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2013年8月14日 (水)

反日もネタ枯れですか

http://news1.kr/articles/1276983


(1880年代のソウル南大門大通り)


(1936年(日韓併合時代)のソウル南大門大通り)

「キム・スンファン全北道教育長は12日「全北だけでも日帝蛮行の痕跡を捜し出して保存するために道教育庁が率先する」と明らかにした。キム教育長は光復68周年を三日後に控えたこの日午前、拡大幹部会議で「日帝蛮行の痕跡を保存できる場所は徹底して保存し我々の学生たちの教育資料とすることが私たちに残された重要な責務」と強調した。最近、東ヨーロッパ訪問を終えて帰国したキム教育長は「今回の訪問期間中、ポーランドのアウシュビッツ収容所とワルシャワのユダヤ人地区'ゲットー'に立てられているユダヤ人追悼碑も見て回った。特にユダヤ人追悼碑はドイツのウィリー・ブラント首相が追悼してひざまずき涙を流して謝罪したというまさにその場所でドイツ・ナチ蛮行をそのまま残した現場」と紹介した。また「日帝蛮行の代表的な場所が満州731部隊だが、そこにも当時の生体実験現場がそのまま、みな保存されている。様々な国々が自分たちの歴史で恥ずかしい部分であっても、そのまま残して後世の教訓としたり、育つ学生たちの教育資料とするのを見て頭が下がった」と付け加えた。キム教育長は「反面、驚くべきことに私たちの大韓民国は日帝蛮行の跡を隅々まで消して意図的なのか、偶然なのか糾明しなければならない。全北だけでも、日帝蛮行の痕跡の保存作業を具体化するよう道教育庁が推進し、学校教育課でこれを具体化するよう指示した」と話した。」


(1937年に総工費5億円(当時)で建設された水豊ダム)
*発電能力70万kWは当時世界最大級。朝鮮戦争では米軍の破壊攻撃に耐えたほど堅牢な作り。

そもそも、解放から68年も経つのに、”日帝蛮行の痕跡”を探し回らないといけないほど、その痕跡を見付けにくいものなのでしょうか?

この記事を読んで、私はソウル市内にある『西大門刑務所歴史館』という施設を思い出しました、この施設は、1908年10月21日に「京城(ソウル)監獄」の名称で、第3次日韓協約の元で建設された近代的刑務所が、その前身です。この監獄以前には我々がイメージする刑務所は朝鮮に存在しませんでした。朝鮮を統治下に置いた1912年9月に「西大門監獄」と改称され、更に1923年5月には「西大門刑務所」に名称が変更されながら存在し、独立後は韓国政府により使用され、それに伴い名称が1945年11月21日に「ソウル刑務所」となって、1961年12月に「ソウル矯導所」、1967年7月には「ソウル拘置所」に変更されて使い続けられました。1987年11月15日に「ソウル拘置所」が義王市に移転されるまで、刑務所としての役目を長年果たしました。これも日本政府が建設して、朝鮮に残した在外資産の一つです。

さて、『西大門刑務所歴史館』は、今のところ韓国が持っている「日帝蛮行の痕跡」の数少ない史跡となっています。私も見に出掛けたことがあります。そこにはこういう説明がなされていました。案内してくれたのは、韓国生まれ、日本で中学・高校を出て、韓国外大を卒業した友人です。その友人が解説文などを日本語に訳して呉れました。(現在は、日本語による案内表記もあります)

曰く、

”日本に対して抗日運動(独立運動)を行う韓国人(韓国では朝鮮という言葉が禁語なのですが、この頃は朝鮮人と表記するべきなのですが)を捕まえ監禁するための監獄であった場所”

”一度ここに入れられたら生きて出て来ることはできないと言われた所”

”多くの韓国(朝鮮)人が厳しく残酷な拷問と監獄生活の末に、あるいは処刑によって、ここで命を落とした”

などなど。こんな大きな施設ですし、普通に犯罪者を収監したと考える方が常識的だと思うのですが、そういう風に書かれていません。。朝鮮統治下では、日本に準じた司法制度が整備され、治世に供されていたことは何処に書かれておりません。さらに此処で処刑された朝鮮人の数も記載されています。その数が、なんと90人。日本の朝鮮統治は38年間でしたから、この数字からして、朝鮮での独立運動は低調だったと思うのは私だけでしょうか。ちなみに、同時期に日本国内で死刑が執行されたのは18人。その大半は幸徳事件や難波大助などの大逆罪によるものです。思えば、戦前の日本は治安が良かったのですね。独立後の1949年7月から1997年までに、韓国の司法制度下で死刑にされた人数を調べてみると、その数は920名なのだそうです。48年間で、この数はどうなのでしょう?

そんな冷静な事を考えず、日本の高校では修学旅行にソウルを訪ねた際に、この施設を見学させて歴史教育の一環とする学校が過去は結構ありました。大学の先生や政治家なんかも、この展示を鵜呑みにするのですから、仕方がありません。最近は少し冷静に考えられる人も出てきてますが、未だにプロパガンダに耐性の無い人はショックを受けるようです。これは日本人だけではありません。

2012年1月7日に西大門刑務所を訪ね、展示されている拷問道具を見て憤りを感じた韓国系中国人(曽祖父が西大門刑務所で拷問を受けたと自称している)が、翌日に駐ソウル日本大使館に火炎瓶数本を投擲して逮捕されたことがありました。この犯人、2011年12月に起きた靖国神社放火事件の実行犯であることをほのめかしていたのに、ソウル高等裁判所により政治犯と認定され、韓国政府は日本政府からの犯罪者の引き渡し要求を拒否。犯人を中国へ送還して物議を醸したことがありました。彼もまた、プロパガンダに踊らされた耐性の無い人だったようです。

そういえば、今はない朝鮮総督府の地下にも、公安警察が思想犯を逮捕し、拘禁する監禁房があったと噂されていましたが、実際には取り壊しの際に何も発見されませんでした。もちろん、反日運動は弾圧されたし、捕まった活動家(総督府からすればテロリスト)に対しては拷問もしたでしょう。解放後、ここに収監された韓国人政治犯は多数にのぼります。拷問された韓国人だって多数にのぼります。1990年代まで、韓国は日本統治下以上に圧政が敷かれていたという歴史には何時まで目を瞑る気なのでしょう?

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