡データの提供などを求めた。20日には広島県呉市で大谷三穂艦長(42)らから聞き取りを行う。門司海上保安部によると、関門海峡では港則法に基づく特定航法で航路の右側航行が規定されているが、しまゆきで事前に作製された針路図は中央寄りになっていた。大谷艦長はこれまでの保安部の聞き取りに対し、「(針路図を)確認する暇がなく、針路が中央寄りに引かれていることを知らなかった」と説明したという。しまゆきは当初、関門海峡を通過する予定ではなかったが、台風接近のため、行き先が急きょ、佐世保基地(長崎県佐世保市)に変更された。(2013年6月19日 読売新聞)」


    (右側が大谷艦長)

    今年の3月の日記で防衛大学校の女性入学期(40期)1期生の中から二人の艦長が出たと書きました。その一人である「しまゆき」艦長の大谷三穂二佐が別の所で有名になってしまいましたね。

    海上自衛隊の練習艦2隻に22日、初の女性艦長が誕生した。ともに呉基地(広島県呉市)所属の2等海佐の、大谷三穂さん(41)=大阪府吹田市出身=と、東良子さん(39)=金沢市出身。2人は初航海後の記者会見で「艦長になるのが夢だった」と喜びを語った。海自によると、女性隊員は現在、全国に約2400人。うち315人が艦艇の乗組員という。これまでにも女性艦長はいたが、ミサイルなどの大型火器を搭載できる艦艇では例がなかった。大谷さんは「しまゆき」、東さんは「せとゆき」に着任。今後はそれぞれ約200人の部下を率いる。(2013年3月24日 山陰中央新報)



    素人の私には航行のルールは判りませんが、大谷艦長が本当に「(針路図を)確認する暇がなく、針路が中央寄りに引かれていることを知らなかった」と説明したとしたら、これは頭を傾げざる得ません。海峡の通航というのは海の難所です。そこを航行するのですから、艦長としては通い慣れた道であっても操艦を監督をしないとは思えません。たとえ操艦自体は当直士官が行っていたとしてもです。まして、この海峡では2009年10月27日(19時56分頃)に大韓民国籍コンテナ船「カリナ・スター」に護衛艦「くらま」が衝突され炎上した事案があったのですから。そうなると海図を確認できないほど忙しいというのはあり得ない話しだと思ってしまいます。仮に有り得るのなら、これは護衛艦艦内での業務システムを見直して貰わないといけません。

    とはいえ、どんなトラブルが生じたにしても、最終責任は指揮官である艦長にあるというのが海軍における指揮権の根源です。「指揮」とは操艦、戦闘行動などで、隊員への管理行動であり、その権限に基づく具体的な意思の現われが「命令」です。艦長(指揮官)は、その「指揮」を取る権限を与えられた立場で、その権限に相応する責任(行動責任、任務遂行責任)が伴うものです。最終責任者である艦長が「忙しすぎて海図を確認する暇がなかった」と発言してしまうと、責任は海図を作図した部下、その海図をチェックする部下に及びます。軍事組織において、指揮の崩壊はあってはならないことです。それが揺らいでいるという気分にさせられました。

    ただ、だから、やっぱり女は使えないなぁとなるのも困ります。それで、この問題を有耶無耶にされてもこまりますし。

    練習艦「しまゆき」(TV-3518)は、「はつゆき型」護衛艦の12番艦でした。記事にもある通り、現在は「しまゆき型」練習艦の1番艦として活躍しています。進水が1986年1月29日ですから、現在艦齢は28年。護衛艦の耐用年数は概ね30年ですから、近い内に退役することになるでしょう。

    2013年8月18日 (日)

    海上保安庁長官 初の制服出身

    http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2507701


    (海上保安庁長官の階級章(袖章と肩章)

    「政府は18日、海上保安庁の北村隆志長官が退任し、後任に海上保安大学校卒の佐藤雄二・海上保安監を昇格させる人事を固めた。長官ポストはこれまで旧運輸省、国土交通省出身者が占めており、現場出身の長官登用は初めて。尖閣諸島(沖縄県石垣市)を巡り、中国との緊張関係が強まるなか、海保職員の士気を高める狙いもある。8月1日付で発令する。佐藤氏は1977年、海上保安庁に入庁。東シナ海などを管轄とする第10管区海上保安本部の本部長などを歴任し、今年5月に海上保安庁のナンバー3で、現場トップにあたる海上保安監に就任した。政府関係者によると、佐藤氏の起用には安倍晋三首相の強い意向があり、海上警備の指揮経験が豊富な現場出身者を充てることになった。これに関連し、菅義偉官房長官は18日午前の記者会見で、首相の人事方針について「首相の指示は、現場で汗を流している人の活用、女性で頑張っている人の登用の2点だ。関係省庁もその方針に基づき、さまざま考えている」と説明した。」

    この記事だけ読んでも??なので、少し解説を。

    海上保安庁の職員になるには、普通は「海上保安大学校」か「海上保安学校」に入る必要があります。此処を卒業した人が制服を着た海上保安官と呼ばれます。

    「海上保安大学校」を卒業した人が、将来の幹部職員として指揮系統のポストに就いていきます。その最高位が長官です。ナンバー2が次長、ナンバー3が警備救難監という序列になっています。これまでは、長官と次長は国交省のキャリア官僚が一時的に海上保安官に転官する形で、このポストを独占してきました。ただし法律でそう定められている訳ではなく、慣例としてそうなっていただけでした。


    (次長と警備救難監の階級章)

    かって平成10年に海上保安庁次長へ制服組が抜擢されたことがありました。今回の人事は、その実績を踏まえて、安倍総理が強く希望した結果として生まれたようです。これまでの制服組の出世コースは巡視船の船長、本庁や管区保安本部の課長や部長を経て管区本部長となり、本庁警備救難部長を経て警備救難監というのが定石でした。

    ①海上保安庁長官 
    ②海上保安庁次長
    ③警備救難監
    ④〔各管区海上保安本部〕本部長・本庁部長

    第1管区海上保安本部(小樽) 第2管区海上保安本部(塩釜)
    第3管区海上保安本部(横浜) 第4管区海上保安本部(名古屋)
    第5管区海上保安本部(神戸) 第6管区海上保安本部(広島)
    第7管区海上保安本部(北九州) 第8管区海上保安本部(舞鶴)
    第9管区海上保安本部(新潟) 第10管区海上保安本部(鹿児島)
    第11管区海上保安本部(那覇)  

    ○海上保安庁(本庁)

    警備救難部・部長
    総務部・部長
    交通部・部長
    装備技術部・部長
    海洋情報部・部長




    警察官僚の場合、全員が国家一種採用者としてスタートして、最後は警察庁長官になる道が確立されています。他省庁の官僚が、そのポストに座ることはまずありません。しかし、海上保安庁や防衛省では、官僚がシビリアンという立場で制服組をコントロールする体制が確立されていたのです。ただし、それが大局的な見知から指揮を執るのに相応しいという理由なら納得ですが、単に身分の高いポストだからというのでは、現場は堪らない訳でして・・・。ただし、何かあると官僚は”それみろ”と引きずり降ろしにかかるえしょうから、今後は制服が長官を務めるのが法的にも確立されてこそだと思います。

    第一、海上保安庁長官が船酔いするとかいう話しはあり得ないでしょう。


    海上保安官の階級

    <各一人しかいない>
    ・海上保安庁長官→自衛隊の統幕長、警察庁長官と同等(軍で云えば大将)
    ・次長→自衛隊の幕僚長、警視総監と同等(軍で云えば大将)
    ・警備救難監→自衛隊の幕僚長、警視総監と同等(軍で云えば大将)

    <海上保安監>
    ・一等海上保安監(甲)→管区本部長・本庁部長・大学校校長 自衛隊の将、警察の警視監(中将)
    ・一等海上保安監(乙)→管区本次長・大規模管区本部部長 自衛隊の将補、警察の警視長(少将)
    ・二等海上保安監→自衛隊の一佐、警視正
    ・三等海上保安監→自衛隊の二佐、警視

    <海上保安正>
    ・一等海上保安正→自衛隊の三佐、警部
    ・二等海上保安正→自衛隊の一尉、警部補
    ・三等海上保安正→自衛隊の二尉~三尉、警部補

    <海上保安士>
    ・一等海上保安士→自衛隊の曹、巡査部長
    ・二等海上保安士→自衛隊の士長、巡査長
    ・三等海上保安士→自衛隊の士、巡査

    2013年8月14日 (水)

    反日もネタ枯れですか

    http://news1.kr/articles/1276983


    (1880年代のソウル南大門大通り)


    (1936年(日韓併合時代)のソウル南大門大通り)

    「キム・スンファン全北道教育長は12日「全北だけでも日帝蛮行の痕跡を捜し出して保存するために道教育庁が率先する」と明らかにした。キム教育長は光復68周年を三日後に控えたこの日午前、拡大幹部会議で「日帝蛮行の痕跡を保存できる場所は徹底して保存し我々の学生たちの教育資料とすることが私たちに残された重要な責務」と強調した。最近、東ヨーロッパ訪問を終えて帰国したキム教育長は「今回の訪問期間中、ポーランドのアウシュビッツ収容所とワルシャワのユダヤ人地区'ゲットー'に立てられているユダヤ人追悼碑も見て回った。特にユダヤ人追悼碑はドイツのウィリー・ブラント首相が追悼してひざまずき涙を流して謝罪したというまさにその場所でドイツ・ナチ蛮行をそのまま残した現場」と紹介した。また「日帝蛮行の代表的な場所が満州731部隊だが、そこにも当時の生体実験現場がそのまま、みな保存されている。様々な国々が自分たちの歴史で恥ずかしい部分であっても、そのまま残して後世の教訓としたり、育つ学生たちの教育資料とするのを見て頭が下がった」と付け加えた。キム教育長は「反面、驚くべきことに私たちの大韓民国は日帝蛮行の跡を隅々まで消して意図的なのか、偶然なのか糾明しなければならない。全北だけでも、日帝蛮行の痕跡の保存作業を具体化するよう道教育庁が推進し、学校教育課でこれを具体化するよう指示した」と話した。」


    (1937年に総工費5億円(当時)で建設された水豊ダム)
    *発電能力70万kWは当時世界最大級。朝鮮戦争では米軍の破壊攻撃に耐えたほど堅牢な作り。

    そもそも、解放から68年も経つのに、”日帝蛮行の痕跡”を探し回らないといけないほど、その痕跡を見付けにくいものなのでしょうか?

    この記事を読んで、私はソウル市内にある『西大門刑務所歴史館』という施設を思い出しました、この施設は、1908年10月21日に「京城(ソウル)監獄」の名称で、第3次日韓協約の元で建設された近代的刑務所が、その前身です。この監獄以前には我々がイメージする刑務所は朝鮮に存在しませんでした。朝鮮を統治下に置いた1912年9月に「西大門監獄」と改称され、更に1923年5月には「西大門刑務所」に名称が変更されながら存在し、独立後は韓国政府により使用され、それに伴い名称が1945年11月21日に「ソウル刑務所」となって、1961年12月に「ソウル矯導所」、1967年7月には「ソウル拘置所」に変更されて使い続けられました。1987年11月15日に「ソウル拘置所」が義王市に移転されるまで、刑務所としての役目を長年果たしました。これも日本政府が建設して、朝鮮に残した在外資産の一つです。

    さて、『西大門刑務所歴史館』は、今のところ韓国が持っている「日帝蛮行の痕跡」の数少ない史跡となっています。私も見に出掛けたことがあります。そこにはこういう説明がなされていました。案内してくれたのは、韓国生まれ、日本で中学・高校を出て、韓国外大を卒業した友人です。その友人が解説文などを日本語に訳して呉れました。(現在は、日本語による案内表記もあります)

    曰く、

    ”日本に対して抗日運動(独立運動)を行う韓国人(韓国では朝鮮という言葉が禁語なのですが、この頃は朝鮮人と表記するべきなのですが)を捕まえ監禁するための監獄であった場所”

    ”一度ここに入れられたら生きて出て来ることはできないと言われた所”

    ”多くの韓国(朝鮮)人が厳しく残酷な拷問と監獄生活の末に、あるいは処刑によって、ここで命を落とした”

    などなど。こんな大きな施設ですし、普通に犯罪者を収監したと考える方が常識的だと思うのですが、そういう風に書かれていません。。朝鮮統治下では、日本に準じた司法制度が整備され、治世に供されていたことは何処に書かれておりません。さらに此処で処刑された朝鮮人の数も記載されています。その数が、なんと90人。日本の朝鮮統治は38年間でしたから、この数字からして、朝鮮での独立運動は低調だったと思うのは私だけでしょうか。ちなみに、同時期に日本国内で死刑が執行されたのは18人。その大半は幸徳事件や難波大助などの大逆罪によるものです。思えば、戦前の日本は治安が良かったのですね。独立後の1949年7月から1997年までに、韓国の司法制度下で死刑にされた人数を調べてみると、その数は920名なのだそうです。48年間で、この数はどうなのでしょう?

    そんな冷静な事を考えず、日本の高校では修学旅行にソウルを訪ねた際に、この施設を見学させて歴史教育の一環とする学校が過去は結構ありました。大学の先生や政治家なんかも、この展示を鵜呑みにするのですから、仕方がありません。最近は少し冷静に考えられる人も出てきてますが、未だにプロパガンダに耐性の無い人はショックを受けるようです。これは日本人だけではありません。

    2012年1月7日に西大門刑務所を訪ね、展示されている拷問道具を見て憤りを感じた韓国系中国人(曽祖父が西大門刑務所で拷問を受けたと自称している)が、翌日に駐ソウル日本大使館に火炎瓶数本を投擲して逮捕されたことがありました。この犯人、2011年12月に起きた靖国神社放火事件の実行犯であることをほのめかしていたのに、ソウル高等裁判所により政治犯と認定され、韓国政府は日本政府からの犯罪者の引き渡し要求を拒否。犯人を中国へ送還して物議を醸したことがありました。彼もまた、プロパガンダに踊らされた耐性の無い人だったようです。

    そういえば、今はない朝鮮総督府の地下にも、公安警察が思想犯を逮捕し、拘禁する監禁房があったと噂されていましたが、実際には取り壊しの際に何も発見されませんでした。もちろん、反日運動は弾圧されたし、捕まった活動家(総督府からすればテロリスト)に対しては拷問もしたでしょう。解放後、ここに収監された韓国人政治犯は多数にのぼります。拷問された韓国人だって多数にのぼります。1990年代まで、韓国は日本統治下以上に圧政が敷かれていたという歴史には何時まで目を瞑る気なのでしょう?

      2013年8月13日 (火)

      酷暑日、炎暑日、極暑日

      http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2536862

      「気象庁は10日、高知県四万十市で午後1時6分の気温が40・7度を記録したと明らかにした。40度を超えたのは6年ぶり。観測史上4番目の暑さという。過去最高は40・9度で、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で2007年8月に記録した。」


      高知・四万十で40・7度が出たそうです。調べてみると、この気温は歴代4位になりそうですが、恐らく今年の猛暑ぶりからして、最高記録も更新の可能性がありますね。

      ①埼玉県・熊谷:40.9℃ = 2007年8月16日
      ①岐阜県・ 多治見:40.9℃ = 2007年8月16日
      ③山形県・山形:40.8℃ = 1933年7月25日
      ④和歌山県・かつらぎ:40.6℃ = 1994年8月8日
      ④静岡県・天竜:40.6℃ = 1994年8月4日
      ⑥埼玉県・ 越谷:40.4℃ = 2007年8月16日
      ⑥山梨県・ 甲府:40.4℃ = 2004年7月21日
      ⑧群馬県・ 館林:40.3℃ = 2007年8月16日
      ⑧群馬県・上里見:40.3℃ = 1998年7月4日
      ⑧愛知県・ 愛西:40.3℃ = 1994年8月5日

      ちなみに、

      猛暑日:一日の最高気温が摂氏35℃以上になる日のこと
      真夏日:一日の最高気温が摂氏30℃以上になる日のこと

      猛暑日は気象庁が2007年4月1日に予報用語の改正を行い設けた気象用語です。つまり、それ以前は一日の最高気温が摂氏35℃以上になる日は希なことだと考えられていた。調べてみると、明治になり気象観測が本格的に始まって以来、猛暑日はこんな具合でした。


      ○1893年:岐阜県・岐阜市:35.3℃ (7月の月平均最高気温)
      ○1922年:福井県・福井市:38.5℃ (8月20日)
      ○1923年:徳島県・鳴門市:42.5℃ (8月3日)
      ○1933年:山形県・山形市:40.8℃ (7月25日) *1961年に更新されるまで最も暑い夏の年
      ○1942年:愛知県・豊田市で41.8℃、愛知県・瀬戸市と奈良県・御所市で41.0℃など東海地方から中国・四国地方の内陸部を中心に17地点で40℃以上を7月下旬から8月中旬にかけて観測。

      *愛知県・名古屋市:39.9℃
      *福島県・福島市:39.1℃
      *長野県・松本市:38.5℃
      *三重県・上野市:38.8℃
      *福岡県・飯塚市:37.6℃
      *滋賀県・彦根市:37.5℃
      *鹿児島県・鹿児島市:37.0℃


      こんな希な事例が1990年代から毎年のように猛暑が出現しだして「猛暑日」は必要になったのですが、今後は更に、酷暑日、炎暑日、極暑日というような呼び名が制定されてしまいそうです。

      ブラックベリーが身売りなどを検討

      http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=2538927

      「カナダ政府は同社を「国内の重要企業」と捉えており、海外企業が買収を目指すとなれば、政府による厳しい審査が待ち受けている。政府はこの日、同社をめぐる憶測にはコメントしないと述べた。ブラックベリーと提携する可能性が指摘されているのは、マイクロソフト<MSFT.O>、アマゾン・ドット・コム<AMZN.O>、中国のレノボ・グループ(連想集団)<0992.HK>など。レノボの幹部は今年、モバイル事業を強化するためにブラックベリーの買収を検討すると述べているが、中国企業の関与には、カナダ政府が安全保障上の懸念を示す可能性がある。複数の関係筋によると、ウォール街の金融機関は、すでに台湾のスマートフォン大手、宏達国際電子(HTC)<2498.TW>や韓国のサムスン電子<005930.KS>に対しても、ブラックベリーとの提携話を持ちかけているが、これまでところ大きな進展はないという。」

      モバイル事業の拡大で中国が世界のシェアーを独占する。目指すは打倒!Samsungです。

      これ、表の事情。

      予めモバイル携帯にハッキングソフトを内蔵しておけば、持ち主のメールは見放題、保存されている情報も吸い取り放題、さらにその人の現在位置やら、カメラをリモートで起動すれば覗きも可能。こんな美味しい話しをあの謀略好きの中国人が見逃すはずがありません。中国政府が独占できるチャイナ・エシュロンの誕生です。これはレノボのパソコンでも起きる可能性が大きいのですし。

      これ、裏の事情。

      そんな・・・と思われる方は、こんな記事が2013年08月01日にあったのをご存じですか?

      オーストラリアのメディア「The Australian Financial Review」(AFR)が7月27日に報じた記事が大きな波紋を広げている。「Spy agencies ban Lenovo PCs on security concerns」(諜報機関がセキュリティー上の懸念からレノボのPCを禁止)と題したもので、「オーストラリア、米国、英国、カナダ、ニュージランドの諜報・防衛機関における機密性の高いネットワーク上でレノボ製PCの使用を、『ハッキングに弱い』として禁じた」としている。報道によると、英国およびオーストラリア諜報・防衛機関の複数筋が、「特定のネットワークにおいて、とある中国の会社製PC使用の禁止令がある」と認めたという。外部からの操作でパソコン内のデータにアクセスできる工作を簡単に仕掛けられるような、ハードウェア/ソフトウェア上の脆弱性が認められたからという理由で、時期は2000年代半ばとのことだ。一方、オーストラリア国防省は7月30日の発表で「機密ネットワークにおけるレノボ製PCの使用を禁止しているのか?」という同誌の質問に対し、「機密ネットワークにおけるレノボ製PCの使用許可要求自体が、これまでに一度もない」と公式に回答。27日および29日にAFRに掲載された内容は事実に基づいていないとした。その後も報道を巡って、中国企業の締め出しや情報スパイを疑う声に至るまでの様々な憶測が飛び交っているが、真偽は不明だ。なお、編集部からの質問に対して、レノボ・ジャパンは「レノボは販売に関するいかなる制限の通知も受けていないため、AFRのレポートについて答えられる立場にない」と述べている。

      http://ascii.jp/elem/000/000/813/813936/

      2013年8月12日 (月)

      メッキが剥げて、先進国から転落の韓国

      http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130810-00000067-economic-bus_all

      「韓国の輸出メーカーは、国策ともいえるウォン安誘導によって、海外市場で、競争力を保ってきた。これが日本の「アベノミクス」によって崩壊したといえよう。積極的な金融緩和で、超円高が修正された。これだけで、ソニーやパナソニックが業績を急回復させたことで証明される。さらに韓国最大の取引先である中国経済の急減速、中国メーカーの安値攻勢と追い打ちをかける。国内では、夏場の電力危機、人件費の高騰による海外脱出を図る事を大手メーカーなどが検討を始めた。メーカーにとって、もはや韓国国内に残る理由はない、との声も出始めているというのが実情だ。国内にとどまれば、操業不安やコスト上昇が重荷となる。雇用を犠牲に海外に逃げ出せば、強い批判にさらされ、国内の消費市場も冷え込むことが予想され、韓国メーカーはそうしたジレンマに陥っているといえよう。その代表格が、鉄鋼大手のポスコと言われている。また中国の経済急減速の影響や過剰生産による安値攻勢も韓国経済に大きな影響を与えていることは否定できない。中国経済は、「影の銀行(シャドーバンキング)」による地方政府の巨額負債や、不動産バブルの崩壊の懸念で、失速危機にあり、経済面で、中國に頼っている韓国メーカーの不振に拍車をかけているという。現在韓国の電機メーカーを追っているのが中国メーカーで、低価格のスマートフォンがアジアやアフリカなど新興国を席巻しているとの専門家の見方もあるのは確か。こうした不安材料に追い打ちをかけているのが、この夏最大の懸念材料と言われている電力危機だろう。原発での偽造部品使用など、不祥事が相次いで、23基中6基が停止。電力供給は過去最低水準となっている。2011年9月のブラックアウト(大停電)再来が大きな懸念となっている。こうした二重苦、三重苦に見舞われている韓国経済の今後の未通しは、不透明と言わざるを得ない。」

      ○日本の「アベノミクス」によって超円高が修正
      ○中国経済の急減速
      ○中国メーカーの低価格のスマートフォン安値攻勢

      中国と組んだ反日コンビで、日本を叩くという戦略が、「アベノミクス」の高評価で経済が復興し始めると、元々脆弱だった韓国経済はあちこちできしみが生じた様子です。その目に見えてる部分が、記事にもあるこの夏の電力危機です。先進国で電力危機なんて・・・ね。

      タッグを組んだと思い込んでいた中国は、自らの危機の為に韓国を切り捨てることに躊躇いはないでしょう。

      となると、支援を頼めるのは日米の両国ですが、この10年ですっかり関係は冷え切ってしまいました。領土問題に慰安婦問題など、日本の世論は韓国に対して冷淡になっている、この時期に経済危機が起きたら・・・。

      「アベノミクス」は、実は韓国を疲弊させ、領土問題など懸案事項の解決に利用するためのツールでもあるのです。

      漢字も読めなくなったのか

      http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/31512363.html




      こういう写真(卒業アルバムらしい)が発見され、韓国のネット上で話題になっているそうです。写真の撮影年代は1930年代だとされております。

      学生達が登って写真を撮っているのは慶州(韓国の古都)にある『瞻星台』という遺跡です。建造年・建造者・建造目的は不詳なのですが、一応『三国遺事』という古文書には登場するので、西暦632年から647年(新羅時代)の間に建設されたと推定されています。建材には、花崗岩が使われており、円筒状に建造されている。地上部分の直径は5.17メ ​​ートル、上層部の直径は2.5メートルです。この花崗岩は厚さ30センチに加工されており、27段積み上げられている。なお地上部分には入口がなく、中腹部分にあたる13段から15段の部分に四角い窓が一つあるだけという不思議な建造物です。なお、現在は国宝に指定され、側に近寄ることも、登ることも禁じられています。ただ、どういうものか、未だに雨晒しです。

      私は1988年に『瞻星台』を見ていますが、何となく奈良・飛鳥の謎の遺跡に似ている気がしました。



      同じアングルの別の写真には、持ち主の書き込みがありまして、

      ・徽文高等普通学校第四学年生
       慶州修学旅行の時に撮す

      とあります。さらに、冒頭に「辛酉(かのととり)」の秋とあります。これは干支の組み合わせの58番目にあたる年号を示す古い表記の方法です。1900年代に辛酉の年は二度しかありません。1921年と1981年です。と言うことで、この写真の撮影年は1921年の秋ということになると思われます。日本の年号で言えば大正10年です。この当時、朝鮮半島は日本の統治下にありました。学生達が詰め襟の学生服と学生帽、足下はゲートル巻きというのは、如何にも日本風のアレンジです。

      「徽文高等普通学校」は、1906年にソウルで創立された私塾が元になっております。4年制の高等普通学校になったのは1918年のこと。1933年には朝鮮の高等普通学校として初めて学内に図書館を設立するなどした私学の雄的存在でした。創設者はミン・ヨウンフィという華族出身の親日派政治家です。あの悪法である「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」により、その子孫は財産を没収された人として、韓国国内では知られているようです。(思い出されたという方が正確ですけど)

      徽文高等普通学校は、現在「徽文高等学校」としてソウル市の江南地区に現存しています。

      韓国は、ハングル文字至上主義が進み過ぎた結果、漢字を読めなくなっている人が増えています。ネット世代は尚更読めないようで、冒頭に書きましたように、この写真は1930年代だと推測していたりもします。

      一部の人は、これが日本統治時代の、韓国(朝鮮)文化に対する冒涜行為だと目くじらを立てているようですが、在朝鮮日本人が積極的に朝鮮の私立高校へ進学するとは考えにくいので、これは朝鮮の高校生による修学旅行の記念写真の一枚だとしか思えませんけどね。

      日本の統治時代、朝鮮半島では差別も色々あったでしょうが、統治政策として日本に準じた教育制度の整備が行われ、帝国大学もソウルに設けられており、成績次第では私立の高等専門学校からでも進学が出来ました。選抜されれば、日本国内の帝国大学への留学も許されていました。さらに、朝鮮総督府に勤務する公務員も、中級幹部ですら朝鮮人が多数登用され、上級職への登竜門である高等文官試験への受験も許されていました。更に陸軍士官学校への進学も制限はありましたが、許されており、朝鮮籍の士官もある程度いたほどです。

      ちなみに書き添えておきますと、韓国映画を見ても判りますが、韓国の学生服や学生鞄は日本の1960年代頃までのものと大差はありません。嫌日とか言いながら、実のところは平気で日本の文化を吸収して咀嚼しているのがよく判る事例です。もっとも、それをあちらに言えば、学生服に学生帽は朝鮮が発祥の地ということになるのでしょうが。

      2013年8月11日 (日)

      日本を嫌う国は中韓だけ、中韓を嫌うのは世界中

      http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=97&from=diary&id=2536824

      「米国の調査機関Pew Research Centerが7月に発表した調査結果によると、日本に対して悪印象を持っているアジアの国は中国と韓国だけであり、それぞれ90%と77%に達した。中国と韓国の人びとが日本を嫌う理由は「過去の侵略行為に対する謝罪と反省が不十分」と考えているためだというが、中韓以外のアジア諸国では日本に対して好印象を持っているという割合が80%を超えており、謝罪が不十分と答えた人は極めて少数だった。」

      ”アジアの諸国は、どこでも日本の過去の侵略行為に対する謝罪と反省が不十分だと言っている”とよく言っている政治家や評論家が参考にしている統計は何処のものですか?

      ○韓国への戦後補償

      「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(1965年12月18日)と「日韓請求権並びに経済協力協定」によって韓国の日本に対する一切の財産及び請求権問題は完全に解決されている。これは国際法に照らしても合法な条約と協定であるにも関わらず、その後も条約を無視して韓国政府、議会、司法、韓国市民による対日請求が繰り返されているのはご存じの通りです。

      ・盧武鉉政権以降の再請求(2005年)
      ・韓国最高裁、日本企業の徴用者に対する賠償責任を認める(2012年)
      ・李明博大統領による天皇謝罪要求(2012年)

      などなどが有名ですが、日本は1965年(昭和40年)の国交正常化後に1080億円の経済援助金を韓国に行いました。1965年当時の大卒初任給の平均額は24,000円でした。現在は概ね20万円前後です。仮に10倍と考えると1兆800億円。物価の安かった当時の韓国では実際には100倍の値打ちがあったろうと思います。さらに、日本は朝鮮半島に在外資産として、1945年当時の価値で702億5600万円を保有してましたが、それも放棄しています。韓国の場合、発電・配電システムや鉄道、電信、水道、港湾施設などが全て無償で手に入り、小学校から大学までもが初めからあった上で、新たな国造りを始められたのですから、賠償責任は元々果たしてきたのですし。ただ、朝鮮戦争でかなりの被害を受けましたから、復興には1兆800億円は必要だったのでしょう。

      こんな国を、まっとうな国が相手にするとは思えないです。

      2013年8月 8日 (木)

      日本版コーンエアー?

      http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=2496559



      「法務省は8日、不法残留などで強制退去が決まったフィリピン国籍の75人を6日にチャーター機で一斉送還したと発表した。集団で不法入国した外国人を一緒に送り返すケースはあったが、事情が異なる外国人をこれだけの規模で一度に送還した例はないという。法務省入国管理局によると、強制退去が決まった外国人が送還を拒み続けた場合、民間の定期便を使い、入国警備官を付けて1人から数人の単位で帰国させる。この場合、交通費は日本政府の負担となる。ただ、機内で大声を上げたり暴れたりして送還できないこともある。チャーター機を使って一斉送還することで安全性が高まり、費用も抑えられるとしている。」 





      不法残留の不良外国人をまとめて送還にチャーター機なんか勿体ない。空自のC-130かC-1で送り返したら良かろう。あれに乗った人は判るだろうが、機内で会話不可、窓はあるけど機内は薄暗い。椅子は簡易シートでロングシート。向かい合わせの2列縦隊が2つ。おおよそ居住性なぞ考慮されていないから、機内で大声をあげようが、暴れようが誰も気にならない。皆であまりに騒ぐのなら機内の空気を多少抜いてやるのも良いでしょう。機体後部の扉を開いて、冷気をバンバン入れてあげると直ぐに静香になるかも。

      2013年8月 7日 (水)

      海自最大の護衛艦「いずも」進水

      http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2531818

      「海上自衛隊としては最大の新型護衛艦の命名・進水式が6日、横浜市磯子区の「ジャパン マリンユナイテッド磯子工場」で行われた。同時に5機のヘリコプターが離着陸できる広い甲板を持つ「ヘリ空母型」の護衛艦で、「いずも」と名付けられた。」

      このニュースを受けて、中国は安倍政権の「右傾化」を示す一連の動きと位置付けている。各紙はいずもについて「ヘリ14機を搭載できる能力があり、改造すれば戦闘機の搭載も可能」として空母に準ずる機能を備えていると紹介。式典に麻生太郎副総理や自民党の石破茂幹事長らが出席したことも伝えた。また、「出雲(いずも)」は日本による対中侵略戦争の際に使われた艦船と同じ名前」と指摘し、「中国を含むアジア諸国が不満を強めている」と歴史問題まで絡めて非難しました。(2013.8.7

      たまたま、自宅でこのニュースを見ていて、相方が「訳が判らない?」と申しておりました。殆どの日本人は同じ感想を持ったのではと思います。

      中国メディアの云う「出雲(いずも)」は日本による対中侵略戦争の際に使われた艦船とは、帝国海軍の装甲巡洋艦「出雲」の事を指しています。日中戦争に際しては、明治31年建造の老朽艦ながら第三艦隊(後には支那方面艦隊)の旗艦として上海に派遣され、長く当地に留まり、日本海軍のシンボル的存在でした。

      その艦長には、竹下勇大佐(1909年7月10日 - 1910年4月9日)、秋山真之大佐(1910年4月10日 - 12月1日)、岡新大佐(1937年12月1日 - 1938年9月1日)など、海軍史の上で著名な人物も配されています。

      正直、中国の一般の人だって、こんな古い話しは知らない人ばかりでしょうけど、共産党やら政府はちゃんと歴史を学んでいて、日本の政治家だって調べてみないといけない話しでもって攻撃してくるのですから、侮れませんね。

      歴史を盗んだ国

      http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130807/plc13080703200006-n1.htm

      もしも、日本陸軍と国民党軍が共闘して、共産党軍を討伐し、戦後は満州と朝鮮半島は日本領という控え目の条件で蒋介石と折り合ってれば、今のような話しにはなっていなかったでしょう。そもそも共産党は日本が敗戦してしまい、その後の内戦に勝利した結果として成立した政権でしかありません。いわば漁夫の利を得ただけ。なのに自らを正当化したいが為に歴史を改竄した。

      そういうお話しをご覧下さい。

      「8・15」に思う~日本に勝ったという中国の虚構~
                                     防衛大学校教授・村井 友秀(むらい ともひで)

       中国共産党は国民に、共産党が日本帝国主義を打倒したと教育している。だから、国民の反日感情を高めると共産党の人気が上がるのである。共産党に対する不満が高まったとき、国内矛盾を転嫁するスケープゴートとして、日本が格好のターゲットとなるのもそのためだ。だが、中国共産党の主張は歴史的事実なのだろうか。

      ≪日本軍侵攻に救われた共産党≫

       1930年代の日中戦争は日本では「支那事変」と呼ばれ、日本政府は「事変」であり、「戦争」ではないと唱えていた。日本にとって主敵はあくまでソ連や米英であって、中国は主戦場ではなかった。日本は「戦争」の敷居を越えないよう、「事変」の枠からはみ出さないよう、主観的には注意深く行動したつもりであった。

       しかし、「事変」が拡大するにつれて日本軍の戦死者は増大し、「今、中国から撤退すれば、『事変』の中で戦死した10万人の日本軍兵士の命が無意味になる」という感情論に国民が同意するに至って戦争は長期化していった。

       26年に国民革命軍総司令に就任した蒋介石は共産党を「内憂」、日本の侵略を「外患」とみなし、まず共産党を排除した後に日本軍の侵攻に対処する「安内攘外」論を主張した(31年)。35年には国民党の攻撃により共産党は豊かな沿岸部の根拠地を失い、不毛の内陸部へ逃走する。なお、共産党はこの逃走を「長征」と呼ぶ。

       その後も、国民党は共産党を軍事的に圧倒していたが、37年7月に日本軍と本格的戦闘に入ると、その攻撃で国民党の組織と軍隊は大きな打撃を受けた。日本軍に攻められた国民党は共産党を攻撃する余裕を失い、日本軍に対抗するため、37年9月に「第二次国共合作」を成立させた。国民党の攻撃によって崩壊の危機に瀕していた共産党にとり、日本軍の侵攻は起死回生のチャンスであった。

       しかし、「第二次国共合作」も日本軍の侵攻を阻止できない。11月に上海、12月に首都南京、38年には、徐州など華北・華中の主要都市も日本軍に占領された。

      ≪毛戦略の第三段階は実現せず≫

       その時、共産党は何を考えていたのか。毛沢東は「持久戦論」で次のように主張した。「日本は強力な帝国主義国家で、軍事力・経済力は東洋一であり、中国は日本に速戦速勝できない。しかし日本は国土が小さく、人口、資源が欠乏し、長期戦には耐えられない。したがって、敵の後方で遊撃戦を展開し、敵の内部崩壊を促進すれば、中国が最後に勝利する」

       「持久戦論」は戦争を三段階に分ける。第一段階は日本軍の戦略的進攻と中国軍の防御の時期である。第二段階は日本軍と中国軍の戦略的対峙の段階だ。第三段階は中国軍が運動戦と陣地戦で日本軍を殲滅(せんめつ)する最終段階である。

       共産党によると、第一段階は37~38年、第二段階は38~43年、第三段階は43~45年となっている。しかし、日本軍は44年から45年にかけて50万人の兵力を動員し、日中戦争で最大の作戦となった「大陸打通作戦」を実行して洛陽や長沙を攻略した。中国の戦場では45年においても日本軍は優勢であった。現実の日中戦争では第三段階は実現せず、日本軍が太平洋で対米戦争に敗北することにより、中国における戦争は終わった。

       他方、蒋介石は「日本の大陸政策はソ連を第一の敵としている。中国は日ソ間の矛盾を利用できる。日本が南進すれば太平洋を制する米国と対立する。ゆえに中国が米ソと結んで日本を孤立させれば日本に勝利できる」(「夷を以て夷を制す」)と主張した。

       日中戦争中、国民党の地方軍閥は対立抗争を繰り返し、共産党軍は地方都市を占領して日中戦争の主要な戦闘には参加せず、37年の上海戦、38年の徐州戦、武漢三鎮攻防戦にもその後の長沙戦にも、ビルマ戦線にも出ていない。

       ≪日中戦争を決した日米戦争≫

       蒋介石が期待し、予想したように、日本軍よりも強力な軍事力を持った米軍の対日戦争によって日本軍が崩壊し、日本は太平洋戦争に敗れた。毛沢東の遊撃戦ではなく日米戦争の結果によって、中国戦線でも日本軍は降伏した。

       第二次世界大戦における日本軍の戦死者約240万人のうち、中国戦線での戦死者は約46万人である。中国一国と戦っている限り、日本本土は攻撃されず、戦死者が耐え難いまでに夥(おびただ)しい数になることもなかっただろう。日中戦争の勝敗を決した最大の要因は、米国の軍事力にほかならなかった。

       中国共産党は日中戦争後に争われた国共内戦の勝者であった。内戦で争われるのは、軍事力ではなく国民の支持である。国共内戦では、腐敗した体制を墨守する国民党は、現状に不満を持つ国民の支持を失って敗者になり、共産主義という未来の理想社会の実現を掲げた共産党が、期待と支持を獲得して勝者になったのである。

       中国共産党の主張は歴史的事実とは異なる。虚構に基づく体制は民主主義には耐えられない。



      当の共産党は、民主主義は国に合わないので必要ないと申しておりますが・・・。

      <<「民主主義は国情合わず」 中国共産党機関紙が論文>>

       31日付の中国共産党機関紙、人民日報は「新自由主義にしろ、民主社会主義にしろ、こうした西側(諸国)の理論は中国の国情に合わない」とし、中国独自の社会主義路線こそが進むべき道だとする論文を掲載した。中国政府は、多党制など民主主義的制度を拒否する考えを示しているが、民主主義自体を排除する見解の表明は珍しい。

       政府系シンクタンク、中国社会科学院の学者が執筆したこの論文では、共産党が打ち出している路線、理論、制度に自信を持つよう繰り返し強調。インターネットの普及などにより価値観が多様化する中、一党独裁の否定につながる思想が広がることへの危機感が背景にありそうだ。

       論文は「中国は近代以降、世界中の代表的な理論、学説、主義をほとんど試してきたが、成功しなかった」と主張。民主社会主義などが「中国人民の根本的な利益につながらない」と指摘した。
      (2013.5.31)

        2013年8月 3日 (土)

        9平方mの島で港湾建設に750億円かける理由

        http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2528596

        「沖縄・尖閣諸島で中国公船が領海侵入を繰り返す中、領海や排他的経済水域(EEZ)の基点となる離島を守る動きが加速している。日本の最南端・沖ノ鳥島(東京都小笠原村)では、海洋資源開発などを目指して国土交通省が港湾施設の建設工事を開始。東京都心から南に約1700キロ。沖ノ鳥島は太平洋上に浮かぶ楕円(だえん)形の環礁だ。国交省の計画では西側に長さ約160メートルの桟橋型式の岸壁を作り、岸壁と島内を結ぶ臨港道路も敷く。工事が始まったのは今年4月。岸壁に揚げた船の積み荷を仮置きする「荷さばき場」の建設から始めたが、台風や季節風による荒天を避けるため、作業期間は基本的に春から夏までに限られている。作業員約100人は、船に寝泊まりしながらの作業を続けており、施設全体が完成するのは3年後の見通しだ。周囲約11キロの沖ノ鳥島では、満潮時に水没しないのは二つの小島だけで、面積は計9平方メートル程度。波の浸食を防ぐためのコンクリート護岸は毎年補修が必要。大型船をつけられないため、洋上で資材を小型船舶に積み替えているが、岸壁が完成すれば水深約8メートルの停泊地に130メートル級の船舶をつけられるようになる。総事業費は約750億円に上るが、同島周辺の海底に堆積しているとされるコバルトやニッケルの採掘に成功すれば、約1160億円もの利益を生むという試算もある。中国は、沖ノ鳥島を「岩」と主張しているが、国交省幹部は「港ができれば調査船の活動拠点になる。資源開発で経済活動が進めば、『島』であることがより明確になる」と見込む。」

        日本の領土領海を守るという考え方は、以前には、国民の間でほとんど無関心でした。島根県の竹島が韓国に不法に占拠されたのは1953年。あれから60年ほどは、そんなことも忘れたかのようでした。しかし、皮肉な話しですが、中国が尖閣問題を提議し、日本が国有化に動いてから、その関心は高まってきています。

        そんな中で安倍政権になって、こういう活動が活発に行われるのは良いことです。

        尖閣も今の対立状態の間に、1000億円ほど投入して、魚釣島に桟橋とヘリポート、そして恒久的な警備施設として、幾つかの建物とを作っておくことをお薦めします。

        ところで竹島が不法占拠された時の韓国の手口をご存じですか?

        韓国が対外的に軍事組織を動かして、他国の領土を占領するというのは、当時、国が出来たばかりで国力も充分ではなく、軍隊も小さかった韓国にとっては大変な事業です。まして、日本が反撃してきたら、戦争状態になることも想定しないといけません。だから、巧妙な方法を考えて行動しました。というか、これは中国古来の伝統的なやり方でもあるのですけど。

        まず、1953年に韓国の武装市民(独島義勇守備隊)が武力制圧します。国民が自ら自国の領土を占拠したと言う建前です。その中身は、ホン・スンチョル隊長(退役陸軍軍人)以下、33人の隊員。その大部分が傷痍軍人・警察官で、純民間人は4人。武装に要した武器は韓国警察が提供したとされています。

        彼等が1953年4月20日に初めて竹島に入った時には常駐する装備ははなく、定期的に訪ねては駐在するという具合でした。同年6月27日、海上保安庁の巡視船2隻が来島。島に不法上陸していた6人の韓国人(自称義勇守備隊の隊員)を島から追い出して、その後で日本領の標識を立てて島を離れました。巡視船が引き上げたのを見て、追い出された義勇守備隊が再び島に戻ります。このことを聞いた韓国政府は韓国警察に指示して、迫撃砲1門と弾100発を義勇隊に支給。義勇隊は、この武器のほか、M1小銃とカービン銃で全員武装して島に赴き、後に砲1門も配備されていたとする説もあります。1954年4月21日に巡視船(巡視船「へくら」(PS-9) )が再び来島すると、義勇守備隊が攻撃を始め、戦後の平和憲法下で初の交戦状態が発生。しかし、日本ではそういう解釈は行わずに、話し合いで解決をすすめようと、韓国と外交交渉に臨んで半世紀。韓国は日本との領土問題は存在しないと一方的に対話を拒絶したまま、実効支配を行い、学校教育を通じて国民に自国の領土だと教え続けて、その認識を植え付けることに成功しています。

        1956年4月には韓国警察・鬱陵警察署の武装警察官8人が竹島へ常駐するようになり、独島義勇守備隊は同年12月25日を以って解散。現在、島には武装した韓国警察官41名が駐屯し、周辺海域は海洋警察庁が警備を行っている。韓国軍が駐屯しないのは、韓国による「占領」と見なされるのを避けるため。自国の領土に軍事組織を置いて警備するのは普通の行為ですが、この対応が如何にも後ろめたい韓国の心理を現して居るとも云えますね。

        この事例を考えても、尖閣に中国人の一般市民と称する一団が、台風の来襲時とかに島へ不法上陸。それを排除するために警察や海上保安庁が動くと、自国民の保護(中国は尖閣を自国の領土と宣言しているので)という名目で、海洋警察組織をなどを動かして日本と交戦状態にしてしまう。こうなると戦争を出来ない日本国憲法を良いことにして、どんどん軍事組織を動かしてくる中国と、国内では反戦組織が平和理の解決をと大騒ぎ。次の選挙の影響を考えて立ち往生になる日本では、勝ち目はありません。しかし、無人島ではなくて、日本の警察なり、自衛隊なりの部隊があると、其処を攻撃した時点で、これは戦争行為ですから、ハードルが高くなります。

        そうしておくことが、実は一番平和理に領土を守ると云うことなのですけどね。

        経済危機間近の韓国を助けるのは誰だ?

        http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=2527531

        「内閣府が竹島(韓国名・独島)に関する世論調査結果を1日公表したことに対し、韓国外務省は2日、韓国領土への「挑発行為」だと非難した。」

        また、やってるの!と思いますが、少し目線を変えてみましょう。

        韓国のSamsung電子が2013年第2・四半期におけるスマートフォンの営業利益で世界第1位の座を獲得したのはご存じと思います。同・四半期におけるSamsung電子の携帯電話事業部門の営業利益は52億米ドル。Appleは「iPhone」の販売による営業利益が約46億米ドルで、2位に転落したと評判になりました。Samsung電子全体でも、1~3月期決算による売上高は前年同期比16,8%増の約4兆7600億円、営業利益は同54,3%増の約7900億円となりました。昨年度のソニーの年間売上は6兆8000億円、パナソニックが7兆8000億円ですから、その勢いの凄さが判りますね。ちなみにサムスン電子の昨年の売上は16,5兆円と一回り大きいのです。

        しかし、最近のSamsungの利益構造は、その70%を携帯電話で占めるという状態です。家電総合メーカーとしては歪な姿に変貌しつつあります。しかも、韓国のGDPの10%はサムソンのスマートフォンが支えてるというのですから、Samsung電子の携帯電話が転けると、韓国経済も失速するというのは、幾ら何でも危うい話しです。

        もともと経済は、財閥10社だけでGDPの76.5%を独占する特異な経済構造をしています。財閥の影響力は桁違いで、政府は財閥の支援なしには成り立たないというのは、正しい国のあり方なのでしょうかね。

        ①サムスングループ(21.9%)
        ②現代・起亜自動車グループ(12.6%)
        ③SKグループ(11.7%)
        ④LGグループ(9.0%)
        ⑤GSグループ(5.4%)
        ⑥現代重工業(5.0%)
        ⑦ロッテグループ(4.5%)
        ⑧ハンファグループ(2.8%)
        ⑨韓進グループ(1.9%)
        ⑩斗山グループ(1.7%)

        また韓国の最大貿易相手国は中国です。2011年度で輸出832億ドル、輸入373億ドルとなっていて、貿易黒字は459億ドルに達します。第2の貿易相手国は米国。両国との2国間貿易で大きな黒字を獲得しているのですが、これが第3の貿易相手国である日本と韓国の2国間貿易だと243億ドルの赤字となります。

        どうして、そんな事になるのでしょう。

        韓国の輸出品は、自動車部品などの輸送機械部品(前年比64.7%増)とメモリや半導体などの電子部品(36.8%)などが主力輸出品です。輸入品は、輸送機械部品(50.2%)、第一次金属(27.7%)などが主。輸送機械部品が主な輸出品で、輸送機械部品が主な輸入品というのは何だかおかしな話しに見えます。

        その理由は韓国が日本から輸入している商品を見ると判ります。韓国が日本から買っているのは、主に精密部品・電子部品・工作機械です。韓国が輸出している輸送機械部品の中身には、日本製の精密部品や電子部品が使われているために、こうした輸入が必要となります。また自国で生産する部品類も、日本製の工作機械で生産することが多いのが現状です。つまり、中・米貿易で儲けた黒字を日本に支払うという”鵜飼い経済”構造なのです。更に云えば、日本が韓国から輸入している商品は、キムチやインスタントラーメンといった付加価値の低い製品ばかり。付加価値の高い商品を輸入し、その逆の商品を輸出していては、貿易赤字が改善されないのは必然です。つまり輸出代金のほとんどは、日本へ支払う輸入代金になるだけで、韓国の取り分があまり残らないのです。そんな中でSamsungの GALAXYシリーズは例外的に付加価値の高い商品なのですが、中身には日本製の電子部品が多く使われている構造は変わりません。

        韓国の貿易構造は日本の貿易構造とよく似ています。原材料を輸入し、加工製品を輸出する加工貿易なのです。その輸出産業が日本からの輸入品に依存している構造なのです。それに対して日本の輸出産業は韓国からの輸入品には頼っていません。日本の輸出がいくら増えても韓国からの輸入品が増えるわけじゃないのですから、韓国の実状は日本頼みと云われても仕方がありません。

        また、為替レートの円高、ドル安是正基調が続いてくると、一説では韓国の輸出企業が競争力を維持できるとするレートの平均は1ドル=93円といわれていますので、輸出企業の利益は縮小しているのは想像に難くありません。さらに反日政策の影響で、日本からの観光客は急激な減少傾向にありますので、まさにダブルパンチ状態。

        なのに、この対日姿勢?

        韓国の経済危機が現実化したら、誰に助けて貰う気なのか?韓国初の女性大統領の手腕は如何にです。

        2013年8月 1日 (木)

        剽窃と「化城の人」

        http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2525250

        「「週刊ポスト」に掲載されたノンフィクション作家・佐野眞一氏(66)の連載小説「化城(けじょう)の人」で自著を盗用されたとして、宗教政治学者の日隈威徳(たけのり)氏(77)が7月31日、佐野氏に連載の書籍化の差し止めと780万円の損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした。佐野氏は同誌の昨年1月1、6日合併号から21回にわたり、創価学会に関する連載小説を執筆した。訴状で、日隈氏は1971年に学会の第2代会長の評伝を出版しており、「登場人物の描写や具体的なエピソードなど、40か所以上で連載への違法な引用や盗用があった」と主張している。佐野氏は同誌の今年1月1、11日合併号で「(日隈氏の著書を)参考文献としたことを明示しなかったのは配慮が足りなかった」と説明。提訴について、「訴状が届いていないのでコメントできない」としている。」

        「剽窃」という言葉をご存じですか。

        その意味は、他人の作品や論文を盗んで、自分のものとして発表すること。業界用語の”パクリ”は既に慣用句になってる気もします。論文を書く際、同じテーマの公表されている論文を読み、それを分析して、執筆の参考にしたりすることは普通にあります。ただし、その出展は明記するのが常識です。勝手に引用して、自ら書いたように装って出版してしまうのは犯罪行為です。

        記事にある佐野眞一に対して訴えを起こした宗教政治学者の日隈威徳の著作は、『戸田城聖 ―創価学会―』(新人物往来社、1971年2月刊)のようです。佐野が、この作品を剽窃したらしいというのが記事の内容です。

        佐野眞一の”パクリ”癖については、都知事の猪瀬直樹がTwitterで、こんなことをつぶやいて一部で話題になっていたのをご存じですか。

        1985年11月号月刊『現代』「池田大作『野望の軌跡』」(佐野眞一)は1981年三一書房刊『池田大作ドキュメントー堕ちた庶民の神』(溝口淳著)【※註/正確には「溝口敦」】からの盗用が10数箇所もあり、翌月『現代』12月号に「お詫びと訂正」があります。このときから品性に疑問をもち付き合いをやめました。(10月19日午前1時35分)



        《週刊ポストに連載された佐野眞一「化城の人」は、1971年に新人物往来社から出た「戸田城聖ー創価学会」日隈威徳著よりの剽窃39箇所。量が多すぎてツイッター向きでない、苦笑。》
        2012年10月23日21:37投稿



        私個人は佐野眞一というと、昨年話題になった「週刊朝日」(2012年10月26日号)に執筆した新連載『ハシシタ 奴の本性』から、大丈夫か?この人という印象があったので、今回の記事を見ても”成る程ね”という感慨しか浮かばないのが正直な気持ちですけど。

        なにせ”橋下”という名前は橋下市長が被差別部落出身であるとして、わざわざ地名をはっきり記しておき、さらに父親の自殺や親族に刑法犯がいる事実を晒し、被差別部落出身で犯罪者がいる家系の橋下徹だから、そのパーソナリティを全面否定するという手法でしたから。そりゃに呆れ返ってもしかたがありません。関西では、教育、行政に携わる者は部落問題を避けては通れません。教免を取得する必修科目にも「部落問題論」が加えられているほどです。

        そもそも、本人の出身階層や親の素性を理由に就職をさせないとか、社会的地位を奪う手段にするのは、この国では「差別」という最低の行いと公式にされているのに、それを天下の朝日新聞の子会社が経営する週刊朝日がどうどうと全国紙に連載をするというのも、普段”人権問題”で大騒ぎし、政府や行政に噛み付いてきた姿勢と著しく矛盾するところです。ところが「橋下・維新の会ネガティブキャンペーン」のためには、そんなことは関係ないというご都合主義に走るのですから、呆れてものが云えないですよね。しかも「週刊朝日」の表紙には「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」と大書されていたんですよ。遺伝子レベルの差別を助長するこの姿勢は、週刊朝日自体が廃刊になっても構わない犯罪行為ですが、親会社の朝日新聞はそうはおもっていないようで、未だに刊行は続いております。もっとも「週刊文春」や「週刊新潮」も、地名などは伏せてきたものの、橋下部落出身という話しは連載しておりましたので、週刊誌の低俗さは何処も同じと反論する気なのかも知れません。

        さて、佐野眞一と剽窃に関しては『ガジエット通信』が昨年からキャンペーンを張っております。その中から、佐野の剽窃の一部をご紹介します。ちょうど記事に出てくる日野氏の著作と「化城の人」の事例です。

        《明治三十七年(一九〇四)二月、日露戦争がはじまったが、この年の五月、戸田一家は、生活の道を求めて北海道に移住した。石狩川の河口から五里ほどの石狩郡厚田村である。だがここも、ときたまのニシン漁でにぎわう以外は、ほとんど漁らしい漁のない貧しい漁村で、日露戦争後はカラフトへの出かせぎの村になった。一万人たらずの厚田村も、ニシン漁の盛期である四月から七月にかけては、北海道各地や内地から繰り込んでくる臨時の漁夫で、三万の人口にふくれあがる。》
        (日隈威徳『戸田城聖 ―創価学会―』新人物往来社、1971年2月刊行、16ページ)

        《戸田一家が北海道に移住して二年後の明治三十七(一九〇四)年、日露戦争が始まった。その戦勝気分に昂揚した明治三十年代後半には、一万人あまりしか住民のいない厚田村も、ニシン漁に各地から繰り込んでくる臨時の漁夫で、人口は三万人にもふくれあがった。だが、間もなくニシン漁は不漁になり、厚田村はカラフトに新たなニシンの漁場を求める出稼ぎの村になった。》
        (佐野眞一「化城の人」/「週刊ポスト」2012年3月2日号、56ページ)



        しかも『ガジエット通信』によれば、剽窃は日野氏の著作以外にもあるそうで、『創価教育の源流 牧口常三郎』(潮出版社、2001年11月刊行:月刊「パンプキン」編集部によるフォトエッセイ集の書籍化)にも幾つも見つかるそうです。

        さて、佐野眞一は、早大卒業後に音楽出版社・勁文社に入社。1971年12月、自ら編集を手がけて発行した『原色怪獣怪人大百科』が53万部を完売するという当時としては画期的なベストセラーになった。その勢いか社内で労組を結成したため、経営側と対立して勁文社を入社1年半で解雇されたとか。その後、フリーに転身しノンフィクション作家として活躍。『東電OL殺人事件』(2000年、新潮社)は代表作としてベストセラーになった。

        1997年(平成9年)、『旅する巨人』で、第28回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
        2009年(平成21年)、『甘粕正彦 乱心の曠野』により第31回講談社ノンフィクション賞受賞。

        などを受賞するなどノンフィクション作家としての地位を確立したのですが、剽窃癖は業界内では知る人ぞ知るという事だったようです。それが前述した『ハシシタ 奴の本性』のスキャンダルにより、業界内部から噴出したかのように、『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』(溝口敦・荒井香織著 2013年、宝島社)が出版されるなどして、その包囲網は加速している様子です。

        さて、佐野眞一という作家の剽窃・盗用という問題とは別に、創価学会を批判することへのマスコミや出版会のタブー(自己規制)は、この騒動の裏で強化され始めてるのではないかと推測してしまいます。それだけの力が学会にはあるということの証なのですが、佐野眞一というパクリ癖で有名だった大家が学会批判に動いてると見て、このスキャンダルを仕込んだとしたら、それはそれで怖い話しですね。

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