映画・テレビ

2013年2月 4日 (月)

あいゃ、しばらく!しばらく!

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=2311475

「歌舞伎を代表する大名跡を継ぎ、豪快な荒事を見せた12代目市川団十郎(いちかわ・だんじゅうろう、本名堀越夏雄=ほりこし・なつお)さんが3日午後9時59分、肺炎のため東京都港区の病院で死去した。66歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。04年5月に急性前骨髄球性白血病と診断され一時舞台を休演、06年5月に舞台に本格復帰した。骨太で明るく、おおらかな芸風で親しまれた。昨年12月に体調不良を訴え、肺炎の疑いで治療を続けていた。病院には、妻の希実子さん、長男の市川海老蔵(35)小林麻央(30)夫妻が駆けつけ、最期をみとったという。団十郎さんは昨年12月18日に軽い肺炎のため京都・南座公演を休演し、その後、虎の門病院に転院した。肺炎の兆候があるとの理由で、1月の新橋演舞場公演を休演。さらに1月9日には3月に予定した主演舞台「オセロー」も休演することを発表し、団十郎さんは「オセロー役は念願の役であり、初の翻訳劇出演ということで楽しみにしておりましたので、本当に残念です」とコメントしていた。」


十二代目市川団十郎の『暫』を一度だけ見たことがあります。『暫』は元禄時代に初演された古典。話しの内容が分かり易いので歌舞伎初心者には見やすい演目です。

粗筋は、こういう感じ。皇位へ即こうと目論む悪党の清原武衡が、自らに反対する加茂次郎義綱ら多人数の善良なる男女を捕らえる。清原武衡が成田五郎ら家来に命じて、加茂次郎義綱らを打ち首にしようとするとき、鎌倉権五郎景政が「暫く~」の一声で、さっそうと現われて命を助けるというお話しです。

とにかく「暫」という掛け声が芝居の全てを支えるので、登場の仕方やその掛け声をどう見せるかが役者の力を見極めるポイントとなっています。『暫』の初演はて初代市川團十郎が演じた関係で、今でも当たり役として成田屋の大切な演目の一つに数えられていますが、その当たり役を確立するのに貢献したのが九代目団十郎なのは有名なお話しです。

ところが九代目には娘しか子供が産まれず、弟子であった五代目市川新蔵を養子として、十代目を継ぐ筈が37才で急死。こうして十代目は永久欠番となってしまいます。十一代目は、七代目松本幸四郎の長男で市川宗家に養子に入っていた九代目市川海老蔵が襲名。大いなる飛躍が期待されながら、56才で胃癌で死去しています。その息子さんが今回亡くなった十二代目市川団十郎です。

十一代目の弟が八代目松本幸四郎(後の松本白鸚)。今の幸四郎の父です。つまり、七代目市川染五郎と十二代目の長男十一代目市川海老蔵は従兄弟同士の間柄となります。

団十郎は十代目以降70才となれない悲運の梨園の血筋と噂されかねないお話しですが、今の海老蔵に精々頑張って欲しいものです。

2012年2月 4日 (土)

「マイウェイ 12000キロの真実」の嘘

http://myway-movie.com/column1.html

「1999年5月、私はモスクワのロシア国立軍事文書館で、ソ連軍に捕らえられた日本兵捕虜の記録を読んでいた。NHKがノモンハン事件(1939年夏)の60周年記念番組を制作することになり、新たに公開されたソ連側史料を分析して欲しい、と依頼されたためである。ノモンハン事件では、火力で勝るソ連軍に対して劣勢の日本軍が果敢に攻撃を繰り返し、多くの犠牲を出した。数百人の日本兵がソ連軍の捕虜となったが、戦闘中に意識を失い、あるいは怪我で動けなくなった将兵であり、決して投降したわけではない。ソ連側は意識のある者を全員訊問して、ロシア語で捕虜記録を作成した。それとは別に、日本語あるいは漢文で書かれた日本兵捕虜の記録も残っている。ロシア語の翻訳もついているが、ノモンハン事件終結後の捕虜交換に応じなかった者たちのファイルに綴じられていた。ここで運命が分かれる。捕虜交換で日本側に送還された日本将兵には過酷な事態が待ち受けていた。まだ『戦陣訓』は発布されていなかったものの、すでに「生きて虜囚の辱めを受けず」という考え方は陸軍内部に浸透しており、帰還した将校は自害を求められた。兵卒は捕虜体験を語ることを禁じられ、肩身を狭くして除隊させられた。捕虜交換に応じなかったのは、どのような日本兵だったのか。記録には偽名が書かれ、出身地もでたらめで、階級も記されていない。日本側資料では確認が取れなかった。1930年代の日本軍には、日本人だけでなく植民地朝鮮や台湾の人々が含まれており、ノモンハン事件には満洲国軍の兵士(漢人・朝鮮人・満洲人など)も参加している。ソ連側に残った日本兵は、ほとんどが日本人ではなかったはずである。徴兵されて無理やり戦場に送り込まれた本映画の主人公「キム・ジュンシク」のような朝鮮人だった可能性が高い。日本人であるにもかかわらず、あえて捕虜交換を拒んだ人物がいるとすれば、捕虜に自害を強いるような日本軍の人道無視の体質、それを熟知した将校ではあるまいか。まさに、もう一人の主人公「長谷川辰雄」に違いない。 ソ連に残った二人に安穏とした生活が待っているはずもなかった。シベリアの強制収容所に送り込まれて、過酷な労働を強いられ、思想教育も受けさせられる。1941年6月、独ソ戦が始まると、ソ連は国家の命運をかけて、ヒトラーの攻勢に立ち向かわなければならなくなった。成年男子はすべて徴兵されて戦場に送り込まれた。捕虜とても例外ではない。それを拒めば、数百万のソ連人を粛清したスターリンによって、シベリアの露と消える。ジュンシクと辰雄は、赤軍兵士としてソ連南部でドイツと戦ったのだろう。戦場で追い詰められた二人がドイツ軍に投降した。不審な東洋人であるが、日独伊三国同盟の同盟国人であるため、ソ連兵として捕虜の扱いを受けることは免れる。その二人が1944年6月のノルマンディー上陸作戦で、多国籍の枢軸国側の兵士として連合軍と戦い、三たび捕虜になろうとは。こうした歴史の偶然も否定できない。限りなく真実に近いドラマである。」

この映画、歴史の捏造という部分に目を瞑れば、良く出来た映画だと思います。まぁ、それくらい作り話だという証ですけど。映画を見ている最中、私の頭を横切るのは小林源文の名作『Happy Tiger』(1993年)のこと。ネタ元は此処なのかと思って帰ったら、当の小林源文氏は、この映画のホームページでこう語っています。何等かの承諾を得た証拠かも知れませんね。

さて、捏造されている部分ですが、まず朝鮮総督府が朝鮮人への徴兵を始めたのは1944年の9月という敗戦の1年前。この映画のようなノモンハン事件が起きていた当時にはあり得ないお話しでした。韓国では、この程度の捏造は日常茶飯事ですから、驚くには値しませんけど。

日本が朝鮮人を差別したことは否定しませんが、陸軍士官学校は毎年数名の朝鮮人を士官学校に採用していましたから、朝鮮人の陸軍将校は少なからず陸軍に存在していました。最高位は陸軍中将。洪思翊(ホン・サイク)と云って、戦後に戦犯に問われて処刑された人です。映画では流石に、この事実を持ち出されては困るので、朝鮮人達は罪を償うために陸軍へ強制的に入隊させられたことになっています。こういう話は米軍などでは今でも聞きますが、旧軍ではあり得ないお話しでした。ただし、日本人の囚人で徴兵されて兵役に就くと云うことが第二次大戦中にはおきました。元総理の中曽根康弘海軍大尉は、その囚人兵部隊を後方で率いていたことがありました。要するに囚人部隊は基地設営のような支援任務が主で、前線での配置はあり得なかったのです。また、現在の国家公務員第一種試験の前身であった高等文官試験でも朝鮮人採用枠があり、朝鮮総督府のキャリア官吏に採用されていたのでした。他にも現在のソウル大学の前身である京城帝大や高等教育機関を整備したりした面も統治時代に始まった話で、植民地経営には功罪があるのは常識です。

まぁ、百歩譲ってノモンハンに朝鮮人兵士がいたのだとしたら、上の記事にあるように満州国軍の兵士だった可能性です。ノモンハン事件では、その満州軍の石蘭支隊歩兵第14団第1営が叛乱を起こし、派遣されていた日本人将校4名を殺害してソ連軍へ投降しています。その数234名。彼等がその後どうなったかは判りませんが、猜疑心の強いロシア人のこと。映画のように強制労働に従事させられた可能性は高いです。

さらに捏造が判りやすいのがオダギリジョー演じる辰雄です。高等学校の学生だった彼がある事件を契機に医者志望から祖父と同じ職業軍人を目指しソウルから姿を消してしまいます。まぁ、これはいいでしょう。チャンドンゴン演じるジュンシクは、その事件のために収監され、罪を償うために陸軍へ強制入隊させられます。この二人が再会したのが何年後なのか。物語は1928年から始まります。この時の2人が小学生です。仮に10才として、ノモンハン事件の発生は1938年ですから2人は20才という話になります。日本軍の徴兵年齢は20才。これ以前にいくら懲役でとはいえ入隊するのは無理があります。更に云えば、この仮年齢を5才繰り上げたとしても、辰雄がジュンシクの前に10年後に現れた時に大佐になっていたというのが有り得ません。

日本軍は徹底した官僚組織で年功序列でした。皆さんご存じと思いますが、真珠湾攻撃を現場で指揮した機動部隊(第一航空艦隊を増強した艦隊)司令長官の南雲忠一中将が、その地位に相応しくなかったのではと云われて久しいですね。誰をその任に就ければ良かったのかという議論になると、よく名を出されるのが小沢治三郎中将です。彼は空母を集中した航空艦隊を構想し、実現させた機動部隊の生みの親。経歴的には適任です。しかし彼は選ばれませんでした。中将としての経験年数が艦隊司令長官へ配するには足りなかったという内部規定のせいでした。国の命運をかけた大戦さの時に規定に縛られた平時の人事で臨むというのは、日本人以外では理解不能な話でしょう。ですから韓国人監督には思いもつかなかったのです。

そんな日本軍で、20数才で大佐なんて、とても有り得ません。辰雄の祖父がいくら陸軍の将官であったとしてもです。昭和天皇の弟宮である高松宮は海軍軍人でしたが、大佐になったのは37歳の時でした。これは戦時で昇任速度が早まったとはいえ、海軍の中でも最速の昇任速度です。つまり辰雄が皇族であったとして、20代での大佐は有り得ないということです。

さらに、最近反原発運動で話題の山本太郎演じる野田という伍長がおこなうイジメは日本陸軍の典型的なイメージで、何かと云えば”この朝鮮人が”という口癖もありそうで、物語の中では日本人のイメージを代弁する韓国映画のお約束です。

韓国映画で韓国人の世界観を描いて、それを見た韓国人が満足するのは結構なことです。ただし、そのフィクションを真実だと銘打って公開するのは卑怯です。映画を見た日本人の大半は歴史の知識が不足していますから、その誤りに気付かずに真実と思い込むのは確実ですので。

2010年7月14日 (水)

Norwegian Wood

「村上春樹の同名小説を、松山ケンイチ、菊池凛子で映画化する映画『ノルウェイの森』の主題歌として、ザ・ビートルズの楽曲「ノルウェイの森」の原盤の使用許可が下り、日本の窓口であるEMIミュージック・ジャパンの担当者も驚いている。というのもザ・ビートルズのカヴァー曲が、映画の主題歌で使用されることは多々あれど、原盤の使用許可が出ることは非常に稀だからだ。」 (ニュースソース)

村上春樹の『ノルウェイの森』は英訳されていて、それなりに売れている作品だし、芸術性も高いという評価が、今回の楽曲原盤の使用許可につながったという話は、まさにその通りだと思いますね。日本でも単行本の小説としては1000万部越えを達成した初の作品ですから。

執筆は海外で行われたそうですが、この題名は当初は「雨の庭(Jardins sous la pluie)」=(クロード・アシル・ドビュッシーの楽曲名:版画 (Estampes) から取った)で書き始められ、途中で「ノルウェイの森」に変更されたそうですが、村上春樹自身は特別なThe Beatlesのファンではないとのこと。

でも、僕とキヅキと直子の関係を考えると、すくなくともThe Beatlesの『Norwegian Wood』の歌詞の意味は理解していたのでしょうね。何故って、 『Norwegian Wood』の本当の意味は昔から「I was knowing she would」(僕は彼女がやらせてくれると思ってた)を早口で言うと「Norwegian Wood」とも聞こえるという言葉遊びだと言われているからです。

『Norwegian Wood』

I once had a girl
Or should I say she once had me
She showed me her room
Isn't it good, Norwegian wood

She asked me to stay
And she told me to sit anywhere
So I looked around
And I noticed there wasn't a chair

I sat on a rug, biding my time
Drinking her wine
We talked until two
And then she said, "It's time for bed"

She told me she worked in the morning
And started to laugh
I told her I didn't
And crawled off to sleep in the bath

And when I awoke I was alone
This bird has flown
So I lit a fire
Isn't it good, Norwegian wood

(和訳)

何時だったか ナンパした
イャ、もしかしたらナンパされたのかも
彼女が部屋に来てというから行ったんだ
まるでノルウェーの森にいるようだ

泊まっていってねと彼女は言ったよ
好きなところに座ってねとも
そこで 部屋を見まわしたけど
椅子がひとつもないのに気がついた

敷物の上に座り込んで
ワインを彼女と飲みながら
すっかり話しこんでたら2時だった
すると彼女は ”もう寝なくちゃ”だって

朝から仕事があるのよと言って
彼女はおかしそうに笑った
こっちは暇だと言ってみても始まらず
僕はしかたなく風呂で寝ることにしたさ

翌朝 目が覚めると僕ひとり
かわいい小鳥は飛んでいってしまった
僕は暖炉に火を入れた
まるでノルウェーの森にいるようだ

歌詞を見ても判るように「Isn't it good, Norwegian wood」を「彼女、やらせてくれると思ってのに」と入れ替えたら、確かに意味は判ります。同衾出来ない失望と孤独という高尚な意味にとるのも可でしょう。歌詞は概ねポール・マッカートニーが書いてるようですが、ポールの歌詞は昔から、日本人の英語力では理解しにくい内容が多いというか、感覚で書いてますから分かりづらい気がします。

映画の方は見てみないと何とも云えませんが、

キャスト

僕(ワタナベ):松山ケンイチ

直子:菊地凛子

小林緑:水原希子

キズキ:高良健吾

永沢:玉山鉄二

レイコ:霧島れいか


という配役だそうです。個人的には、こういうキャストを想像してしまいますが。皆さんならどういうキャスティングを想像されます?

Ikuta_touma
僕(ワタナベ):生田斗真

直子:吉高由里子

小林緑:戸田恵梨香 

キズキ:森山未來

永沢:ARATA

レイコ:吉瀬美智子

Kititaka_yuriko


2010年6月17日 (木)

「La Battaglia di Algeri」

「英エンパイア誌が「史上最高のワールドシネマ100本(100 Best Films of World Cinema)」を発表した。(ここでいうワールドシネマとは、英語以外の言語=外国語映画のことだ。) 第1位に選ばれたのは、黒澤明監督の「七人の侍」(54)。黒澤監督のあまたある傑作のなかでも、とりわけ世界の映画人に大きな影響を与えた作品として知られる。エンパイア誌は、「アクションと人物造形、東洋と西洋、ブロックバスターとアートハウスといった要素が完璧に融合した、あらゆる言語を超越する傑作」と評価。」 

ベスト10は以下の通り 

1.「七人の侍」(日本/54/黒澤明) 
2.「アメリ」(フランス/01/ジャン=ピエール・ジュネ) 
3.「戦艦ポチョムキン」(ロシア/25/セルゲイ・エイゼンシュタイン) 
4.「自転車泥棒」(イタリア/48/ビットリオ・デ・シーカ) 
5.「パンズ・ラビリンス」(スペイン・メキシコ/06/ギレルモ・デル・トロ) 
6.「アルジェの戦い」(フランス・イタリア/66/ジッロ・ポンテコルボ) 
7.「シティ・オブ・ゴッド」(ブラジル/02/フェルナンド・メイレレス) 
8.「第七の封印」(スウェーデン/56/イングマール・ベルイマン) 
9.「恐怖の報酬」(フランス/53/アンリ=ジョルジュ・クルーゾー) 
10.「千と千尋の神隠し」(日本/01/宮崎駿)



この中で、6位に入っている「アルジェの戦い」について少し書いてみましょう。 

2007年に米映画協会(AFI)に所属する監督、脚本家、俳優、編集者、批評家ら1500人が、1997年以来10年ぶりに歴代のアメリカ映画のベスト100を選出&発表したことがあります。一応ベスト10を書いておくと以下のようになります。当然ながら英語の映画ばかり(^○^) 

1 市民ケーン(1) 
2 ゴッドファーザー(3) 
3 カサブランカ(2) 
4 レイジングブル(24) 
5 雨に唄えば(10) 
6 風と共に去りぬ(4) 
7 アラビアのロレンス(5) 
8 シンドラーのリスト(9) 
9 めまい(61) 
10 オズの魔法使(6) 



ところが、2009年3月に、映画マニアが多い米国Yahoo!の編集スタッフたちが徹底討論し、映画史上の名作リスト「死ぬまでに見たい映画100」を発表すると(順位は敢えてつけなかった) 

※英語原題のABC順、カッコ内は製作年&監督名 

「十二人の怒れる男」(1957、シドニー・ルメット) 
「2001年宇宙の旅」(1968、スタンリー・キューブリック) 
「大人は判ってくれない」(1959、フランソワ・トリュフォー) 
「8 1/2」(1963、フェデリコ・フェリーニ) 
「アフリカの女王」(1952、ジョン・ヒューストン) 
「エイリアン」(1979、リドリー・スコット) 
「イヴの総て」(1950、ジョセフ・L・マンキウィッツ) 
「アニー・ホール」(1977、ウッディ・アレン) 
「地獄の黙示録」(1979、フランシス・フォード・コッポラ) 
「アルジェの戦い」(1967、ジッロ・ポンテコルボ) 
「自転車泥棒」(1948、ビットリオ・デ・シーカ) 
「ブレードランナー」(1982、リドリー・スコット) 
「ブレージングサドル」(1974、メル・ブルックス) 
「欲望」(1966、ミケランジェロ・アントニオーニ) 
「ブルーベルベット」(1986、デビッド・リンチ) 
「俺たちに明日はない」(1967、アーサー・ペン) 
「勝手にしやがれ」(1959、ジャン=リュック・ゴダール) 
「戦場にかける橋」(1957、デビッド・リーン) 
「赤ちゃん教育」(1938、ハワード・ホークス) 
「明日に向って撃て!」(1969、ジョージ・ロイ・ヒル) 
「カサブランカ」(1942、マイケル・カーティス) 
「チャイナタウン」(1974、ロマン・ポランスキー) 
「市民ケーン」(1941、オーソン・ウェルズ) 
「グリーン・デスディニー」(2000、アン・リー) 
「ダイ・ハード」(1988、ジョン・マクティアナン) 
「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989、スパイク・リー) 
「深夜の告白」(1944、ビリー・ワイルダー) 
「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて 
水爆を愛するようになったか」(1964、スタンリー・キューブリック) 
「我輩はカモである」(1933、レオ・マッケリー) 
「E.T.」(1982、スティーブン・スピルバーグ) 
「燃えよドラゴン」(1973、ロバート・クローズ) 
「エクソシスト」(1973、ウィリアム・フリードキン) 
「初体験/リッジモンド・ハイ」(1982、エイミー・ヘッカリング) 
「フレンチ・コネクション」(1971、ウィリアム・フリードキン) 
「ゴッドファーザー」(1972、フランシス・フォード・コッポラ) 
「ゴッドファーザー PARTII」(1974、フランシス・フォード・コッポラ) 
「007/ゴールドフィンガー」(1964、ガイ・ハミルトン) 
「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」(1966、セルジオ・レオーネ) 
「グッドフェローズ」(1990、マーティン・スコセッシ) 
「卒業」(1967、マイク・ニコルズ) 
「大いなる幻影」(1938、ジャン・ルノワール) 
「恋はデジャ・ヴ」(1993、ハロルド・レイミス) 
「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」(1963、リチャード・レスター) 
「花様年華」(2000、ウォン・カーウァイ) 
「或る夜の出来事」(1934、フランク・キャプラ) 
「素晴らしき哉、人生!」(1946、フランク・キャプラ) 
「ジョーズ」(1975、スティーブン・スピルバーグ) 
「キング・コング」(1933、メリアン・C・クーパー&アーネスト・B・シュードサック) 
「レディ・イヴ」(1941、プレストン・スタージェス) 
「アラビアのロレンス」(1962、デビッド・リーン) 
「ロード・オブ・ザ・リング」3部作(2001、2002、2003、ピーター・ジャクソン) 
「M」(1931、フリッツ・ラング) 
「M★A★S★H マッシュ」(1970、ロバート・アルトマン) 
「マルタの鷹」(1941、ジョン・ヒューストン) 
「マトリックス」(1999、アンディ&ラリー・ウォシャウスキー) 
「モダン・タイムス」(1936、チャールズ・チャップリン) 
「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」(1975、テリー・ギリアム) 
「アニマル・ハウス」(1978、ジョン・ランディス) 
「ネットワーク」(1976、シドニー・ルメット) 
「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922、F・W・ムルナウ) 
「波止場」(1954、エリア・カザン) 
「カッコーの巣の上で」(1975、ミロシュ・フォアマン) 
「突撃」(1957、スタンリー・キューブリック) 
「もののけ姫」(1999、宮崎駿) 
「サイコ」(1960、アルフレッド・ヒッチコック) 
「パルプ・フィクション」(1994、クエンティン・タランティーノ) 
「レイジング・ブル」(1980、マーティン・スコセッシ) 
「レイダース/失われた聖櫃《アーク》」(1981、スティーブン・スピルバーグ) 
「紅夢」(1991、チャン・イーモウ) 
「羅生門」(1951、黒澤明) 
「裏窓」(1954、アルフレッド・ヒッチコック) 
「理由なき反抗」(1955、ニコラス・レイ) 
「ロッキー」(1976、ジョン・アビルドセン) 
「ローマの休日」(1953、ウィリアム・ワイラー) 
「プライベート・ライアン」(1998、スティーブン・スピルバーグ) 
「シンドラーのリスト」(1993、スティーブン・スピルバーグ) 
「捜索者」(1956、ジョン・フォード) 
「七人の侍」(1954、黒澤明) 
「ショーシャンクの空に」(1994、フランク・ダラボン) 
「羊たちの沈黙」(1991、ジョナサン・デミ) 
「雨に唄えば」(1952、スタンリー・ドーネン&ジーン・ケリー) 
「白雪姫」(1937、デビット・ハンド) 
「お熱いのがお好き」(1959、ビリー・ワイルダー) 
「サウンド・オブ・ミュージック」(1965、ロバート・ワイズ) 
「スター・ウォーズ」(1977、ジョージ・ルーカス) 
「サンセット大通り」(1950、ビリー・ワイルダー) 
「ターミネーター2」(1991、ジェームズ・キャメロン) 
「第三の男」(1949、キャロル・リード) 
「スパイナル・タップ」(1984、ロブ・ライナー) 
「タイタニック」(1997、ジェームズ・キャメロン) 
「アラバマ物語」(1962、ロバート・マリガン) 
「トイ・ストーリー」(1995、ジョン・ラセター) 
「ユージュアル・サスペクツ」(1995、ブライアン・シンガー) 
「めまい」(1958、アルフレッド・ヒッチコック) 
「恋人たちの予感」(1989、ロブ・ライナー) 
「野いちご」(1957、イングマル・ベルイマン) 
「ベルリン・天使の詩」(1987、ビム・ベンダース) 
「オズの魔法使」(1939、ビクター・フレミング) 
「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(1987、ペドロ・アルモドバル) 
「大樹のうた」(1959、サタジット・レイ) 

1077498_15491548_37large

「アルジェの戦い」がチャンと入っていますね。「アルジェの戦い」は原題が「La Battaglia di Algeri」と云います。フランス語かイタリア語という題名ですね。 

監督のジッロ・ポンテコルヴォ(Gillo Pontecorvo)はイタリア人ですが元々はイタリア系ユダヤ人。大学時代に左翼運動に荷担しすぎてフランスに逃れる羽目になり、此処で映画の道に入るのですが、オランダ人共産主義者イヴ・アレグレ監督に師事してドキュメンタリータッチの映画を学びます。その後共産党に入党。大戦中は反ナチスパルチザン活動に参加。戦後イタリアに戻るがジャーナリストの世界で活躍し映画から遠ざかる。それはソ連のプラハ侵攻で共産党に失望し、脱党するまで続いたのでした。そして再び映画の世界に戻り本格的な映画作品としては三作目が、この「アルジェの戦い」です。

そういう経歴の監督だけに、映画はフランスの植民地支配から立ち上がった民衆の独立運動に光を当て、出演者も現地の素人に毛の生えたような人を使うことで、まるでドキュメンタリー映画のような作品に仕上げています。あまりにリアルすぎて、時々アルジェリアの独立運動を伝える際に、ニュース映像のように使われていることすらあるほどです。

Afrench_workers

日本でアルジェリア独立紛争の映画というと、アランドロンやアンソニー・クインが出演した「名誉と栄光のためでなく(Les Centurions)」が有名ですが、この映画とあわせて「アルジェの戦い」を見れば、理解が深まるかも知れませんね。 

フランス人にとって、アルジェリア独立紛争はアメリカのベトナム戦争のようなもので、政府の弱腰や政治判断という名のご都合主義に振り回された軍部は叛乱騒ぎを起こし、ドゴール大統領の強権的判断が功を奏して、叛乱は不発におわったものの、後々まで軍部に深い傷を残しました。 

フランス外人部隊の精鋭中の精鋭とされている部隊に、第2外人落下傘連隊というのがありますが、どういうものか第1外人落下傘連隊が存在しません。実はこの第1外人落下傘連隊がアルジェリアで叛乱を起こした部隊の中核で、後に解体されてしまって永久欠番になっているのです。 

もしも見る機会があったら一度ご覧下さい。 フランス軍が嫌いになりますこと請け合いです(* ̄m ̄) ププッ

PS

友人によれば、2006年に公開された、『いのちの戦場-アルジェ1959』という映画も同じテーマを扱った秀作だそうですが、未見です。

2005年8月23日 (火)

『ヒトラー最後の12日間』 2 ◇総統は自ら墓穴を掘った

「総統は自らの監獄を地下に作りたもうた」

映画は、ほとんどがベルリンの総統官邸地下壕(というか地下要塞)で進行します。それ故に、普通の建物を見るようには全体像が容易に判りませんよね。映画を見ている側には、そこが広いものなのか、狭いものなのか、あまり実感が湧かなかったのではないでしょうか。その上、困ったことに地下壕は他にも出てきます。例えば傷ついた兵士の足を切断している地下壕が出てきてましたが、あれは何処の地下壕なの?とか。いろいろ混乱なさったのではありませんか。あるいは、何処から何処までが総統官邸の地下壕なのかも実は良く判らないまま、モヤモヤしている方も居られるのでは・・・と言うことで、まずは、その点を少し解説しながらお話を始めたいと思います。

総統官邸の地下壕建設に関しては、少しばかりミステリーじみた逸話が伝わっているのをご存知ですか。実はヒトラーが首相官邸の主になったばかりの1933年頃には、既に建設が始まっているのです。35年には官邸の裏側に迎賓用大広間(映画の冒頭で総統最後の誕生日を祝っていた場所)を増築したのですが、この際も地下壕を併せて作らせました。38年には映画にでも出てくるアルベルト・シュペアー(軍需相)が設計した新総統官邸が建設されます。その時にも本格的な地下壕が予め設けられました。新総統官邸地下壕の規模は、全長180メートル以上、部屋数90以上という大きなものです。また、既設の地下壕とは地下通路で結ばれ、その全長だけでも90メートル以上あったとか。まさに総統官邸の地下は迷宮そのものだったのです。

ただ、これらの地下壕はどちらかというと防空壕的性格を持つもので、長期に籠城する地下要塞のような性格は有していませんでした。さしずめ、首都空襲の際に避難場所を確保するのが目的ではなかったかと思われます。というのも、第一次大戦終了後、つかの間の平和を享受していた欧米の軍事専門家の間では、ドゥーエ(Giulio Douhet)が大戦前に提唱した『制空権とその獲得』(1909年発表)についての議論が盛んに行われていました。ドゥーエは制空権無き戦いは必ず敗北すると予言し、航空機による都市の爆撃のみで敵を屈服させられると提唱していました。第一次大戦で本格的な兵器として実用化された航空機が、エンジン等の性能向上でさらなる発展の様相をみせていた時代です。また、多くの犠牲者を強いた大戦の悲惨さが、味方側に死傷者を出さない戦い方への関心に向いていた時期だけに、この議論は伯仲していたとも云えます。例えば、アメリカでは陸軍航空隊のミッチエル(William Mitchell)が『戦略爆撃』の有効性を軍上層部に唱え、陸軍航空部隊の分離と新たに空軍の創設を強く訴え過ぎて、ついには罷免されるという事件までおこっていました。

特異の感を持っていたヒトラーが、こんな軍事論争に無関心な筈がありません。あるいは彼は、直感的に航空機によるベルリン爆撃の可能性を予想していたのではないかと、私は思っています。航空機が軍事革命を起こせるのか否かは、第二次大戦開戦まで結論がもつれ込みましたが、ヒトラー率いるドイツ第三帝国・国防軍が『電撃戦』という空陸一体(戦車と対地支援攻撃機の連動による奇襲戦法)の攻撃方法を編み出し、それが世界の軍隊に大きな影響を与えたという事実を考えると、この推察も荒唐無稽と片付けられない気がします。(これをもじって昨年の米軍によるイラク侵攻作戦を『麻痺戦』と例える人がいます。いまだに電撃戦思想は健在なんですね)

それにしても、地下壕建設を進めている時、まさにナチスドイツは日の出の勢いで、欧州中に国威を発揚していたのですから、本当に不思議なお話です。この辺りにも、ヒトラーが映画で見せていた極端な悲観と楽観という彼の性格の端緒を現しているようなお話ですね。

さて、お話は再び官邸地下壕に戻ります。第二次世界大戦に突入した後の1942年。既設の地下壕よりも深いところに、通称「カタコンベ」といわれる地下要塞的性格の施設を設計し建築することを、ヒトラーはシュペアー率いる軍需省建設局に命じています。「カタコンベ」は一説では地下10メートルの地点に、コンクリート厚3メートル以上の防護壁を持つ頑強施設として構築されたといいます。

ちょうど、この時期はソ連との戦いにも陰りが見えていた頃と符合しますので、いずれは首都で籠城する事態が生じるかもしれないと、彼が予想し用心のために(自らを安心させるために)建設を命じたのかも知れません。この工事を契機として、以後、ウイルヘルム通りとフォス通り、ヘルマン・ゲーリング通りの三つの大路に囲まれた官庁街の中心に建つ総統官邸は、「カタコンベ」が完成した後も地下壕・地下施設の増築を繰り返すようになります。官邸裏の庭は常に何処かしら掘り返され、鉄筋とコンクリートが何十トンも埋め込まれていきました。こうした総統官邸の工事は終戦の時まで止むことはなかったそうです。かつてはドイツらしい整然とした庭園の風景は、まるでヒトラーの心中を現すかのように雑然としていったのは、どこか象徴的な話ではないでしょうか。この官邸裏に広がる地下壕には、映画にも出てきた車両用地下壕、使用人用地下壕などの他、総統府の幕僚達の宿舎壕などが設けられ、まさにドイツの心臓部が全て地下に移ったようでした。

当のヒトラーは、「カタコンベ」の中に設けられた20室ばかりの部屋がある、ぶ厚いコンクリートに囲まれた空間に居ました。そこで、彼が安心して過ごせたかと云うと、実はそうではありません。そんな彼の気持ちを現していたのが、ヒトラーの私室にあった酸素ボンベです。この酸素ボンベは映画の中でも、ちゃんと描かれていましたが、皆さんはお気付きになりましたでしょうか。実は地下深い要塞の換気は電気で駆動する装置に委ねられていました。もし、換気装置が止まれば酸欠になります。その恐怖から逃れるために、彼は酸素ボンベを用意させたのでした。この点を演出する必要性からか、監督は何度も発電機を操作する電機技師の姿を挿入していましたね。あの発電機を動かすことはヒトラーの命を動かすことと同義と描きたかったのかもしれません。

しかし、敵に追いつめられて自殺の道を選ぶことになる彼の末路を思えば、それはまさに杞憂としかいいようがない心理です。自らの身の安全にこれほど過敏な人物が、自殺を選ばざる得なかったのです。最後の数日に彼が見せた苛立ちや諦観、時折ぶり返すような生への執着は、こういう複雑さの中で出てきたものだと思われますが、皆さんはどう思われましたか。

そんなヒトラー終の棲家である「カタコンベ」の中は、映画でも描かれているように事務用の什器類があるだけで、まともな家具と呼べるものはエバの部屋とヒトラーの部屋にある僅かなソファーやテーブルのみでした。映画の中でベルリンを去るシュペアーがエバの部屋を訪れた際に、彼女がシュペアーのデザインした家具をわざわざ誉めるのは、そんな侘びしい暮らしを癒してくれた家具への愛着を通して、さりげなく彼への感謝と別れを伝えようとしていたのではなかったでしょうか。家具という道具に対する感覚は、日本人と欧米人では随分異なるようですし、特に欧州では代々家具を受け継ぐなど、生活に欠くべからざる装置であったと云われますので、コンクリートの壁に囲まれて暮らす辛さを、シュペアーデザインの家具達が癒してくれていたのでしょう。

ところで、ヒトラーが建築に対して並々ならぬ関心を持っていたのは有名な話です。そういえば、映画の中でも、シュペアーが設計した将来のベルリン都市計画をモデリングした模型を前にヒトラーとシュペアーが語る場面がありました。ヒトラーの夢想していた未来と、地下壕へ立て篭もっている現実の対比は、まさに悲劇以外の何者でもありませんね。そんな建築マニアが自ら作らせたコンクリートに囲まれた監獄のような部屋で、やがて自らの死を考えねばならなくなるのですから、総統は自ら墓穴を掘ったようなものでした。いずれにせよ、長い地下暮らしは、ヒトラーを心理面でも蝕み(肉体面では暗殺未遂事件以来右手が自由にならないなどの後遺症に悩まされていました)、躁鬱を激しくさせていったのは、映画でも丁寧に描かれていましたね。映画を観た私の友人は「あんな弱いヒトラーを想像しなかった」と言っていましたが、世間に流布されている強気のヒトラーとは全然違うイメージを描くことも、この映画が製作された意図に連なるものではなかったかと思います。しかも、まったくの狂人ではなく、普通の人間として描くことが狙いだったのでしょう。

「かくも多い食事場面の意味」

映画をご覧になってお気付きになったと思いますが、2時間半を越える映画の中で、食事をする場面が何度となく出てきます。

ヒトラーは菜食主義者で、大食を好まず、肥満を嫌っていたと云われています。派手好きで太鼓腹のゲーリングに信をおかなかったのも、こんなヒトラーの心理を物語っていると思います。そんなヒトラーですから、食事の質には常に気を遣っていました。しかも、味にはうるさく、調理法にも指図することが度々あったそうです。そんなヒトラーが、生涯好んだのは意外なことにイタリア料理でした。ナチス勃興の地ミュンヘンには、ヒトラーが通ったイタリア料理店『オステリア・イタリアーナ』が今も現存しています。案外、ムッソリーニを気に入ったのは美味しいイタリアンをご馳走してくれたからだったりするのかも知れませんね。彼の最後の料理人はコンスタンツェ・マンツィアリィと云いました。映画の中でもちゃんと彼女は描かれていますが、名前からしてイタリア系のようです。(映画の最後の方で装甲車の座席に放心状態で座り込む彼女が描かれていましたが、彼女がその後どうなったのか実は不明なのです。一説では自害したともいわれています。)

そんなヒトラー最後の晩餐は、映像で見た限りはラビオリのトマトソース煮のようでした。ラビオリの中には肉ではなく、恐らく馬鈴薯と潰してハーブと塩胡椒で味を調えた具が入っていたのではと想像します。あの食卓には、黒パン以外には何も出されていませんでした。最後の晩餐にしては侘びしい食卓ですが、案外普段の彼の食卓はあんな質素なものではなかったでしょうか。というのも、招聘に応じて包囲下のベルリンにやってきたグライム空軍大将(当時第6空軍司令官)とハンナ・ライチュ(高名な女性飛行家)を歓迎する夕餉の席でも、陪席する者達は、厚切りハムのグリルと付け合せのザワークラフトとグリーンピースであるのに、ヒトラーのみはパスタとホウレン草(恐らく缶詰の)をクリームソースで合えたものを食べていました。そう云えばワインも出てはいませんでしたね。飲酒に関してもヒトラーはワインを少し口にする程度で、普段はミネラルウォーターを飲んでいました。コーヒーも好まずハーブティー(ミントティーを好んだといいますが、ミントには鎮静効果や健胃効果があります)を嗜みました。そういえばコーヒーも映画には出てこないですね。大酒飲みの多いドイツ人としては付き合いにくい人物だったでしょう。ドイツと言えばビールですが、これも出てきませんでした。他に酒で出てきたのはシャンパンとシュナップスという馬鈴薯で作られた焼酎、それにウイスキーのようでした。

こんなヒトラーの食事に関する微笑ましいエピソードは、ヒトラーがケーキ好きであったという逸話です。地下壕生活でも、時に二つも食べたりしたそうです。彼はチョコレートケーキが好きだったとか。そういえば彼が青春時代を過ごしたウィーンには「ザッハトルテ」というキングダムチョコレートケーキがありますね。貧乏学生が、そんなものを食べられたとは思いませんが、地下要塞暮らしが長くなるにしたがい、いつもケーキを食べたがったとも伝わっていますので、彼の食に関する戒律も最後は少し緩んでいたようです。

食事は人が生きていく上で欠くことの出来ない欲求です。俗に食欲、睡眠欲、性欲は人間の本能だと云われますね。戦記を読めば判りますが、戦場で飢えるとまず性欲が無くなるそうです。精神的に辛くなると、やはり性欲はなくなります。EDの大半は精神的ストレスによるそうですから。ですが、食欲と睡眠欲だけは無くならないそうです。人間は寝なければやがて発狂すると云われていますし、食べなければ衰弱して死んでしまいます。それ故に、あんな煉獄の世界でも、人は眠りますし、食事を楽しむことが出来るのです。しかも、上手い不味いという事まで言えるのですから、食はまさに人間の性を現すように思います。戦場では、敵兵士の死骸の横で兵士は平気で食事をすることが可能になるそうですから、慣れると云うことは何とも恐ろしいですね。映画でもこの点はしっかり描かれていました。例えば、食事を作るにも、するにも欠かせないのが水です。映画の中でも、水道が止まり、井戸の手押しポンプに水を汲みに来る市民が描かれています。戦場の真ん中でも、命懸けでも水を汲まねばならない人間のつらさを現す印象深い場面でした。水を汲みに行くだけで生死を賭けねばならない戦争の悲惨さは、この映画を見られた誰もが感じられたと思います。片一方で、総統官邸では酒に酔い、宴を楽しむ親衛隊や軍、ナチス幹部が描かれていました。酒に逃れて酩酊したり、唄い踊ったりすることで、少しでも死への恐怖心を忘れようとする場面には、誰もが幻滅や憤りを感じられたでしょう。こうした対比を通して、市街戦の悲惨さや、ヒトラーと幕僚達の生への執着を描く狙いがあったのでしょうね。冷静と狂気の狭間の演出は映画のラスト近くで、総統壕から退避した一団が、一息入れて缶詰を食べている場面で見事に描かれていました。その時、内科医でもある親衛隊大佐が「まず食べろ、死ぬのは何時でも出来る」と言いますが、食べることで生への回帰をし、辛くなると再び死へと目を向ける。まさに人間の業を描いているようでしたね。


2005年4月11日 (月)

キリスト教原理主義とハリウッド映画の関係

picture2

『ナショナル・トレジャー』を観てきました。この映画は、ニコラス・ケージ版のインディー・ジョーンズともいうべき作品でした。歴史を題材にした謎解きが、やがて宝探しにつながっていく推理の掘り下げの面白さと、お約束の二転三転する物語展開は単純明快で、誰でもワクワクさせてくれる魅力がある気がしました。

『ナショナル・トレジャー』の話の核になるのは、フリーメイソンとテンプル騎士団です。フリーメイソンが闇の黒組織という姿では描かれず、テンプル騎士団に連なるキリスト教原理主義者として描かれていて、ナショナル・トレジャーをアメリカで守るための秘密結社として扱われています。物語にちりばめられた謎も、フリーメィソンの世界観を題材にして作られているのも、一層謎に感じられて面白みを煽ります。そのひとつが一ドル札の裏に描かれている謎のあの絵なんです。(上段左上の絵)

映画の筋がネタバレになってしまうので、ここまでにしておきます。ただ、『ナショナル・トレジャー』を見て思うのは、近年のハリウッド映画には本当にキリスト教の原理が筋立ての下地になっている作品が多いなということです。

例えば、日本でも大ヒットしたキアヌ・リーブスの代表作『マトリックス』。この作品の続編が公開される度に、描き出される内容は(普通の日本人には)難解になり、日本ではあまり評判が上がらなかったような気がします。『マトリックス』が描く世界観は、未来社会に姿を借りた欧米神話的寓話であると解釈すれば、意外に理解が出来るように思います。勿論、その中心にあるのはキリスト教の原理です。例えば、人間側の代表としてマトリックに戦いを挑む、ネオ、トリニティー、モーフィアスの3人の仲間。彼等の名前の意味を知る欧米人には、素直に脚本の意図を感じ取ることが出来ると思うのです。

キャリー・アン・モスの演じたトリニティー(TRINITY)は(カトリック・英国国教会で)三位一体の神をさす言葉です。あの「神と子と聖霊の名において」は、このトリニティーを現すキリスト教の中心的教義の文句です。アウグスチヌスは三位一体論で「神の三位一体性を人間の心的活動(記憶と悟性と意志・あるいは精神と認識と愛)の三位一体性と類比的に説明しようと試みました。マトリック(仮想現実世界)によって人間の心的活動を奪われた人類。その人類が人間性を取り戻す過程は、まさに自らの記憶を取り戻し、自らの存在を悟り、自らの意志で行動することです。また、トリニティーは転じて三組という意味も持ちます。(トリプルの語源もこの言葉です。)ネオ、トリニティー、モーフィアスの3人の仲間も、三位一体を象徴すると考えれば納得しやすい存在です。もし、この3人をアウグスチヌスのいう心的活動に置き換えられるなら、ネオは「精神」を、トリニティーは「愛」を、モーフィアスは「認識」を現しているのかも知れません。この三位一体の思想は、ヒンドゥー教においても、創造、維持、破壊を司る三神一体の神「梵天」、「ヴィシュヌ」、「シヴァ」を象徴していたり、古代エジプトではピラミッド(直角三角形)は宇宙や自然の象徴とみなし、底辺はオシリス(或いは男性原理)を表し、垂直の線はイシス(或いは女性原理)、斜辺はホルス(或いは両原理の生産物)を表していたとされています。古来から神を現す図式としてあった思想に、三位一体との関係があったのは興味深い一致です。

モーフィアス(MORPHEUS)は、ギリシャ神話に出てくる夢の神モルペウスの読替です。夢の中で、人に人間の形を認識させ、それを変化させる夢の神だとされています。まさに映画のモーフィアスの役柄そのものを象徴する名前です。ついでにいうとモルベウスは「モルヒネ」の語源となった言葉でもあります。

そして主人公のネオ(NEO)。ネオは、「新しい」とか「最近の」という意味です。あの「ネオナチ」のネオがそうです。映画の中のネオは新人類(或いは超人類)を象徴する意味でネオと名付けられたんだと思われます。

モーフィアスの恋人ナイオビ(NIOBE)。こちらもギリシャ神話に登場するニオベの読替です。ニオベは人間で初めて大神ゼウスの恋人となり沢山の子供をもうけますが、増長してしまい神を嘲る態度を取ったため、神に子供を皆殺しにされ、彼女自身もゼウスに石にされたと言われています。この神話からニオベは、子を失って悲嘆にくれる女の代名詞になりました。これでは二人は結ばれるはずがありません。

現代イタリアの代表的な美人女優モニカ・ベルッチが演じた謎の美女パーセフォニー(PERSEPHONE)。メロヴィンジアンの妻でありながら、ネオとのキスと引き換えに、「キーメーカー」の居場所を教えた彼女。こちらもギリシャ神話のペルセポネの読替です。パーセフォニーはゼウスとデメテルの間に生まれた女神ですが、やがて冥界の王ハデスにさらわれて妃となり冥界の人となってしまいます。彼女は母デメテルによって冥界から連れ戻されますが、既に冥界の食べ物を口にしていたため、一年の三分の一を冥界で、残り三分の四を地上で過ごさざる得なくなります。このペルセポネが冥界に行っている四ヶ月間、母デメテルが大いに悲しむため、地上に穀物が育たない冬がやってくると言われています。何とも意味深な役名ですね。

そしてネオ達が守ろうとする覚醒した人間の聖地ザイオン(ZION)。これはシオン(エルサレムにある丘の名前)の読替です。シオンは転じて、イスラエルやユダヤ民族の事を現しますし、エルサレム(天国)やユダヤ人が理想とした神政政治も現す大切な言葉です。ネオはシオンを守るために復活した超人類。モーフィアスはネオを復活させる賢者。トリニティーは愛で二人を支える聖者。物語はキリストの復活を下敷きに、マトリックスに支配された世界から、人類を覚醒させ、真の世界に導いていくという十戒のような世界観を、コンピュータープログラムの世界に置き換えているだけという解釈も成り立つ気がします。ネオはバグとして必然的に発生し、キーメーカーにより修正プログラムとなって、マトリックの修復を行ったという表面の物語に、こうした聖書の世界観を織り込むことで、人々に理解しやすくている演出だとも云えるかも知れませんね。

『マトリックス』は、公開時にエジプトをはじめとして、主にイスラム教国で上映が禁止されたというのも、判る気がします。ユダヤ人がユダヤ人のために製作した映画とも解釈が可能ですし、イスラム教徒には反感を買いやすいストーリーです。必然というか、キアヌ・リーブスがマトリックスの後に選んだ作品『コンスタンチン』は、ローマ皇帝コンスタンティヌス一世(constantine)の名を冠した題名でした。コンスタンティヌス一世はローマ帝国でキリスト教を最初に公認した皇帝です。新首都をコンスタンティノープル(Istanbulの旧称)に建設したことでも、歴史に名を残しています。天国と地獄を見ることの出来る超能力を有した青年コンスタンチンが、死神と闘うキリスト教的世界観は、既にマレーシアで上映禁止になっているそうです。

ここ数年、ハリウッド映画は、こうしたキリスト教的世界観(原理主義的思想)を物語にする作品が増えてきている気がします。これから公開される『キングダム・オブ・ヘブン』も、その流れにある作品です。先日亡くなられたローマ法王の葬儀に、現職大統領として初めて参列したブッシュ大統領。彼の参列も、アメリカ社会でキリスト教原理主義の台頭を意識してのことなら、イラク戦争はさしずめ十字軍の遠征。正義のない戦争を、正当な戦いに置き換える大衆誘導なんだろうというほど、私は陰謀論者ではありませんけどね。

2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト
無料ブログはココログ